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軽い読み物

夏休み――




そう、夏休みが来たのだ!


え、お前はずっと前から長い休みを取っていただろうって?


何を言っていますの奥さん、僕は1日たりともぐうたらな日々は過ごしてきませんでしたよ。それこそ三千世界の端から端まで飛び回る過密スケジュールをこなし、世界の平安が成就するまで休まることはまるでありません。


時に滅びゆく無力な生命体を救い、時に忘れられたロストテクノロジーを復活させ……


まあ、それはともかくだ。


こんなブラック企業の社畜顔負けの仕事三昧の日々にようやく訪れた夏休みなのだが、ゆっくり休める気が全くしない。


どーして毎回こうなるんだ……!




「お兄ーちゃん、何クネクネと気持ち悪い動きしてるの?」


手で口を覆いながらながら妹の柚衣ユイがキャハハと笑う。


「おまっ勝手に入ってくるなって、何回言えばわかるんだ!」


「なになに~隠し事でもあるの~?って……彼女さん?」






「んなわけねーだろ!こいつが勝手に来てたんだよっ」


そう、今俺の部屋には何の断りなしに上がり込んだ人物が妹の他にもうひとりいる。


「はじめまして。広田雪穂ヒロタユキホです。彼のクラスメートよ。」


クイッと赤縁メガネをつまみながら自己紹介する。


「えっ何この分厚い本、医学書……?ユキホさんって医学生なの!?」


テーブルの上には、図鑑サイズの参考書が5,6冊積まれている。その他用具をあわせると10kgを軽く超えるであろう荷物を常時持ち歩いているというのだからとんでもない。


彼女はこどもの頃から空手を習っていたらしく、これも鍛錬のひとつなのかもしれない。


「ええ。今日はちょっと留年したお兄さんの勉強を見に来たんだけどね。これは暇つぶしの軽い読み物よ。」


「これが……軽い読み物…?」


彼女はクラスメートといっても、高校時代の話だ。しかも、彼女は半年あまりで留学してしまったのでそれほど長い付き合いというわけではない。


……と俺は思っていたのだが、何の腐れ縁か彼女が帰国後に入ったのが俺の大学の医学部だったのだ。


「ちょっとお兄ちゃん。逆玉じゃない。うらやましー。」


ウリウリと肘でつついてくる妹が鬱陶しい。


「そんなんじゃねーって言ってるだろ。」


バンと机を叩くと、テーブルに置かれたオレンジジュースがピチャリと跳ねる。


早朝から騒がしくてたまらないが、こんな日常にほっとしている自分もいる。











俺は今、かつてないほど勉強を頑張っている。別に単位のためではない。自主的に勉強が必要だと感じたからだ。


俺はアーツという人智を超えた力を手に入れた。しかし、それを操る俺自信がポンコツではどうしようもないのだ。


先日、俺は各国の軍事機密を拝見に出向いた。アーツを使えば誰にも悟られることなく侵入し情報を手に入れることは可能だ。


しかし、問題は手に入れた情報を俺が理解できないことだ。


この問題を解決するために、俺は協力者を得ることにしたのだが……それでも足らないことは多い。


言葉の壁はクリアできた。難しい専門用語も協力者を通じて理解可能になった。しかし、会話の中の微妙なニュアンスや文化、習慣といったものは完全に理解することは難しい。


例えば、日本では虹を7色に識別しているが、ある地域ではわずか2色しかないというのだ。日本よりも多く8色とするところもある。


海外旅行に行った際に、食事が口に合わないという経験をされたことがある人もいるだろう。海外の料理って味付けが濃いし、ケーキも甘ったるくてクドいよねという評価をよく見かける。


一方で、海外の人が日本に訪れると、味が薄くて美味しくないと感じるらしい。これはどういうことなのか?


こどもの頃から慣れ親しんだ味と違うものに拒否感があるというのがひとつの理由だろう。しかし、もうひとつ決定的な違いがある。


西洋人の舌は、味を検知する味蕾みらいが少ないのだ。


西洋人は濃い味が好きなのではなく、あれくらいの味付けをしないと旨味を感じられないのだ。西洋人にとってあの濃さの料理は、日本人が和食を食べる時と同じ様に感じるのだろう。


日本人がどんなにマラソンで黒人選手に勝てないように、西洋人は身体的能力の違いによって味覚が劣っているのだ。


俺はこんな、生まれつき環境や文化、条件の違った皆が同じ様に幸せになれる世界を造りたい。


しかし、それには頭脳が必要だ。アーツはあくまで補助的なものだろう。


アーツを正しく、効果的に使う知恵と知識、そして経験が不可欠だ。




――しかし、俺に本当にできるのだろうか?




俺なんかよりも、例えば隣で熱心に医学書を読みふけっているユキホのような優秀な人間がアーツを授かるべきだったのかもしれない。


彼女の方が俺の何倍も上手くやるだろう。


俺にアーツを授けたハクは言っていた――キミを選んだのは偶然だった、と。


つまりは俺には特別な才能があったというわけでもなく、本当にたまたまソコに居合わせただけ、彼の気まぐれで選ばれただけなのだ。


彼からはハッキリとした意志があまり感じられなかった。積極的に誰かを助けようだとか、世界を救おうなんてことに興味がないようだった。


――面白そうだったから


俺が選ばれたのはただそれだけの理由だ。もしかしたら、俺が賢明に足掻いているのをどこかでこっそり見て笑っているのかもしれない。


俺は別にそれでも良い。他人からの評価を気にしているわけじゃない。


でも、もしかしたら、俺じゃない方が皆のためになるかもという考えが頭をよぎってしまうのだ。


アーツを誰かに渡して引退する、という方法もあるにはある。




でも、誰に?


