あたしは独りじゃない
まだ、2分ほどしか経っていない。
だけど、時間の長さではなく重さが心に圧し掛かるような感覚だった。
正直、見通しが甘かった。
「さてどうする」…などと偉そうに考えたものの、妙案が浮かばない。
目の前に見えているドアを突破する方法が、どれも現実的に思えない。
ただゴールへ向かうだけなら、別に悩む必要もなかった。本を捨てて、
身ひとつでドアの向こうまで跳べばいいってだけの事だ。実に簡単。
だけど、それじゃ何も解決しない。
むしろ奥にあるドアを抜けてからが本番なのに、こんな所で足踏みして
どうするんだ。時間も乏しいのに、つまづくのがあまりにも早すぎる。
「…行けるのかな、本当に。」
ポツリと漏らした言葉が、予想以上の負の感情を生み出してしまう。
ここを抜けたとしても、間取りなど分からない奥を攻略できるのか。
トーリヌス・サンドワさんの所まで果たして辿り着けるのか。
あたしなんかの力で、どこまで…
『おいポーニー、焦るな。』
明瞭に響いた呼びかけに、あたしはハッと我に返った。あの呟きが、
トランさんにはしっかりと聞こえていたらしい。
「すみません。」
『何もかもやってくれって言ってるわけじゃないんだ。いいな?』
「…はい。」
『とにかく焦らず、現在地と現状を正確に教えてくれ。』
「了解です。」
いつもの店長の声が、あたしの心に再び勇気をくれた。
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一度本をポケットから出し、物陰に隠す。そして中の世界に退避する。
声が漏れないから、こういう時にはその方がいい。わざわざ向こうまで
戻るほどの事態でもないし。
「現在地は、児童書コーナーの前の廊下を突き当たったドア前です。」
『つまり、総合事務所の前だな?』
「そうです。ドアを抜けたすぐ正面にもう一枚ドアがあります。」
『…ああ。それを抜ければ管理棟に入れる。それは分かってるな?』
「はい。しかし、事務所に敵が一人陣取ってるんです。いくら何でも、
彼に気付かれずにドアを突破するというのは無理ですね。」
『なるほど…え、何ですか?はい。えっと…』
どうやら向こうで、誰かトランさんに声をかけたらしい。あたしには、
その「誰か」の声が聞き取れない。シュリオさんかな?
『いいかポーニー。』
「はい。」
『その総合事務所は、王立図書館の対外事務をすべて請け負う場所だ。
つまり、電話の外線も集中してる。事務所専用の番号もあるらしい。』
「なるほど。」
こういうアドバイスが出来るのは、きっとノダさんだな。
『今は拉致犯との交渉に代表番号が使われていて、他は閉鎖されてる。
余計な情報が外部に漏れたりしないように、という非常措置らしい。』
「じゃあ、事務所の専用番号も?」
『ああ。今のままなら鳴らないって状態だ。』
「ならどうすれば、今のままの状態を変えられるんですか?」
『話が早いな。』
おそらくトランさんは、本の向こうでニヤリと笑ってるんだろうな。
声だけで、それがはっきり判った。
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シュン!
外へと出たあたしは、ドアの右隣の柱の反対側をそっと確認する。
指示通り、そこには小さな配電盤のようなスイッチが並んでいた。
『あったか?』
「はい。」
『それが非常接続用のスイッチだ。ノダさんによると、中の緊急事態を
外から確認するためのものらしい。手動操作で、どの回線も繋がる。』
「分かりました。」
『準備はいいか?』
「いつでもどうぞ。」
『まず、一番下にある赤いレバーを下げろ。ベルが鳴らなくなる。』
「はい。」
音がしないよう慎重に、指示されたレバーを下げた。
「下げました。」
『よし。それじゃ、右から二番目の緑色のスイッチを入れろ。それが、
総合事務所の電話回線だ。』
「ええと…あった。入れました。」
スイッチを入れると、すぐ上にある緑のランプが点灯した。
『よし。んじゃちょっと待ってろ。事務所の中が見える所でな。』
「了解です。」
本をポケットにしまい直し、そっとドアの前まで戻って息を潜める。
と、その十数秒後。
チカチカッ!!
ベルが鳴る代わりに、電話の本体に設けられたランプが点滅を始めた。
かかって来ないはずの外線に、中の男性が怪訝そうな表情を浮かべる。
明らかに迷っているらしい。そりゃそうだ。想定外の事態だろうけど、
わざわざ中にいる仲間を呼ぶほどの事でもないと思われる。
それにしても意外と点滅が激しい。外で見ててもチカチカするほどに。
何度目かの点滅ののち、中の男性はようやく受話器を手に取った。
そのまま切るかと思っていたけど、ちゃんと律儀に応対するらしい。
「あー…今日は臨時休館で…」
明らかに不釣り合いな声が、途中で激昂した声に変わった。
「何だと!?てめ」
怒鳴るかと思った男性は、そのまま凍りついてしまった。
見覚えあるなあ、あの硬直。
…と言うか、本から小さく聞こえてきていた。
他でもない、トランさんの声が。
『わざわざてめえに言われなくても知ってるよ、ハゲ。』
一撃だった。
確かにハゲだけど、いきなり電話の相手に言われたらそりゃ怒るよね。
悪意だって一瞬で湧き上がるよね。
そうなれば後は「魔王」の餌食だ。
さすがは店長。
人を怒らせる手腕は一流ですねえ。
…面と向かって言うと、多分かなり落ち込むと思うけど。
そう。
あたしは、独りじゃないんだ。