私が見たあの世
一面の花畑で、一組の男女が歓喜の眼差しで見つめ合っていた。
「真由!? 真由なのか!?」
「そうよ、私よ! ああ、会えて良かった! あなたのことだから地獄には行かないとは思っていたけれど……」
「じゃあここは天国なんだな? 真由はずっとここで俺を待っていたんだな?」
「ええ。何十年もずっと待っていたの。ごめんなさい、結婚一年目で交通事故で死んでしまって……私、ずっとあなたに謝りたかった」
「いいんだ。いいんだ。こうして再会できた以上、過去のことはどうでも。——おやっ、俺の体はなんだか若い時みたいじゃないか」
ここで初めて、男は自分の異常に気付いた。
彼は、ちょっと前まで老体で病院のベッドに横たわっていた。それが今は、20代の青年——彼の人生で最も輝いていた時期の姿に戻っていたのだ。
「ここ天国では、自分が一番好きだった頃の姿になるの。あなたのお母さんは、ちょうどあなたを産んだ頃の姿になっているわよ」
「おふくろもここにいるのか?」
「もちろんいるわよ。私ね、すっかりお義母さんと仲良くなったの。あなたと結婚する時は、すごく反対されて意地悪もされたものだけど、死んでからはもう実の親子みたいにしているの。さ、お義母さんにも挨拶しに行きましょうよ。あとあなたの友達にも。みんなここにいるのよ」
女が男の手を引いて、駆け出さんばかりに花畑の中を進む。
「ああ、行こう。ちょっと待て。みんないるってことは、お義父さんもここに来てるんだよな? ……ああ、それは嫌だなぁ」
彼は義父と犬猿の仲だった。彼の魂にそう書いてあったのを、私が見た。
「あっ、お父さんはいないの。地獄に行ったらしいわ」
女が言った。
「えっ?」
「何をやらかしたのか知らないけど、地獄に堕とされるような人間だったの。だからここにお父さんはいないわ」
「本当か?」
男はキラキラと目を輝かせた。あの忌まわしい義父はいなく、妻と母の仲は睦まじい。これは彼が生前望んでいた展開だった。
「本当よ。あっ、あそこにいるのは、あなたの親友の山田さんよ。おーい! 山田さーん!」
女が手を振って叫ぶと、山田と呼ばれた男も気が付いたらしく、二人の方へ近づいてきた。
「おっ鈴木、お前もやっと来たのか」
山田が男の方を見て言った。
「ああ。今日から天国入りだ。なんだか俺は、すごくいい気分だよ」
「そりゃそうだよ。これからはひたすら楽しい日々が待ってるよ。ここでは毎日が幸せで、嫌なことなんて起きないんだから」
「本当にその通り。あ、そうだわ。これからお義母さんのところに行くんだけど、山田さんも行きましょうよ。みんな一緒になってお祝いしましょうよ」
「いいね、それは」
山田と男が同時にそう言った。
「行こう行こう。みんなで騒ごう」
三人は手を取り合って、いい香りのする道を、スキップするような足取りで、歩いていった。
***
「鈴木さん、すごく幸せそうだったなぁ……」
部屋にはたくさんの人間がいたが、私の大きな独り言に反応した者は、一人もなかった。
部屋の中には、100人くらいの人間が横たわって眠っていた。ズラッと並べられた姿を見て、まるで病室のようだな、と思った。
ここに眠る人間たちは、皆夢を見ている。何もかも自分の思い通りになる夢を。
神である私は、天国に来た人間の魂から情報を汲み取り、その人が望む夢を見せる仕事をしている。
この仕事は、途絶えることなく毎日行われている。《《夢を見たい》》と願う死者が後を絶たないからだ。
天国に来たらまず最初に、死者は選択を迫られる。
一から十まで自分の理想通りの世界の夢を見るか、眠らずに天国で過ごすか。
夢の世界を仮体験させた上で、どちらを望むか訊くのだ。
すると、ほとんどの者が《《夢》》を選ぶ。
私には、彼らの心情が理解できない。
だって夢は所詮夢——幻じゃないか。
架空の世界で大切な人に再会できても、その人は偽物なのだ。
なのにどうして喜べるのだろう。虚しくならないのか。本物でも偽物でも構わない、ということなのか。
