3、最初の授業(2)
最初は雨視点です。
後、あとがきはそこまでフレーバーとしてその話内のどうでも良い裏設定を書く場所にしようと思います。
「…よろしくお願いします。」
軽く礼をして、10m程離れた場所で私は背中に背負っている木刀を抜かずに待つ。試験官はその動きに怪訝な顔をして、「何故木刀を使わないのか」と聞いてきた。
「…必要ないので。」
簡潔に回答する。事実、ざっと試験官の戦闘に関係する技能をさっきまでの模擬戦で確認したけど、正直木刀は必要ないくらいの強さだった。
それに、私は刀を使うと例えスポーツチャンバラみたいにスポンジで作られた物だとしても怖くて手加減がうまく効かなくなる。だから、本当に必要じゃない限り使わない。
「もし不服なのでしたら使いますが、その際は骨の1本や2本は覚悟していただかなければなりません。
…手加減の出来ない武器を『使い慣れている』とは言えない。」
試験官には自信過剰のように映るだろうか、と少し不安に思う。でも、ちゃんと生き死にの境界線を見極められないと使い慣れているとは言えないからしょうがない。
最後の言葉だけちょっとだけ敬語が崩れちゃったけど、まあ大丈夫だろう。
「…いや、構わない。君が納得するのであれば、素手でも同じだろう。」
少しだけ眉を顰める試験官に向けて礼をする。非礼へのお詫びの気持ちはそれだけでも充分伝わってくれたと思う。
顔を上げた後、重心を下げて四本足の獣を思わせる前傾姿勢を取る。全身が動きたくて、暴れたくて全身の血流を急かし始める。今はこの衝動に身を任せようかな、と思う。思いのまま、荒ぶる鬼の如き衝動の流れに乗せて。
依良とさっきの子以外は私の髪色の残像しか見えないな、と思いつつ一歩で間合いを詰めた。反応の遅い試験官の無防備な腹にそのまま抉るように拳を振る。
「おい、ストップだ鬼子母神。その速度と威力では試験官の内臓が破裂しかねない。」
だが、その一撃が入る前に、聞いた事のある声から忘れ難い過去に繋がるワードを呼ばれた事で動きが直前で止まる。
突然の事だったので自制したとはいえ隠す事の出来なかった殺気がその相手にぶつけられる。
「やめてくれないか、流石に私とてそこまでの濃密な殺気は堪える。並の人間なら急性の心臓麻痺になるぞ。
確実にその腕を止める手段を利用しただけだ、不快だったのなら謝ろう。」
飄々とした態度で未だ顔を出さずに話し続ける相手に顔をあからさまに嫌悪に歪ませてつい荒れた口調で答えてしまう。
「…不快程度で済むなら殺気はぶつけねぇよ、この野郎。やっぱゲストはアンタか、生徒会長。のぞき見から始まって干渉し放題だな。」
ははは、と荒い口調の非難を受け流しつつ生徒会長、氷見山 空は私の前に立った。
「どうしても君の姿を見つけたかったものでね。普通ならここまで職権乱用はしないんだが、君は警戒心が強いから、こういう形で干渉するくらいしか会う方法が見つからなかったんだ。
願い事をするには無礼すぎる事は自認している。謝罪なら後でいくらでもするから、まずは話だけでも聞いてくれないか。」
申し訳なさそうに言う彼女を見て、少なくとも嘘は吐いていないようなので許す事にした。仏の顔くらいまでは許そうと思う。それに大っぴらに話せる内容でもないようだ。
話を聞くつもりはある事を頷く事で示す。
「…と、言うわけで試験官、彼女の力量はもうわかっただろう。私はこれから彼女と大事な話をしたいから、ちょっと借りてくぞ。いいな?」
直前までの会話を切るようにして、最後の数文だけは上にいる生徒にも聞こえる程の声で試験官に質問する。ただ、彼女の表情は下に居た私と試験官しか見えなかっただろう。
そして、それは尊敬されている彼女が人に見せてはいけない物だった、と私は思う。
