第三章、その三
「──お父さーん、こっちこっち!」
涼やかな純白のワンピースを身にまとった少女が、路地の先から呼びかけてくる。
わたあめやチョコバナナやリンゴ飴やたこ焼きや焼きそば等々大量の食料品が山ほど詰まったビニール袋を、か細き両手で振り回しながら。
八月最初の週末。生徒会の学園祭に向けての下準備も一段落したことだし、かねてからの約束通りに会長と二人っきりでの『父娘デート』として、朝から市内を足が向くままに観光地や市街地にかかわらずあちこち連れ立って歩き回っていたのだが、たまたま夕刻に訪れた神社で夏祭りをやっていたのでそのまま夜祭り見物と洒落込んだのであった。
まあこの街においては、デートだろうがただのそぞろ歩きだろうが行き先に不自由することなぞなく、会長のほうも二人で出かけること自体が重要らしくてどこに行こうが不平を述べることなぞ一度もなく、たとえ単に裏道が延々と続いているだけの『哲学の道』であろうとこれといった娯楽施設もない『円山公園』で日向ぼっこをしようと、むしろ今同様に常に屈託のない笑顔を振りまくばかりであった。
ただし僕たちにおける『父娘関係』という邪気眼設定だけはどうしても譲れないらしく、今日のデート中に要した交通費や食費その他はすべて僕に支払わせることを強要し、当然現在彼女が両手に抱えている大量の食料の代金も僕の財布から出したのであり、部活と生徒会活動を掛け持っているためバイト一つしていない身としては手痛い大出費であった。
……しかし何で庶民の小せがれである僕が、お嬢様のあいつに奢ってやらなくてはならないんだろう?
一応家が貧乏というわけでもないのに我が学園独自の特別優待生制度によって学費その他を自分で賄っているために、高校生にしては多めの小遣いをもらっているのでどうにか今のところ対応しきれているが、あいつ今度はカルメラ屋の前で立ち止まっているぞ⁉ その前に今持っている分をちゃんと食べきることができるんだろうな?
ったく。上流階級のお嬢様に限って、ああいった庶民の味に対して妙に興味を覚えるんだから、始末に負えないよ。
しかし、このような事態になるとは想像もできなかったころにあれだけ思い描いていた会長との初デートが、まさかこんな予想の斜め上方を突き抜ける形で実現しようとは……。
これじゃまるであこがれのお嬢様と逢い引きをしているというよりも、むしろ親戚の年の離れた従妹の面倒でも見ているような気分だぜ。
「どうしたの、お父さん。せっかくのお祭りだというのにしかめっ面なんかして。ごめんね、私ばかりはしゃぎ回って。お父さんも射的か金魚すくいにでも挑戦したら?」
思考の海にどっぷりとはまり込んでいた僕を唐突に現実に引き戻したのは、いつしか目と鼻の先に迫り来ていた満面の笑顔であった。
「──ちょっ。近い、近過ぎるって! 何だよもう、いきなり⁉」
慌てて後ろへと飛び退く僕に対し悪びれもせず、「うふふ」と笑みをこぼすワンピースの少女。
「だってお父さんたら、少しも楽しそうじゃないんですもの。私一人で馬鹿みたいじゃない」
「おまえのほうが堪能し過ぎているんだよ! ……まあ、お嬢様にしてみれば、こういった縁日が物珍しいのはわかるけど」
「そ、そんなんじゃないもん!」
僕の何気ない一言になぜだかとたんに拗ねたように表情を変え、くるりと後ろを向く上級生。
「か、会長?」
「私、初めてだったんだもん。こうして一日ずっと、お父さんと二人っきりでお出かけするのって」
「へ? 実の親子なのに、一緒に出かけるのが初めてだって?」
「……どうせ私はあなたにとっては、『おまけ』でしかないのよ」
ぽつりとこぼれ落ちた、一見何の感情も窺えない平坦な声音。
しかしなぜだかそのときの僕には、あたかも雨の中に捨てられた子猫の鳴き声のようにも聞こえてしまったのだ。
そのまま小刻みに肩を震わせ続ける少女の後ろ姿に、僕はかける言葉を無くしてしまう。
そういえば今日のこいつって朝からずっと、これまでになく上機嫌だったよなあ。
今でもこいつが未来から来た精神体だなんていう邪気眼妄想設定を認める気なんかはないが、それでも彼女自身が今現在身も心も完全に『僕の娘』になりきっていて、何か思惑があるかもしれないとはいえ、全力で僕のことを慕っているのはわかっているつもりだ。
それにこれっぽっちもお嬢様っぽさがなくて少々期待外れではあったものの、今日一日こいつと一緒に歩き回っていて一度も不快に感じたりはしなかったし、むしろ文字通りに幼子そのものの無邪気で天真爛漫なはしゃぎっぷりに微笑ましくなるほどだったしな。
