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星を埋めた少女  作者: 神木ジュン
王都編1
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6話 人生最悪な日3

長いです。

 ローレンスがレティシアを正式に引き取ってから二日目。簡単ではないと心して始めた娘との生活は、予想以上の困難に見舞われていた。反発されるだろうと思っていても、まさか断食という行動に出るとは。どうしたらいいのかと、ローレンスは執務室で一人、頭を抱えていた。


 レティシアは昨晩も今朝も、全く食事に手を付けていないのだ。自分と顔を合わせなければ食べてくれるかと、ローレンスは別の部屋で食事を摂っていたのだが、レティシアは食堂に降りては来なかった。


 せめてパンの一つでも食べて欲しい。そう願うのだが、今の彼女には誰が何を言っても聞かないだろう。良き話し相手にと、レティシアと年の近い侍女を用意していたが、彼女も警戒されてしまっているらしい。湯浴みも朝の支度も、一切手伝わせてもらえなかったと報告があった。


 それはフェンゼン家でも同じだったらしく、ファンルドー卿曰く、レティシアは少々潔癖なところがあるといっていた。けれどあれはたぶん、潔癖なのではなく、心を許していないのだと思う。特に憎き存在であるローレンスの元で働く使用人たちは、ローレンスと同様に信用ならないのだろう。


 (……わかっていたことだけれど)


 実際にこうして拒絶されると、ショックが大きかった。

 ローレンスは深いため息を吐き、書斎の卓上の星見儀(ほしみぎ)に目をやる。星見儀とは、家系の星が映された貴族にのみ与えられた家宝の一つだ。台座に乗った、宙を現すガラスの球体とそれを囲う三つの輪ーー横の輪は生まれた座を、右に傾斜する輪は月を、左に傾斜する輪は日にちを表すーーで構成されたもので、宙を現わすガラスの球体の中には小さく輝く石が浮遊している。


 中央のひときわ輝く白い石は守護星で、その周りに浮いている二つの丸い粒石のうち、紫の石はローレンス自身の、青い石がレティシアの星だ。


(本当だったら、ここにマリアンヌの星が入っていたんだ)


 足りない星を思い、もう会えない最愛の人の顔を浮かべた。





 マリアンヌと初めて出会ったのは、ローレンスがまだ母方の姓を名乗って東部隊に所属していた頃。侍女もつけず、一人で海辺でカモメと戯れていた彼女に声を掛けたのがきっかけだった。

 成人したばかりだというマリアンヌのはにかむような笑顔に、ローレンスはあっという間に恋に落ちた。マリアンヌとこっそりと手紙をやり取りし、時々お忍びで市井に出てくる彼女と束の間の逢瀬を愉しんだ。

 あの日々は、人生の中で最も幸せな時間だった。


 その幸せが崩れたのは半年後。実家のハインカルツェ家から連絡が来たのだ。それも、ローレンスの縁談の件で。

 実家、特に父とは、ローレンスが国営軍への入隊を決めて以降、数年ほど疎遠だった。だというのに、いつの間にかそういう話が進んでいたのだ。


 これをきっかけにローレンスは腹を決め、マリアンヌに自分の身分を明かして、求婚した。マリアンヌも成人したのだから、そろそろ縁談が舞い込んでいる頃だろう。いつまでも今の状態ではいられないと思ったのだ。


 マリアンヌと添い遂げたかったローレンスは、彼女に必ず迎えに行くと約束し、国営軍を除隊して、家に戻った。ローレンスは父に結婚したい相手がいると告げたが、父は頑としてローレンスの意見を認めなかった。


 あのとき、すぐに家を捨てていれば。今でもその無念が残る。


 父との話し合いは平行線のまま、二ヶ月が経ったときにようやく駆け落ちを決意したのだが、もう遅かった。既にマリアンヌは家を飛び出してしまっていたのだ。

 ファンルドー男爵が勧めてきた縁談が受け入れられなかった、あるいは子を孕んでいたいう噂を聞いたローレンスは、彼女を探しに走った。マリアンヌは恐らくあの港町にいるはずだと信じて。


