一話 死 ②
二〇一八一〇月一九日金曜日。
「愛守香」
自分を呼ぶ声が聞こえた。どうやら寝ていたようだ。重たい瞼を開ける。夕日が差し込んできて、目を開けられない。あたしは日を妨げるように右手をかざし、振り向く。
編だ。場に合わない大声で叫ぶ。
「あ━━━━」
驚き、机から立つ。今の大声で目は覚めた。
「編━━」
少し肌黒で小柄な少女は自分の腕を引っ張る。
「ちょ、ちょっと待って」
あたしは机の上にかけられた鞄をとり、教室を後にした。時計を見ると、午後六時前。放課後の部活を終え、生徒たちが帰路につく時間だった。
あたしは寝ていたのだ。帰りのホームルームが終わり、三十分ほど寝て帰宅しようと思ったが、想定より大幅に上回り、二時間もの間睡眠していたのだ。
「私が教室に忘れ物してなかったら愛守香やばかったで」
編の言うとおり、彼女が教室で惰眠していたあたしを見つけなければ、最終下校時刻である六時を過ぎても寝続けてしまい、確実に教師陣の指導対象になっていただろう。
「ご、ごめん」
謝るあたしを見て、編は笑顔を見せ大声で語りかけた。
「でも、今日は久々に三人で帰れるな」
そういうや、あたしの手を離し、教室の外へ向かう。木枯らしが教室の窓を揺らした。十月のこの時期にはまだ早い。
そうだ。あたしたち三人が高校生になってはや半年。部活熱心な二人とは違い、あたしはさっさと家に帰るので、こうして全員で帰宅することは殆ど無かったのだ。
あたしが所属する一年D組から出た。すると、外には紡が立っていた。向こう側の壁に持たれていた。こちらを見るなり、呆れるような表情をこちらに見せた。
「愛守香めっちゃ危なかったな」
「まあ」
《三人》というのは、あたし「愛守香」「編」「紡」のことだ。あたしたちの、血縁上で母親にあたる人物が高校からの同級生で、結婚して各々産んだ子どもがちょうど同じ世代で生まれた。それが《三人》だ。編が二〇〇ニ年四月生まれ。あたしが同年七月。そして紡が二〇〇三の三月。
編と紡には兄弟姉妹がいるのだが、あたしには血の繋がった兄弟姉妹はいない。
あたしたちは産まれた頃からずっと、同じ時を過ごしてきた。例えば、紡の両親が用事で家にいることが出来ないときは、うちに預けてもらいに来た。例えば、遠足や修学旅行のときは、常に編と同じ班だった。
学校を出てしばらくすると、国道が見えてきた。現在の学年である高一まで、そして確実にあと二年間、小学生中学生の時とは通学路は違えど、その道のへりを通ってきた。
あたしたちが住む都市は《浴駆市》といい、人口二〇〇万人を超え、政令指定都市に認定されている。
市役所などのオフィスビルが立ち並ぶ都市の中心部を通り、住宅街へ向かう。三車線通しのスクランブル交差点を通る。
「警察」
編が最初に反応した。耳を澄ますと、確かに聞こえてくる。自分たちとちょうどすれ違うようにパトカーが走ってくる。
「最近多くね」
ぽつりと紡が呟いた。
警察が動くというのは、誰かが罪を犯したということだ。その度に現場に向かい、犯人を特定したりする。紡の言う通り、ニュースではここ最近の犯罪の報道がここ浴駆に集中している。
あたしが通う生時高校の教師は、速やかに帰ることを生徒たちに言ってくる。数日後に受験が迫っているのかと思うほどに。
しかし、実感がない。報道は浴駆市に関わらず、毎日のようにされているからだろうか。それが殺人事件でもだ。
人間というものは時に、我慢しきれず悪いことをする。小さなことも、大きなことも。それを諌める者もいえば、詰る者もいる。人間というものは、元来そういう存在なのかもしれない。
などと考えて、さらに歩く。紡たちと何気ない会話をする。授業のことや、編の陸上部、紡のサッカー部のことなど。そうしてる間に、紡と編が住むアパートまでたどり着く。
