第三章、その一
三、夏休み。
「今年の夏休みに、お父さんとお母さんが結ばれるって……」
一学期が無事終業してすでに数日後。本来なら待ちに待っていた学生ならではの長期休暇の到来にもっと手放しで浮かれていてもいいはずなのだが、そのときの僕はつい先日聞いたばかりの少女の言葉を反芻し続けるばかりであったのだ。
お父さんとお母さんって、つまりは僕と会長のことだよな。ということはアレですか? これぞまさしくお嬢様のひと夏のアヴァンチュール宣言なのでしょうか。
いやいやいやいや。あんた一応は受験生で、しかもれっきとした名家の御令嬢でしょうが⁉ そんな色ボケ宣言をする暇があるのなら、受験勉強か花嫁修業にでも精を出してください。──そう。どうせ出すんなら僕の精なんかではなく、あくまでも自分の精を!
そりゃあ正直に言えば今や邪気眼に染まっているとはいえ、かつてはあこがれの上級生だったお嬢様にこんな意味深なことを言われたら、それなりに心が揺れ動きましたとも。
何と言っても子作りには、いろいろと『行為』が伴うわけだしね。
しかしそれが百発百中のロシアンルーレットだとわかっていて手を出してしまうほど、怖いもの知らずではないんですよ、僕って人間は。
何か知らないけど会長さんたら、産む気満々の御様子だったからな。
……結局彼女って、単に現実逃避をしているだけではないのかなあ。
もしかしたら疲れ果ててしまったのだろうか、自分が品行方正な生徒会長や謹厳実直な優等生であることに。そして何よりも、古式ゆかしき名家の御令嬢であることに。
それで生徒会活動を一緒にやっている知己の僕を道連れにして邪気眼妄想の世界に逃げ込んで、妙ちきりんな未来の父娘ごっこなんかを始めてしまったのではなかろうか。
まあ、その気持ちもわからないではないけれど、物事には限度というものがあるのだ。
そう。何と実際に夏休みに突入するやまさに先日の宣言を実行するかのように、日中はずっと僕の部屋に入り浸るようになり、勝手に秘蔵の漫画や書きかけの小説原稿等を盗み読みするのみならず、隙あらば父と娘の微笑ましいふれ合いの範疇を遥かに超えた、ほとんど色仕掛け同然の行為を行ってくる始末なのであった。
当然すでに会長のことを天敵認定されておられる御隣人が黙って見ているわけがなく、会長が暴走し始めて僕がピンチに陥るやすかさず邪魔しに来てくれて大いに助かっているのだが、おまえまさか四六時中こっちのことを監視しているんじゃないだろうな⁉
会長といい幼なじみといい、これではまるで事実上二人のストーカー女に狙われ続けている状況下にあるようなものなのに、更には夏休みということでアズサの親友である委員長や僕の従妹のサユリまでもがほぼ連日のようにしてやって来ては全員で角突き合わせるものだから、せっかくの自由気ままな日々がむしろ心休まる日がまったくないという有り様となっていた。
中でも過激なのが言うまでもなく我らが会長殿であって、とにかく僕のことを独り占めにせんと他の女性陣をマジに排除する意思を隠さずに何かとあからさまな敵意に満ちた言動を繰り出すものだからむしろ残りのメンバーの結束を生み、これまで様子見に徹していた委員長までもが本格的に参戦してきて、狭い部屋の中で肝心の僕の意向を無視したままで、辛辣な女のバトルをくり返していく始末であった。
これからの数十日もの間このような状態が続いていけば、ストレスのあまり若ハゲになるか胃に穴が空くかはもはや確実かとも思われた。
しかしいまだ僕には、格好の逃げ場があったのである。
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
「……むう。せっかくの夏休みというのに、こうも毎日のように学園に来なくてもいいじゃないの?」
いかにも不満げにこぼしながら一緒に並んで校門をくぐり抜けていく、上級生の少女。
いやいや、生徒会長さん。むしろあなたが来なければ話にならないのですよ。
