私を殺す義弟を籠絡したいと思います【書籍化】
「……姉上、そんなに私のことが嫌いですか?自分の恋人に、私を殺させようとする程」
私の義弟は、片手に持っていたソレをこちらに投げ捨てた。
「っ……!」
ゴロゴロ、と転がって止まったソレと視線が合い、私は身体を震わせる。
戦場で何度も見た光景であるが、知り合いのソレに慣れることは一生ないだろう。
怨めしそうな眼でこちらを見る、かつて戦友だった男の生首。
義弟は私の恋人だと勘違いをしているけれど、密会を重ねた理由は大きく異なる。
私とその生首の間にあるのは、利害関係のみだ。
私は王座が欲しく、彼は富が欲しかった。
互いの利益が一致したから、手を組んだだけのこと。
「私は今まで、貴女の為に全てを捧げて来ました」
義弟がポツリと呟く。
「……違う、貴方は私から全てを奪おうとしてきたでしょう!?」
何故、今、こんなにも圧倒的な力の差を見せつけておきながら、そんな泣きそうな顔をしているのだろう?
義弟は私が喉から手が出る程欲した王冠を被り、かたや私は罪人として義弟の前に跪かされているのに。
私は、被害者面をした義弟を睨みつける。
「私が欲しかったものは、皆、貴方が掻っ攫っていったのに」
いくら努力しても、女である私は目の前の男に引き離されるばかりで。
「……いえ、私が欲しいと願ったものは、昔からずっと、ただひとつです」
「……私だって、欲しかった物はずっとひとつ、その王冠だけだったわ」
「果たして本当に、それが姉上の欲しかった物でしょうか?」
義弟にじっと見つめられ、私は視線を逸らす。
この、何もか見透かしたような瞳は苦手で……大嫌いだ。
「……当たり前じゃない」
「こんな物が欲しかったなら、いくらでも差し上げたのに。……姉上が私に、脅しではなく、お願いをして下さったなら」
義弟にそう言われ、ぎり、と唇を噛む。
それが屈辱なのだと、何故目の前の男はわからないのだろうか。
王たる者、何人にも頭を下げてはならない。
そう、ずっと母から言われて来た。
「……もう、いい。疲れたわ、早く楽にして」
私にも、矜持がある。
義弟に泣き付いてまで、手に入れるべきものではないのだ。
私は女帝になる器ではなかった、ただそれだけだ。
この勝負、義弟が勝ち、私が負けただけ。
きっと、義弟に聖痕が現れた時点で決まっていた。
それを、私も母も、受け入れられなかっただけ。
「……昔、姉上は私にとても優しかった。剣なんかには興味なく、お菓子や刺繍を好む、とても穏やかな人でしたよね」
「……」
義弟が昔話を始め、私はそれをただ聞いていた。
そんな時代もあった。
目の前の義弟が憎らしいライバルではなく、可愛くて可愛くて堪らない時代が。
そして、母から受けた愛情を、本物だと信じていた時代が……
「もう一度聞きます。姉上が本当に欲しかったものは、これですか?」
義弟は頭上の王冠を無作為に外し、先程の生首と同じように私の目の前に投げた。
「……」
意匠に凝り、重たい宝石がいくつも嵌め込まれたそれは、生首と同じ重たさなのか、殆ど同じ軌道を描いて私の前に辿り着く。
それ程、義弟にとって価値がないものなのだろう。
悔しくて、虚しくて、涙が溢れる。
私が欲しかった物がそこに転がっているのに、後ろ手に縛られた私はそれを拾い上げることすら叶わない。
ああ、すみませんお母様。
お母様に何度も何度も、小さな頃からずっと、女王になれと言われていたのに。
お母様は、女王になれなかった私に、あの世で何と声を掛けるのだろう。
──女王になれなかった一人娘なんて、要らないと仰るに違いない。
もしくは、声を掛けることすら厭い、虫けらを見るような眼差しだけ向けられるのだろうか。
