第六章、その一
六、真実。
気がついたら僕は、病院のベッドの上に横たわっていた。
付き添っていた母親が涙ながらに語ってくれたところによると、あれからすでに三日もたっており、意識不明の重体だった僕はずっと生死の境をさまよっていたらしい。
一応泉水先生やアズサたちのほうもこの病院で治療を受けたそうだが、入院するまでもなく簡単な処置だけで事無きを得たという。
ただしいまだに事件当日の記憶はあいまいのままらしく、あの日何が起こったのかはもちろんなぜ自分たちがその場にいたのかさえも、まったく覚えていないとのことであった。
そう。あたかも自らを未来人と名乗っていたときの記憶を、すべて失ったかのように。
結局肝心かなめの被害者である僕自身もあえて支離滅裂な証言に徹したことや先生の実家が強硬に圧力をかけてきたこともあり、事件自体があやふやなままで棚上げされてしまい、先生やアズサたちが特に罪に問われるようなことはなかった。
僕の入院中にも彼女たちは代わる代わる見舞いに来てくれたのだが、全員例外なく絆創膏や包帯だらけの痛々しい姿のままであり僕に対して何となく申し訳なさそうにはしていたものの、未来の娘などと自称していたことが嘘であったかのように、親しい中にもそれぞれの立場に応じて一定の距離を保った、極ありきたりの人間関係へと戻ってしまっていた。
ちなみに我が敬愛する文芸部部長の辰巳エリカ嬢も一度だけお目見えなされたのであるが、「いやあ、さすがはリアルギャルゲ王だね。まさか本当に女性同士の修羅場で刃傷沙汰を起こすとは」と感心されるわ呆れられるわで、身の置き所がなかったのは苦い思い出であった。
そして山王生徒会長だけは、退院するまで一度たりとて、姿を現さなかったのである。
「……結局すべては、彼女たちの邪気眼妄想に過ぎなかったのかも知れないな」
事件当日から十日ほどたちようやく退院を許され家へと戻った、夏休み最終日の深夜。僕は自室のベッドの上に横たわりながら、ため息まじりにつぶやいた。
何せ未来人とか時間跳躍とか精神体型タイムマシンとかいかにももっともらしいことを言ったところで、あくまでもそれは彼女たちの自己申告のみの『精神体の憑依』に過ぎないのであり、実際には未来人である物的証拠を何一つ見せられたことはなかったのだ。
それともひょっとして分岐点とやらが、僕が彼女たちの中から相手を選べずにいるうちに固定してしまって、その結果彼女たちの身のうちから僕の『娘』の魂が、その分岐世界もろとも消え去ってしまったというわけなのだろうか。
まあいいや。何せ前世とか来世などといった邪気眼妄想に夢中になるのも、思春期の女の子ならではの流行り病みたいなものだからな。悪い夢でも見ていたと思って、さっさと忘れてしまうことにするか。
「……しかし、こうして自分のことをあんなに熱烈に求めていた『娘』たちがいっぺんに消えてしまったりしたら、それはそれで一抹の寂しささえも感じてしまうものだよなあ」
そんな益体もないことを言いながら布団を頭からかぶろうとした、その刹那であった。
「──大丈夫よ、お父さん。来年の夏にこの世に生まれてからはずっと、私たちはお父さんと一緒に暮らていくんだから♡」
唐突に目と鼻の先から聞こえてきた少女の声に思わず身を起こせば、いつの間にかベッドの上には包帯だらけながらも端整な顔に妖艶な笑みを浮かべている、同級生の幼なじみと委員長の姿があった。
「……おまえら、何でこんな時間に。しかもよりによって二人一緒だなんて。つうか、そもそもどうやって家の中に入ってきたんだよ⁉」
「もちろん、毎度お馴染みのベランダ伝いよ」「右に同じ」
いかにも当たり前のように言っているけど、それはたとえ親しい仲だろうと日中に互いの了承のもとに行われる場合のみに許されるのであって、こんな夜更けに家族のほとんどが寝静まっているときに行えば立派な不法侵入だろうが⁉
「ていうか、結局のところ邪気眼だったのか本物だったのかは知らないけれど、もう未来人の精神体のほうは消滅したんじゃなかったのかよ⁉」
