飛行訓練
俺はこの世界の神だ。
うーん。なんかしっくりこない。
あんまり偉そうなキャラって性に合わないんだよなあ。
たしかに、神にも等しい力を手に入れたんだが、かと言ってそれほど大きな変化というものは今のところ感じられていない。
中身は今までの俺のままだし、身体の変化も特に無い。気とかオーラとかが見えないか試してみたが、そんなものどこにもなかった。
朝昼晩とお腹はすくし、夜になれば眠くなる。もちろんトイレもいかなきゃいけない。
「ちょっと自分は慎重すぎるのかな~。火の玉とかぶっ放せばスッとするかも?」
いやいや、そんなクレイジーな神様は迷惑すぎるだろう。
そうそう、俺は手に入れた力のことを『アーツ』と呼ぶことにした。
リンから聞いたん話だが、『闇の魔術』を英語では『dark arts』というらしい。直訳すると『闇の芸術』だっていうんだから、厨ニ心に火がつかないはずがない。
まあ、俺は闇落ちはしない(予定)から、単にアーツとした。
さーて、どんどんアーツを試していくぞお!
アーツの可能性は無限大だ。なんだって出来る。
ただし、その根源は行使者のイメージ力にある。
と言っても、そう難しいことではない。目の前にお金があれば、簡単に複製することもできる。
もちろん手元にお金がなくても、いくらでも湧くように出すことも可能だ。歪みや色落ちなどまったくない本物をだ。
しかし、だからといってドル紙幣を出そうと思ったらできなかった。俺がドル紙幣を使ったことがなく、馴染みがないからだ。
活字としての知識は持っていても、見たことも触れたこともなければ、情報が欠落しすぎて再現ができないのだ。
対象物の100%の情報が必要というわけではない。日本円のデザインだって細部まで完璧に把握しているわけではないが、複製はできている。
体感では、7割ほどの情報が必要だと見ている。
最終的には、ネットで見つけた画像を元にドル紙幣を再現することに成功した。しかし、あまり無手で複製はしない方がいいだろう。1ドルと100ドル紙幣の肖像画を間違えて作っても気づかないかもしれないし。
アーツは万能に等しい可能性を秘めているものの、行使者の知識量や経験値に大いに左右されるのだ。
簡単に言えば、知らないことは引っくり返っても出来ないってことだね。
お金のことはこれくらいで良いだろう。今の所、複製したお金は使用しない方針だ。
次に俺が試したことは、移動についてだ。
具体的には、飛行そしてテレポーテーションの2つだ。
ここで大きな壁に突き当たった。
結論から言うと飛行は可能だった。まずは自室で試してみたが、念じるだけでふわりと30cmばかり座布団から浮き上がることに成功した。
某宗教指導者のような必死な形相でホッピングするのとはわけが違う。完璧なホバリングだ。
体勢を維持したままの空中移動もなんなくこなし、宙返りもお茶の子さいさいだ。うまーく誤魔化せれば、体操競技で金メダルも夢じゃないかもしれない。
続いて、本格的な飛行訓練に移ろうと思ったところで足が止まった。
――いったいどこで練習したら良いんだ?
