第15話 フューラー大司教(2)
本日、二話目の投稿です
16時00分にも投稿しております
また、21時00分 にももう一話投稿予定です
口先で適当にごまかして情報を引き出す作戦だったが、図南たちのお思惑は脆くも崩れ去った。
それでも抗ってみる。
「嫌だなー。冗談ですよ、冗談。ここが島国じゃないことくらい知っていました。ちょっと調子に乗ってフューラー大司教のお話に合わせただけです」
「ほうほう、これは面白いことを言うな」
フューラー大司教は本当に面白そうに図南を見返す。
(やっぱり無理だよなー)
困惑した表情で愛想笑いを浮かべる図南に代わって紗良が頭を下げた。
「申し訳ございません。騙すつもりはありませんでした。私たちにも明かせない事情があることをお察しください。それと、私たちが他の国から来たことは嘘ではありません」
「この国の人間でないことはすぐに分かったよ」
「怒らないのですか?」
紗良が不思議そうに聞くと、当のフューラー大司教は声を上げて笑い出した。そして、椅子から立ち上ると図南と紗良に向かって頭を下げる。
「引っ掛けたのはワシの方だ。すまないことをした」
「いえ、そんな。頭を上げてください」
「いや、こっちも嘘を吐いたのは確かなんだし、やっぱり謝るべきだと思うんだ」
紗良と図南も慌てて立ち上がり、二人揃って深々と頭を下げた。
「では、これでお互いに騙し合いは無し、と言うことで話を進めて構わんかな?」
フューラー大司教は図南と紗良を自分の部下として神聖教会に招きたいと申し出た。対価として、通常の報酬とは別に彼らの保護を提示する。
それはこの世界で生きていくための糧を得るだけでなく、フューラー大司教という後ろ盾を得ることを意味していた。
◇
「どう? 美味しい?」
三十代後半の女性が図南に料理の出来を尋ねる。幼いころから見知った顔、紗良の母親だ。
「とっても美味しいです」
「それね、紗良が作ったのよ」
「へへへへー、見直した?」
母親や同席している妹と弟を気にして紗良がはにかむ。
記憶にある光景。
記憶にある紗良の笑顔。
どれも覚えのあるもの。それは、中学三年生の夏休みの終わり頃のワンシーン。
図南はこれが夢なのだと直感的に理解する。
「うん。見直した。いつの間にこんなに上手になったんだ?」
「夏休みの間の夕食はほとんどお姉ちゃんが作ったんだよ」
紗良とよく似た容貌の少女がクスクスと笑いながら図南の反応を観察する。二歳年下の紗良の妹だ。
「姉ちゃんやめなよ、図南の兄ちゃんが困ってるだろ」
止めたのは小学四年生になる紗良の弟。
紗良の家族の笑顔。
家族と一緒のときか、自分と二人きりのとき以外には、滅多に見せることのない紗良の笑顔がそこにあった。
夢の中でその笑顔を見ると、自分が如何に彼女の笑顔に救われていたのかが分かる。
「となーん、これも食べてー」
紗良がモツの煮込みを差し出す。
まるで店で出てくるような出来映えに驚いた図南が、モツの煮込みと紗良とを見比べた。
「これも紗良が作ったの?」
「そうよー」
春休みに食べたモツの煮込みの味を思いだして、わずかに躊躇する。だが、図南は差し出されたそれを口に運ぶと満面の笑みを紗良に向けた。
「美味しいよ。本当に紗良は努力家だな」
一度集中すると周りが見えなくなるきらいはあったが、それでも熱中する紗良の姿が好きだったし、一生懸命な姿勢も好きだった。
紗良が小首をかしげる。
「努力家?」
「春休みに食べたモツの煮込みとは大違いだったからさ」
「酷ーい」
図南の言葉に紗良がほほ笑みながら口を尖らせる。
その瞬間、ガラスがひび割れるように、図南の目に映った情景が砕け散った。
「うわっ!」
慌てて飛び起きた図南が辺りを見回す。
無意識に身体強化を発動させて視力の強化を図っていた。わずかな灯りにもかかわらず周囲の様子が判別できる。
記憶にない家具や装飾品に図南が思わず身構えた。
「そうか、ここは天幕だった……」
図南と紗良の二人はフューラー大司教の好意により、神聖教会の天幕の一つを貸してもらいっていた。
そのことを思いだして胸をなでおろす。
落ち着くと、天幕を仕切った衝立の向こうから紗良の静かな寝息が聞こえた。
「夢、だよな。やっぱり……」
その寝息に安堵を覚えた瞬間、
「お母さん……」
紗良の寂しそうな声が微かに聞こえた。
幸せそうな紗良の笑顔が脳裏に蘇る。
紗良とその家族……、と自分。
図南は自分たちが戻ることも出来るか分からない異世界に飛ばされたことを改めて思い返していた。
先程の夢と相俟ってその寂しそうな声に胸を抉られるような錯覚を覚える。
気分を変えようと天幕の外に出ると、フューラー大司教の天幕の灯りがまだ燈っていることに気付いた。
時計を見ると夜中の2時を回っている。
一瞬の躊躇。
だが、紗良抜きで話をする好機と捉えた図南は、フューラー大司教の天幕へ向けて踏み出していた。
◇
「そこでお止まりください」
フューラー大司教の天幕の前まで来ると、護衛の騎士に止められた。
(相手は教団のお偉いさんだから、あたりまえか)
「大司教にお話があって参りました」
「もう、こんな時間です。明日の朝、改めてご足労願えますか?」
フューラー大司教が図南と紗良の二人に目を掛けていることは既に知れ渡っていたこともあり、騎士も殊更に丁寧な対応をする。
「天幕には灯りが点いていますよ」
図南の声と同時に、天幕の中からフューラー大司教の声が聞こえる。
「その声はトナン君だな? 入りなさい」