ユキホに?


それとも誰か他に適任者はいるだろうか?











「ちょっとあんた聞いてるの?ミズキ?」


「うおっとゴメン。聞いてないよ。」


「聞いてないんかいっ」


チョップを食らわせながらユキホがツッコミを入れる。


「あんたね~そんなんじゃまた留年になるよ?」


「あ~それでもいいかな~」


「馬鹿なの?良いわけじゃない」


今度は俺の脇腹に手刀を刺し込んでくる。手加減されているが、空手家の本能なのか的確に急所を突いてくる。


機嫌を損ねると眉間にシワを寄せ、目を細めながらクイッとメガネを直すのが彼女のクセだ。ピンと立った小指が出来る女のイメージにピッタリだ。


「あら、でも意外と勉強は出来るのね。」


「意外とって失礼だな!」


「そういえば高校の時も成績悪くなかったわね。あんたなんでこれで留年なんてしたのよ?」


「えーっと、寝坊とか、寝坊とか……?」


留年が決まるテストの朝に寝坊したことを彼女に話すと「あんた馬鹿なの?」と一蹴された。


いちいち指摘されなくても、自分の馬鹿さ加減には嫌気が差してるよ。


「ギリギリ間に合うはずだったんだよ。でも、途中で苦しそうにしゃがみ込んでいる妊婦さんがいてさ……」


「はあ。それならその場で大学に連絡のひとつでもしなさいよ。」


「いや、あの時はそれどころじゃなくって……」


「でも、最後まで介抱してたのはそのイケメンサラリーマンだったんでしょ?」


「いや、そうだけど。別に顔はそこまでイケメンでもなかったけど。いやそうじゃなくて……」


「どっちでもいいわよ。ホントしょうがないんだから。」


ハァ、と大きなため息をつきながらも、俺の勉強をすべてチェックしてくれる。


ユキホは口は悪いが、根は良いやつなんだ。人の命を預かる医者という職業を目指しているから、少しのミスでも逃さまいと何事にもいつも真剣なのだ。


「ユキホって医者になったら、専門は何科にすんの?」


「小児科ね。」


「へー意外。なんで小児科なの?こどもとか好きだっけ?」


「うるっさいわね。人の勝手でしょ。」


「いいだろー?教えろよー?」


小児科医は仕事が難しく慢性的な人手不足らしい。少子高齢化による医師不足の中でも、特に人が少ないというのだから相当深刻なのだろう。


大人の診察では複数の科に分けられているものが、小児科ではこども全般を一挙にひきうけている。小児科では、小児内科と小児外科の2つしかないのだ。


このため小児科の専門になるためには、かなり広い分野の知識を網羅していなけれなならない。すべての分野でエキスパートとなる必要はないが、専門家と相談ができる程度の深い知識は備えておく必要がある。


また、免疫が弱く体調の崩しやすいこどもは、非常に繊細で治療も難しい。強すぎてこどもには使えない薬も多く、大人の診察とは違う知識が求められるのだ。


ユキホは、やりたい人が少ない、やりたくても難しくてやれない、そんな仕事を目指すという真面目な子なのだ。


「そんな仏頂面じゃこどもが泣くぜ?」


「あんたってほんとデリカシーないわね!」






「例えばの話なんだけどさ、世界中の病原菌とかがいなくなったら、医者って必要なくなるかな?」


「そんなわけないじゃない。」


「えーなんで?」


「あんたが転んだら誰が怪我を治すのよ。」


「あ……そっか。」


「それに、病気の原因は菌だけじゃないわ。アレルギーや花粉症は免疫作用の誤作動なのよ。ガンも似たようなものね。」


「なるほど……」


「親知らずを抜くのも、病気が原因じゃないわね。虫歯菌がいなくなっても、噛み合わせの問題などで抜かなければならないケースもあるわ。病気の治療なんて医者の仕事のごく一部よ。」


「ふむ……」


「あと、遺伝・体質・先天的な問題、それに老化など根本的な治療法がないものも多いわ。治せなくても、痛みを和らげたり介助するのも不可欠な仕事ね。」


「はい……」


「こっちは私もそんなに詳しくないんだけど、精神科はまだまだこれからの分野よね。社会的にも、科学的にも認知されたばかりで研究もあまり進んでいないわ。万引き中毒やゲーム中毒などが障害指定されたというニュースは大きく話題になってたわね。年間自殺者数が3万人を超えると言われる日本は、早急な対策が必要だと私は思ってるわ。」


「……」


「小児科を目指す身としては、少子化問題も他人事じゃないわ。女性の社会進出の代償として、こどもを生むべき年齢を仕事に費やしてしまう女性が増えているの。その結果、晩婚化と高齢出産が増えさらに少子化が加速する負のスパイラルに陥っているわ。それに伴い、精神的な負担の大きい不妊治療が必要となったり、こどもの障害リスクなども高まっているのよ。不妊やこどもの障害リスクの半分は男性側の原因であることも理解しておきなさい。」






俺ってやっぱり神様むいてないよね。






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