「……姉上。もう既にこの世に、その王冠を強制するあの女はいないのですよ」
「あの女、とはお母様のこと……?」
私は義弟を再び睨んだ。
けれど、私の視線を気にすることなく義弟は頷く。
「ええ、そうです。姉上を死ぬまで支配し続けたあの女は、姉上を愛していませんでした。愛していたのは、自分の思い通りに動かせる、女王となる娘だけですから」
「〜〜っっ、口が過ぎるわ!フィリオ!!」
「……姉上……貴女は間違えました。愛を乞う相手を」
「フィリオ、それ以上余計な口を開かないで!!早く……私を殺せばいいっ!!」
「姉上が本当に欲しかったのは、こんな物ではありませんよね」
私の目の前で、王冠が義弟に踏み潰された。
流石の暴挙に、成り行きを見守っていた周りの家臣達までがザワリ、とどよめく。
「……フィリオ陛下、そろそろ……」
宰相が義弟に進言し、フィリオは横に控えた騎士から剣を受け取り、スラリと抜いた。
刀身に、跪いた自分の姿が映る。
瞬間、私の身体は意志に反して震えた。
王座を求めた者らしく、最期まで何にも恐れたくはないのに。
「姉上……」
「!?」
フィリオが、私の身体を起こして片手で抱き締める。
懐かしいフィリオの香りが、鼻を掠めた。
「ああ、姉上の良い香り……久しぶりですね」
私の耳元で、同じことを思ったらしい義弟が私にしか聞こえない声で囁く。
もう片方の手で握っている中剣が、私の背中に当てられた。
「──陛下っっ!!」
違和感を覚えたその時、背中側から勢いよく貫かれる。
──おかしい。この長さの剣では、私だけでなく……!!
フィリオを押し退けようとしても、自由の利かない手は何の役にも立たなくて。
ゴフ、と私とフィリオの口から、大量の血が吐き出される。
「陛下!陛下!!」
「誰かっ!治癒師を!!」
周りの人間の声が、ずっと遠くで聞こえた。
「何で……フィリオ……」
「姉上……」
私とフィリオは、フィリオが手にした剣で、二人一緒に刺し貫かれ、同時に命の火を消した。
***
「〜〜ッッ!!」
目を見開いた私の瞳に、天井が飛び込んでくる。
吐く息は荒く、汗が全身を濡らしていた。
──何、今の夢。
夢というには、あまりにも……生々しい。
どくどくどく、と心臓が早鐘を打つ。
はぁ、はぁ、と浅い息を吐きながら、私は額に手を当て上体を起こした。
「……」
閉じ込められていた、カビ臭い牢屋の臭いを、湿った毛布の感触を覚えているのに、鼻腔をくすぐるのは爽やかな生花の香りで、肌触りのよいサラリとしたシーツが手に触れる。
私が頭を押さえながら起き上がったタイミングで、扉の向こうからノックされる。
「……はい」
入室してきたメイドは、「まぁ、レア王女殿下。今日は随分と早いお目覚めですね」と水を乗せたお盆を持ったままにこやかに笑いかけた。
「……お水、頂戴」
「はい、畏まりました」
私は渡された水を飲み干した後、唖然としてそのメイドを二度見した。
「ありが……え?」
「レア王女殿下……大丈夫ですか?」
「うん……え?」
流石にそのメイドも、私の様子が気になったようで、気遣わし気に聞いてくる。
「どうかなさいましたか?」
「……ロッティ?」
「はい、レア王女殿下」
にこにこと笑って私の手からコップを受け取るのは、私の目の前で首をはねられたはずの、メイドのロッティだった。
「……ロッティ……」
私がそろそろと手を伸ばすと、ロッティは訝しがりながらもそっとその手を優しく包んでくれる。
「?レア王女殿下?体調でもお悪いのですか?」
「ううん……大丈夫。ごめん、ちょっと一人にさせてくれる?」
私の手を包むロッティの掌は、血の通う人間の温かさだった。
混乱する頭を抱え、私は彼女にそうお願いする。
