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異法人の夜-Foreigners night-/第一部  作者: 夕月日暮
第二章「異邦隊」
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第八話「激動の予兆」

 本格的な春が始まり、夜の気温も上がってきた。

 暗い世界には不気味なほどに人がいない。そのことに、少々疑問を抱いた。

「考えてみれば、妙な話だ」

 眼下から見下ろせる世界には、明かりがまるで点いていない。かろうじてコンビニに点いているだけだ。

 歩く人もおらず、車は町に隣接している高速道路を走っているぐらいだった。人がほとんどいない。

「何故、こんなにも静かなんだ……?」

 風によって草木が揺れる音すら聞こえない。

 深淵の虚無。どこかしらに吸い込まれそうな気がした。

「まるで、見えないドームがこの町を覆っているかのようだ」

 空を見上げる。そこに星はなく、ただ薄暗い空間があるのみ。

 月の光も届かぬ地で、久坂零次はそっと地上に降り立った。

 今日も標的であるあの男は捕まらない。赤根甲子郎はまだ完治しておらず、それ以外のメンバーともほとんど会話をしていない。

 進展は零。無意味な時間だけがただ流れている。

「む……?」

 と、目の前の道路に人影が現れた。もしや例の男か、と思い接近する。

 しかし、街灯に照らし出されたのは、霧島直人の顔だった。

「なんだ、霧島か」

 そう呟くよりも速く。

「なんだ、零次か」

 今の今まで、目の前にいたはずの男の声が、何故か後ろから聞こえてきた。

「……驚かすな」

「そいつはこっちの台詞だっての」

 苦笑して、霧島は零次からそっと手を離した。

 ……手を離した?

 霧島が離れてから、ようやく気づいた。今離れたその手は、零次の首元に伸びていたのである。

 そのことに若干の戦慄を覚えながら、零次は嘆息した。

 ……底知れない男だ。

 普段は自分の力を誇示したりはしないが、実際は自分以上の実力者かもしれない。最近そんな風に思うようになった。

 そんな零次にお構いなしに、霧島はいつもの調子に戻っていた。

「零次。お前はもう例の男を見つけたか」

「いや、まだだ」

「そうか。やっぱりな」

「……? やはりとは、どういう意味だ?」

 霧島の物言いに違和感を覚えて零次は尋ねた。

「簡単なことさ。そういう作りになってるんだよ」

「言っている意味が分からんのだが」

「誰かが魔術を使って妨害してるってことだ」

 魔術。それは零次たちが使う力とはまた別のものだ。

 零次たち異法人が扱うのは異法と呼ばれる力であり、これは先天的なものである。対する魔術は、後天的に――即ち努力次第で習得出来る技術だった。

 どちらも魔力という燃料を必要とする点では同じだが、性質は異なる。異法は先天的なものだが、基本的に能力自体は一人一つだ。その、たった一つの能力を応用するのが異法人のスタイルである。

 魔術は一人でいくつもの能力を習得出来る。個々の能力の効果は異法よりも低いことが多いのだが、使える能力の幅が広いため非常に応用が利く。どれだけ多くの魔術を習得出来るか、その効果をどれだけ高められるかは努力だけでなく、才能によるところも大きいのだが。

「魔術、となると魔術師か?」

 零次は魔術に関する知識はあまりない。ただ、魔術を扱う魔術師たちも組織を持っている、ということぐらいは知っている。そういう手合いが妨害しているというのか。

「さあ、そこまでは分からんよ。もしかしたら、異法人の仕業かもしれないな。俺たちだって、多少の制限こそあれ、魔術を覚えられないってわけじゃないしな」

「……異邦隊の内部に、あの男の協力者がいるとでも?」

「内部犯とは言ってない。それこそ、例の男みたいに異邦隊に入ってない異法人だってまだまだいるだろうしな。そういう仲間がいるって可能性はあるかもしれないだろ」

 霧島の言っていることは推測にすぎない。おそらく根拠などないのだろう。

 しかし、例の男に強力な仲間がいる可能性は十分にある。

「あるいは、例の男の仲間でもなく、内部犯でもない、まったく別の第三者かもしれない」

「そんな奴がいるのか?」

「いるんじゃねえか? なにしろ、遥って子は隊長が妙にご執心になる標的だ。何か特別な力を持ってるとするなら、それを狙う輩がいてもおかしくはない。研究機関は大分大人しくなったにしても、他にそういう手合いはいないとも言えん」