ああ、生徒会と部活を掛け持ちしていて、本当によかった♡
いかに夏休みとはいえ数十日もの間学園が完全に閉鎖されているわけでもなく、体育会系文化系を問わず部活はむしろ休暇中だからこそ活発に行われており、その他補習授業やボランティア活動等もあって、校舎内やグランドのあちこちで結構生徒の姿が目にできた。
これは実は生徒会についても同様なのであって、何と言っても二学期には年中行事における最大のイベントである学園祭が控えているわけであり、夏休み早々のこの時点ですでに、基本的な進行計画や各方面への連絡調整等の細々とした下準備を行う必要があったのだ。
ただしいまだ本格的な作業に入っているわけではなく、部活等を掛け持っている役員はそちらを優先することが許されており、僕自身も全員が集合する必要がある場合にのみ参加する方針をとることによって極力会長と二人っきりなることを避け、更には部活動を行っておらず何よりも会の代表者である彼女を生徒会室に拘束し続けることができるという、一石二鳥の状況となっていた。
しかも一度文芸部室に逃げ込んでしまえば原則的に部外者は入ってくることはできず、ラクロス部だかテニス部だかの自身の部活動に従事しているアズサや委員長はもちろん、なぜだか取り立てて用もないくせに何かと高等部校舎に顔を出してくるサユリや泉水先生たちの奇襲をも振り切り、辰巳部長と二人っきりでじっくりとSF談義に花を咲かせることすら可能なのであった。
「──ったく。世界有数の観光地のど真ん中にいるというのに、夏休みまで学園に通いづめになろうとは。一応私も未来から来た観光客みたいなものなんだから、父親かつ地元民の義務としてどこかに連れて行きなさいよう!」
相変わらずの膨れっ面で僕のほうをにらみつけてくる、黒曜石の瞳。
まさにそのとき市街地を取り囲む山あいから吹き下ろしてきたさわやかな風が、少女の黒絹の長い髪を涼やかに揺らしていった。
だからといって、この地方都市が山の中のど田舎だというわけではない。確かに神社仏閣を始めとして国宝級に古びた建築物も多いが、だからこそ一年を通して海外からも多数の観光客が訪れているのであり、そのため商業施設や交通網も十分に整備されており、極狭い範囲に利便性の高い最先端の市街地と昔ながらの豊かな自然や文化遺産とが混在しているという、我が国においても独特の都市景観を構築していた。
また、こここそは首都東京とはまた違う意味での世界有数の学芸都市でもあって、特に我が今出川大学及び各付属校は旧帝城の真正面という立地もあり、まさしくこの地における中心的存在と目されていて、畿内においても全国規模においても著名な財界人や文化人等を数多く輩出してきたのだ。
ちなみに現在における我が国のSF小説界の第一人者である某作家もまさにこの大学の出身者なのであり、実はそれこそが僕が無理して奨学生制度を利用してまで、この学園に通っている理由の一つなのであった。
国内でも最も伝統のあるカトリック系の学び舎らしく、礼拝堂を始めとして大学のキャンパスから付属の中高等部の校舎に至るまですべてが古びているものの趣のある総煉瓦造りとなっており、広大な敷地内を歩き続けていればいつしか、遠い昔の異国の街並みにでもタイムスリップしたかのような錯覚を感じるほどであった。
「……これほどまでに歴史と権威のある名門校の生徒会長を仰せつかっているのだから、もっと自覚と責任を持って職務に当たっていただきたいものですな。会長殿?」
「それはお母さんのことでしょう⁉ 職務職務って気軽に言うけど生徒会室で副会長(♀)と二人っきりのとき、どんなに気まずい思いをしているかわかっているの? ふと振り向けば妙に潤んだ目つきで見つめていたりして。いったい何なのよ、あの子って⁉」
あー。確か副会長こそが会長の隠れファンクラブの会長じゃないかって、もっぱらの噂だよな。最近こいつが僕ばかりにまとわりついているものだから、熱狂的信奉者としてある種の(理解しがたい)危機感を募らせているんじゃないのか?
