5話 人生最悪な日2
この国は星に護られている。
それは遡ること数百年前。世界がまだ古の一族に支配されていた時代、無力な人々の前に一人の英雄が現れたことに始まる。奇跡の力を持つ英雄は、その力で人々に加護を与えて、古の一族の魔の手から護り、そして同時に仲間と共に古の一族と戦い、人々に勝利と自由をもたらした。その人物こそ、初代国王である。
加護を与える儀式は、古の一族がいなくなった現在も引き継がれていて、この国の人々は生まれたときに星を授けられることになっている。本来なら。
レティシアには星がない。貴族の母には市井の戸籍はなく、さらに父親がいないために刻めなかったからだろう。
「昨日、言ったように大星堂で……」
「二度も説明はいりません」
ローレンスがまた説明しようとするのを、レティシアは黙らせる。
「貴族社会は色々面倒なので、必要な時だけ、最低限の接触はします。それ以外は他人です」
父親になったと勘違いしていそうな男に釘を刺しておく。視界内に入っているだけで鬱陶しいのに、喋りかけられては堪らない。
沈黙の馬車が目的地に到着すると、レティシアはローレンスのエスコートを無視して一人で降りた。城に見間違えそうなほどの立派な建物を見て思ったことは、ファンルドー領の星堂とはだいぶ違うということだ。
「お待ち致しておりました、ラインベール卿、レティシア様。私は星詠のトレイオス様の側仕えにございます」
白いローブを頭から被った、三十路ほどの落ち着いた雰囲気の女性が、朗らかな様子で二人を出迎える。
世界一憎い男の養子になったレティシアが翌朝に訪れたのは王都の大星堂だ。現在は星を授けるのは国王ではなく、星詠と呼ばれる、奇跡の力を色濃く受け継ぐテラビロス公爵家の当主だ。星詠の一族は王侯貴族とは全く質が違う。直系、長男関係なく、当主は力の強い者と定められていて、そのうえ星詠として名乗れるのは、力のあるごく一握りの男だけという、実力主義の集団だ。
レティシアは側仕えに案内され、建物の中へと入る。内部は意外と簡素で、王都の街の方がよっぽど豪華だと思えた。
(それにしても人がいないな)
王都の星堂は総本山にも関わらず、礼拝客が誰もいないのだ。公爵家の権限でも使って貸し切ったのだろうか。
「市井の星堂をご覧になったことがありますね? 市井では星を刻むことも祈ることも同じ星堂で行いますが、王都ではその役割ごとに分けているので、二つの星堂があるのです」
「礼拝のための星堂と、星を刻むための星堂ということですか?」
「ええ、左様でございます」
側仕えの女性が説明してくれる。
「礼拝ための堂は大星堂と言われるものです。そしてもう一つの星堂は、王侯貴族しか入れないようになっております」
「王侯貴族の星しか刻まないからですか」
レティシアが問えば、彼女は肯定する。
「なぜ王侯貴族の星は領地の星堂では刻めないのですか?」
「それは色々あるのですが、一番の理由は貴族と庶民では儀式が異なるからです。王侯貴族に対しては、星詠の一族の当主トレイオス様が、直々に旧方式での星授の儀を行います」
「旧方式?」
「初代国王が行った方法のことでございます。市井の行っている星授の儀は、旧方式を儀式を簡略化したものですので、旧方式とはだいぶ異なります」
(儀式の簡略化ねぇ)
そう言えば聞こえはいいが、星とは加護とは名ばかりの戸籍だということをレティシアは知っている。この国では貴族には貴族の戸籍を、市民は市民の戸籍が作られている。その戸籍があるからこそ、市民は貴族にはなれないし、貴族は市民にはなれないのだ。
「こちらの星堂に立ち入れるのは王侯貴族のみで、さらに儀式を行うときのみにしか立ち入ることはできません」
「自分が生まれた時と、生まれた我が子の星を刻む時ですか」
「ええ。それとその二つに加えて、『結婚時』にも儀式を行います」
出生時は『星授の儀』と呼ばれる儀式。婚姻の際は、相手の家に入るということを意味する『星渡の儀』という儀式らしい。
「けれどご自分の星をご覧になられるのは、ご自身が生まれた『星授の儀』のときと、『星渡の儀』のニ回だけということですね」
生まれたばかりでは当然見えてないし、記憶にも残らないから、結婚したときに初めて己の星を目にすることになるから、実質一回なのだろう。普通なら。
「なお、本日行うのは星授の儀、お嬢様の星を賜る儀式になります」
晴れやかな顔の側仕えとは対象的に、レティシアは顔を歪ませた。貴族戸籍が作られるということは、いよいよ逃げられなくなるということだからだ。
「お嬢様は加護がないまま御歳までご無事でいらっしゃったのですから、とても強い星の元にお生まれになったのでしょう。どのような星が刻まれるか、楽しみですね」