思わぬ事態に面食らいながらもまくし立てれば、満面に笑みをたたえる少女たち。
「私たち気がついたの。争い合って生き残る確率を何分の一かにするよりも、『娘』たちの誰もが未来において100%存在できる方法があることを」
……それって、まさか⁉
「「そう。お父さんが私たちのお母さん全員と、結ばれればいいことを!」」
「──なっ。馬鹿なことを言うんじゃないよ。ただでさえ高校生が妊娠騒ぎなんかを起こしたりしたら大事になるというのに、その上更に二股なんてできるかよ⁉」
「そんなの知ったことじゃないわ。何せあなたとお母さんが結ばれないことには、私たちは存在し得ないのですからね。まあそのあとの御苦労のほうは、よろしくお願いするわ」
「さあ。いつまでも往生際の悪いことなんて言ってないで、あとがつかえていることだしさっさと始めましょう」
「あとがつかえているって…………なっ⁉」
アズサたちの視線を追って振り向けば、何と部屋の入口にはサユリや泉水先生までもが、まるで人気アーティストのコンサート会場前で開演待ちでもしているかのように、文庫本やスマホを片手にたたずんでいた。
「あいつらまで来ていたのかよ⁉」
「当然でしょ。これはあなたの『娘』の精神体を宿している者全員の問題ですもの」
「何せ肝心のお父さんが分岐点よりも以前に生命の危機に瀕したりしたら、必然的にすべての分岐世界は消滅してしまうわけなんだから、誰が選択されるかどうかで争っている場合じゃないことに気がついたわけなのよ」
「そこで『娘』たち全員で話し合って、何よりも自分たちの存在の確実性とお父さんの身の安全とを両立させるために、あなたのことをみんなで共有することに決定したって次第なの」
みんなで共有するって。おいおい、僕は種馬でも愛玩動物でもないんだぞ⁉
あまりの事態の急展開にすっかり言葉を失ってしまった僕に対して蠱惑の笑みを浮かべながらささやきかけてくる、幼なじみにして僕の未来の娘殿。
「さあ。これから朝までじっくりと子作りを──いえ、私たちづくりをいたしましょう。ねえ、お父さん♡」
そう言うやゆっくりと近づいてくる、薄紅色の唇。
くそう。ここで騒ぎ立てたり力ずくで抵抗したところで、僕たちの関係を他人に知られてしまうだけだ。むしろこいつらにとっては望むところだろう。
つまりはたとえ『ハーレムエンド』と言ったところで時と場合によっては、むしろ『バッドエンド』にもなり得るということなのかよ⁉
絶体絶命の大ピンチの中で僕が現実逃避すらし始めていた、まさにそのときであった。
「──まんまとかかってくれたわね。ヒロおじ様の『未来の娘』の皆様方?」
唐突に鳴り響いた聞き覚えのある少女の声とともに入口から吹き込んでくる、何だか香しい匂いを伴った極小規模の突風。
「きゃあっ!」
「あれえっ!」
「ひえっ!」
「まさか、これは──」
「「「「麝香撫子の香り⁉」」」」
謎の叫び声をあげるや一斉にベッドや床へと倒れ伏していく、四人の『娘』たち。
「ま、まさか、毒ガス⁉」
慌てて窓に飛びつきガラス戸を開け放てば夏の終わりの涼風が、元々かすかだった謎の香りをまたたく間に消し去っていく。
「大丈夫よ、お父さん。未来人以外には基本的に無害な、ただの花の香りだから」
「へ? 花の香りって……」
思わず振り向けばそこにいたのは、左手でハンカチのようなものを口元に押し当てて右手には何やらやけに巨大なスプレー缶のようなものを携えている、涼しげな純白のワンピースに華奢な肢体を包み込み艶めく黒髪と日本人形そのままの端整なる小顔も麗しい、お馴染みの上級生の少女であった。
これまでになく不敵な笑みに煌めいている、黒曜石の瞳。
「か、会長⁉ 何でおまえがこんな真夜中に僕の家にいるんだ?」
「うふふふふ。まさに今日という日に備えて、この家の合い鍵を用意していたってわけなの」
そう言いながらポケットから真鍮製の鍵を取り出す、正真正銘本物の不法侵入者。
……なぜに僕の未来の娘は揃いも揃って、遵法意識が低いのだろう。やはり親の教育が悪かったせいなのだろうか?