……しかし会長のファンクラブの会長が実は副会長って、なんかややこしいな。
「くっ。できるだけ二人っきりで過ごして夏休み中にお父さんの貞操をいただこうと企んでいたのに、まさか自分のほうが貞操の危機に陥るとは、とんだ誤算だわ!」
企むな、そんなこと。
「まあ、あれだ。もうしばらくすれば生徒会の作業のほうも軌道に乗ると思うから、それからだったらどこにでも連れて行ってやるよ。ここは近場に観光地も娯楽施設も商業地もよりどりみどりに密集しているしな」
「──えっ。どういう風の吹き回しなの⁉ ついに貞操を捨てる覚悟ができたというわけ?」
僕の思わぬ申し出に、目を丸くして振り向く上級生。
……つうか。若い娘さんがおおっぴらに、貞操貞操言うんじゃないよ。
「いや、今のおまえの様子を見ていると、純粋にどこかに連れて行ってもらいたがっているって感じだからな。それに何を企んでいようが、観光地や歓楽地ではめったなこともできないだろうし。そんなふうにあくまでも父親と娘としての関係にのっとって行動するつもりなら、二人っきりで狭い部屋に籠っておかしなまねをされるよりも遥かに健康的だし。むしろこちらとしても願ったり叶ったりというわけなんだよ」
「あ、でも、一応私って外見はお母さんそのものなんだから、それこそこんな狭い市内を連れ立ってうろついていたら、変に噂になってしまうんじゃないの?」
「何を今さら。お陰様で僕らのことなんて、とっくに噂になっているよ。まさか魂的には父と娘の関係にあるなんて、いちいち説明するわけにもいかないしな。今となっては健全な学生同士の付き合いを行っているだけだと開き直ったほうがましなくらいさ。むしろ問題なのはおまえの最近の行動に刺激を受けて、『あの人』が暴走し始めたことのほうだよ」
そう言って僕が指し示した先にはいつからそこにいたのか、立ち木に半身を隠しながら瞳を涙に潤ませている、二十代前半の淡いブルーのタイトミニ姿の女性が一人。
「──って。泉水先生⁉ ……ああ、さすがに街中で女教師が男子生徒にまとわりついているのを見られたりしたら、何かとまずいわよね。でもどうしてこの学園の教師陣とか経営陣は、これまで何も言ってこなかったんだろう?」
「それが彼女の家系って、教育界とか政財界に強力なコネがあるらしくてね。ここの理事長でもおいそれと注意できないらしいんだ」
「へ。何でそんなお嬢様がお父さんなんかに言い寄ってくるわけなの? お母さんのことといい、本当に『令嬢殺し』のフェロモンでも持っていたりして?」
誰が令嬢殺しだ。どこぞのおフランスな出版社でもあるまいし。
「その、なんだ。去年彼女がこの学園に教育実習に来たときに何か失敗をやらかしたみたいで、たまたま非常口の階段で泣いているところに出くわしたんだけど、見るに見かねてちょっと励ますような言葉を二、三かけただけなのに妙に感謝されてしまって、普通実習に来た学園に配属されることなんてないらしいのにコネを使って強引に押しかけてきて、以来何かと僕に接してくるようになったというわけなんだ」
「……お父さんたら、ほんと人が困っていると黙っていられないんだから。そりゃあ彼女だって感激するでしょうよ。今どき泣いている教師なんかを見つけた日には、教え子がスマホで写メを撮ってネットにばらまいて社会的生命を葬り去りかねない御時世なのよ。そうか、これまでもこうして他の女の子たちに対してもフラグを立ててきたわけね。さすがはリアルギャルゲ王。そういえばお母さんにお父さんとの馴れ初めを聞いたときも、生徒会長としての最初の仕事の締め切り間際に取り返しのつかないミスをしていたことに気がついたけど、あくまでも自分のせいだから誰にも頼れずに一人でやり直しの作業をしていたときに、お父さんが何も言わずに手伝ってくれたって、何度もうれしそうに語っていたっけ」