自分が無事に育ったのは星とは全く関係ないんだけど、とレティシアは心の中で毒づく。そんな星で育つのであれば、事故や事件、貧困が理由で死ぬ人間なんていないだろうに。
(ま、そんなこと、露にも思わないんだろうな)
星の教えが全てだというこんな国だからこそ、レティシアのあり得ない経歴に何の疑問も抱かなかったのだ。
レティシアはファンルドー卿に引き取られるまでの十六年間、星職者である星導士の援助の元、生活していたことになっている。ローレンスを含め、皆、本当に何の見返りを求めることなく、善意で訳あり母娘の生活を支えた人間がいると信じて疑わないのだから、信仰とは恐ろしい。
生きていくために必要なのは信仰でも加護でもなく、食糧と金、そして生き抜く術。そしてそれを正しく教えてくれる人だというのに。
(あの人がいなかったら、きっと私も母も十年前のあの日に死んでいた)
昔のことを思い出して胸がズキンと痛んだとき、ようやく長い渡り廊下の突き当りの扉に辿り着いた。女官はその扉を開けて中に入るよう促す。
「ご案内はこちらまでになります。ここより先は神星な場所、儀式には立ち会えるのはご本人、ご両親のみにございます。お嬢様に星の導きがあらんことを」
側仕えは深々と頭を下げた。
儀式のための星堂は厳重らしく、扉の先にも真っすぐ伸びる歩廊が続く。ちなみに今は側仕えがいないので無音だ。
(塔がある以外、外見も内装も特に星堂には見えないな)
地方の星堂は入り口から如何にも神々しそうなレリーフがあるのだが、今のところ、ここが星堂とは思えないほど簡素な内装だ。長い歩廊をしばらく進むと、再び大きな扉が現れる。ローレンスに続いてレティシアも扉の向こう側に入り、このために内装が簡素だったのかと納得した。
足を踏み入れた扉の先には、まるで別世界のような空間が広がっていた。
天に届きそうなほど高い天井には、無数の灯りを星に見立てた宙が描かれていて、周囲の白い柱や壁には芸術的な彫刻が随所に施されている。広い空間に置いてあるものは大理石の祭壇と小さな説台、ローブを着た姿の像だけで、そこへ天井からは一筋の光が差し込み、この空間をより神秘的なものに創り上げていた。
ここに来るまでが質素だったからこそ、この場所が神々しく見える。良い演出をしているとレティシアが何の感慨もなく見上げていると、前方から第三者の声が聞こえてきた。
「……まさしく星の祝福を受けた証じゃな」
「?!」
どこからともなく聞こえた男の声に、心臓が飛び跳ねた。すっかり見落としていたが、説台の横の人のサイズの像は、像ではなくて、頭からローブを被った人間だったらしい。
「トレイオス殿。この度は娘レティシアの星を賜らんと参りました」
ローレンスはローブを被った像に挨拶をする。
(これが星職者のトレイオス……)
緻密な刺繍を施した白いローブを目深に被っていて顔はわからないが、声からすると四十五歳くらいだろうか。
ここへ、とトレイオスに促され、レティシアは中央に進む。床には複雑な紋様が幾つも組み合わさった大きな円が描かれていて、そのちょうど真ん中に立たされた。
(この柄、どこかで見たような?)
絵心も知識もないが、どこか見覚えがある。なんだっけとレティシアが記憶を手繰り寄せている間に、ローレンスは嵌めていた指輪を星詠に渡す。表面に家紋が刻印されている当主の証である指輪は、蓋を開けた中に、家系の星の記録が収められているのだ。
「確かにそなたはハインカルツェ公爵夫妻の息子、ローレンスじゃ」
星詠は開いた指輪を確認してから、レティシアの前に立った。左手は説台の上に置かれた教典に、右手はレティシアの額に翳した。
「ハインカルツェ家ローレンスとフェンゼン家マリアンヌの娘、レティシア・エルデ・ハインカルツェ。星の定めに従い、汝の魂にその加護を与えん」
レティシアの目には、星詠が左の手で教典の表面を触っただけのように映った。けれどその直後、彼の右手が淡く光り出した。
「?!」
ほぼ同時に胸のあたりが急に熱くなり、レティシアは己の体を見る。
これが目の錯覚でなければ、自分の体から湯気のように淡い光が放たれている。それは星詠の右手に吸い寄せられるように集まり、見る見るうちに一つの強い光の塊になった。
「レティシア・エルデ・ハインカルツェ。ここに汝の星は刻まれた」
星詠が右手を空に掲げるとそれに釣られるように、光の塊はゆっくりと宙へと昇っていき、天井にある他の光の粒の中に収まった。灯りのように見えてたのは、どうやら今の光と同じ物質らしい。
(上に行くんだ)
すごいとか綺麗とかではなく、なぜかそんなことを思った。