「つうか、おまえ今いったい何をやったんだよ? 死んではいないようだけど、四人とも全員見事に意識を失わさせたりして。何か未来ならではの便利な道具でも使ったわけなのか⁉」
だったら最初からネコミミでもつけて登場すれば、その分萌え度が上がったのに。……いや。あのお方も猫型だけど耳はついていなかったっけ。
「このスプレー缶の中には『麝香撫子』──つまり、カーネーションの芳香が詰め込まれているの」
「はあ? カーネーションって、あの母の日とかに送るやつのことか?」
まさかこいつら本当は娘ではなくて、未来のお母さんだったとか?
「私たちタイムトラベラーはあらかじめ時間管理局によって暗示を施されていて、麝香撫子の香りを嗅いでしまうと精神体が憑坐から離脱して、自動的に未来に帰ってしまうようになっているのよ。おそらくはカーネーションと生まれ変わりや霊魂再来を意味する『リーインカーネーション』とをかけているのでしょうね。ある意味『精神体型タイムマシン』の制御アイテムとしては似つかわしいとも言えるでしょう。実はこれこそがまさに唯一の未来へと帰るための方法なんだけど、万が一何かの拍子に麝香撫子の香りを嗅いでしまったために未来へ強制送還されてはまずいから、よほど濃厚な匂いを一度に嗅がなければ効果がないようにされているわけなの」
「……それにしては今の一撃は効き目が絶大だったようだし、そうかと思えばもはやまったく匂い一つしなくなっているし、同じ未来人であるはずのおまえ自身は何の影響も受けていないみたいだし、何だかいかにも御都合主義的に感じられるのは、僕の気のせいなのか?」
「うふふふふ。実はこのスプレーは山王家の財力と権力に物を言わせて作らせた特注品なの。技術的限界まで濃縮還元した高濃度の芳香を高い指向性と圧力とでもって大量に噴射するから、狙った標的に対する効果のほどは絶大だけど、大気に触れれば程なく効果を失わせるように改良してあるから、使用者を含め対象外に対する影響はほとんどないように抑えられるというわけよ。それにこのハンカチには強力な気付け薬と消臭剤をしみ込ませていることだし、少々芳香を嗅いだところで問題はないの」
くっ。金と権力を持ち出されると論理的にはかなり無茶苦茶なことを言ってるというのに、反論しづらいのはなぜなのだろうか?
「そんなことはもうどうだっていいじゃない。やっと邪魔者たちをすべて排除することができたんだから、これから二人っきりでじっくりと、『子作り』をすることにいたしましょう♡」
そう言うやいまだベッドの上に座り込んでいた僕へとしなだれかかってくる、お嬢様上級生。
「ちょっ、子作りって⁉ いや、そんなことよりも。邪魔者を排除できたっていうことは、おまえ元々こうすることを狙っていて、告白同盟のやつらとはあえて別行動を取っていたってわけなのかよ⁉」
そのとたん笑顔の仮面をはぎ取り、これまでになく冷徹な表情へと一変する少女。
「そうよ。あえてフライング気味にこの時代に来て、いまだ分岐点より以前の時点でいろいろと選択肢定数をいじくって変動を促せば、その異変に気づいた他の『娘』たちが必ず現れるとは思っていたけど、まさかこれほどまでに期待通りに引っかかってくれるなんてね」
「お、おまえいったい何者なんだよ⁉ 告白同盟のやつらのほうはおまえのことなんて全然相手にしていなかったから、てっきり本物の未来人ではなくただの妄想癖とでも思っていたのに、むしろこいつらのほうを赤児の手をひねるかのようにしてあっさりと全員の精神体を未来へと強制送還してしまうし。まさか未来人よりももっととんでもない存在だとか言うんじゃないだろうな⁉」
たとえば大宇宙統合なんとかとか、世界そのものを好き放題改変できるどこかの神様少女もどきとか。
「ふふふふふ。本当は現代人であるあなたにとっては、たとえ私が本物の未来人であろうが単なる妄想癖であろうが何か神様みたいな存在であろうが、別に変わりはしないの。なぜなら未来はあくまでも、これから生み出されていくものなのだから。言わばこうして私とあなたがこの時代に一緒にいるのは、すべての帰結でもありすべての出発点でもあるわけなのよ。さあ。そんなことよりも早く、私と──お母さんと結ばれましょう。それこそが真に正しい未来を実現し得る、唯一の方法なのだから」
