作者目線で「人外主人公の人間化」について語ってみたい
「人外主人公の人間化」
が何故起きるのか、何故批判されるのかを考えてみました。
「人外主人公とか言ってもすぐに人間化するからクソ!」
って聞いたこと、あるいは思ったことありません?
皆様、こんにちは。
今回はいきなりの罵倒から始まりましたが、上のような意見感想を見たこと一度はあるのではないでしょうか?
特に、本エッセイのようなタイトルに興味を持った方ならなおさらに。
この意見に賛成か反対かは人それぞれですが、とにかく今回はこのテーマで少し語ってみようかなと。
現在魔物を主人公にした長編連載中ですので、やっぱりエッセイ書いたならこのテーマを無視するわけにはいかないでしょう。
というわけで始めますが……人外の人間化ですね。
一応解説しておくといいますか、まあ読んで字のごとくなのですが、これは人間ではない何かしらが主人公の話だったのに
「え? キミ××(ゴブリンとかスライムとか)なの? 人間にしか見えなかったよ」
「ハハ、昔はただの化け物だったんだぜ?」
というような会話が新キャラと行われてもおかしくないくらいに、何かしらの理由でそのアイデンティティを放棄してしまう現象のことです。
ストレートに言うと『それ最初から人間主人公でよくなかった?』問題。
そもそも「人外主人公とはなんぞや?」と言いますと、それこそごく普通の犬猫からファンタジーな魔物とかモンスターとか呼ばれる存在、更に探せば魔剣とか聖剣とかの意志を持つ無機物が主人公なんてケースもあります。常人には思いつかないような超絶レアな例も探せばいろいろ出てきますので、興味のある方はなろう界を掘ってみるのもいいかと。
健全な青少年も見る場ではちょっと大きな声では言えないような理由で人外主人公になったりってケースもありますが……床とか。なんで床? とピンとこなかった純粋な少年少女の諸君はどうかそのままの心を保って成長してください。
まあちょっと脱線しましたが、とにかくそのまま「人間ではない主人公」があっさりと人間と同じような感じになる、というのが『人外主人公の人間化』ですね。
で、これが好きって人ももちろん大勢いますが、あちこちで嫌われているのも事実です。……なんで?
って、これに対して特に嫌悪感を持っていない方々は思うと思います。
実際「こんなもん話の展開にいちゃもんつけてる読者様のわがままだろ」で話が終わってしまうくらいに個人の感想が強い話なので、何がダメかと考察するのははっきり言って泥沼です。
ということで、ここは発想を逆転させまして、そもそも『人外主人公を読みたい人は何を求めているのか』って視点から見ていきたいと思います。
まず、先ほどもいくつか例に挙げました通り、人外主人公といっても本当に千差万別でいろいろあるんですが、唯一共通点を挙げるのならば『人間ではない』というところでしょう。
何を当たり前のことを、とお思いでしょうが、これが割と本質に近い話だと私は思います。
絶対の自信をもって断言できる証拠はありませんが、基本的に小説を書く側も読む側も人間だと思います。もしかしたら一人か二人くらい宇宙人とか混じっているかもしれませんが、とにかく大多数は人間であり、一番書きやすいのは人間が主人公である話であるはずです。
事実、なろうで検索かけて出てくるお話の主人公はやはり人間が一番多いでしょう。魔法とか超能力とか使える種族を人間判定していいのかって議論はとりあえず横に置いておいてください。
そこをあえて人間以外を主役に据えている話を選ぶ読者方は、やはり意外性を求めているものだと思われます。
つまりは『人間ではない主人公の活動や思考を楽しみたい』というのが根源の欲求であり『人間が主役ではできない話』を求めていると考えられます。
そこに人間化は真っ向から対立してしまうわけです。
わざわざ人間ではない主人公を選んで読んできたのに、結局やってることも考えていることも人間主人公と変わらない。これじゃ話が違う!