 霧島は壁に背を預けて、含みのある笑みを浮かべた。

「心当たりでもありそうな口振りだな」

「ないことはないが、まだ証拠がない。証拠もないのにあるとは言えねえよ」

「証拠などなくてもいい。一つ聞きたいことがある」

「俺と隊長のことについてか?」

 霧島には、こちらの考えていることが筒抜けなのかもしれない。不愉快ではあったが、零次は大人しく頷いた。

「俺は日本支部を長く離れていたから、はっきりとは言えないのだが……近頃の隊長やお前の態度には違和感がある」

「俺はともかく、隊長の違和感の正体はそう難しいもんじゃないと思うぜ」

「では何だと?」

「焦りだな」

 ポケットから煙草を取り出しながら、霧島は言った。

「遥って子を早く保護したい。だから、この状況に焦り、苛立ってるんだろ」

「……それだけなのか?」

「それ以上のことは知らないな。俺から見ても、あの隊長は謎だらけで困る。いろいろ探ってるんだが、尻尾が掴めん」

 探る。それを聞いて、零次は顔をしかめた。

「隊長を探っているだと?」

「ああ。それが、俺の入隊理由だからな」

 霧島はさらりと言ったが、これは受け取りようによっては、簡単に済ませられることではない。

「まさか、どこかのスパイだとでも言うつもりか?」

「いいや、俺は俺だ。何かに所属するなんて性に合わんことはしねえって」

「なら、なぜ隊長のことを探る?」

 その問いかけに、霧島はすぐには答えなかった。煙草を吸いながら、しばし空を眺めている。

「……何とは言えんが、俺は七年間、あるものを探し続けている。その鍵を握ってるかもしれないのが、柿澤源次郎ってことだ」

「七年――」

 長い。ちょうど零次がこの町を離れたのも、七年前だった。

 それから随分といろいろなことがあった。長い時間だ。それだけの時間を費やして、霧島は何を探しているのだろう。

「探ってるって言っても、隊長に敵対するつもりがあるわけじゃない。俺の目的に支障をきたさない範囲でなら、異邦隊の一員として行動するさ」

「本当か?」

「そうじゃなけりゃ、いちいちお前に話したりしない」

 携帯用の灰皿に煙草を押しつける霧島に、零次はふと気になったことを尋ねた。

「……なぜそれを俺に話した?」

「お前もまったく関係ないってわけじゃないからな」

 意味ありげに、霧島は笑った。

「それはどういうことだ?」

「質問ばかりで面倒臭い奴だな。ヒントはさっきまでの話の中にある。自分で考えてみるこった」

 その言葉と共に、ふわりと夜風が零次の髪を揺らす。気づけば、霧島の姿はどこにもなかった。


 頭が痛い。決して頭痛などではないのだが、この場合そう表現するのが適切なのではないだろうか。

 梢は自室の隅に座り込んでいた。もう薄暗い時刻、普段なら町に出ている時間帯だが、今日はそういうわけにもいかない。

 涼子が遊びに来ているのである。勝手にいなくなって不審がられたら、後々面倒だった。

 どのみち赤根甲子郎を倒して以来梢はろくな成果を挙げていない。あれから特に異邦隊とも遭遇しておらず、組織の全貌も分からないまま。これまでと同じようなやり方では駄目なのかもしれない。

「はぁ……」

「何辛気臭い面してんだ」

 同じく梢の部屋にいた榊原は、先ほどから煙草を手で弄んでいる。昔はヘビースモーカーだったらしいのだが、倉凪兄妹の面倒を見始めた頃に止めたらしい。

 しかしないと落ち着かないということで、火をつけずに手で弄繰り回すのがクセになっている。

「いや、だってなぁ……何、あの居づらい雰囲気」

「お前が女と出来る会話となると料理ぐらいだからな……しかしその話になると美緒の奴がふてくされる」

 そんなことは榊原に言われるまでもない。美緒は梢が調理禁止令を出した反動か、何か調理関係の話題が上ると必ずと言っていいほど絡んでくる。その相手をするのは面倒くさいことこのうえない。