そう言って僕の両頬へと白魚のごとき十指を絡みつけてくる、年上の『娘』。
「ちょ、ちょっと待ってよ。何だよ、本物の未来人であろうが単なる妄想癖であろうが変わらないとか未来はこれから生み出されていくものとかすべての帰結でもありすべての出発点でもあるとかって、まるで辰巳部長みたいなわけのわからないことばかり言い出しやがって。まさかおまえまでもメタSF小説マニアだったりするんじゃないだろうな⁉」
「呼んだかい? 赤坂君──いや。マイダディ♡」
「──うぐっ!」
そのとき耳馴染みのあり過ぎる少女の声とともに入口から飛来してきたお手玉のようなものが、隣にいる上級生の顔面にヒットし何やら香しい粉塵をぶちまけながら破裂した。
あっけなくベッドへとうつぶせに昏倒していく、ワンピースに包まれた華奢なる肢体。
「か、会長⁉──って。まさかこれって、麝香撫子の香りか?」
「御明察。しかも粉末状なので直撃しなければ効果を及ぼさないという、何かと使い勝手がいい優れものさ。 ──まあもっとも、未来人相手にしか使いようがないけどね」
そのいかにも思わせぶりな声音に振り向けばそこにいたのは、フェミニンなサーモンピンクのキャミソールとローライズのジーンズとで女性らしいメリハリのきいた長身を包み込んだ、肩口までの艶めく黒髪と彫りの深く整った小顔の十七、八歳ほどの少女であった。
「……部長」
「やれやれ、不用心なものだね。この真夜中に玄関が開けっぱなしとは。せっかくのピッキングスキルが無駄になったではないか」
玄関が開けっぱなしだったのはあなたの前にもう一人、不法侵入者がいたからですよ。
ちらりと見やれば、もはや会長のほうは微動だにしていなかった。どうやら告白同盟の連中同様、麝香撫子の香りによって魂を未来へと強制送還されてしまったみたいである。
しかし目の前の状況はむしろ、更に予断を許さないものとなっているようであった。
「麝香撫子の香りのことを知っているなんて。部長、あなたはいったい……」
「──実はね、赤坂君。私は君の未来の『娘』であるところの、『赤坂キリカ』なのだよ」
はああああああああああああああああああああああああああああああああああ⁉
このたびは『時間SF=ギャルゲ⁉』をキャッチフレーズとする、これぞタイムトラベル物の革命作にしてアンチSF小説の急先鋒、『僕の可愛い娘たち』第六章第一話をお読みいただき、誠にありがとうございます。
この作品は『第六回ネット小説大賞』応募記念新作長編三シリーズ日替わり連続投稿企画の第二弾作品でありますゆえに、次話投稿の前に他の二シリーズ──第一弾の『ツンデレお嬢様とヤンデレ巫女様と犬の僕』と第三弾の『最も不幸な少女の、最も幸福な物語』のそれぞれの最新話の投稿が間に挟まれることになるので、次回の投稿は三日後の3月12日20時ということになります。
少々間は空きますが、それもこれで最後でございます。
──長らくのご愛読誠にありがとうございました! 次回第六章第二話と最終章(本文丸ごと全部)の二話同時投稿にて、本作『僕の可愛い娘たち』は全編の終了と相成ります!
今や誰が本物の未来人なのかそれとも全員がただの妄想癖なのか、まったく予断を許さない状況にありますが、果たして次回にてすべての真相が明かされ、錯綜しきった数々の問題が見事に解決されるのか、是非とも皆様ご自身の目でお確かめください!
ちなみに明日3月10日20時にはもはやおなじみの、量子論と集合的無意識論とで『後期クイーン問題』を解き明かす、まったく新しいSF的ミステリィ小説『最も不幸な少女の、最も幸福な物語』の第三章第五話を投稿する予定でおりますが、これまた具体的な内容に少々触れておきますと、「実は無限の可能性を秘めていて世界中の誰もがいつでもどこでも何度でもアクセスすることができる、いわゆる『ネット小説』そのものこそが集合的無意識のようなものであるからして、夢を通して人に影響を与えて目が覚めた後の行動を誘導し、何と結果的に小説の内容を現実化することすらも為し得て⁉」──といったふうに、すべての『なろう作家』びっくり仰天の事実が判明いたします!
もちろん何よりも肝心な『面白さ』に関しても、本作『僕の可愛い娘たち』に勝るとも劣らないと自負しておりますので、こちらのほうもどうぞよろしくお願いいたします!




