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レッドドラゴンフライ

作者: 藤泉都理

【第1話 毒虫】




 母様は言った。


 木々の葉っぱが赤や黄に染まる時期になると、毒虫が地中から一気に湧いて出たらしい。

 この毒虫が吐く糸に触れた人間は眠ったままになるという。

 母様がうんとちっちゃい頃には、この毒虫で眠ってしまった人間を起こす薬が開発されていたし。

 何より。

 この毒虫を食べてしまう虫が居たから、そもそもこの毒虫の毒牙にかかる人はとても少なかったからしい。


 ただね。

 母様は言葉を紡いだ。


 何故だかわからないけど、この毒虫が湧いて出て来なくなって、この毒虫を食べてしまう虫もこの国から居なくなってしまった。




 きれいだったの。

 とてもきれいだったわ。

 黄昏時だった。

 黄金に染まっていたの。

 田んぼも空もこの虫も。

 今は見られなくなっちゃった、この国の原風景。

 あなたにも見せてあげたかった。


 見られなくてよかった。

 だって、その風景を見るという事は。




「助けて。助けて。助けてよ」


 城から飛び出した姫は泣きながら駆け走った。

 どこに行けばいいかなんてわからず、ただがむしゃらに走り続けた。

 助けを求めるべき存在の名を。

 あの忌まわしい毒虫を食べてくれる虫の名を。

 ただただ、叫びながら。


「助けてよ!レッドドラゴンフライ!」



 








(2023.10.11)



【第2話 よっぱらい】




 毒虫が姿を消し。

 レッドドラゴンフライも姿を消し。

 人間も姿を消し。

 城に住む人間だけで細々と小さな国を動かしていた。

 時にゆったりと、時に忙しなく、誰もが協力して、誰もが喧嘩をして、誰もが仲直りをして、平和な時間が流れていたのだ。


 突如として城の床や壁、天井からも、毒虫が噴出するまでは。

 姫以外の全員が、毒虫の吐いた糸によって眠りに就かされるまでは。






「レッドドラゴンフライを知りませんか!?」


 朽ちるのを待つよりはと使わない空き家は解体して、ぽつぽつとしかない作業家と住宅を、広々とした畑を通り過ぎ、隣国まであと中頃という距離を駆け走って来ただろうか。

 姫は一人の男性を見つけては駆け寄り、涙を流したまま問いかけた。

 常時ならば思わず鼻を塞ぎたくなるくらいに、男性は酒の匂いを漂わせていたが、切羽詰まった姫にはその匂いは露とも届いていなかった。


「レッドドラゴンフライ~」

「知らないのですね!わかりました!ありがとうございます!」


 首を傾げる男性に勢いよく頭を下げて、隣国まで駆け走ろうとした時だった。

 待って。覇気のない声で呼び止められた。


「知ってる。知ってるよ~」

「本当ですか!?」

「うんうん。居場所に案内してあげよう。秋津あきづおじさんについておいで~」

「どこに居るのですか!?ここから近いですか!?遠いですか!?」

「うん~。え~~っと。近いかなあ。遠いかなあ。『がなやんま泉』なんだけどお~」

「『がなやんま泉』って。すぐ近くじゃないですか!?」

「え~~あ~~そうだっ~け~。あはは。秋津おじさん。地理が弱いからさあ~。そこに行きたかったんだけど~~。行けなくて~~~。案内してくれる~?」

「はい!」


 姫は秋津というその男性の片手を掴んで走り出した。

 今来た道を戻って、城へと。

 城の近くにある『がなやんま泉』へと。












(2023.10.12)