「愛守香はもう陸上部には入らないの?」
ふと、編は愛守香に尋ねた。
きゅっ、と心が締め付けられた。あたしは編を見ようとするも、できなかった。向けられる視線から目をそらす。そればかりか、俯いてしまった。
「あ、ごめん」
空気が重くなる。編が謝る必要なんてない。悪いのはあたしだ。うだうだして、何もやってない自分が。
「ほ、ほら。陸上部ってめちゃくちゃ練習厳しいって聞くんじゃけど。合宿中に吐いた人が数人出たって編から聞いたし」
紡がサポートに回った。
確かに編の所属する陸上部の練習が想像を絶するほど厳しいというのは事実らしい。去年の夏に行われた夏季合宿では、あまりにも厳しすぎるトレーニングに、夕食ではカレー四杯をノルマにされたらしい。合計三日間に耐えきれず吐いた人間が男女含め五人いたと聞く。
例え紡の言ったことが事実でも、あたしがやらない理由はそれとは全く違う。それはあたし以外にもわかっていた。
「それもな」
自分でも何を言ってるのかがわからない、どっちつかずの返答をした。固まった空気を変えてくれた紡に感謝しながら、あたしは「じゃあ」と言って、その場を抜け出した。
❋❋❋
帰ってきたあたしの家は、豪邸だ。あたしが生まれたときに、浴駆市の高級住宅街に建てられた。一年ほど前からは、あたし一人で暮らしている。
遠くには、浴駆市の町並みが見えた。その中にうっすらと紡と編が暮らすアパートもぼんやりと視認できる。
あたしはスクールバッグからあるカードを取り出した。カードキーだ。自宅の敷内外を分ける門の前に立て、コンクリート製の塀に取り付けられた小型の機械にかざす。カシャリと音がして、門のロックが解除された。似た操作を繰り返し、ロックを再開させた。
そして今度は、自宅の玄関の鍵を開ける必要があった。もう一度同じ操作を、今度は別のカードキーを使って解除した。
この厳重さを嘆いた人は何人もいた。編も紡も、他の友達もだ。あたしは産まれたときから、毎日同じ動作をしてきたので面倒だと思ったことは思い出す限りでは一回しかない。
ドアを開けて、自宅の中に入る。広くて、豪華で、そして誰もいない。
ただいま。
普通なら、誰しもが言う言葉だが、あたしは一年間ほど使ったことがなかった。
それは、家に人がいないだ。
ふと、左側にある靴箱の上にかけられた写真が目に映った。
去年の夏。あたしは海に行った。学校の友だち、そして両親だ。部活の県大会が数日後に控えたその日。練習がない日に気分転換の名目で部員全員で集まった。その時の保護者としてあたしの父親と母親だったのだ。
写真には油性マーカーで日付が書かれている。
二〇一七〇七二七と。そして、その数日後だった。ある日━━━正確には中学校の県総体が終わった日。
中学三年生だったあたしは、編と同じ陸上部に入っていた。激闘の末、あたしは四百メートルリレーで入賞をした。
全国大会には あと数歩と付かず他のみんなと涙を流した。
あの気持ちをよく覚えている。それでも仲間と共に走り抜いた、と言った達成感ももちろんあった。
リレーの後は、これで終わり、という気持ちでいっぱいになってそう考える余裕がなかったからだ。
その後のあたしは非常に晴れ晴れとしていた。
学校で生徒たちが解散した後、走って家に帰った。三キロの道のりを、疲れを知らずに走破したのは良い思い出の一つになる━━━━はずだった。
━━はやくお父さんとお母さんに言いたい。
賞状は学校の集会で渡されるため、二人に見せることはできない。しかし、その時の映像は、編の母親がとってくれた動画をお母さんに送ってもらえるのだ。あのときほど、家の電子ロックが煩わしいと思ったことはなかった。そこからだった。あたしの、実質の一人暮らしが始まったのは。
「お父さん! お母さん! ただいま!」
