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20kHz  作者: 水谷一志
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五 恋敵


「ありがとう、お母さん。ちょっと、自分の部屋に行ってくるね。」


亜美子は母の話を聴いた後、自分の部屋へ行った。


 そして亜美子は、自分の中に生じた疑念や、さっきの母の話などを、必死で整理しようとした。


 「お母さんの話、聴けて良かった。お母さん、本当にお父さんのこと、好きだったんだな。


 でも、というか…、お母さんは、今50歳。そして、30年前、1986年には20歳。ということは、私のお父さん、田上俊雄さんも、1986年段階では、20歳。そして…、


 私が通話していた、トシさんも、1986年段階で、20歳…。


 そして、お母さんとお父さんは、○○大学のフランス文学専攻だ。そして、トシさんも、○○大学のフランス文学専攻…。


 ということは、


私の通話していた『トシさん』は、田上俊雄さん?


 トシさんと田上俊雄さん、私のお父さんは、同一人物?


 トシさんは、私のお父さん?」


 亜美子はそこまで考え、1人で、ショックを受けた。


 「ということは、私は自分のお父さんに、恋をしていたことになる。こんなことが、あるだろうか?」


 亜美子はなおも、自分の心と頭を、整理しようとした。


 「…はっきり確認してみないと分からないけど、今の段階で、トシさんが自分のお父さんである可能性は、高い気がする…。ここまでの証拠がそろって、トシさんと私のお父さんが別人、ってことは、考えにくいような…。


 ということはやっぱり、私の知っているトシさんは、お父さんだ。


 私は、トシさんと通話を始めてから今まで、トシさんに逢いたい、そればかりを思ってきた。それは、トシさんのことが好きだから、トシさんに恋をしていたからだ。でも、それがお父さんなんて…。」


 亜美子の心は、考えれば考えるほど、混乱していた。


 「私は小さい時から、口には出さなかったけど、お父さんに会いたい、お父さんに会いたいって、思ってきた。


 …ということは、私は、ついにお父さんには会うことはできなかったけど、お父さんと、話はできたことになる。それなら、私は、喜んでいいのかな?」


 亜美子の頭の中の回路は、ヒートアップ寸前だった。


「そうだ、私はお父さんと、話ができたんだ!小さい頃からの願いが、叶ったんだ!だから、喜ばないといけない。」


亜美子はとりあえず、そう結論づけて、その日は寝ることにした。


 


 2016年1月12日。この日、亜美子は大学の、フランス文学専攻の講義に出席していた。成人式の日の夜、無理矢理自分の心に決着をつけた亜美子であったが、その心の中からは、モヤモヤしたものが、浮かんでは消えていた。


 その日は、亜美子の心とは対照的に、晴れわたった快晴の空で、空気もカラッと乾燥していた。この空は、私の今の状態とは全然違う―。亜美子は、そう思っても良さそうなものであったが、今の亜美子には、外の天気を気にする余裕すら、なかった。