 しかし彼女は港町にはいなかった。マリアンヌの行方を探して、ローレンスは街から街へと移動し続けた。彼女と会えたなら、二人で市井で生きよう。そう思っていた。

 けれど『明日には会える』という気持ちが、『きっと会える』に変化したのはいつだったか。一年過ぎ、二年が過ぎ、気づけばマリアンヌの消息が掴めぬまま、十六年の歳月が過ぎていった。


 そんな中で届いた一通の書簡。フェンゼン家に帰っている、とだけ書かれたその書簡で、ようやくマリアンヌの消息を知ったのだ。生きていると知った時の驚きと喜び、そして不安。十六年もの間、彼女は自分のことをどう思っていたのだろうか。ローレンスは急いでフェンゼン家に書簡を出し、マリアンヌの兄である現ファンルドー卿と会うことになった。


 あの日のことは今でも夢に見る。

 ローレンスはついに、マリアンヌに会うことは叶わなかったのだ。


 半年前に既に亡くなったと聞いた瞬間、自分の中で色々なものがガラガラと崩れ、目の前が真っ暗になった。ローレンスが市井に降りて今日まで彷徨い生きていたのは、マリアンヌと再会する日が来ると、それだけを信じていたからだ。


 自分にはもう、何も残っていない。生きる意味を失い呆然とするローレンスを救ったのは、誰よりも自分を恨んでいるはずのファンルドー卿の言葉だった。


「もし、あなたにマリアンヌへの償いの気持ちがあるのなら、やっていただきたいことがあります。レティシアの星を刻むため、手を貸して欲しいのです」

「レティシア……?」

「妹が遺した、あなたの娘です」


 あの衝撃は、到底言葉では表せなかった。自分に娘がいるなんて、想像できただろうか。確かに妊娠していたという噂は聞いた。だが、しかし。ローレンスは彼の言葉に、ただただ呆然とするしかなかった。


「あの子は私生児のまま、十六歳になりました。だからあなたの力が必要なのです。あの子の将来のために」


 そしてローレンスは一睡もできぬまま、ファンルドー卿に告げられた通り、彼の領地にある星堂へ向かった。そこで初めてレティシアを見たのだ。

 遠目からでもわかった。礼拝に向かう男爵一家と共にいる、プラチナブロンドの髪の少女。雰囲気はマリアンヌと全く違ったが、目元や口元は、記憶の中の彼女とよく似ていた。


「あの子がレティシア……。僕の、娘……」


 少女が確かにマリアンヌの忘れ形見だとはっきりと認識した瞬間、胸が締め付けられた。レティシアという名は、マリアンヌと出会ったあの港町に伝わる女神の名前だ。初めて声を掛けたときに彼女に話した、その伝承の女神の名を、彼女は己の娘につけていた。

 二十年前に二人で夢見た未来は叶えられなかったが、その一部は確かにここにある。このときローレンスは、残りの人生すべてを娘に捧げようと誓った。


 レティシアが貴族と認められるのか、正直わからない。マリアンヌは既に亡くなっているし、貴族同士で駆け落ちした前例などないからだ。けれど今のままでは、レティシアは結婚はおろか、市井で普通に暮らすこともできない。


 だからローレンスは恥を承知で生家に戻り、父と兄にこれまでの不義を詫び、レティシアのことも全てを話して協力を請うた。今さら父親だと名乗るつもりはなかったが、ファンルドー男爵の養子にするにも星は必須であり、星を刻むには国王陛下の許可を得ねばならなかったからだ。


 父や兄はローレンスの過ちを怒ったが、それでも娘のために協力してくれた。そして一ヶ月後には国王陛下から条件付きで、レティシアの星を刻むことが認められた。


 その条件の一つがレティシアの身辺調査だ。ファンルドー男爵に引き取られるまでの調査はもちろん、レティシアにも監視が付けられることになった。これは想定内だったが、もう一つの条件が、ローレンスの貴族としての復帰だった。ただし父の持つ爵位を一つ分けてもらい、独立してという形での復帰だ。


 ローレンスは自分の力だけで貴族社会での信頼を得て、同時に市民のために働くこと。つまり貴族としての役割をきちんと果たすことが求められた。まだ家にいた頃から軍に在籍していて、貴族社会からは距離を取っていたローレンスにとって、これは容易なことではなかった。それにレティシアの年齢を考えれば、一年でそれなりの結果を出さねばならならないのだから、非常に厳しい状況ではあった。