「……はい、畏まりました。何かございましたら、直ぐにお呼び下さい」
再度気遣わしげにこちらを見ながら、それでも私の指示に従い部屋を出るロッティ。
部屋を見回すと、私の好きなもので溢れていた。
花にぬいぐるみに可愛らしいドレスを着たお人形たち。刺繍が縫い掛けのハンカチがテーブルの上に置いてあり、懐かしさが込み上げる。
この後完成した刺繍のハンカチは、母にプレゼントすると、別件で怒り狂っていた母に踏み付けられ、捨てられたのだ。
「どういうこと……?」
両手を見た。
頭を押さえた時に感じた違和感。
そう、手に剣だこの感触がなかったのだ。
「……」
私の視界に、苦労を知らない、よく手入れされたふっくらした掌が写っている。
まるで、時間があの頃に戻ったかのよう。
自分が母親に愛され、父と義弟と、これからもずっと幸せな家族でいられると信じていた頃に──
そう思いながら私は、姿見の前に立った。
「……ははっ……」
姿見を見ながら、目の前の自分に手を伸ばす。
鏡に写る私も、同時にこちらに手を伸ばした。
「戻ってる……死ぬまでのことは、夢だったの……?」
そう呟きながらも、私は確信していた。
夢なんかではない。
母に操られるがまま、国を混乱に陥れた私は、確かに義弟に刺し殺されたのだ。
ふと、今は何日だろう、と思った。
何が原因で、時が逆行したのかはまだわからない。
けれども、今の私が強く思うのはただひとつだ。
私は固く握り拳を作り、瞳をぎゅ、と閉じた。
──もう、間違えない。
死ぬ間際に、義弟から言われた言葉を思い返す。
私が激高した理由……的を射ているからだ。
この後、義弟にも聖痕が現れる。
そして、それまでただ私にひたすら優しかった母が豹変するのだ。
「……っ、いけません、フィリオ様……っ!」
廊下が騒がしくなったかと思えば、バタン!と扉が開いて、私の胸に飛び込んできたのは、まだ少年の面影を残した義弟のフィリオだ。
「姉上……っ!」
「……フィリオ」
私より少し低い身長。
この後一気に抜かされて、弟のツムジを見たのは何時が最後だったか覚えていない。
私は、私を殺した義弟をギュッと抱き締める。
──そうだ、もう、間違えない。
「フィリオ、何かあったの?」
「うん、凄く、凄く……怖い夢を見た」
「そっかぁ。じゃあ、しばらくギュッてしててあげるね。寝ても良いよ」
申し訳なさそうに扉の向こうから覗いてくるロッティに笑って手を振り、扉を閉めるように指示した。
ひとりにして、とお願いされたのに義弟が私の部屋に駆け込むのを止められなかったことを、気にしているのだろう。
二人で抱き合ったまま、私のベッドにゴロンと横になる。
義弟が五歳で私達家族の仲間入りをしてから、ずっと一緒に寝ていたけれども。
母からそろそろ離れなさいと言われて、私達は寝る時だけ別々にさせられた。
「……フィリオ」
懐かしくて、フィリオの爽やかな匂いを胸いっぱいに吸い込む。
大好きだったのに。
あんなに仲が良かったのに、私は何故間違えたのだろう。
この頃の私は王冠なんて、どうでも良かった。
ただ、今の幸せが続くと思っていた。
「フィリオ、背中、見せてくれる?」
「ん?背中?」
一縷の望みをかけて、聞いてみる。
フィリオの背中に聖痕があることは、メイドが一番に発見して父に報告され、その後母が大騒ぎして国が大混乱に陥ったのだ。
「はい」
「……え?」
「え?」
「聖痕が……」
フィリオの背中には、私の願いも虚しく聖痕が刻まれていた。
しかし、聖痕は綺麗に半分、消えていたのだ。
直径十センチ程だった円形の聖痕が、直径五センチ程の聖痕へと変化している。
(──どういうこと……?)