【第3話 休眠】




 絶対に一生分の涙を今、この時に流し尽くす。

 毒虫から必死に逃げながら、姫は思った。

 もうこの先、涙が流れる事はない。


 城が目前、『がなやんま泉』まではあともう少しという距離で、毒虫が城の出入り口から噴出したかと思えば、姫と秋津に襲いかかったのだ。

 標的である眠っていない人間が自分たちしか居ないからだろうと、姫は考えていたが。


「お~~~。毒虫は酒の匂いに呼び寄せられるって、本当だったんだ~~~。秋津おじさん、か~~んげき~~~」

「はい!?つまりあなたの所為で毒虫に追いかけられているのですか!?だったら早くお酒を捨ててください!!」

「え~~~。無理~~~。だって、全部飲んじゃったんだも~~~ん」


 アハハアハハハハ~と陽気に笑う秋津の手を離そうか。

 刹那、悪魔の囁きが聞こえたが、姫は離さなかった。

 恐らく。確実に。


「秋津さんは『がなやんま泉』に眠っているレッドドラゴンフライを起こす方法を知っていますね!!!」


 『がなやんま泉』は一日に一度は必ずと言っていいほど目にするが、レッドドラゴンフライを見た事など、一度たりともない。他の城のみんなもそうだ。

 秋津の予想が違っていて、そもそも居ない、という可能性も無きにしも非ず。だが。

 もしも本当に居るとしたら、何故その姿を目にする事がないのか。

 それは。

 休眠だ。


 姫にじっと見つめられた秋津は、へらへらよっぱらい笑顔を刹那、引っ込めて精悍に笑ってみせた。


「ああ。知っているよ」


 そう答えるや否や、秋津は姫に握られた手をそっと解いては身体全部で振り返り、毒虫の集団に相対した。


「さあって。じゃあ。起こそうかな~~~」


 『がなやんま泉』はもう目と鼻の先であった。











(2023.10.13)



【第4話 巫女】




 気配がする。

 祖母の生霊が言った。

 毒虫の毒牙にかかって、目覚める為の薬が足りないからと与えられないまま、眠り続ける祖母はそれでも巫女であったおかげか、生霊になって一日に一回話しかけて来る。


 その祖母の生霊が言ったのだ。

 毒虫の気配がする。

 対処方法は以前教えたとおりだ。

 レッドドラゴンフライの位置も目覚めさせる方法も。


 あたしを、まだ眠ったままの人間を目覚めさせておくれ。


 祖母の生霊は願いを口にして、それきり姿を現す事がなかった。




「ちょっとの間、待ってろよ。ばあちゃん」


 秋津は眠り続ける祖母の白髪をそっと撫でると、我が家を後にした。

 毒虫の気配がするという隣国に向かって歩き出したのだ。

 酒を飲みながら。











(2023.10.14)



