後編
聖フォレスト記念学園の卒業式は爽やかな初夏の日差しの中で行われた。オリーリー学園長が卒業生を祝福し、三年間同じ学び舎で共に勉学や運動、趣味のクラブ活動に励んだ生徒たちは感慨深く学園生活に別れを告げた。
その後はボールルームに場所を移動しての卒業パーティーになる。かつては『小宮廷』などと呼ばれ社交界の縮図のようだったが、近年では出席する卒業生も祝う在校生も制服で立食式のパーティーという形式に落ち着いている。
あちこちで最後の制服姿を撮影するフラッシュが光った。カメラを持つのは裕福な者だけでなく、王国内外の新聞社も許可を取り腕章を着けて会場に入っていた。
会場で楽しげな音楽を演奏するのは弦楽部の在校生徒たちだ。その他にも様々なクラブの後輩がボールルームの飾り付けから歌やダンスなどを披露することになっていた。
卒業生の中心にいるのはもちろん王太子ウォルター・フランシスだった。婚約者であるベッドフォード侯爵令嬢オーガスティナと仲良く並んだ写真を誰もが撮りたがった。
だが、留学生の家族らと和やかに歓談する王太子の内面は緊張の中にあった。彼を守るように取り巻く側近たちも、さりげなく周囲を警戒している。
ここ数か月で研ぎ澄まされた第六感が囁く声をウォルターは確かに聞いた。
――来る!
側近たちは既に各持ち場に着いていた。ピアースは弦楽演奏の手伝いと見せかけて楽団の側に控え、マッキンタイアは格闘技部の後輩を引き連れて用具室で出番を待っている。マルケイは高価な酒で長老級のうるさ方を別室にこもらせ酔い潰すへべれけ作戦に入っていた。今はバーンズのみが王太子の側で接近者に目を光らせていた。
そして、嫌でも見慣れた姿が視界に入った。彼の前に現れたのは紺色の制服も可憐なストロベリーブロンドの少女だった。彼女はその髪に似たピンク色のバラを一輪、胸に抱いていた。
「王太子殿下、ウォルター様!」
潤んだ瞳で恋する王子様に呼びかけたメグ・ホーリハンは、既に自分の世界に酔っていた。
「ああ、何て貴くお気の毒な方なの! 植え付けられた偽りの愛に絡め取られて、目の前にある真実の愛に気付くことが出来ないなんて」
弦楽団の演奏が止まった。卒業生も在校生も家族や来賓、報道陣までが何事かと一人の少女に注目した。それすら眼中にないのか、彼女のパフォーマンスは続いた。
「分かっています。今のあなたは目を塞がれ舌を凍らされたも同じ。愛を照らす光も、わたしの真心と同じこのバラも、あなたには届かない」
よく通る声が情熱的に語りかけるのを、王太子は静観した。周囲はざわつき始めたが、ウォルターもその婚約者も冷静なことから混乱には至っていない。メグ・ホーリハンはバラを捧げ持った。
「あなたはほんの少しだけ自分に正直になればいいのです。その胸の中にある真実の愛に。全てのしがらみから解き放たれさえすれば、それはあなたを幸福に導くのです!」
彼女がいよいよ婚約破棄を迫ろうとする直前、ボールルームの照明が落ちた。学園が誇る最新式の電灯が消え、テーブルのロウソクだけが会場を暗闇から救っている。
「……えっ、何?」
さすがに戸惑うメグの右側にスポットライトが当たった。そこには金髪の美青年が礼服姿で立っていた。彼は苦悩の表情を浮かべ、メグのいる方へ手をのばした。周囲の女子生徒から黄色い歓声が上がる。青年は語り始めた。
「許しておくれ、愛しい人。僕の臆病さを。周囲の力に折れそうな弱さを」
混乱するメグ・ホーリハンの左手に新たなスポットライトが加わった。そこには深紅のドレスを着た艶やかな黒髪の美女がいた。彼女は豪華な扇で邪魔者をなぎ払うような仕草をした。