理解できないのは、私が神だから? 人間なら虚構の方を有り難がるのは、当然なのだろうか。
「わかんないなぁ……」
今日案内した鈴木さん——その妻の真由は、眠りを選ばずに夫が来るのを待つ、と言っていた。
真由は、本物の夫でないと嫌だ、という結論を出して、今日まで彼を待ち続けていたのだ。
しかし鈴木さんは——自分の母親と真由が険悪そうにしているのを見て、失望したような表情になった。そこに義父が加わって、完全に気分が落ちてしまった。
「架空の世界を選ぶ」
鈴木さんはそう言った。
本当にそれでいいのか、と食い下がる私に、彼は「早くしてくれ」と懇願した。
さっきまで覗いていた彼の夢を思い出す。
自分にとって都合の悪い事実が改変され、嫌いな人物が排除された世界——確かにそれは楽園に違いない。
幸せは人によって違う。ならば全員が幸福になる方法は、各々が思い描く理想郷に閉じ込もる他ないのではないか。
急ごしらえの避難所のように、一列に寝かせられた死者たちを見渡す。
皆、その心は満ち足りているはずだ。
これこそが『天国』の正しいあり方なのかもしれない。
***
それから少し経って、私は地獄の様子を見に行くことにした。
地獄は、現世の人々が想像するような血みどろの光景は広がっていない。草花がまったく生えていない無味乾燥な場所だ。つまるところ、天国と何も変わらない景色。
地獄でも、死者がズラッと並べられてる部屋がいくつもある。天国と違うのは、夢を見ることが強制なところだ。
地獄に堕とされた罪人たちは、罰として悪夢を見させられる。そして、自分の意思では絶対に悪夢から逃れられない。
罪の重さによって、夢の内容が異なったり、夢の世界に囚われる期間が長くなったりする。
皆なかなか凄惨な夢を見ている。
天国の時と同じように魂を解析して、その人にとって最も恐ろしい内容の夢を見せるのだ。
関所恐怖症の罪人には、押し入れに閉じ込められて飢え死にする夢を。
虫嫌いの罪人には、巨大な虫たちに囲まれ弄ばれながら一生を送る夢を。
そういえば、子供の頃のトラウマをひたすら繰り返す夢は、定番だ。悪人たちも幼い頃は、人並みに繊細な心を持っていたらしい。
足元の罪人たちを見下ろす。
苦悶の表情はなく、穏やかに眠っている。天国の死者たちも幸福な夢を見ているのに、それが表に現れることはない。
皆、それぞれの世界に入っている。
なので『天国と地獄』にそれほど違いはないのだ。
死者が見る夢が、幸福か不幸か。
それしかない。他に語るべき差異なんてない。
『あの世』とはこういう場所だ。
***
……すごく奇妙な夢を見た。
先ほどまで見ていた夢の内容を、わたしは明確に覚えていた。
夢に出てきた"神"——わたしはその子のそばにいた。不思議と向こうからはわたしが見えていないようだった。
夢の中で見た天国と地獄——あれは本当にただの夢だったのか?
わたしは寝ている間に、臨死体験みたいなことをしたんじゃないか?
一列に寝かせられた魂たちを思い出す。
人間は死んだら、あんなふうに——。
「おはよう。……どうしたの? 顔色悪いけど」
ガチャリとドアノブを回して入ってきた夫は、青白くなったわたしを見るなり、心配そうに尋ねてきた。
「朝ごはん作ったけど……大丈夫? 食べられそう?」
「あ……大丈夫。軽い貧血だから」
「そう? 無理しないでよ」
彼の優しさに、胸があたたかくなる。
本当にわたしにはもったいないくらいの完璧な夫——。
しかし、そこまで考えて、ハッと思う。
今の幸せは、現実のものなのか?
この満ち足りた日々は、もうとっくに死んだわたしが見ている夢——架空のユートピアに過ぎないのではないか——。
「どうしたの? 怖い顔して」
彼が首を傾げる。その様子を怖々と見つめる。
この世界が現実なのか。はたまた幸せな夢なのか。
それを確かめるすべはどこにもない。
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