第二章、その一
二、日常。
「……だからって、これはないだろう」
そのとき僕は築十八年の極ありふれた二階建ての建て売り住宅の玄関先で、ため息まじりにつぶやいた。
「──まあ、ユカリさんたら。いつもいつもすみませんねえ」
「いえいえ、お母様。こちらこそ休日のたびに何度もお邪魔いたしまして、申し訳ございません」
「お邪魔だなんて、とんでもない。山王家のお嬢様なら、いつでも大歓迎ですよう。それにしてもよく私の大好物を御存じでしたねえ。先週の寅屋さんの芋羊羹に続いて、何と今日は大和屋さんの塩大福ですかあ♡」
「うふふふふ。そりゃあもう、おばあちゃんの和菓子好きは昔から──あ、いえ。何でもありません」
我が家の三和土でかれこれ二十分以上もさも親しげに歓談し続けている、清楚な花柄のワンピース姿の美少女と、フリフリのエプロンドレスを小柄な肢体にまとった………女の子?
いやまあ、セミロングのふわふわ巻き毛にくりくりおめめのフランス人形そのものの童顔にフリルやレースに飾り立てられた百四十センチほどの矮躯という、いかにも小動物チックな有り様は、一見中学生か小学生あたりにしか見えないけれど、何と彼女こそが僕の実の母親なのであり、その名も赤坂ロリ──もとい、赤坂ロミ(三十七歳)なのであった。
しかしいったい何なんだ、この二人の有り様は。これではもはや生徒会長とその後輩の母親というよりも、仲のいい嫁と姑か本物の母娘といった親密さではないか。
そうなのである。我が学園の誇る生粋のお嬢様生徒会長山王ユカリにして自称僕の未来の娘である赤坂ヒカリは、とうとう自宅にまで押し掛けてくるようになったのだ。
この個人情報保護時代にクラスはもちろん学年すら違う僕の住所をどうやって知ったのかと問いつめれば、「当然でしょ? ここは私にとってはおじいちゃんとおばあちゃんの家なんだから。小さい頃から何度も来たことがあるもの」などと、またしても得意の邪気眼妄想設定を御披露なされる始末であった。
どうせこいつのことだ、無駄にハイスペックな頭脳と行動力をストーカースキルに活用して、下校時に僕を尾行したか学園の人事データでもハッキングしたかのどちらかであろう。
しかも一応こいつは外面的には現職の生徒会長であり、我が街きっての名家のお嬢様なのである。ストーカーの被害に遭うことはあってもその実行犯だと疑われることはなく、こうして文字通りに孫娘が祖母に取り入るようにしてすっかり僕の母親のお気に入りとなってしまい我が家への侵入を易々と果たし、今現在はというと僕の自室にて我が物顔でスカートの裾が乱れるのも気にすることなくベッドの上で足を投げ出し寝そべって、本棚の奥に隠していたマニアックな漫画本なんかを引っ張り出して読みふけっているのであった。
「くふふふふ。やはりお父さんの漫画の趣味って少々変わっているけど、そこがいいのよねえ。通好みというか、際物好みというか。そのせいで娘の私にはなかなか読ませてくれなくてくやしかったんだけど、やっと念願が叶ってうれしいわ♡」
うるさい。僕だって実の娘には見せたくないよ、そんな本!
もちろん本来なら学園の先輩で良家のお嬢様なんかにも見せたくはなかったんだけど、もはや僕の『娘』であることを公言することによって完全に開き直ってしまっている現在のこいつの電波な有り様だったら、カルトな漫画どころか秘蔵の厳選エロ本やDVDすらも見られたって構わないような気がしてくるよ。
「──ところでお父さん。健康なる男子高校生必携の『夜のお供』方面のコレクションは、やはりこの下あたりに隠しているのかしら?」
そう言うやニヤリとほくそ笑みながら、いきなりベッドの下に手を突っ込むお嬢様。
「やめてやめて、それだけはやめてえ! やはり電波だろうがストーカーだろうが、同世代の女の子にマイフェイバリット・アイテムを見られるのは嫌あ!」
矢も盾もたまらずに華奢な肢体へと飛びかかり、勢いあまってベッドに押し倒す。
…………………………………………………………って、あれ? この状況って。
「ふふふふふ。そういえばそうよね。お父さんにはその手の写真集とかDVDとかは必要ないわよね。何せここに『実物』がいるんですもの」
はい?