……という怒りが冒頭でいきなり出てきた暴言の真意であると私は分析しています。
例えるなら『名探偵ドイル!』ってタイトルの話見に来たのに、速攻で探偵廃業して野球選手として活躍するストーリー見せられているようなもんでしょうか。スポーツものとしてそれはそれで面白いかも知れんけど、こっちは探偵もの見に来てんだよってのが同じような感情だと思います。
とまあ、本エッセイのテーマの背景は解説し終わりましたので、ここらで作者目線の話をさせてもらいます。
まず、私を含めてわざわざ主人公に人間以外を何故作者は据えるのか、と言いますと……意味深に溜めておいて申し訳ないのですが、それは作者一人一人によって違うと思います。
それこそ人外の思考をすることによって起きる物語を求めて人間から外したという方もいれば、人間では無い特別な存在であることが物語の鍵になるって設定であるということもあれば、ただひたすらにインパクト狙いであり得ないチョイスをしてみたという意欲作であることもあるでしょう。
……あまり大きな声では言えませんが、人外主人公が流行っていたからそれに乗っかっただけってケースもあるでしょうし。
というわけで、そこはもうスルーさせていただきます。
人間よりも強力な種族でスタートして種族マウントを取るため、人間よりも弱い種族(スライムとかゴブリンとかコボルトとか)から始めて見下している人間に下剋上決めるため……とか、いろいろ思いついてしまうんですが、もうこのくらいで止めておきます。
深堀すると敵を量産して強烈なブーメラン飛んでくる上に、あまりビシっとした結論は出ないでしょうし。
では、何故人間化させてしまうのかの話に移りましょう。
人外主人公とは、それ自体がある種、作品そのもののアイデンティティであるわけです。
主人公の設定が奇をてらっているというのはいわば目玉商品。一番のセールスポイントなわけです。
なのにそれを『実質人間』状態にしてしまうことで投げ捨てる。こうして文字にすると意味不明に感じられるのでは?
これは大きく3つの理由があると私は思っています。
まず第一に『主人公が人間になるのが作品そのもののテーマ』であるケース。
例えば機械やロボットが人間との交流を得て、合理的で人間味のない無機質な思考から徐々に人間臭さが出てくる~みたいなの。名作がいくつもあるテーマでしょう。
他にも人形だったり怪物だったり、あるいは精霊とか妖怪とか様々な存在が紆余曲折を経て人間となる物語、ということならこれに文句をつける人はそうはいないと思います。
一言で言えば『人間になるのがゴール』ってことですね。
で、2つ目が『能力の限界を解決するため』です。場合によっては叩かれる。
どういうことかと言いますと、要するに『人型じゃ無いせいで取れる行動に制限がある』って状態の解決ですね。
人外は人外でもゴブリンとかその辺の二足歩行で腕も二本ある、パーツの構造的には人間と変わらない種族ならばほぼ関係の無い話です。ですが、例えば蛇や魚、あるいは先ほども言いました剣が主人公だったりすると、文字通り「手も足も出ない」状態な訳ですよ。
人間主人公だったら身体障害をテーマにでもしていない限り何の問題もなく行える数々の行動が、人外には不可能という事も多い。もちろんその分人間には不可能な事が可能である場合もありますが、基本的に人間である作者としては大変不便です。
そこを解決するために手足をつけて人間に近づけるってことですね。
まあ、この場合は人外主人公としてのアイデンティティを崩したくないのなら話は簡単です。ようは人間化ではなく手足のある化け物に変身するとか、サイコキネシス的な手足の代わりになる能力を付加すればいいだけですので。
不自由な種族に転生してしまった! これから主人公はどうやって生きていくのか!