「しかし遥が涼子と話が合うとは思わなんだが」

「性格が違うからこそ話が合うんだろう。俺とお前の親父もそんなもんだった」

「ま、仲良きことは美しきかなだ」

「しかしこうしているとなんだ、お前のほうが俺よりあの二人の保護者っぽいな」

「そりゃ師匠が仕事であんま家にいないからだろ。その分、俺が頑張ってるんだよ」

 と、そこでインターホンが鳴る音が聞こえた。

「客人かね」

「こんな時間にか。やれやれ」

 榊原は面倒臭げに立ち上がり、様子を見に行く。それから程なくして、吉崎を連れて戻ってきた。

「おう吉崎か。どうした?」

「頼まれてたやつだよ。赤間カンパニーの重要そうな情報、特にそれっぽいのを厳選して持ってきてやったぜ」

「マジでか。お前凄いな、どこの諜報員だよ……」

 半信半疑で吉崎の持ってきた書類を受け取り、中身を覗き見る。二、三枚の紙が入っており、なにやら細々と書かれていた。

「……にしても、随分楽しそうだねえ、あの子ら」

 吉崎が言っているのは遥たちのことだろう。来る途中、様子を見てきたのかもしれない。

「普通の女の子の集まりみたいだったよ」

「そいつはなによりだ。何の話してた?」

「お前の話題。……どんな風に言われてたか知りたい?」

「いらん。美緒と冬塚が揃ってる時点で予想がつく」

 あの二人のことだから、好き勝手なことを言っているのだろう。嫌われてるわけではないのだろうが、長い付き合いのため、彼女たちには梢への遠慮がない。

「でもさ、話題に上がってるってことはそれだけ想われてるってことだろ」

「なんだよ吉崎、茶化しにでも来たか?」

「そうじゃないって。お前が下手をしていなくなりでもしたら、皆悲しむ。だから無茶はすんなってことさ。……ほら、兄貴の例もあるからな」

 兄貴という言葉に、梢や榊原の表情が曇った。

「七年前か。急にいなくなって、美緒が大変だったもんな、あのときは」

「何を言ってやがる。お前ら二人だって美緒と大差なかったぞ」

 榊原が窓の外を眺めながらぼやいた。

「ま、無茶しない範囲でならいいけどよ。お前の場合、無茶の基準があるのかないのかさっぱり分からないから」

「心配症だな。平気だって言ってるだろ。兄貴みたいに、勝手にいなくなったりしねえよ」

 そう言って、梢は気楽に笑ってみせた。


「ハッキングされた、ですと?」

「ああ。多少ながら、君たちの情報を持っていかれたようだ」

 柿澤は内心で舌打ちした。

 ……無能め。

 そう罵ってやりたいところだが、どうにか堪える。ここで文句を言っても、どうにもならない。

 異法人や能力者は、個体として考えれば人間より遥かに高い力を有するが、社会的立場から見れば弱者である。現在の拠り所となっている赤間カンパニーの機嫌を損ねる言動は、慎まねばならない。