「ねえ。お父さんって、生で女の子の裸を見たことはあるの?」
「へ。な、生って……」
僕の身体のすぐ下で、妖しく煌めく黒曜石の瞳。
「何なら今から、見せてあげましょうか?」
これ見よがしに舌なめずりをくり返す、深紅の唇。
そ、それって──。
当惑する僕を尻目におもむろに外されていく、ワンピースの胸元のボタン。徐々にあらわになっていく、水色のブラジャーに包まれた思いの外豊かな膨らみ。
あまりの事態の急展開になすすべもなく完全に固まってしまっていた、その刹那であった。
「──ヒロ、いるんでしょ? 入るわよ!」
こ、この声は、まさか⁉
こちらの返事を待つこともなく乱暴に開け放たれた戸口に立ちはだかっていたのは、部活帰りなのか休日というのに例のギャル服にすら見える改造済み制服で健康的な小麦色のスレンダーな肢体を包み込んだショートカットの茶髪の少女と、ほっそりとした色白の体躯に校則通りの標準的な制服をまとった烏の濡れ羽色の三つ編みに縁無し眼鏡の少女であった。
「……アズサ。それに委員長まで」
「またいらっしゃっていたんですか、山王先輩」
そう言うや何の遠慮もなくずかずかと、僕たちのいるベッドへと迫り来る幼なじみ。
「何ベッドの上なんかでヒロにひっついているんです。とっとと離れてください!」
「べえーだ。別に構わないじゃないの。私は未来から来たこの人の娘なんだから」
突然の闖入者に臆することなぞなく、慌てて身を起こした僕へとわざとらしく抱きついてくるお嬢様。……おいおい。これ以上アズサのやつを刺激しないでくれよ。
「何が未来の娘よ、馬鹿馬鹿しい。いい歳して中二病でもあるまいし!」
「ええと、あなたは確かお父さんの単なるクラスメイトの、姫岡アズサさんだったかな? 何であなたなんかに、私たちのことをとやかく言う権利があるわけなの?」
「当然です! 私とヒロは生まれながらに家が隣同士の、生粋の幼なじみなんだから!」
「家が隣同士とか生粋の幼なじみとか、それがどうしたというわけ? 結局のところはその程度の関係でしかないくせに、娘と父親の間に割って入れるとでも思っているの?」
「──なっ。ちょっとあなた。さっきから娘娘って、本当に頭が変になってしまったんじゃないでしょうね? ヒロからもちゃんと言いなさいよ、あなたなんかは迷惑だって!」
とたんに僕へと突き付けられる、並々ならぬ眼光を秘めた二対の視線。
「あ、いや。僕としては、そのう……」
「な、何よ! そんな中二病女にちょっと言い寄られたからって、デレデレしちゃって。もう知らない!」
どっちつかずな僕の態度に業を煮やしたかのように、わずかに瞳をうるませながら踵を返して駆け出していく幼なじみの少女。
「あ、アズサ⁉」
思わず追いかけようとベッドから立ち上がればすかさず行く手を遮るように立ちふさがる、純白のブラウスとネイビーブルーのプリーツスカートという夏制服に包まれた細身の肢体。
縁無し眼鏡の奥でどこか皮肉げな笑みを浮かべている、茶褐色の瞳。
「……委員長」
「うふふふふ。休日の真っ昼間から幼なじみとお嬢様上級生の板挟みになってガチの修羅場を展開するなんて、我が学園の誇る一級フラグ建築士としての面目躍如ってところよね。さすがはリアルギャルゲ王! いよっ、この女泣かせ!」
わざとらしくいかにもほめ殺しを装いつつ、面と向かって辛辣な言葉を突き付けてくる幼なじみの親友殿。……もうその辺で勘弁してください。
「まあ、一概に赤坂君のせいってばかりじゃないことはわかっているからこれ以上あれこれ言うつもりはないけど、これまでみたいにただ状況に流されるままではなく、少しは自分自身の意思くらいははっきりとさせてもらいたいところよね。私がアズサのことをフォローするのにも限界があるんですからね。そこのところ、どうぞくれぐれもお忘れなく」
そう言うや親友の後を追うようにして部屋から立ち去っていく、クラス随一の優等生。
……いったい何だって言うんだ。人のことを一級フラグ建築士だのリアルギャルゲ王だの女泣かせだのと好き放題言いやがって。別に僕だって好きこのんでこんな異常な状況に甘んじているわけじゃない。すべては突然頭がいかれた女につきまとわれてしまったせいなんだ。
憤懣やる方なく胸中で毒づきながら『元凶』の少女のほうへと振り向けば、むしろそこには怒りに満ちた冷ややかなる双眸が僕のほうを睨みつけていた。
「残念だったわね、お父さん。あの委員長さんと二人っきりになって、キスできなくて」
なっ。おまえ、どうしてそれを⁉