 「では次中田さん、ここのフランス語、訳してもらえますか?」


「…え、あ、はい、…すみません。どこでしたっけ?」


「聴いてなかったのですか?いつもの中田さんらしくありませんね。具合でも、悪いのですか?」


「いえ、そういうわけじゃ…。すみません、気をつけます。もう1度、言って頂けませんか?」


亜美子は、河北教授の怪訝な表情に、申し訳なく思いながら、確認の質問をした。


 そして、講義は終了した。亜美子は、体調が悪いわけではなかったが、こんな状態で講義に出ても身に入らない、と思い、この日は残りの講義を欠席し、自宅に帰ることにした。


 「私は、お父さんと話をすることができた。だから、私の願いは叶った。だから、私は、…満足していいんだ。」


大学のキャンパスを、家路へと向かって歩いている間、亜美子はそう、自分自身に言い聞かせていた。


 しかし…、


 一方で、トシのことを忘れられない、亜美子がいた。


「私は、トシさんに、恋をした。それが、お父さんなんて…。


 お父さんには悪いかもしれない。でも、私、ヘッドホンの向こうの、トシさんのことが好きだ。それがお父さんだって分かった所で、私の気持ちは、もう止められない。


 …でも、トシさんがお父さんなら、もう、トシさんに逢うことはできない。お父さんは、もうこの世にはいない。


 それは、とっても悲しいことだ。自分が小さい時から、


『会いたい。会いたい。』


と思っていたお父さんに、もう会うことができないなんて…。


 でも、ごめんなさい、お父さん。今はそれよりも…、


 トシさんと逢えないことの方が、悲しい。」


 亜美子の頭の中は、長時間使い続けたパソコンが熱くなるように、熱を帯びていた。もちろん、本当に熱くなっているわけではないが、体感温度は100℃を超え、今にも沸騰してしまいそうな勢いであった。


 「亜美子、ちょっと、どうしたんだよ?」


そうこうして歩いていくうちに、亜美子はたまたま、浩一とぶつかった。亜美子はぶつかるまで、そこに浩一がいることにも、気づかなかった。


 「あ、浩一、ごめん、ちょっとぼんやりしちゃって。何でもないから、大丈夫だよ。」


「何でもないわけねえだろ?俺、さっきからずっと、亜美子にあいさつしてたんだけど。


 …亜美子、成人式の時も思ったんだけどさ、最近、何か、おかしいよ。悩んでることがあるんだったら、話してみなよ。


 俺、この後、時間あるからさ。」


亜美子は、浩一の言葉に、助けられた思いがした。


『やっぱり、持つべきものは友達だな。』


亜美子はそう思い、また、自分の気持ちを整理するため、浩一に、トシと通話を始めたこと、また一方的にさよならを言われたこと、また父親のことを、一気に話した。





 「それが今の亜美子の悩みなんだな、分かったよ。


 でも、亜美子には悪いかも知れないけど、それって幻想なんじゃない?その、トシさんって、1980年代の人なんだろ?仮に、今その、トシさんが生きていたとして、30年前に20代だから、今は50代だよ?


 そんな年の離れた人と、恋なんてできるわけないじゃん。」


「そんなの分かってるよ!」


亜美子は泣きながら、激昂した。それは、周りの学生が振り返るような、大きな声であった。


 「何であんたにそんなこと言われないといけないの?そんなこと、私だって考えたよ!トシさんとは、年が離れすぎている。もしかしたら、結婚だって、しているかもしれない。それでも、私は…私は…トシさんへの気持ちを、止めることができなかったの。だから、待ち合わせの時は…、本当に楽しみで、それだけじゃなくて、緊張して…、こんな気持ち、あんたには分かんないよ!


 それで、トシさんに『さよなら。』って言われた時、私は本当に、悲しくて、失恋って、こんなに辛いものなんだって思って、それで、そんなトシさんが、私のお父さんかもしれないって思って…、今の私は、どうしたらいいのか、分かんないの!途方にくれてるの!


 あんたなんかに相談した私が馬鹿だった。もういい、私、帰る。」


そう言い残して帰ろうとする亜美子の腕を、浩一は握り、亜美子を引き止めた。


 「ちょっと待てよ!」


「何するの、離して!警察呼ぶわよ。」


「ごめん、手荒な真似して。分かった。さっきの発言は謝るよ。でも…」


「でも何よ?何、友達だからほっとけない?そんなの同情だよね?私は、同情なんかされたくない!だから、もう私のことは、ほっといてくれる?」


「そんなんじゃねえよ!」


 今度は、浩一が激昂する番であった。


「亜美子、お前だって、俺の気持ち、何にも分かってないよ。


 俺の気持ちは、同情とか、友達だから心配してるとか、そんなんじゃない…


 俺は、亜美子のことが好きなんだよ!