 けれど旧友の弟であるフィリウスや、父の執事であったマクシミリアンが支えてくれたおかげで、一年でレティシアの星を刻む条件を満たすことができたのだ。こうしてレティシアをファンルドー男爵の養子にすべく、着々と準備を進めていたのだが、ここで予想外の問題が発生した。


 レティシアの星を刻むには、ローレンスと共に星堂(せいどう)に行くことが必須。だからそのためだけに、レティシアと顔を合わせる予定だった。しかしあの手この手とファンルドー卿が手を尽くしてくれたのだが、娘にことごとく拒否されてしまったのだ。

 こうしてなかなか思うように進まぬ間に、レティシアが悪条件の相手との縁談を受けようとしていたため、ファンルドー卿の養子ではなく、ローレンスの娘として社交界に出すことに決めたのだ。


 それ自体はローレンスにとっては嬉しい誤算だった。少しの間だろうと娘のそばにいられるのだから。娘がそれをどう思うかは別として。





(僕はどうしようもない甘ちゃんだな)


 こうしてショックを受けてしまうこと自体、自分の考えが甘かったかという証拠だ。レティシアを引き取るにあたり、覚悟はしていた。自分は夫としても父としての役割も果たさなかった、最低な男なのだ。批難されると思っていたし、どんな罵倒も受けるつもりでいた。しかしローレンスを待ち受けていたのは批難でも罵倒でもなく、詫びることも許されない状況だった。

 ローレンスがため息を吐いたところで、執事のマクシミリアンが部屋を訪れた。


「お茶のご用意ができました。少しゆっくりされた方がいいでしょう」

「ああ、ありがとう」


 ローレンスが隣の部屋に向かい、席に着くと、マクシミリアンが慣れた手つきで香茶(こうちゃ)を淹れる。


「砂糖を入れますね」


 彼の目にはよほどローレンスが疲れているように見えているらしい。優秀な執事が淹れた砂糖入りの香茶を一口飲めば、口の中で茶葉の香りと甘みが広がり、気持ちが少し落ち着くような気がした。


「先ほどお嬢様に軽食をお運びいたしました。食欲がないと仰っておりましたので、固いものは避けて、スープと果物にしております。少しでも口に入れれば、食欲も出てきますよ」

「すまない、気を遣わせてしまったな」


「いえ、これは私の務めですので」と、マクシミリアンは告げる。


「お嬢様も突然のことに気持ちがついていっていないのでしょう。心の整理がつくまで、しばらく時間を要すると思いますが、焦りは禁物ですよ」

「……そうだね」


 使用人に弱音を吐くのは主人としては失格だろうが、マクシミリアンは元々は父に仕えてきた執事で、ローレンスを幼少期から知る人物だ。ローレンスが貴族として復帰すると決まった時に、力不足の自分に付いてきてくれたのだ。少しくらいは許されるだろうと、ローレンスは肩の力を抜いた。


「覚悟していたつもりだったけれど、そんなもの取るに足らないものだったよ」


 レティシアにとって、ローレンスは半分血が繋がっているだけの()なのだろう。あの射殺さんばかりの青紫色の目を思い出し、ローレンスが再びため息を零したところで、マクシミリアンが口を開く。


「旦那様はお嬢様をお引き取りになられたことを後悔していますか?」

「それはない。例え憎まれていても、あの子は僕の大切な娘だ」


 だから今後も後悔することはないと断言できる。そう言えば、


「でしたらそのお気持ちを決して忘れずにいてください。わだかまりは消えなくても、旦那様がその気持ちを持ち続けていれば、いつかお嬢様の心を溶かす奇跡になりましょう」

「奇跡、か……」


 本当にそんな日が来るのかはわからない。来ない可能性が高いだろう。けれどそんなことは関係ない。苦労を掛けた分、レティシアには何不自由なく幸せに暮らしができるよう、力を尽くす。それが自分の使命であり、娘へ父として唯一してやれることなのだ。

 ローレンスは自分に課せられた役目を必ず果たそうと誓った。

【星見儀】

天球儀みたいな形状のもの。

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