協力者
俺は夢を見ていた。
夢というのは、決して幻想や虚像という言葉で終わらせてしまってよいものではない。
夢とは一言でいえば、人の潜在意識が捉える世界を映し出したものだ。
俺たちが自分自身だと思っているそれは、本当の自分の極一部でしかない。思考や感情など自分自身だと思っている自我とは、顕在意識と呼ばれている。
一方で、普段は表面に出てこないもうひとりの自分が存在する。それは、潜在意識だ。無意識という言い方のが一般的だろうか。
顕在意識は、自覚することなく自身の行動や思考に影響を与えている。
例えば、異性の好みも潜在意識が判断していると考えられる。見た目や正確、仕草、物腰さらには体臭などを総合的に判断して、パートナーにふさわしい相手を見分けるのだ。
国民性なども一例だろう。誰に指示されることなく日本人がきっちり列を並んで順番待ちする姿は、海外の人からは物珍しく見られている。
海外なら我先にと他人を押しのけて席を確保するのが当たり前だ。しかし、日本人の多くはそれを良しとしない。潜在意識に刷り込まれている善悪の観念が許さないからだ。
一般的に夢と言われるものは、この潜在意識が優位に働いている際に見られるものだ。普段、自由に自分を動かしている顕在意識は睡眠中なので、基本的に夢の中の自分はコントロールができない。
欲望や思想といったものを司る潜在意識が司令塔となって活動する夢の中では、自分の奥底に眠る強い思いが反映されることになる。
例えば、将来に大きな不安がある場合、電車を乗り間違える夢や、勉強不足のままテストに挑む夢などを見るのだ。
しかし、俺が見た夢というのはこれらとはちょっと違ったものだ。
自身を形作る意識体の最後に、集合意識がある。これは、複数の個体に対して指示を出す意識体のことを表す。
自分を唯一無二の独立した個体だと、人は考えるのが普通だが、それは間違いだ。潜在意識のさらに奥底には、個と個を結ぶ集合意識が存在する。
家族、人種、人間、生物、生命、有機物……など多重構造の集合意識が我々の根底を形作っている。
虫の知らせという言葉がある。家族や知人に不幸があったり、大きな災害を前に『なにか嫌な予感』がするというのだ。これは集合意識を経由した知覚の一種である。
俺が見たものは、この集合意識が作る夢だ。いや、これは夢や幻などではなく、いわばもうひとつの世界である。
俺は最初、普通の夢を見ていた。両親が家を建て、はじめて一人部屋がもらえた時のシーンだった。
これまでは狭い賃貸だったので妹と共通のこども部屋だったし、ベッドを置くスペースがなかったので家族全員で雑魚寝していた。俺はフカフカのベットに興奮し、何度も肌触りを確認した。
ふと、何気なく部屋のドアに視線を向けると、そこにはドアノブが2つ存在した。
「あれ?これって……2ch世界に行くドアノブだ。」
俺は今、小学生……あれは中学生のころにユイと喧嘩したはずみでついた壁の傷……ドアノブが2つ?
おかしい、と思ったその瞬間、俺の意識が呼び戻された。
「あ、これって夢だ。」
一見すると現実とは何も変わらない。しかし、そこは確かに夢の中だった。俺は夢の中で、目覚めたのだ。
俺はこの感覚を知っている。明晰夢というやつだ。
昔何度か明晰夢を見ることがあった。夢の中で夢を自覚するのだ。そして、ここでは夢らしく非現実的なことが自由にできる。
窓ガラスに手を近づけると……すうっと通り抜けることができた。霊体化したのだ。
外は夜明け前の様子で、誰も歩いている人はいないし、車も一切おらず静かなものだ。
今度は壁をすり抜けて隣の部屋の様子を見に行く。妹のユイの部屋だ。しかし、そこには寝ているはずのユイはいなかった。
アーツで同じことを再現することも可能だが、ユイがいないということはやはりこれは明晰夢なのだ。
さらに奥の部屋を頭だけで覗き込むが、やはり誰もいない。今はリンが使っている部屋だ。
「さて、どうするか。」
明晰夢を見るチャンスは早々無い。中学生のころにオカルトサイトなどで明晰夢を見る訓練などにはまったこともあったが、成功したことはなかった。
ただ、なんらかのはずみで2度ほど明晰夢を見たことがあった。オカルト訓練のおかげなのか、たまたまなのかは分からない。
ともかく、20年ばかりの人生の中でたったの2回しかなかったのだ。この機会を逃すと次はいつになるかわからない。
今までの俺なら、気ままに大空を飛び回ったり、好きな女の子とチョメチョメしたりと欲望のままに夢を楽しんでいただろう。
それはそれはとても魅力的な案ではある。
しかし、それを実行する前にひとつ確認しておきたいことがあった。
もし、明晰夢の中で2ch世界へと続くあのドアノブを捻ったら、どうなるのだろう?どんな世界に通じているのだろうか?