そう。それこそ自分の『娘』に対して、極自然に愛おしさを感じてしまうように。
……やれやれ。たとえ相手が邪気眼妄想に取り憑かれているとはいえ、自分の娘を傷つけて悲しい思いをさせるなんて、父親失格というものだ。
そして僕は覚悟を定め、少女のか細き両肩にそっと手を置いた。
「……おとう……さん……?」
「いいのかい、こんなところで道草を食っていて。まだまだ出店はいっぱい並んでいるんだぜ。早く見て回らないと、祭りは終わっちゃうぞ?」
「え、でも……」
「あ~あ。せっかく僕の射的の腕前を御披露しようと思ったのに、残念だなあ。しかたない。今度アズサと浴衣デートするときにでも挑戦するかあ」
「──何ですってえっ! 冗談じゃないわ。浮気は許さないと言ったでしょ⁉ それにあんな小娘なんかよりも、私の浴衣姿のほうが百万倍もセクシーよ!」
僕のさり気ない一言に、とたんに表情を変えて振り返る少女。
その変わり身の早さに思わず笑みをこぼすと、照れを隠すように食ってかかってくる年上の『娘』。
「な、何よっ。私の浴衣姿なんか見たくないというわけ⁉」
「まさか。さっきからずっと残念に思っていたんだぞ? 祭りがあることを前もって知っていたら、おまえの色っぽい浴衣姿を拝めたのにって」
「──っ!」
その瞬間、ボッと顔を真っ赤に染め上げる会長殿。
「そ、そんな冗談を言ってる暇があるなら、さっさと行きましょう。射的の景品をすべてゲットするまで許さないわよ! それが終わったらその次は、金魚すくい完全制覇だからね!」
そう一方的に宣言するや、僕を置き去りにして行き交う人波をかき分けて、ずんずんと進みゆく未来人。
「ふふふ。これは責任重大だな」
そうひとりごち彼女のあとへと続きながら、数年ぶりの射的と金魚すくいに臨むためのイメージトレーニングを始めるのであった。
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
「あー。楽しかった♡」
川沿いに続く国道を並んで歩きながら少女の深紅の唇が漏らした、いかにも満足げな吐息。
そしてそれは夜の水面を渡ってきた涼風に乗って、またたく間に夜空へと舞い上がっていった。
「うふふふふ。大漁大漁」
至極ご機嫌な様子でリンゴ飴を舐めている名家のお嬢様の左手には、黒い出目金が泳いでいるビニール袋がぶら下げられていた。
ちなみに荷物係を拝命した僕が両手で抱えている食料品の山の上にも、射的で獲得した三等賞の小ぶりなテディベアのぬいぐるみが鎮座していたりする。
……完全制覇にはほど遠い戦果だが一応は彼女のお目当ての品を両方とも獲得したということで、どうにか及第点をいただけたようだな。
危ない危ない。ぎりぎりになって昔の勘を取り戻せてよかったよ。
そのように僕がひとり自己満足に浸っていた、その刹那であった。
「──お父さん」
呼び声に振り向けば、いつしか立ち止まりこちらを見つめていた、ワンピースの白い影。
「今日は本当に、ありがとうね」
「え……」
「私、心配していたの。この時代に来て突然娘であることを告白したりして、そんな馬鹿げた話をお父さんが信じてくれるのかって」
「──!」
「でもお父さんが私の知っているお父さんのままだったら、きっと信じてくれると思っていた。『娘』である私のことを、受け容れてくれるはずだとわかっていたわ」
「……ヒカリ……おまえ……」
「でも、本当は怖かったの!」
そう言うや僕の胸元へと飛び込んでくる、ワンピースに包まれた華奢な肢体。
押しのけられたぬいぐるみやビニール袋の山が、路上へと落ちていく。
「ちょ、ちょっと⁉」
「実を言うと自分自身でも本当に私が未来から来たお父さんの娘の精神体なのか、単にお母さんの妄想によって生み出された虚構の存在なのかはわかっていないの。こうして私が私でい続けられるのは、たとえ半信半疑とはいえお父さんが認めてくれているからなのよ」
「なっ⁉ あ、いや、その……」
「ううん。私わかっているの、お父さんが今でも私が本当に未来人かどうか決めかねていることを。でもそんなことはどうでもいいのよ。あなたはたとえ私の正体が何だろうが、きっと受け容れてくれると信じていた。困っている人を見ればたとえ赤の他人でも手を差し伸べずにはおられない、私のお父さんならね。だからこそ私はこの時代にやって来たのですもの。──今度こそ、お父さんの本当の娘になるために!」
え? 僕の本当の娘になるって。娘になるのに本物とか偽物とかがあるのか?