私は思わず、自分の寝間着を引っ張り、胸元を覗いた。
「ちょ、姉上!」
フィリオが顔を真っ赤にして横を向くが、そんなことには構っていられない。
私の聖痕は、胸元にある。
「……同じ……」
私の聖痕も、フィリオと同じく、半分になっていた。
***
私は肥沃で豊かな大地を持つ王国のただひとりの後継者である王女として生まれた。
聖痕は、この国に繁栄をもたらす存在として、稀に王族に現れる証である。
この聖痕を持って生まれた子供は、将来国を安泰に導くと言われていた。
聖痕は、生まれた時から現れている者もいれば、成長の過程で現れる者もいる。
私は前者で、始めから後継者としての資質を問われることなく誰からも、特に母から愛されて育った。
そんな私に義弟が出来たのは、私が八歳になった時だ。
義弟は五歳で、両親を失った。
騎士である両親が亡くなった理由が、父である国王を守ったからだ。
騎士としては誇れた行動かもしれないが、両親を二人同時に亡くしたフィリオに父は胸を痛めて、騎士達の一人息子を引き取ったのだ。
母は最初、何処かの貴族にでも引き取って貰えば良いと言っていたし、臣下もそう言っていたが、結局聖痕を持たない父が民心を掴む手段として採用された。
母は不服そうだったものの、私に聖痕があるので最終的に折れる形となった。
また一方で、私は義弟が出来て嬉しくて堪らなかった。ずっと我慢していた子供の遊びをすることも出来るようになったし、何より義弟が懐いて来るのが堪らなく可愛かったからだ。
そのまま行けば、母に隠された狂気……王冠への並々ならぬ執着が露わになることもなく、家族幸せになる筈だった。
変化が起きたのは、フィリオが十歳になった頃。
フィリオの背中に、聖痕が現れてからだ。
母は、起用する臣下を自分の家門で固めていた。
当然、派閥争いが激化し、母や母の家門に対する不信は水面下で広がっていくばかりだった。
そんなところに、王たる者に相応しいとされる聖痕を持った、母の家門とは関係のない少年が現れたのだ。
あまりないことではあるが、ずっと祖先を遡れば、王族の血を引く御落胤だったりと、王族にしか現れない筈の聖痕が貴族や平民に現れることもあった。
まだ幼いフィリオは、母の一存で一番命の危険がある戦場に送られた。
父は、王城内で母に暗殺されるくらいならと、フィリオを戦場で保護して貰えるよう、母の手が伸びない別の家門にフィリオの身柄を預けた。
母の後ろ盾で王座についた父は母の言いなり。
ただ、義弟のことだけは譲ることなく、それがまた母の気に障ったのだ。
父のフィリオに対するその配慮は、結局母を更に狂わせた。
フィリオは両親の血を継いで、戦場でいくつも活躍をして頭角を現し、民から英雄扱いされるようになった。
それは戦場で野垂れ死にすると考えていた母の誤算であり、焦った母は、私にも帝王学と同時に剣を習わせ始めた。
母の口癖は、「絶対にこの国初の女王になりなさい」だった。
母の上には常に父がいたが、本当は母が全てを牛耳りたかったのだ。
父の上にいくことは出来なくとも、私の……一人娘の上であればいくことは出来る。全てが自分の思うまま、願うままに動かせる。
けれども義弟は男であるし、血は繋がっておらず、洗脳しきれない恐れがあるのだ。
時を遡った今だからこそ、母の考えがこうして手に取るようにわかるのだが、当時私が欲しかったのは、王座ではなく……母の愛だった。
自分が頑張れば、王冠を手に入れれば、また優しい母に戻ってくれる……そう信じていた。
義弟も可愛がって欲しかったし、父とも仲良くして欲しかった。
だから、好きだった遊びも刺繍も全て辞め、血豆が出来る程に訓練し、母に命じられるがまま比較的勝ちが決まっている楽な戦に赴き、戦姫と呼ばれるまでになった。
それでも、義弟の功績には到底及ばなくて。
母は毎日、私を激しく叱咤し、鞭打ちもした。
私は思考が上手くまわらないまま、母に言われた通りに誰かを何かの罪で処刑した。