って煽ったのに「速攻で人間にして解決します。以後種族的な能力が必要にならない限りほぼほぼ人間形態です」なんてやらない限りは反感買わないかと。
そして、最後が『物語の都合による方針転換』です。叩かれているのはほぼこれ。
ちょっと脇道に逸れますが、人外主人公って基本的にコミュニケーション能力に乏しいんですよ。対人に関しては特に。
というのも、人間は人間以外と対等に接することがありません。格下として飼う関係か、さもなくば恐れ敬う神のごとき関係か。基本、人間が人外と接する関係ってこの二つなんですね、イメージできるのって。
同じ人間であっても人種の違いで散々もめているのに、全く異なる種族と対等とか不可能に決まってんだろって話です。
だからこそ人間と怪物の友情話とかは感動を増すわけですが、まあとにかく種族単位で人外を受け入れるってことはまずない。
とにかく、そんなイメージが口にしなくとも大勢の中にあるため、人外主人公からスタートした話が人間と交流をしたいとなった時に出てくるのが『人外主人公の人間化』ということになります。
メッチャシンプルに例を挙げると
◆
「我々は友好的な付き合いを望んでいます!」
「うるせえ化け物は死ね!」
「仕方がないから人間に化けようか。外見と価値観が同じなら受け入れやすいでしょ」
あるいは
「私は人間ともよい付き合いを望んでいる」
「あなた様のような偉大なお方と我々ではつり合いませぬ!」
「仕方がない、私だとわからぬように変身するか」
◆
って流れですね。
まあ、こんな感じで人外としての皮を捨てて、それ以降人間スタイルばかりになってほとんど人間主人公とやること変わらなくなるってことです。
作者としてはぶっちゃけこっちの方が楽なんですよ。友好的に行くにせよ敵対的にいくにせよ、まず会話しないと文字どおりお話になりませんからね。問答無用で殺戮タイムにいくならともかく。
その人間と会話するためのツールが『人外主人公の人間化』なわけです。
と、ちょっと悪意を感じるように誘導するような書き方してきましたけど、ここで一回気持ちを落ち着けて考えてみてください。
永続的に人間になるなら流石にもう人外主人公の看板下ろした方がいいと思いますが、冷静になって考えると、姿を一時的に人間に変えるだけならそれ自体は別に問題ないと思いません?
何いきなり掌返ししてんのとお思いかも知れませんが、魔法的な変身とか全身を覆うローブとかでの変装とか手段はいろいろありますが、人間のふりをするだけならただの作戦ですよね。いつ正体がばれるかわからない~みたいなドラマも含めて、十分人外主人公ならではのお話を作れます。
何があっても絶対にバレません。都合の良いときに人間と人外を使い分けられますってガチガチに安全保障してしまうのは流石にどうかと思いますが。
じゃあ何が問題なのかというと、私見ですが、本当の問題は姿かたちの話ではなく心の問題だと思います。
先ほど例に出したように、数多くいる人外主人公たちですが……彼らの多くが実は『元人間』という設定を持っています。
いわゆる転生系ジャンル。人間が何かしらの理由で人外になっちゃいましたって奴ですね。
何でかと言えば、先ほども言ったとおり、作者はあくまでも人間です。だから結局は行動理念とか倫理観とか価値観とか、基本人間に沿った方がやりやすいのです。
ちょっと上に戻っていただいて、先ほど私が出した◆の中の例を振り返っていただきたいのですが、何の説明もなく当然のように『人外主人公は人間との友好を望んでいる』でしょう?
そこに違和感を何も感じなかった方は、もう人外主人公=人間との友好を望む中身人間って図式が頭に叩き込まれてしまっているのでは?
気持ちを落ち着けてよく考えてください、と前置きしてもなおそこには全く考えが及ばなかった……と言う方、結構いるのでは無いでしょうか?
そう、結局のところ、人外だけど中身人間の方が受け入れ易いというのは、読者の方々も同じはずなのです。
まともな人間とかけ離れた思考回路に『この話は人外が主役だから』と共感できないまでもそれはそれとして自分の中に客観的な視点で落とし込める人ならば問題はないのですが、「人間化するから~」と言っていたわりにいざ化け物のままだと結局ついていけず、共感できない価値観を前に「イキッてる!」「調子に乗ってるだけ!」「モラルがない!」と自分とは違う理念を拒絶する人も多くいます。人間は人間以外を対等とは認めないわけですから。
実際、人間じゃないと言っているのに人間の視点からのモラルを語られてもどうしようもないですしね。
これはバトル漫画に対して暴力反対、ラブコメに対して愛だの恋だの興味ない、ギャグマンガに対してふざけるなと言っているも同じです。人外に対して人としての良識を持てというなどもうそれこそギャグでしょう。
こうなるともう最後の禁じ手『嫌なら見るな』を発動せざるを得なくなるわけです。
そこの緩衝材として『元人間』という設定を与えるわけですが、さて外見も中身も人間化した場合、それって人外主人公ですか問題が勃発するわけですね。
姿だけ人間に変わっただけならば『人に化けた怪物』と本質は変わらないのですが、心も身体も人となるともう人外物として読む意味がなくなってしまうわけです。
ほとんど人間と変わらない容姿、人間と同じ価値観や主義趣向、ついでに限りなく人間に近しい容姿のヒロインたち(そりゃ主人公の中身は人間なんだからヒロインも人間の外見じゃないと発情しないでしょう、特殊性癖持ちじゃない限り)……もう初めから『人間主人公が魔物の能力を使えるって設定でもよくなかった?』ってところに落ち着くわけです。俺は人間じゃ無い奴が活躍する話を期待してたのにって読者からすると、これじゃ期待外れだわって感想になるわけです。
なお『単に人間ないしほぼ人間のヒロインでハーレム作るためには人間の姿が無いと無理があるってだけだろ』という身も蓋もない欲望論は横に置かせてください。これに関してはもう心の底から「人間美少女にモテたいんなら初めから人外名乗るんじゃねぇ!」と作者視点~とかそんな建前吹っ飛ばして叫んでしまいたくなるので。
……ゴホンッ!
