神社と天狗の人
高校から真っすぐ家へ帰るのが何となく嫌になり、近所にある無人神社へ立ち寄ることにした。
たまにはお参りも悪くないだろう。
石段を登るのが中々きつい。
部活を引退してまだ半年ぐらいしか経っていないというのに、僕の体力はどこへ行ってしまったのだ。
ああ、思い出した。僕は美術部だったのだ。
やっと石段を登り終えると、二匹の狛犬に挟まれた参道の真ん中に、
こちらに背を向けて立っている人がいた。
妙な恰好の人だな、と僕は思った。
その人は着物姿で、背中に大きな羽を付けていた。
一言で言うと、そう、天狗だ。
何かの催しでもしているのかと思ったが、今この神社に居るのは僕とそいつだけだった。
夕方の神社に天狗という組み合わせは中々良いなとか、コスプレにしては妙にしっかりした羽だなぁとか思いながら見ていたら、そいつが突然僕の方を振り返った。
そいつは天狗の仮面を付けていた。
僕とそいつは時間にして3秒くらい、見つめあっていたと思う。
その3秒の間に、僕の心に恐怖が込み上げてきた。
こいつはどういう理由で奇妙な恰好で神社に突っ立っているのだろうか。
いずれにしても、気が触れているに違いない。
僕は急いで踵を返し、石段を降りることにしたのだが、降りることができなかった。
石段に足を伸ばしたところ、見えない壁のようなものに押し返され、しりもちをついてしまったのだ。
「何だこれ!?」と僕は驚いて言った。
「結界だよ」と背後から声がした。
僕は恐る恐る後ろを振り返ると、天狗の人がすぐ近くに立っていた。
「帰りたいかい」と天狗の人は言った。
僕は怯えながら「か、帰りたいです」と言った。
「そうか、だったら掃除を手伝ってくれ。掃除を終えないとこの結界は解かれないんだよ」と言った天狗の人は、拝殿の横にある倉庫から竹ぼうきを二本持ってきて、右手に持っていた一本を僕に手渡した。
「私が参道の左側で、君が右側だ。落ち葉を一か所に集めてほしい」と天狗の人は言った。
天狗の人の声は男だか女だか聞き分けのつかない、よくわからない声だった。
確かに境内はたくさんの落ち葉でいっぱいだった。
僕は竹ぼうきで落ち葉を掃きながら、天狗の人の方をちらりと見た。
僕よりずっと、手際よく落ち葉を掃いていた。
この人は一体何者なのだろうか。
天狗の人の羽を良く見ると、時々少し動いていた。
あるいはこの人は、本物の天狗なのかもしれない。
僕より少し早く落ち葉を掃き集めた天狗の人は、倉庫の壁に立て掛けられた猫車を運び出してきた。
僕と天狗の人はそれぞれ掃き集めた落ち葉を猫車で回収し、神社の裏手にある森に捨てた。
「ありがとう、助かったよ」と天狗の人は言った。
「いえ、良い暇つぶしになりました。あの、一つ聞いてもいいですか」と僕は言った。
「構わないよ」
「あなたは、天狗なのですか」
僕は結構勇気を出して聞いてみた。
「ああ、そうだよ」と天狗の人はあっさり言うと、羽ばたいて僕の背丈ぐらいの高さで宙を飛んで見せた。
別れ際、僕は天狗の人に、また掃除を手伝いに来ても良いかと尋ねた。
「また手伝ってくれるのかい、ありがとう」と天狗の人は本当に有難そうに言った。
天狗の人には聞きたいことがたくさんある。次に会った時には結界について詳しく聞いてみよう。
天狗の人の言う通り掃除を終えたので、今度は問題なく石段を降りることができた。
当たりはもうすっかり暗くなっていた。
石段を半分くらい降りて神社の方を振り返ってみると、鳥居の輪郭が少しぼやけて見えた。