「はじめまして、と言っておくわ。ウチはアウラ。」
「……イーダ。」
ドアノブを開いた先は、真っ白な世界が広がっていた。そしてそこには2人の女の子が佇んでいた。
彼女達は、俺の潜在意識と集合意識だという。
アウラと名乗ったライトピンクの髪と瞳を持つ女の子は、自分はあなたの潜在意識だと語った。
そして、隣に立つミントグリーンの髪と瞳を持つ女の子を指差して『この子はあなたの集合意識よ。』と紹介した。
2人は古代ギリシャ人が来ていたような1毎布をグルグルと巻きつけるようなゆったりとした服を着ていた。金の腕輪や首飾りがキラキラと光を反射して輝いている。
「えっと……俺って女の子だったの?」
2人の女の子が爆笑すること5分。俺は何するでもなくおろおろするばかりだった。
「ごめんなさい。第一声がそんな質問だなんて――アハハ。普通はここはどこ?とか聞くのに。」
まだお腹を抑えたままのアウラが涙を拭きながら話しかけてくる。
「別に、意識体に性別なんて無いわ。ご希望ならしわくちゃな老婆になることも、スキンヘッドのおじさんになることも出来るわよ?」
アウラと比べると物静かなイーダは、口元を手で抑えているもののクスクスという笑い声が漏れている。
「ここって、なんだか見覚えが……」
「そうよ、ウチ達が前代の神であるハクに出逢ったのはここと同じ空間よ。」
アウラが答えると、イーダがうんうんと小さく頷く。まるで姉妹のようだ。
《姉妹よりも親しい関係よ。ウチ達は。だって、私はあなたの潜在意識なのだもの。》
――え?
《不思議に思うことはないわ。頭の中で思考しているだけなのだもの。ウチがあなたの頭の中で――ウチが、ウチの頭の中でね。》
「イーダはシャイなの。でも、ウチよりもずっと頭が良いわ。なんたって、アカシアの記録にアクセスできるもの。」
「アカシア……?」
「集合意識の記憶が詰まった電子図書館のようなものよ。簡単に言えば、全人類の全ての記憶がそこにあると思ってもらっていいわ。」
人類だけじゃなくて、生命、星、宇宙そのものの全ての記憶が記録されているわ。
「うげ……なんだそりゃ。めっちゃ、チートじゃん。」
「うん。でも、アクセス出来るだけで、全部の記憶を頭の中に入れたりは出来ないからね。そんなことしたらあなたの精神は一瞬で崩壊しちゃうわ。」
「こ、恐ぁ……」
「そうね。最初はネット検索みたいな感覚で使うといいわよ。イーダがいれば、学校のテストなんてお茶の子さいさいよ。」
どやぁ、とアウラがまったく凹凸の無い胸を張る。
視線をイーダに向けると、ぽっこりと小さな膨らみが可愛らしい。2人とも同年齢くらいだけど、発育に差があるのかな。
それにしても、今までの自慢のすべてがイーダの話だ。アウラはどんなことが出来るんだろう?
こんな考えが頭によぎった数瞬後、おれはハッとした。
「……」
「アウラ……うぅ。」
俺の意識は顔を真っ赤にしながら突っ込んでくるアウラの拳に一撃にして刈り取られる。
暗転していく視界の端で、半べそをかきながらアウラの袖をひっぱるイーダが見えた。俺はこんな怒りっぽくも泣き虫でも無いんだが……
《どーでもいいけど。あんたの力はぜ~んぶウチ等の手助けがあってのものなんだからね!》
ベットをずり落ちながら目覚めると、アウラの声が頭の中に響く。
こうして俺は神様に任命されてからはじめての協力者を得たのだ。