【第5話 レッドドラゴンフライ】




「さあ~~~って、と。レッドドラゴンフライちゃ~ん。起きてちょうだいなあ~っと」


 いそいそと『がなやんま泉』の傍に置かれた物を見た姫の頭の中では、先程までの衝撃的な光景があり得ない速度で行き交っていた。




 刹那の出来事であった。

 秋津が毒虫の大群に向かい合ったかと思ったら、毒虫の大群が炎に包まれて、こんがりと香ばしい匂いが漂えば、地面には巨大なフライが一個転がっていたのだ。

 毒虫フライの完成だ~。

 パチパチと拍手すると、秋津はその毒虫フライを持ち上げて、『がなやんま泉』の傍に置いたのであった。


 すべてフライにしてしまったのか。

 それとも、フライとして犠牲になってしまった仲間を前に、警戒して襲いかかって来ないのか。

 追いかけて来る毒虫はもう居なかった。




「レッドドラゴンフライちゃ~ん。ほ~~~ら。君の好きな毒虫の、さらにフライですよ~~~。しかも米酒入りですよ~~~」


 膝を抱えて泉の中を見つめる秋津の横で、姫は地面に両膝をつけて両の手を組み合わせて握り、祈った。


 お願いします、レッドドラゴンフライ。

 目覚めてください。

 お願いします、レッドドラゴンフライ。

 城に蔓延る毒虫を食べてください。


「ほ~~~ら。お目覚めの時間ですよ~~~」

「目覚めてください」

「「レッドドラゴンフライ」」


 秋津と姫の声が重なった瞬間であった。

 突如として泉から水柱が天空に向かって駆け走ったかと思えば。


「秋津さん」

「ああ」


 もう涙は出ない。

 そう思っていた姫の目からまた、大粒の涙が溢れ出して来た。




 網目のように張り巡らされている翅脈しみゃくという赤い筋と、その間にある翅室ししつという透明な膜のある、四枚の大きなはね

 複眼という大きく赤い二つの目。

 鋭い刺のある六本の赤く細い脚。

 細長い赤い胴体。

 これらが特徴の虫であるレッドドラゴンフライが天空を支配していたのだ。











 瞬く間の出来事であった。

 天空を支配していたのはほんの刹那の間のみで、無数のレッドドラゴンフライが一斉に城へと飛翔したかと思えば、城に蔓延る毒虫をあっという間に食い尽くしてしまったのだ。

 食い尽くしては、隣国へと飛翔していったのであった。


「ありゃりゃ。も~しかして~。俺の国にも出ちゃってたのかな~~~」


 秋津は戻らないとな~と言いながら、姫に土焼きの酒瓶を差し出した。


「毒虫に眠らされた人を目覚めさせる薬。湿らせた綿を鼻の穴の近くに置いてね。あ。これ、レッドドラゴンフライのフライ入り、ね」


 ウインクをした秋津は、じゃあね~~~と言って手を振ると、えっさほっさっと言いながら走って行った。

 姫もまた、駆け出した。

 土焼きの酒瓶の中で、たぷたぷと液体が揺れるたびに、レッドドラゴンフライに感謝と謝罪を告げながら、城へと一直線に。











「ばあちゃん。身体に戻ってないと。目覚めさせるぞ~~~」

「ああ。わかっておる」


 隣国に戻って来た秋津は家への帰路の途中で祖母の生霊に会った。


 黄昏時だった。

 黄金に染まっていた。

 刈り時の田んぼも空もレッドドラゴンフライも。

 もう見られないと思っていた、この国の原風景だと、感激の涙を流す者も居た。

 秋津の祖母のように。

 もう見たくないと思っていた、この国の悲劇の風景だと、悲嘆の涙を流す者も居た。


 毒虫を喰らい尽くしてくれるレッドドラゴンフライが現れた次の年は、凶荒になると信じる者も居たのだ。

 そんな事はない。

 秋津の祖母は鼻息荒く言った。

 レッドドラゴンレッドが現れても凶荒になどならぬ。


「昔の王がレッドドラゴンフライの見た目が嫌いと言う莫迦げた理由で排除しようと噂を流した次の年が本当に凶荒になったが、レッドドラゴンフライが原因ではなく、太陽の力が一時的に弱まっただけの話よ」

「あ~~~うんうん。ばあちゃん。わかったから、とりあえず身体に戻ろっか」

「うむ。秋津。よくやったな。ありがとう」

「うん」











「秋津さん。ありがとうございます」

「ふふん。俺って、気配り上手な男だから、さ」


 毒虫が城から出現し、姫と秋津が出会って、レッドドラゴンフライが『がなやんま泉』から出現し、姫が毒虫の吐いた糸によって眠らされた城のみんなを秋津からもらった薬で目覚めさせるという怒涛の一日が過ぎた、次の日の事であった。

 『がなやんま泉』の傍で置き去りにされていた毒虫フライを、秋津が回収しに来たのだ。


「祖母がこれを占いに使うらしいから持って行くね」

「はい。よかったです。どう処理をすればいいか、城のみんなで考えていた最中でしたから」

「みんなは大丈夫?何か後遺症とかない?」

「はい。秋津さんの薬のおかげで元気満々です」

「うん。よかった。じゃあ。俺、戻るね」

「はい。重ね重ね、ありがとうございます。隣国のあなたの家に改めて感謝の品を持って行きたいのですが。かぼちゃはお好きですか?」

「うん。俺、好き嫌いないよ」

「よかった。かぼちゃのパイを持って行きますね」

「わあ。やった。楽しみにしてる。ありがとう。姫さま」

「はい。こちらこそ」




 姫は晴れやかな笑顔で、毒虫フライを担いで帰る秋津を見送ったのであった。

 その姿が見えなくなるまで、いつまでも。











(2023.10.15)





  

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