……そういえば、そういうこともあったよな。
つうか。令嬢殺しのお次は、リアルギャルゲ王かよ⁉
「とにかくそういうわけであって、おまえと二人でどこに行こうが何も問題はないんだ。まあせいぜい当分は余計なことを考えず生徒会の業務に集中して、一日も早く暇を作るんだな」
「うんっ。わかった!」
そう言うやこれまでの不満ぶりが嘘であったかのように満面に笑みをたたえながら、あたかも脱兎のごとくに走り去っていく上級生。
「……やれやれ。まったく現金なやつだよなあ」
ほとほとあきれ果て大きくため息をつくや、僕も文化系部室棟を目指して踵を返す。
いまだに自分のほうを恨めしげに見つめ続けている、妙齢の女性の視線に気づかぬふりをしながら。
このたびは『時間SF=ギャルゲ⁉』をキャッチフレーズとする、これぞタイムトラベル物の革命作にしてアンチSF小説の急先鋒、『僕の可愛い娘たち』第三章第一話をお読みいただき、誠にありがとうございます。
この作品は『第六回ネット小説大賞』応募記念新作長編三シリーズ日替わり連続投稿企画の第二弾作品でありますゆえに、次話投稿の前に他の二シリーズ──第一弾の『ツンデレお嬢様とヤンデレ巫女様と犬の僕』と第三弾の『最も不幸な少女の、最も幸福な物語』のそれぞれの最新話の投稿が間に挟まれることになるので、次回第三章第二話の投稿は三日後の2月13日20時ということになります。
少々間は空きますが、お待ちになられてけしてご損はさせませんので、どうぞご期待ください。
なお、ご閲覧をお忘れにならないように、ブックマーク等の設定をお勧めいたします。
もしくは皆様のご要望が多ければ、この作品単独での『毎日投稿』も考慮いたしますので、そのようなご意見やご感想等がおありでしたら、ふるってお寄せください。
次話の内容のほうにちらっと触れておきますと、「いいかい、君がまず疑問に思うべきなのは、もしかしたらこの現実世界そのものが、SF小説やライトノベルであるかも知れないということなのだよ?」「それを言っちゃおしまいでしょうが⁉ たとえWeb小説だろうが、安易なメタは御法度ですよ!」──てな感じで、またしても881374お得意の『蘊蓄コーナー』回となっておりまして、しかも今回は作者が更に暴走して、よりによってメタ路線に走ってしまっておりますが……大丈夫です! これはこれで『ラノベの皮を被った超革新的時間SF小説』としては間違っておらず、絶対に期待は裏切りませんから!
ちなみに明日2月11日20時にはもはやおなじみの、量子論と集合的無意識論とで『後期クイーン問題』を解き明かす、まったく新しいSF的ミステリィ小説『最も不幸な少女の、最も幸福な物語』の第二章第三話を投稿する予定でおりますが、これまた具体的な内容に少々触れておきますと、「作中作とはいえ相変わらずやりたい放題の881374で、またしても舞台が『賭け将棋』の会場から『不法カジノ』へと突然ワープ? 前回が『りゅうおうのおしごと!』なら今回は『観用少女』ってか⁉ むしろこれで長編新シリーズ一本いけるかも? つうか、ロリロリ路線の連続は作者の個人的趣味なのか?」──てな感じとなっております。
……作者自身、「本当にこんな展開でいいのだろうか?」と、思わずうなり声を上げそうになっておりますが……大丈夫です! これはこれで『ラノベの皮を被った超本格的量子論SF的ミステリィ小説』としては間違っておらず、絶対に期待は裏切りませんから!
もちろん何よりも肝心な『面白さ』に関しても、本作『僕の可愛い娘たち』に勝るとも劣らないと自負しておりますので、こちらのほうもどうぞよろしくお願いいたします!