生身の人間が日本の空を飛んでいたら大騒ぎになることは必至だ。
テレポーテーションに関しても同じだ。突然、駅前に人間が現れたらどうなるだろうか。もしも、人混みの中に移動したら誰かを踏んずけてしまうかもしれない。
「透明化、いや認識不可の付与が必要だな。」
空を飛んでいるところを見られたら困るなら、見えなければいい。簡単なことだ。
目に見えないだけではなく、熱感知や赤外線感知にも耐性が必要だ。思いつく限りのステルス性能を俺につけてみよう。
「あれーこれうまくいってるのかな?」
考え方は間違っていないハズだ。
でも、自分がステルス化しているか確かめる術がない。サーモグラフィー検知器なんて家にはないから……赤外線探知機もしかりだ。
「いや、これ全然ダメだわ。」
透明化さえうまく出来ていない。確認の方法は簡単だ。自分の手足を見下ろしてみれば分かる。
念の為、部屋の隅に置いてある姿見で確認してみるが、ハッキリと俺の姿が写っていた。
「ちょっぴり透けてるかも……?」
まあ、はじめからそんなに上手くいかないよね。自分が透明になるなんて、普通はなかなか想像がつかないもの。
でも、練習すればなんとかできそうだ。
小一時間も練習したら、なんとか形にすることに漕ぎ着けた。
イメージは幽霊だ。完璧な透明化までは至らなかったが、窓ガラスに映る人影くらいまでに薄く透き通っている。
注意して見なければ、視認することは難しいだろう。
今の所はこのくらいで満足しておこう。闇夜に紛れれば、人目につくことはないだろうし。
今はちょうど0時を回ったところだ。お手洗いのついでに家中をチェックしたが、家族は皆寝静まっているようだ。
「さーて、ちょっくら行ってきますか。」
俺はスッと浮き上がると窓を開け放ち、一気に上昇した。
静かな夜の住宅街に、一吹きの突風が巻き起こり、木立をざわつかせる。驚いたひな鳥達がピーピーと泣き叫ぶのが遠く背後に聞こえる。
とにかく、ただひたすら上昇しよう。
そう、宇宙まで。
一気に加速し、太陽系の外側までたどり着いた。
話が急に飛んだなと思う方もいるかも知れない。だが、地球から太陽系の端なんて、全宇宙からしたら玄関からポストに新聞を取りに来たくらいの感覚だ。
かかった時間も3分そこそこ。
「ここまでくれば誰にも感知されないだろう。」
少なくとも地球人には。宇宙人が見張っている可能性もあるが、そこまで気にしてはいられない。
「なんか、思ってたのと違うなー」
太陽系の外側から見た景色は、感動も何もなかった。
はじめて地球を宇宙から見下ろした瞬間は、その圧倒的な存在感に心が大きく動かされた。
地表を覆う広大な海が太陽光を反射し、ぼうっと青く光り輝く様はまるで美しい宝石のようだった。
月や火星も同様だった。側を飛び去る際には、人智を超えた大いなる力の存在を感じることができた。
しかし……
「地球どれだー?太陽しかわからねえ……」
そう、太陽系の外側に浮かぶ今の俺からは、想像していたよりも真っ暗な宇宙がだだっ広くたたずむばかりだった。
地球から天王星や海王星を見ることができないように、太陽系の端からは地球は暗すぎて見えないのだ。
それに、他の星々と混ざって、どれがなんの星なのかまったく分からない。星座の知識なんてないしなあ。
火星が赤く光る星だというのは、こどもの頃に父親から聞いておりなんとなく知っていた。
しかし、木星や土星がどのあたりにあるのか、まったく知らないことに出発してから気がついたのだ。天王星や海王星に至っては、写真すら見たことがない始末だ。
なんの予備知識もなく、現代アートを観覧に来たようなものだ。真っ白なキャンパスの中央に赤い線を引っ張っただけの作品から、何を汲み取れというのだ。
そうそう、くだんの太陽は地球から見るよりも遥かに小さいのだが、依然として直視できないくらい眩しい。
大気の無い宇宙空間では太陽光を阻害するものがなく、直接目に飛び込んでくるのだ。刺すような太陽光は、LEDライトを100倍明るくしたようなどぎつい光だ。
現在の位置は50億キロくらい離れており、さすがに熱気はここまでは届いていないようだが。
「ここまで来たけど、帰るか……飛行の練習は十二分に出来たしな……」
太陽系の外に飛び出しても、迷子になるだけだろう。
うん、今度はもうちょっと勉強してからでかけよう。せっかくの旅行も、目的地がなければ魅力は半減だ。
ということで、復路はテレポーテーションで帰宅した。ハッキリと頭でイメージできる場所なら、わざわざ飛行しなくてもテレポーテーションで済ませられるのだ。
火星に寄った時に、お土産として赤茶の石を拾ってきた。なんの変哲もない石ころだが、はじめての戦利品だ。
せっかくなので、ちょちょいと加工して勾玉風のお守り兼アクセサリーとして首から下げることにした。