騎士と図南が顔を見合わせていると、天幕の中へ入るように促す声が響いた。
「遠慮はいらん、入ってきなさい」
「失礼します」
図南が天幕の中に入ると、フューラー大司教が執務机に向かって書類に目を通しているところだった。
彼は書類を机の上に置くと立ったままの図南に身振りで椅子を勧める。
「何か言い忘れたことでも思いだしのかな?」
「大切なことを言い忘れました」
椅子に座ろうとしない図南に無言で話を続けるよう促す。
「私と紗良の神聖魔法が、こと神聖魔法においてこの大陸でも最上位に位置すること。この国でも稀有な力であることを理解した上でのお願いです」
「どんなことだね?」
「俺と紗良を神聖教会に招いてくれるとのお申し出、ありがたく受けさせて頂きたいと思います」
嬉しいはずの決断にもかかわらず顔を曇らせたフューラー大司教が聞く。
「お嬢ちゃんも同じ意見かね?」
「紗良は俺が説得します。ですが、条件があります。利用するのは俺だけにしてください」
フューラー大司教がこれから赴任するカッセルの街の神殿で、自らの地位を確かなものにするためにも有能は部下を欲しているのは理解していた。
「神殿に入り私の部下となるなら、それなりの仕事はしてもらわないとならんのだが?」
「神官としての仕事はします。ですが、紗良をドロドロとした権力争いに巻き込まないで欲しいのです」
代わりに自分が引き受けると言外に告げる。
「私としても君たちを権力争いに巻き込むのは本意ではないよ。巻き込むかどうかは相手次第のところはある。だが、出来る限りのことをすると約束しよう」
「約束を破ったら俺と紗良はこの国から出ていくか、最悪は貴方の敵に回るかもしれませんが、それでもかまいませんか?」
「これは怖いな」
周りを気遣って小さな声で笑うと、大司教はからかうように聞く。
「惚れておるのかね?」
「紗良は、俺とは違います」
図南の答えになっていない答えにフューラー大司教が聞く。
「違うとは?」
「俺の母はもう何年も前に他界していますし、父親とは折り合いが悪く、ここ二年くらいはまともに口もきいていません」
自分が家族や日本にあまり未練がないのだと、言葉にして初めて思い知った。
一拍おくと、『でも』と続ける。
「紗良は家族に愛されていて、彼女も家族を愛しています。本当に仲のいい家族なんです。彼女だけはいつか家族のもとへ帰してやりたい。それが俺の最大の望みです」
紗良の幸せな笑顔が目に浮かび、次いで、先程の『お母さん……』という寂しげなつぶやきが蘇った。
小学六年生のときに母が他界してから、自分が心安らげるのは紗良がいたからだと理解していた。彼女が笑顔でいるときが自分にとって幸せな時間なのだと分かっていた。
紗良の笑顔が自分にとっての心の拠りどころなのだと改めて思う。
「トナン君、君の気持は分かった。だが、手段としては褒められたものではないな。自分の弱みを簡単に人に曝すものではないよ」
「あ……」
指摘されて初めて自分の迂闊さに気付いた。
「私は君のその気持ちを利用しないと誓おう。だから君もいまの話を他の誰にも話さないと誓ってもらえないだろうか」
(信用できるなら悪い取引じゃない。いや、それどころか寄る辺なき俺たちからすればこの上ないくらいの好条件だ。問題は……)
「信用しても――」
図南の言葉を、左手を突き出して遮る。
「君は私を信用するしかないのだろう?」
「それは……」
「地位と権力を確かなものにするため、君たちの力が欲しいのは事実だし、その力を大いに活用させてもらうつもりだ。だが、権力争いに巻き込むつもりはない。加えて相応の報酬を約束しよう」
「荒事は?」
と問い掛ける。
自分たちの攻撃魔法の力までは見せていなかったが、それでも尋常でない威力であることは分かっているはずである。
神聖魔法だけを欲しているとは思えなかった。
「神聖騎士団に在籍するという選択肢がある。これを荒事と捉えられると少々困るがな」
神聖騎士団。
それは下部組織に衛兵を従えた、神聖教会直属の騎士団であり、衛兵と共に街の治安維持を担っていた。
日本で例えるなら警察組織の権力をさらに拡大したような組織である。
弱者を守る立場に、悪を懲らしめる立場に立てることが、図南のなかの正義感を刺激する。身近な悪に歯噛みした過去が、己が弱者であるがために理不尽に屈した記憶が蘇る。
だが、いまの自分は決して弱者などではないことを知っていた。
図南の心臓が大きく脈打つ。
「神聖騎士団に在籍することを望まれるのですか?」
「力無くして安寧はありえんよ」
「紗良は神聖騎士団ではなく、神官として神殿に所属させるとお約束頂けますか?」
二つ返事で飛び付きそうになるのを抑えて条件を口にした。
「最初からそのつもりだ。あの嬢ちゃん、無理をして気を張っているのが手に取るように分かる。優れた攻撃魔法の術者だからと言って神聖騎士に向いているとは限らん」
フューラー大司教は、紗良の根底は優しさに満ちているのだと語った。戦いの場にあって精神を病んでしまうよりも、神官として住民のために治療や教育に力を割いてもらう方が、よほど価値があるのだと語る。
「だが君は違うようだな」
神聖騎士団への入団を匂わせたときに、図南が目を輝かせたことを見逃してはいなかった。
見透かされているのだと悟った図南が差し出された右手を取る。
「神聖騎士団に入ります」
力強く言い切った。
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