「愚かな。卑しい身分の小娘が、分を弁えずに貴い血筋のお方に懸想するなど。この世界が許すとでも想っているの?」
堂に入った悪女ぶりで高笑いをする彼女に、メグはようやく思い出した。
「えっ、この二人、もしかして演劇部のツートップ?」
どうして卒業生である彼らがいきなり寸劇を始めたのか訳が分からない。
首謀者側のチーム王太子は、パーティーの参加者の興味が演劇部の華麗なコンビに移ったことに内心ガッツポーズをした。だが、本番はこれからだ。王太子ウォルターの合図でピアースが弦楽部の近くに置かれていたピアノの前に座り、マッキンタイアは格闘技部の猛者を率いて限りなく音速に近い速さで大道具を運び込み、組み立てた。
後は、と周囲を見回し、王太子は小声で尋ねた。
「マルケイはどうした?」
「それが、うるさ方を酔い潰すのに手間取って…」
申し訳なさそうにバーンズが報告し、ウォルターは眉を顰めた。これからメグ・ホーリハンを用意した舞台に乗せるための仕上げが残っているのだ。時間との勝負なのにバーンズ一人で出来るかどうか。
悩む彼に、おずおずとした声がかけられた。
「……あの、殿下。僕に手伝わせてください」
「君は?」
王太子に視線を向けられ、発言者の少年は背筋を伸ばした。
「二学年のケビン・シムズです。メグ、いや、ミス・ホーリハンとは同じクラスです」
視線を交わした王太子と側近は素早く決断した。
「頼むよ、ミスター・シムズ」
「はいっ」
二人は急いで黒いローブを被ると作戦に取りかかった。
混乱のただ中にある少女に、覚えのある声が呼びかけた。
「メグ、おい、メグ」
黒ずくめの姿にぎょっとした彼女は、しかしすぐに正体に気づいた。
「フランク……に、ケビン君?」
「いいから、これ着けて」
彼らは二人がかりで彼女にオーバースカートと着け襟を装着させた。ドレスらしくなった制服に頷き、バーンズが囁いた。
「いいか、これはお前のための舞台なんだからな。ほら、殿下も応援してるだろ?」
「え? 殿下が?」
バーンズは彼女の顔を両手で王太子がいる方角に向けさせた。確かにその先には激励するように拳を握るウォルターがいた。
「見えたな? うん、よし、いつも通りにやれ」
「頑張って、メグ」
黒子二人はそそくさと退場し、メグ・ホーリハンは一転した状況を必死に理解しようとした。その耳に、ピアノが奏でる旋律が届いた。
「……これ、あたしの歌…」
耳で覚えたピアースが流行のアレンジを加えて哀愁のメロディに作り上げていたのだ。
不意に照明が彼女の背後を照らした。美術部総出で作ったお城のセットと書き割りの背景が浮かび上がり、ほどよく光量を抑えているせいでハリボテとは思えない出来に、生徒と来賓から驚きの声が上がった。ピアノ演奏に弦楽団が加わり、ロマンチックな光景を盛り上げる。
演劇部部長演じる貴公子がメグに向けて語りかけた。
「僕を救ってくれるのは君の愛だけだ。どうかこの手を取ると言っておくれ」
副部長扮する貴族令嬢がそれを鼻で笑う。
「一時の熱情など蜃気楼も同じ。いずれ消え去り何も残らない。そんな不確かなものを信じるなど笑止!」
半端ない目力を持つ二人の視線を受け、メグ・ホーリハンの中で何かが湧き上がった。それを更に煽るように貴公子の手が差し伸べられ、令嬢の扇が突きつけられる。メグの頭に聞こえるはずのない声がした。
――さあ、君の全てを
――あなたの全てを
――この舞台にぶつけるんだ!!
メグは顔を上げた。彼女の頭にあるのは自分のための大舞台のことだけだった。
――あたしは、これをモノにしてみせる!