だって、その表情に浮かんでいたのは、私の記憶にある最も不快な時に、同時に感じてしまった後ろ暗い感情と全く同じ種類の冷たい笑顔だったから。有無を言わさぬ絶対的な命令に近いそれと、私の視線に気づいて眉を下げて表情を緩めた彼女の顔に、私は確証を得る。
…やっぱり、こいつは為政者になれるけど踏み外せば独裁者にもなるちょっと危ない方の支配者の資質を持ちながら、それを捨てたがっている。
そして自分の力量も分かっていて、自分の力量を伸ばしながら同時に本来力が足りないところを力量内でできるように創意工夫を凝らす事で、できない事を極限まで減らすように対策している。
それだけやってもなお今の自分じゃどうにもならない事態が起きたんだろう。それもこうやって無理にねじ込もうとする辺りかなり急ぎたい案件。
今も昔も、私の根本的な行動原理は変わらない。彼女は今、正しい願いの元に自分の力を必要としている。私に出来るのならばその願いは叶えるべきだ。
*****
「…彼女が自発的に他人について行くなんて珍しいね。まあ昨日から生徒会長について思案していたようだし、彼女の話したい話題についても気になるから、僕も行かないと駄目だね。」
生徒会長について行く雨の姿を見ながら、僕は独り言をつぶやく。
正直、彼女はちょっと本気になりすぎた。会長が止めてなかったら最悪の場合内臓破裂どころか胴体そのものが爆散したかもしれない。スプラッタ映画の撮影場所じゃないんだよ、ここは。
ちょっと過去の片鱗見せすぎじゃないかな、とは思うけど僕の焚き付けが原因だから今回は激辛料理を一食食べさせられるくらいは覚悟しよう。
それはそれとして、珍しい物を見た。雨が命令とまでは行かないけど、有無を言わさぬ口調の提案に乗るなんて。
彼女は基本的に人の言う事を聞かない。でも、その代わりに忠告には素直だ。道を間違えた事を僕が指摘した時とかみたいにね。
でも僕にとって一番恐ろしいのは彼女の純粋さだ。
今はまるで正反対だけど、昔は善悪も分からなくて「誰かの為になる事」が良い事と信じて人の言う事は何でも聞いてしまってた。
「まあ、今は僕が頑張って教えた分別もあるからまだマシだけどね。あの口の悪さは僕が根本的に治さなかったのもあるけど、そのうちどうにかしたいなぁ。」
僕と初めて会った時の彼女の歪みはとんでもなかった。
願われればその通りに何でもやる。叶えられるならば自分の体も、大事な物も、命すらも捨てて叶えていた。
それも、悪い事であるという自覚もなく、ただ「お願いした人が喜ぶから」それだけの理由で全ての願いを聞いていた。心が壊れかけてても気付けないように巧妙に少しずつ心を壊されながら。
僕が彼女を連れ出さなかったらどうなっていたかわからない。彼女の運命がそうあるべきだったと言ったとしても、瞳を無自覚に酷く濁らせていたあの頃に戻す気は、僕にはない。
あの日に僕達が出会うのが運命だったんだ、と僕は勝手にそう思って信じている。
「だからさ、信頼できる人間が現れるまで君を絶対に一人にはしないよ。」
ひょいっと立ち上がり、僕は雨の元へと向かう。その胸の内に一つの決意を浮かべながら。
僕は見る者を凍り付かせるほど冷たい顔をして、冷えた声で周りの誰にも聞こえないほど小さな声でぽつりと零した。
「氷見山、もし君達が彼女を蔑ろにする願いを口にするようなら、僕は手段を選ばないからね。その時はお前達を地獄よりも恐ろしい深淵に引きずり込んでやる。」
・空が邪魔しなければ、試験官は死ぬか瀕死になってました。
・雨は廻音と違って威圧が殺す事に特化しているため威圧による足止めは出来ませんでしたが、代わりに相手が動くよりも早く動いて倒す作戦を用意していました。
・パンチ自体は手を抜いていたものの、速度のせいで凶器と化してる事を彼女は失念してました。
・雨は殴り合うのは得意です。理由は殴るとストレスが発散になるから。