と咳払いをして、何事も無かったことにして先に進みます。
ここまでの話を総括して『じゃあどうればいいんだよ!』という問いへの解としては……もうどこかで切り捨てるしかないでしょう。
人ではない存在としての物語を求めている読者をターゲットにするのならば『心はあくまでも人外』であることを重視する。
化け物の身体と人の心を持った存在としての物語を求めている読者をターゲットにするならば『身体が人外であるのは絶対に譲らず心の人間性を押し出す』ことを重視する。
あるいは人外であることはチート能力の一環であって、人間化できる魔物でも魔物化できる人間でも全然気にしない読者をターゲットにするのならば遠慮なく『人外スタートだけど心も身体も人間』にしてしまえばいいと思います。メインは人外云々ではなく魔物の能力を使える俺TUEEEです。
どれも好む人はいるんだから、もうターゲットを絞ってしまうのが一番でしょう。
最初からニッチなテーマなんですから、万人受けなんて無謀なことは考えずに作品の売りとするポイントをどこにするのか決めておく、というのが作者としては大切だと思います。
簡潔に纏めますと、人外主人公が最終的に辿り着くのは大きく分けて2パターンとなります。
人外として最後まで貫きベクトルが好意や崇拝、あるいは嫌悪や恐怖かなのか別にして、人間とは異なる存在として生きるルート。
あるいは人外である事とかとっとと忘れて『人間のチート主人公とやってること変わらない? おう何か文句あるか?』と開き直って作品のアピールポイントを変えるルートです。
ただ、注意事項としては、どちらにしてもその方針を貫きましょうってことがあります。
普段は『私の心は人間です』と言っているのに激怒すると『化け物を怒らせたことを後悔させてやる!』と虐殺を行い、ことが終わればまた『私は人間です!』じゃ筋が通りませんからね。
筋通すためには元に戻るのにそれ相応のイベントを入れないとただのやばい人になっちゃいますので。やばい人であるって設定をしたのならこれはこれでありですけど。
もちろん、スタート地点が中身人外でも同じです。普段人外面しているのにやたらと意味もなく人間を優遇したり人間だけは殺さないといった、つい人間の目線で動いていないか注意しましょう。
やるのならそれ相応の設定を準備してからです。元々人間と暮らしていて人間に好意を持っているとかそんな感じの。
以上、人外主人公の人間化に関する解説と考察でした。
結局人間が書くんだから人間が主人公の方が書きやすいし人間の読者にも受けが良い。
逆に人間がやるには余りにもあれな非道行為などの「化け物ならでは」の行動をするなら人外のままの方が都合がいいから人化は止めておけ。
人外主人公の人化現象をそのように結論してしまったわけですが、異論反論があればいくらでも受け付けます。
ここに書いたことは全て私の脳内をソースとしており、客観的なデータは何一つございません。
何か感じるものがあれば感想や評価(下の☆☆☆☆☆)をいただけると今後の参考になります。
ちなみに、現在これを書いた作者が連載中の話
魔王道―封印から復活したら元配下の子孫達が文明も肉体も超退化していたので進化させた。いざ戦うとなったら何故か魔王を殺した人類も退化していた
https://ncode.syosetu.com/n5480gp/
は
『中身も化け物身体も化け物。人間に寄り添い人間に変わる理由なんて一切無い、前世を引っくるめても怪物』
な主人公でお送りしておりますので、興味があれば下のリンクから見に来てください。