賢王ではなかったが、愚王でもなく、また人の心に寄り添うタイプの父は、母と距離を取るようになった。
それが十年続き、私はそのうち、義弟に死んで欲しいと願うようになった。
義弟が死ぬか、私が死ぬかしないと、この泥沼化した内政は終わらない。
後継者争いが激化し、国民も貴族も皆、他国まで巻き込んで、国内は混乱を極めた。
──やがて、父は決めた。
愛していた母ではなく、愛する国をとることを。
私と母は、国内を混乱させた当事者として投獄され、父はその責任を取って義弟に王位を譲った後に母の家門の誰かに殺された。
血みどろの物語の最後は、母と私の死だ。
母は斬首刑になり、私はずっと、義弟の温情で生かされていたが、それも私の戦友が義弟の首を狙ったことで終わりを迎えた。
血生臭い、人生だった。
折角聖痕を持って生まれたのに、国を平和に導くどころか混乱を招き入れたのだ。
──一度死んだ、今ならわかる。
私は間違えたのだ。
『貴女は間違えました。愛を乞う相手を』
その通りだ。
一度目の生で、母に愛されたいが為に、私は精一杯努力した。
二度目の生では、もうあれほどには頑張れないだろう。
「姉上……」
フィリオが、不安そうにこちらを見上げてくる。
こんなにも私を慕ってくれた義弟を捨て、裏切り、その死すら願った代償が、国の混乱と自分の死だった。
私はフィリオを安心させる為に、ぎゅう、ともう一度抱き締めた。
***
「フィリオに聖痕が出ました」
私はフィリオと一緒に父に相談しに行った。
「おお、そうか……!フィリオに……」
相談しに行った父の反応はわかりやすく、狼狽しているのがわかる。
恐らく、母のことが気に掛かっているのだろう。
けれども、母は父の前では最初の頃、上手くその欲望を隠していた筈だ。
余りにも頻繁にフィリオが王城内でも暗殺目的で狙われるようになり、別の場所へ行かせた方が王城にいるよりも安全かもしれないと考え出した父に、母が「もうフィリオも大きいのですから、戦場を経験した方が良いと思いますよ」と言ってその通りになったのだ。
戦場でも、敵味方関係なく警戒しなければならないのは、どれほど大変だっただろう。
功績を上げ続けたことは勿論だが、生き抜くだけでも精一杯だった筈だ。
「私、フィリオと将来結婚して二人でこの国を繁栄させていきたいと思うのですが」
「……おお、成る程。それは良い考えだ!」
元々、フィリオの聖痕はメイドが見つけた。
父の耳に入り、母の耳に入り……そして、母は私の肩を持って言ったのだ。
フィリオは敵だと。
フィリオの聖痕が他人にバレないのが一番なのだが、それではフィリオに常に気をつけて貰う必要があるし、限界がある。
まだ十歳で常に気を張るのは難しいだろうし、そんな終わりの見えない心労をずっと掛けさせたくはない。
だから、母の耳に入る前に私が囲い込むことにした。
最善かどうかは、わからない。
ともかく、義弟は一度目の生で、最後の最後まで私を守ろうとしてくれたのだ。
なのに、母の愛が離れて行った原因を義弟のせいにして、意地を張って。
優しさも同情も気遣いも全て踏み躙って、私は死を選んだ。
なのに。
──フィリオは何故、私と一緒に、自死したのだろう。
私の疑問は、一生ついて回るのだと思った。
「フィリオ、今日から私と同じ部屋で過ごそうね」
「……姉上と?」
「そう。……よく聞いて、フィリオ」
「はい」
私は自室にフィリオを招き入れると、椅子に座らせて向かい合う。
「……残念だけど、これからは貴方の命が狙われることになる」
「……はい」
フィリオはもっと、理由を聞いたり疑問を口にしたりするかと思ったが、落ち着いて私の話を聞いてくれた。
そうだ、フィリオは私なんかよりずっと賢い。
「私は、フィリオが大事なの。だから、私と婚約することで貴方を守ろうと思ってる。勝手に、ごめんね」
フィリオは首を振った。
「ううん、わ……僕は姉上を愛しているから」
「……ちょっと、いつの間に女の子を口説けるようになったのフィリオは」