靴を玄関で放り捨てる。帰宅ダッシュで汗ばんだ靴下のせいで、滑ってこけそうになりながらも、二人がよくいるリビングへ向かう。家の中で出した大声で、史上最も大きな声だったろう。それほどまでに彼女の達成感に満ち溢れていた。
しかし、いつもは部活の走りには必ず来てくれるはずの父親と母親は今日に限ってこれないと言った。そこから、異変は始まっていたのかもしれない。
「聞いて聞いて━━━」
リビングに駆け込んで、部活の結果を言おうとするが、二人はいなかった。
その代わりにあったのは十枚近くの書類と五枚の手書きの手紙だ。書類の内容は契約書がほとんどだった。電気代、水道代などの生活費についてのもの。手紙のうち三枚はひたすらに、あたしが知らない家庭のことだ。銀行の振り込み方法など、生活に必要なことがつらつらと記されている。
しかし、せめてもの救いは二枚の手紙の内容だった。両親のそれぞれのメッセージだ。あたしをどのように育ててきたのか、その過程でどのような苦労をしてきたのかがびっしりと書かれていた。また、必ずあたしの卒業を見てくるとも記されていた。そのボリュームはとても紙一枚ずつじゃ収まりきらないようなものだった。
「冷蔵庫の中に、愛守香が大好きな激辛麻婆豆腐が入っているからたくさん食べてね」
これが母の最後の言葉だった。読み終えた瞬間、手紙を持っていた両手をそれぞれ握りしめた。その拍子に、紙が左右に引っ張られやぶれる。涙はもうすでに出ている。
その場に膝をつく。そして、大声で泣いた。力の限り。叫ぶ。喚く。しかし、その行為は無駄だ。そんなことをしても両親は戻ってこない。頭の中を混乱と沈痛と孤独感でいっぱいになって、拭えない涙と取れない鼻水が床にポタポタと垂れ落ちる。
━━━なんで、なんで。
わからなかった。どうしてそうなったのか。わかるはずもないのだ。思い当たる理由がない。
あたしの見る限り、自分が原因で仕事がつらそうな様子もない。むしろ、家は豪勢で、仕事を休んでまで部活のもとに駆けつけてくれた。
━━━どうして!!
(校則違反を承知で)部活に持っていったスマホを取り出す。そして、SNSを開いて、親に連絡を━━━━。
しかし、それはどうしてもかなわなかった。親に関するすべてのアカウントが消去されていた。電話番号の登録もなくなっていた。家の電話でかけても、おかけになった電話番号は、ただいまおかけになった電話番号は現在使われておりません、の合成音声が鳴り響く。
親が帰ってくるまで連絡すらできないという絶望が自分に深く刻まれる。それでも、手紙の内容から、自分はまだ捨てられてないと、希望を持つことができた。それでも、立ち直るまでには、その後丸一週間を要した。
最後に母親が残してくれた麻婆豆腐は、もちろん甘くないが、辛いとも感じなかった。ただ生きるためにしか、食べることの意味がないように感じてしまった。
それから数ヶ月が過ぎる。それまであたしはひたすら勉強し、生時高校の進学コースを目指していた。学校が提示した偏差値は五〇を少し超えていた。あたしは必死でそのボーダーを超えた。
親が帰ってきたときに、恥じることない姿でただいまといえるようにだ。そして二月中旬。合格発表の日だった。専願だったというのもあるかもしれないが、あたしは無事合格した。その日ですら親は現れない。
そして、中学校卒業式の日ですらも現れなかった。そればかりか連絡もない。周りの人が、卒業証書を持って、校門にかけられた卒業証書授与式と書かれた板の前で写真をとっていく。無論、親とだ。それを、黙って見ているだけだった。
そして、ついに、あの手紙の内容は嘘だったんだと思うようになってしまった。娘に対して育児放棄をしているどろこではない。捨てたのは、娘本人だ。つまり、疎まれたのだ。