その瞬間、一筋のスポットライトが彼女を照らし出した。白い着け襟が清純さを、光沢のあるオーバースカートが可憐さを増量し、周囲の人々をうっとりさせる。満場の注目を浴びながらメグは語り始めた。
「ああ、皆はこの想いを罪だと誹る。でも、私の命そのものであるこの愛を、どうして消すことが出来るの」
バラの花を胸に悲痛な胸の内を語る姿に、人々は一気に引き込まれた。
「よしっ、釣れた!」
王太子はバーンズたちと小声でハイタッチした。その間にも舞台はクライマックスに向けて突き進んだ。
三人が胸の内を吐露する台詞を語り、ピアノと弦楽団が心情を代弁するように盛り立てる。
「私はあなたの手を取ります。世界の全てに祝福されなくても、二人の真実の愛だけを頼りに歩いて行きます。その先に必ず許しを与えてくれる地があると信じて!」
バラを掲げ、祈るように誓うと音楽にコーラスが加わった。
(男声)ああー、愛ー
(女声)それはー、愛ー
(混声)愛こそー、すーべーてー
メグが歌い出し、貴公子との二重唱になり、令嬢も加わる三重唱になり、合唱を従えるフィナーレになった。
『愛こそー、すーべーてー』
音楽がやみ、同時に照明が落ちた。一瞬の間を置いて起こったのは怒濤のような拍手と歓声だった。照明が元通りボールルームを照らした時、メグと演劇部ツートップは笑顔でお辞儀をした。背後に合唱部が並び、弦楽部は「愛のテーマ(仮)」を演奏した。演者が手を繋いで再度お辞儀をした時、ピアースが来賓の前に進み出て、笑顔で説明した。
「えー、来たるべき学園祭での出し物である『少女は真実の愛を夢見る』のハイライトシーンでした。演劇部、合唱部、弦楽部、美術部、格闘技部、そして、ミス・ホーリハンにどうか温かい拍手を!」
再度拍手が湧き起こり、ブラボーの声が際限なく続いた。感涙にむせぶオリーリー学園長の隣にいた人物が、彼らの元に歩み寄った。油断ならない目つきの中年男性で、拍手をしながら楽しげに彼らを称えた。
「いや、噂に高い演劇部のトップコンビを目当てに来たのだが、思いがけない掘り出し物に出会えたよ」
そして彼はメグに名刺を渡した。
「私はオリバー・ブレイク。ジョーンズ劇場の支配人をやっている」
周囲がざわついた。
「ジョーンズ劇場って、王室御用達の」
「あのやり手支配人が…」
外野の驚きをよそに、彼はメグに告げた。
「まだ荒削りだが、君は人を引きつけるものを持っている。訓練すればいずれうちの劇場の看板に名が書かれることも夢じゃないぞ」
ざわめきが歓声に変わった。
「ブレイク氏自らのスカウトだ!」
「これはとんでもない新星の誕生かも知れないぞ!」
花火のようにフラッシュが焚かれ、メグと握手をするブレイクを撮影した。そこに、ようやく高級酒で隔離したお偉方から解放されたマルケイが花束を抱えてきた。
「素晴らしかったよ、ミス・ホーリハン。きっと君は演劇界で成功できるよ」
「そう……かな」
「勿論! 世界的名女優にだってなれるよ」
にこやかにマルケイは花束を渡すと、トランス状態を誘発する香りを仕込んだ花から離れた。小声で彼女に語り続ける。
「でも気をつけて。ショウビズは生き馬の目を抜く世界だよ。特に異性関係のスキャンダルは命取りだ。君は世界の恋人になれる逸材なんだからね」
「世界の恋人……」
その甘美な響きは彼女を魅了した。ジョーンズ劇場を始めとした世界の大舞台で演じ、喝采を浴びる自身を想像してメグは決意する。
――世界女優に、あたしはなる!