私は真剣にそう言うまだ十歳の義弟のおでこに自分のおでこを当て、クスクス笑った。
この頃は、笑う余裕があったなと思い出す。
「貴方にも、好きな子が出来ると思う。けど、表向きは我慢して欲しい」
私が義弟をコントロールしていると母に思わせなければならない。
「私は、貴方の命を狙う勢力を出来る限り、排除していくから。全部終わったら、貴方を本当の王にするから……」
長い道程かもしれない。
けれども、過去に母から指示されたように動けば、簡単に母の派閥も没落させることが出来る筈だった。恐らく今回は、濡れ衣を着せる必要がない分、楽な筈。
母が気付く前までの、時間との勝負だ。
「姉上。私は姉上と結婚したいです」
「ふふ、ありがとう。……そうね、お母様の前では特に、その調子でいて頂戴?」
私はにっこり笑って義弟の頭を撫でた。
***
私は前もって、過去のフィリオに対する母の暗殺計画をフィリオに「この日は食事に気をつけて」「この日は予定を直前で変更して」「この場所には行かないで」などと伝えていた。
過去には毒に苦しんだり、腹を刺されたり、爆発に巻き込まれたりしたフィリオは、今回は傷ひとつつくことなく無事にそれらを回避した。
ただ、過去と違うのは、母によるフィリオの暗殺計画が徐々に減っていったことだ。
私は過去と変わらず、母に接した。
母に甘え、母の言う通りに動き、母の望む通りに叶えた。
母の前では、義弟を徹底的に操っているように見せたし、義弟も私に協力して私に依存しているように演技した。
そして、しばらくするとフィリオが戦場に行くと言い出した。
「私の手柄は、全てレア王女殿下に捧げたいと思います」
そう言い、私に臣下の礼をとるところを母に見せつけてくれた。
「ありがとう、フィリオ。貴方の活躍を期待しているわ」
私は戦姫となることなく、社交界で影響力を広げていった。
剣の代わりに扇を持ち、軍服の代わりにドレスを纏った。
戦場では、フィリオが信頼していた部下が裏切ることで、フィリオは生死をさまよう程の怪我を負う。
部下の家族をギリギリのタイミングで救い出し、部下が裏切ることも阻止した。
そして、それを切っ掛けとして、母と同じ派閥の家門を誘拐や人身売買の罪で滅門させ、今まで社交界で得た情報を最大限に活用して、芋づる式に脱税や横領、麻薬栽培や裏カジノ等の罪で、一気に母側の家門を没落させた。
「嘘よ……っ!ねぇ、レア。これは何かの間違いなのよ、わかるでしょう!?」
「ええ、お母様。勿論です」
母は後ろ盾となる家門が廃れていくのに精神を病み、私に縋る。
「けれどもお母様、いつも私に仰っていたではありませんか。……貴女は立派な女王となりなさい、と」
「私の実家なのよ!?」
母の言い分に、檻のこちら側で私は首を傾げる。
私の頭上には、父から譲り受けた王冠が輝いていた。
「それが、何か?」
「あ、貴女のお祖父様じゃないの……!!少しは考えなさいっ!何もかも、裁けば良い訳ではないわ!貴女が自分の後ろ盾を失えば、貴女の発言権は……」
「レア、こちらでしたか」
「フィリオ」
私の隣にフィリオが立ち、私の頬にキスをすると、するりと腰に腕を回した。
相変わらず、姉にべったりの図は完璧だ。
「お母様。私は今、お母様の望む通りにこうして女王となったではありませんか。何を気に病まれていますの?」
「レア!……何故、この母の……この母の、言う通りにしないの!!」
ふふ、と私は笑う。
「お母様の言う通りにしていますよ?女王となり、誰にも指図されない立場になりました」
「レア!言う事を聞かないなら、鞭打ちよ!」
鞭打ちとは、懐かしい。
「可哀想な、お母様。この国の王にそんな暴言吐いたら、いくらお母様でもその檻からは出られませんわ。……母を、お祖父様のお屋敷に連れて行って」
「畏まりました!」
私は三度、母に考えを改めるよう、進言した。
けれども母の思考は変わらず、国民や他国を巻き込んででも、自分の家門の利を増やそうとするばかりで。
──私が過去、母の愛だけを求めたように、母はまた、自分の家門から認められたかったのかもしれない。