 前に、ご飯食べてる時、


『何で高校時代のマネージャーと、付き合わなかったの?』


って亜美子、訊いたよな?それは…その頃から、いやもっと前から、亜美子のことが好きだったからだよ!いや、だったじゃない。今でも、俺は亜美子のことが好きなんだ。


 だから、去年のクリスマスイブに、俺、亜美子を映画に誘ったよな?あの時、俺だってドキドキしたよ!でも、亜美子は全然、俺の気持ちに気づいてなくて…。それで俺、亜美子に好きな人ができたんじゃないかって、亜美子の様子から思って、そいつがいい奴なら、俺、亜美子のことは諦めようって、そんな風にも思ったんだ。


 だから俺、見てられないんだよ!亜美子がそんな風に悩んでるの。だから、…俺と付き合ってくれなんて、今は言わない。でも、でも…、


 俺は亜美子の力になりたい。亜美子が悩んでいるなら、俺には相談して欲しい。


 …迷惑かな?」


浩一の突然の告白に、亜美子は戸惑った。自分は、浩一の気持ちに気づかずに、浩一にひどいことを繰り返してきた…、亜美子は瞬間的に、自責の念に駆られた。


 「そうだったんだ。ごめん、何にも気づかなくて。


 …とりあえず、今日は帰るね。」


亜美子は、その場から立ち去ろうとした。


 「最後にもう1つ!」


浩一は、再度亜美子を呼び止めた。


 「一応アドバイスだけど、その、トシさんと、亜美子のお父さんって、本当に同一人物なのかな?今の話だと、全部、状況証拠じゃない?


 亜美子がどうしても、トシさんのことを忘れられないなら、トシさんともう1回、話してみたら?


 そうしたら、本当のことが分かるんじゃない?もしかしたら、トシさんとお父さんは別の人間で、本当の、50代のトシさんに、会えるかもよ。」


「ありがとう、浩一。浩一はやっぱり優しいね。」


「いや、だから、それは…」


「分かってるって。私のことが好きなんでしょ?」


亜美子は、自分には全く似合わないと思いながら、浩一にこう答えた。そして、


 「ごめん、今の私は余裕がなくて、浩一の気持ちに、応えることができない。だから…、


 ちょっと、待ってくれる?


 今から、トシさんともう1度話して、決着つけてくるね。」


と浩一に、言い残した。


「分かった。待ってるよ。」


浩一はそう答えた。さっきまで激昂していた2人の姿は、もうそこにはなかった。





 家に帰った亜美子は、早速、オーディオレターを、作ることにした。


 「トシさん、こんにちは。お久しぶりですね。アミです。


 …迷惑かもしれませんが、どうしてもトシさんに、確認したいことがあります。だから、もう一度だけ、トシさんと話をさせてください。お願いします。」


 亜美子は迷惑にならないように、要件を長々と言わず、「確認したいことがある。」ということだけを強調して、オーディオレターを作り終えた。そして、トシの通話を待った。


 「…もしもし、アミさん、聴こえますか?」


トシから通話が返ってきたのは、それからしばらくした後であった。


 亜美子は、トシの声を久しぶりに聴き、涙が溢れそうになった。


「私は、去年の年末から今まで、この、トシさんの声を、聴きたかったんだ。」


亜美子の心の中の声は、そう叫んでいた。


 しかし、その想いを、今トシにぶつけるわけにはいかない。亜美子は冷静になり、かすれた声を抑えながら、トシとの通話を続けようとした。


 「はい、聴こえます。久しぶりですね、トシさん。」


「そうですね、アミさん、いえ、この際ですから、はっきり言いたいと思います。あなたの名前は、中田亜美子さんですね?」


「…はい。そうです。」


 トシからは、少し意外な返答が、返ってきた。


『私の名前を知っているなんて、やっぱりトシさんは、私のお父さん…?』


亜美子は、心の中でそう呟いた。


 トシからの通話は続いた。


 「ごめんなさい、いきなり本名で呼んだりして。びっくりしますよね?あと、勝手に通話を止めるようなことを言ってしまい、申し訳ありません。」


 「いえ、いいんです。」


亜美子はそう答え、気になっていた質問を、トシにぶつけることにした。


 「今回は、1つ、気になることがあって、トシさんに連絡しました。


 …トシさんの、本名は何ですか?」


そして、トシはこう答えた。


「そうですね。勝手に人の本名を言い当てといて、自分の名を名乗らないのは、失礼ですよね?


 …僕の名前は、『池上俊樹いけがみとしき』と言います。」


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