「『怒って部屋から飛び出していく幼なじみの少女。あとに残されたのは僕たち二人だけ。しばしの沈黙のあとで気がつけば、いつしか間近にまで迫っていた桃花の唇。不意の口づけ。それはいつも通りに、彼女のほうからであった。そう、僕らは二人だけの秘密を共有していたのだ。でもそれは幼なじみに対する裏切りなんかではなかった。彼女はけして二人だけで僕と会おうとはせず、その他にも自ら積極的なアプローチをしてくることなぞなかったのだ。それでも幼なじみとともに僕の部屋を訪れたときには、親友が席を外した際などに何度も交わされた秘密の口づけ。それは彼女の単なる悪戯心のなせる業だったのであろうか。それともやはり僕に対して何らかの想いを秘めているのであろうか……』」
少女の深紅の唇から滔々と紡ぎ出されていく、あたかも物語の一節であるかのような意味深な言葉の羅列。
それはまさしく僕が委員長に対して抱き続けてきた、心情そのものであったのだ。
……まさか未来人には、読心能力があるとでも言うのかよ⁉
「どうしたの、お父さん。お顔が真っ青よ?」
「……おまえ……いったい……」
「ふふっ。その様子じゃどうやら図星のようね。ほんと、この時代に来てみてびっくりしちゃった。人間関係なんて、ほとんど同じなんですもの。──『あの本』と」
「へ? あの本って……」
ほとほとあきれ果てたかのように笑みすら浮かべる少女の唇から発せられた、更なる意味不明な言葉に面食らう、他称『お父さん』。
「決まっているでしょ? 『僕の可愛い娘たち』よ。希代のSF作家である赤坂ヒロキの、デビュー作にして最大のヒットシリーズじゃない」
「ちょっ。それってまさか──」
あまりに突拍子のない言葉に完全に我を忘れてしまって口ごもる僕に対して、そのとき未来から来たと自称する少女はいかにも当然のことであるかのように、あっさりと言い放った。
「そう。近い将来お父さんは長年の念願が叶って、小説家としてデビューするの」
このたびは『時間SF=ギャルゲ⁉』をキャッチフレーズとする、これぞタイムトラベル物の革命作にしてアンチSF小説の急先鋒、『僕の可愛い娘たち』第二章第一話をお読みいただき、誠にありがとうございます。
この作品は『第六回ネット小説大賞』応募記念新作長編三シリーズ日替わり連続投稿企画の第二弾作品でありますゆえに、次話投稿の前に他の二シリーズ──第一弾の『ツンデレお嬢様とヤンデレ巫女様と犬の僕』と第三弾の『最も不幸な少女の、最も幸福な物語』のそれぞれの最新話の投稿が間に挟まれることになるので、次回第二章第二話の投稿は三日後の2月4日20時ということになります。
少々間は空きますが、お待ちになられてけしてご損はさせませんので、どうぞご期待ください。
なお、ご閲覧をお忘れにならないように、ブックマーク等の設定をお勧めいたします。
もしくは皆様のご要望が多ければ、この作品単独での『毎日投稿』も考慮いたしますので、そのようなご意見やご感想等がおありでしたら、ふるってお寄せください。
次話の内容のほうにちらっと触れておきますと、「矛盾のないSF小説を書くためには、まずはSFの流儀そのものを否定すべきなのさ」「何せ時間跳躍などというSF小説みたいなことは、あくまでもSF小説の中でしか起こり得ないのだからね」「彼女は未来ではなく、未来みたいな平行世界から来ているんだ」──てな感じで、まさしく881374お得意の『蘊蓄コーナー』回となっております。
とはいえ、次回初登場のこれらの蘊蓄の『語り手』を担当される文芸部長さんときたら、この美人や美少女ばかりの学園ハーレムラブコメにあっても、これまでにない知的で大人びたボーイッシュな美人さんでありますゆえに、どうぞご期待ください♡
ちなみに明日2月2日20時にはもはやおなじみの、量子論と集合的無意識論とで『後期クイーン問題』を解き明かす、まったく新しいSF的ミステリィ小説『最も不幸な少女の、最も幸福な物語』の第一章第二話を投稿する予定でおりますが、これまた具体的な内容に少々触れておきますと、「美少女JSヒロインを苛む『周囲の人間の不幸な未来しか予知できない呪われた力』の謎を解く鍵は、何と量子論と集合的無意識にあり⁉ まずは量子物理学における永遠の未解決定理『シュレディンガーの猫』問題をあっさりと解決するとともに、返す刀で『未来予知』の現実的実現可能性をも論理的に実証成功!」──といったふうに、こちらのほうも(前回第一章第一話に引き続いて)『蘊蓄コーナー』回となっており、これまでの小説等の創作物の世界は言うに及ばず、物理学や数学等の現実の学会においても未解決だった各種問題をあっさりと解決してしまうという、私のような素人作家の著作としては信じられないような快挙を達成しております。
もちろん何よりも肝心な『面白さ』に関しても、本作『僕の可愛い娘たち』に勝るとも劣らないと自負しておりますので、こちらのほうもどうぞよろしくお願いいたします!