輝くような笑顔で彼女は拍手に応え、幾度もお辞儀をした。その堂に入った姿に劇場支配人は目を細めた。
華やかな舞台の裏側にあたる用具室に、ウォルターたちはこっそりと移動した。学生も来賓も誰もがメグに魅了され夢中になっている状態の中で気付かれずに行動できたのは幸いだった。
王太子は今回の作戦に協力してくれた大勢の卒業生・在校生を前に感謝の言葉を述べた。
「私の我が儘で諸君を裏方にしてしまい、申し訳なく思っている。それでも、おかげで期待以上の結果になった。心から感謝する」
頭を下げる彼に、生徒たちは慌てて首を振った。
「殿下、我々は特別な思い出が出来たことを喜んでいます。嫌々従った訳ではありませんので」
メイクを落として着替えた演劇部副部長ロバート・ベイカー(令嬢役)が代表するように答えた。彼の側で部長のエドナ・ヘイズ(貴公子役)も頷いている。
「最初は驚きましたが、ミス・ホーリハンの噂は聞いていましたからね。こうして学年階級を超えた計画は初めてでしたが得がたい経験です」
色々ややこしい最強コンビの言葉に、他の生徒も同感のようだった。ウォルターとしては一人でも多くの協力者をかき集めるための急造混成チームになったという経緯だった。しかし、彼らは皆一様に満足げな笑顔を見せている。
「ありがとう。私は将来、階級の垣根を取り払った国家運営を目標としている。よければ卒業後も力を貸してくれると嬉しい」
「はいっ」
目を輝かせる学生たちの背後からおずおずと一人の少年が進み出た。バーンズと一緒に黒子役を手伝ってくれたケビン・シムズだ。彼は緊張しながらも口を開いた。
「……あの、殿下。メグ、いや、ミス・ホーリハンのために動いてくださってありがとうございます。思い込みが激しくてとんでもない方向に突っ走る困った奴だけど、でも、根は悪い子じゃないんです」
必死の訴えに、王太子は微笑んだ。
「そうだな、でなければ私の提案であってもこれほどの人は集まらなかっただろう」
嬉しそうにシムズが頷いたところで、ベッドフォード侯爵令嬢オーガスティナが告げた。
「皆様、ささやかですが、カフェテリアに打ち上げ会場を設けております。よろしければぜひ参加してください」
学生たちは歓声を上げ、和気藹々と語らいながら移動した。残された王太子は、婚約者の手を取った。
「君にも感謝している。色々と思う所もあったろうが全面協力してくれて…」
ウォルターはオーガスティナが自分の手を見つめているのに気がつき、慌てて離した。
「い、いや、これは決して邪なものではなく……、ああ、いや、決して君に魅力が無いことなど断じてないのだが、つい、その……」
焦りまくる彼の腕に、オーガスティナがそっと手を添えた。
「参りましょう」
彼女の手の温もりに、王太子は急速に落ち着きを取り戻した。この優しく暖かな茶色の瞳に初対面から魅せられ、婚約者の前で最高の貴公子でありたいと願うあまりに混乱してしまうのだが、何度醜態をさらしても見捨てずにいてくれる彼女には感謝しかない。
ウォルターはオーガスティナの手に自分の手を重ね、幸福そうな微笑みを浮かべる彼女とともに歩き始めた。
背後ではらはらしながら見ていた側近たちは、あるべき所に収まったと安堵した。
「ま、終わりよければ、だよな」
「後で泥酔組を回収しとかないと」
「取りあえず、お花畑のワンマンアーミーの暴走は食い止められたな」
「おい、あれ…」
バーンズにつつかれ、彼らはある人物に注目した。それは、賞賛のただ中にいるメグ・ホーリハンを見つめるケビン・シムズの姿だった。少年の目に浮かぶ誇らしさと憧憬に、彼らは声をかけること無くそっと退散した。マルケイが小声で呟く。
「女優として大成したら、家庭を持つのもいいかもと暗示掛けとくかな」
降るように注がれる拍手とコールにメグ・ホーリハンは頬を薔薇色に上気させた。何か大事なことを忘れている気もしたが、この万雷の喝采の前には些細なことだった。
* *
この王太子の卒業パーティーが、女優メグ・ホーリハンの輝かしいキャリアの幕開けであった。その後、ジョーンズ劇場の看板女優となった彼女は舞台に光をもたらすと言われた存在感とどんな役柄にも没入できる演技力で観客を魅了し、名声は西方大陸中に及んだ。新作の初日には王族が観劇することが多かったため、『ロイヤル・メグ』とも呼ばれた。珍しく恋愛スキャンダルがない女優だったが、最大のヒット作『熱い唇』初演直後に結婚を発表し、世間を驚かせた。尚、彼女の夫は一般人であること以外ほとんど知られていない。
――『王国演劇史』より
勢いだけのバカ話です。