「だからお願い。今こそ私を──お母さんのことを、身も心も完全に受け容れて!」
夜空に立ちこめていた雲の隙間から顔を出した月明かりに照らされて浮かび上がる、涙に潤む黒曜石の瞳。
……何だろう、この感情は。
気がつけば自分にすがりついている少女の身体を力の限り抱きしめたいと欲している、激しい衝動が僕の胸中で渦巻き始めていたのだ。
果たしてこれはあくまでも、父親が娘に対する親愛の情なのか。それとも──
「これはこれは。天下の往来でかくも熱きラブシーンとは。山王家のお嬢様も結構隅に置けませんね」
そのとき突然後方より聞こえてくる、聞き覚えのない男の声。
振り向けばいつしかすぐ真後ろの路上には、オープンタイプのベンツの運転席で二十歳がらみの一人の男性が、やけに気障ったらしい笑みを浮かべていた。
「水杜さん……」
僕から身を離しながらこぼし落とされる、いかにも面食らった少女の声。
「このところいくらお電話差し上げても応答すらしてくださらないから心配していたのですが、まさかそのような年下の庶民の方と火遊びをなさっておられたとは」
人を小馬鹿にしたかのようなその慇懃無礼な言葉に常に温厚なる年下の庶民の少年もムッとなるものの、いち早くいつもの調子を取り戻されたのは邪気眼お嬢様のほうであった。
「……人のことをとやかくおっしゃる前に、少しは我が身を省みてはいかがですの? ところで今夜の待ち合わせのお相手は零泉家の御令嬢ですか。それとも和氷財閥の御息女とか?」
「おや、参りましたな。いったいいつの間に、そのようなことまで。しかしそれだけ私に関心を寄せられているわけでしょうから、むしろ光栄というものですよ」
「馬鹿につける薬はないというのは、まさしくこのことですわね。この世のすべての女性がお金持ちのボンボンをちやほやするとお思いなら、大間違いですわよ?」
そのあまりに辛辣なる少女の面罵に、さすがに顔色を変えてしまうボンボン。
……そりゃまあ、おぼっちゃんも唖然となるだろうよ。何せ本来の会長自身だったら、絶対にあるまじき悪口雑言のオンパレードだからな。
「ふん。そちらこそ興味本位で庶民の暮らしに首を突っ込むのは、ほどほどになさるべきなのでは? 深入りし過ぎて後戻りできなくなって下賤な男に身を任せるようなことになれば、あなた自身はもちろん、生まれてくるお子様までも不幸にするだけなのですよ?」
──なっ⁉ こいつ言うに事欠いて、『ヒカリ』に対して何てことを!