家門が没落したのだから、もうそんな必要はないのに、母の妄執は消えないのだ。恐らく、死ぬまで。
私は母の実家を、病んだ母の、終の棲家にした。
***
「フィリオ、今までお疲れ様」
私はそう笑って、自分の頭の上から王冠を取り、それをフィリオの頭に乗せた。
「レア」
フィリオは、酷く傷付いた顔をしている。
私はそれに気付かない振りをして、戯けて言った。
「やっと、貴方との約束を叶えることが出来るよ。フィリオ陛下」
「レア」
フィリオは私の両腕を掴むと、グッと引き寄せる。
私はフィリオにキスをされ、瞳を閉じた。
涙が、頬を伝う。
「レア。私が欲しいと願ったものは、昔からずっと、レアだけです」
フィリオがそう言って、王冠を無造作に投げた。
……昔から変わらない、フィリオ。踏み付けないだけ、マシなのか。
「……私だって、欲しかった物はずっとひとつだよ」
誰かに愛して欲しかった。
唯一の存在でいたかった。
戦姫でも王女でもなく、私を見てくれる人が。
「レア、愛しています。両親を失った日から貴女はずっと、私の生きる糧なのです」
「フィリオ……」
私は、フィリオに王冠を返すべきなのだ。
フィリオは間違いなく、賢王となる。
それに寄り添えたら、とは思う程に、私も彼を愛しているけれども、過去の行いがそれを許してはくれないだろう。
私は聖痕があるにも関わらず、とんでもない行いをしたのだから。
「貴女が隣にいないなら、私は生きていても意味がありません」
「……」
母がいないにも関わらずそう言われて、私は気付いた。
私はもしかして、過去にもフィリオを籠絡していたのではないかと。
ふと、私が何故、過去に戻ったのか疑問に感じた。
過去に戻ったと同時に、小さくなった聖痕。
そしてそれは、フィリオも同じだった。
私の心を読んだかのように、フィリオは立ち上がり、一冊の本を手にする。
「レア。この本を読んだことはありますか?」
フィリオが手にしたのは、代々賢王と呼ばれた祖先の偉業を纏めたものだ。
ざっとなら目を通したので、私は頷いた。
「お気づきですか?聖痕を持った賢王達は、代々ある時を境に、突出した英断を下されているのですよ」
「ある時を境に……?」
一度目を通したが、全く気付かなかった。
「これをご覧下さい。同じ王なのに、首の聖痕の大きさが違うことに気付きませんか?」
「……」
確かに、違っていた。若かりし頃の肖像画は昔の私のような大きな聖痕で、年老いた後の肖像画は明らかに聖痕が小さくなっている。
文ばかり読んで、肖像画には気を配ったことがないから気付かなかった。
「……もしかして」
「そうです。聖痕を所持した王に賢王が多いのは、一度だけ過去をやり直すことが出来るからです」
フィリオの言葉に、私はバッと顔を上げる。
フィリオは苦笑して続けた。
「賢王だから聖痕があるのではなく、聖痕のお陰で愚王にならずに済む、ということですよ」
「フィリオ……貴方、もしかして……」
私とフィリオの聖痕は、私と同じく小さくなっている。
つまり、二人共過去をやり直しているということだ。
私に記憶があるならば、フィリオに記憶があってもおかしくない。
十歳に戻ったフィリオは一体、どういう気持ちで私に抱きついたのだろうか?
ふと、一生聞くことはないだろうと思っていた問いを、口にする。
「フィリオは何故……あの時、私と一緒に、自死したの……?」
自惚れもいいところだが、それしか思い付かない。
「昔も今も、私は貴女を愛しているからですよ」
そう言って、義弟は私にキスをした。
その国で、聖痕を持つ初めての女王となった賢王の傍には、元義弟でありまた自らも聖痕を持つ王配が常に控えていたという。
二人の統治した時代は他国との大きな衝突もなく栄華を極め、後に黄金時代と称されたのだった──
いつもブクマ、ご評価、大変励みになっております。
また、誤字脱字も助かっております。
数ある作品の中から発掘&お読み頂き、ありがとうございました。