これではまるで、彼女の存在自体を否定したようなものじゃないか⁉
「それこそ余計なお世話というものです! あなたのような女癖の悪いボンボンなんかよりも、こちらのお方のほうがよほど素敵なナイスミドルのおじ様──もとい。お父様におなりになるに決まっておりますわ!」
はあ? 何だよ『おじ様』って。……おいおい。この若さですでにナイスミドル確定なのか? どれだけフケ専にとっての有望株な男子高校生なんだよ、僕って。
「それはそれは。大いに楽しみなことですな。──おっと、いけない。そろそろ会合の時間ですので、私はこの辺で失礼することにいたしましょう」
そう言うやおもむろにベンツを発進させて、夜の帳に消えていくボンボン。
残された二人の周囲に重く立ちこめる、気まずい雰囲気。
「……ええと。ところで誰なんだよ、あの人って?」
「うっ。──あ、あれよ、お母さんの単なる昔の知り合いよ」
何でそこで、口ごもるんだ?
「若いころ──つまりはちょうど今時分には、相当の女たらしで鳴らしていたそうよ。ほんと最低のやつよね。たとえヘタレであろうが優柔不断であろうが流されやすかろうが、恋人としても父親としてもお父さんのほうが何千万倍もましよ! ああ、お父さんが私のお父さんであって、本当によかったわ。だからお願い、一日も早く私のお父さんになってちょうだい。さあ、どうせなら今からすぐ家に帰って、『未来の娘』づくりをいたしましょう!」
何だか誉めているのか貶しているのかいまいち釈然としないことを言いながら、再び僕の胸元へと飛び込んでくる名家のお嬢様。
「ちょ、ちょっと。こんな道端で何を誤解を招きそうなことを大声で叫んでいるんだよ⁉ あっ。そこの善良な市民の皆さん、スマホを取り出して写メを撮るのはおやめください!」
あたかもお互いの本心を覆い隠すように繰り広げられる、見えすいた茶番劇。
そう。確かにそのときの僕は、先ほど胸中に芽生えた彼女に対する名状し難き感情がうやむやにされたことに、心底安堵していたのである。
このたびは『時間SF=ギャルゲ⁉』をキャッチフレーズとする、これぞタイムトラベル物の革命作にしてアンチSF小説の急先鋒、『僕の可愛い娘たち』第三章第三話をお読みいただき、誠にありがとうございます。
この作品は『第六回ネット小説大賞』応募記念新作長編三シリーズ日替わり連続投稿企画の第二弾作品でありますゆえに、次話投稿の前に他の二シリーズ──第一弾の『ツンデレお嬢様とヤンデレ巫女様と犬の僕』と第三弾の『最も不幸な少女の、最も幸福な物語』のそれぞれの最新話の投稿が間に挟まれることになるので、次回第四章第一話の投稿は三日後の2月19日20時ということになります。
少々間は空きますが、お待ちになられてけしてご損はさせませんので、どうぞご期待ください。
なお、ご閲覧をお忘れにならないように、ブックマーク等の設定をお勧めいたします。
もしくは皆様のご要望が多ければ、この作品単独での『毎日投稿』も考慮いたしますので、そのようなご意見やご感想等がおありでしたら、ふるってお寄せください。
次話の内容のほうにちらっと触れておきますと、「毎度この後書きにて自信満々に、『これぞタイムトラベル物の革命作にしてアンチSF小説の急先鋒』などと謳っておきながら、ついにメインヒロインの自称『未来の娘』とのデート中に最強の穴馬ヒロインの文芸部長とばったり遭遇して大ピンチに陥る主人公という、新章に突入した途端あたかも普通のハーレム学園ラブコメみたいになってしまったりして⁉」──てな感じで、一見相変わらずのんきな展開を見せておりますが、果たして?
ちなみに明日2月17日20時にはもはやおなじみの、量子論と集合的無意識論とで『後期クイーン問題』を解き明かす、まったく新しいSF的ミステリィ小説『最も不幸な少女の、最も幸福な物語』の第二章第五話を投稿する予定でおりますが、これまた具体的な内容に少々触れておきますと、「またしても作中作ということで作者の趣味が爆発し、第二次世界大戦末期の帝都ベルリン上空で世界初のジェット機による夜間戦闘を大展開するという、やりたい放題でありながらも、同時にまさしく本編を通してのメインテーマである、未来予知能力の秘められた本質に鋭く迫っていきますので、乞うご期待!」──てな感じとなっております。
もちろん何よりも肝心な『面白さ』に関しても、本作『僕の可愛い娘たち』に勝るとも劣らないと自負しておりますので、こちらのほうもどうぞよろしくお願いいたします!