 しかし、さすがに情報を盗まれたとあっては、柿澤も心中穏やかではなかった。

「具体的には?」

「構成員リストはおそらく無事だろう。ただし君の名前と特務課の基本理念、そういった情報は盗まれたと見ていい」

「万が一盗んだ相手が脅しをかけてきたらどうしますかね?」

 とは聞けない。皮肉を込めて言ってやりたいところだが、答えは目に見えている。異邦隊が切り捨てられ、情報は隠蔽されるだけのことだ。

 柿澤らがその後どうしようが、社会的立場の強い赤間カンパニーならばそれぐらいの処理は可能だろう。

 ……忌々しいものだ。

 赤間カンパニーの社長室から出て、柿澤は苦い思いを振り払うように早足で歩き出した。

 隣を藤村亮介が歩く。

「どうします? あの社長の記憶を見てみますか?」

「ナンセンスだ、意味がない。それよりも藤村、例の男の探索だが……」

「はっ、昨晩は――」


「ほぼ予想通りだな」

 深夜になってから、一人自室で書類を読み漁っていた梢の感想は、そういったものだった。

 出来れば構成員リストも欲しかったところなのだが、そこまで無茶な頼みは出来ない。

 書類に記されている特務課――異邦隊の理念は、次のようなものだった。

 能力者の自立と独立を促す一方で、各地の能力者を保護することも目的とする。頑迷な抵抗を続ける相手には実力行使も辞さない、とある。

「……ん?」

 そこまで読んだ辺りで、梢は何か違和感を覚えた。体内にある不純物に気がついたときのような、なんとも言いがたい気色悪さ。

「何かやられたか?」

 集中してみると、自分の体内を巡る魔力の中に、不純物のようなものを見つけた。それをどうにか排出する。

 最近ゴタゴタしていたせいか、他のことに気をとられすぎていたせいか、まるで気がつかなかった。集中力が鈍っている証拠である。

 体内の魔術痕跡は少しずつ薄くなり、やがて消えた。

「なんだ……?」

 この不純物は、おそらく何らかの魔術、もしくは能力によるものだろう。もしかしたら異邦隊に何かされていたのかもしれない。

 最悪、この場所が既に知られている可能性もある。

「……やばい。最悪だ」

 だとしたら、遥が危ない。慌てて梢は部屋を出ようとして、

「わっ。ど、どうしたの?」

 扉を開けたところにいた遥の声で、足を止めた。

「凄い汗……どうしたの?」

「あ、いや。どうしたってわけでもないんだが」

 取り乱しかけていた心を落ち着かせながら、梢は遥に尋ね返した。

「お前こそどうしたんだよ、こんな時間に」

「だって、凄い魔力を感じたから……」

 心配そうにこちらを見つめてくる。

 つられて梢も自分を見下ろし、そこでようやく気づいた。

 ――武装している。

 右腕が、"翠玉の篭手"になっている。それも、かなり高密度の魔力を帯びたものだった。

「何かあったの?」

「なんで」

「だって……なんだか梢君、さっきまでと全然様子違うから」

 そこまで言って、遥は俯いてしまった。

 そんな風にされて、困るのは梢である。確かに今、何かしらの衝動に駆られて魔力を解放してしまったが……今夜は特にそういうつもりではなかった。

「ふぅ……」

 一息抜いて、梢は武装を解除した。そのまま遥に歩み寄り、その頭にポンと手を乗せてやった。

「あ……」

「心配すんな、大丈夫だ。俺、変なこと考えてないだろ?」

「う、うん……」

「そうだな、明日になったら涼子も連れて吉崎も呼んで、皆で町にでも行くか」

「――そうだね」

 遥は顔を上げて、微笑んで見せた。それを確かめると、梢は手をそっと離した。

「……あ。な、なぁ遥、今俺の中から妙な思考が届かなかったか?」

「え?」

 梢が危惧しているのは先ほど読んでいた資料に関わることである。

 遥に無用の気遣いはさせたくなかったのだ。考えなしに頭に手を乗せてしまったが、今になって触れたものの心などを読み取る遥の能力を思い出したのだ。

「特に変なのはなかったけど……」

「ま、それならいいんだ。それじゃ今日はゆっくり休めよ。明日は手の込んだ朝食にしてやる」

「うん。楽しみにしてるね」

「よろしい。それじゃおやすみ」

「うん、おやすみなさい」

 遥が退室する。

 そこでふと梢は先ほど遥が自分を名前で呼んでいたことを思い出した。

 明日になったら訂正しておかねば。そんなことを考えながら、自分もそろそろ寝ようと布団を敷いた。

 何事も起きないことを、密かに祈りながら。


「ふぅ……」

 榊原邸からの帰り道。

 吉崎和弥は息をこぼした。ため息と言うわけではなく、体中に溢れ返りそうな緊張感を外に吐き出すためのものだ。

 ほんの数時間前、彼はようやく赤間カンパニーの情報を入手することに成功した。残念ながらそれほど真新しい情報は仕入れられなかったが、敵の姿が少しでも分かっただけでも十分だろう。

 そんな訳で彼は現在、一仕事を終えたという達成感で満たされていた。

 同時にひどく緊張している。情報を盗んだことが発覚して、襲撃されやしないだろうかと不安なのである。

 無論普通に考えれば、そんなことはありえない。少なくとも僅か数時間で吉崎の元まで辿り着くことなどありえないだろう。

 しかし、相手は普通ではない。どんな非常事態が起きてもおかしくはない。そう考えると、闇に包まれた帰路は正直恐ろしい。どこの影から何が飛び出してくるかも分からないのである。

 榊原邸から吉崎の家までは徒歩で十五分。今はバイクに乗っているので、さほど時間はかからない。

 と、そこで吉崎は、妙なものに遭遇した。


 矢崎亨は、梢の捜索を続行する傍らで、ある悩みを抱えていた。

 ……最近、皆の様子が何か変なんだよなぁ。

 零次は以前よりずっと根暗になって戻ってきたし、霧島は思わせぶりな言動が多くてよく分からない。隊長も様子がおかしい。

 それに、刃だ。いつも組んで行動していたのに、なぜ今更になってコンビを解消しようとしているのか。

「まったく、皆何考えてるんだろ」

 疾風の如く夜の空を飛び回りながらも、亨はどこか上の空でいた。

 ここ暫くはほとんど仲間たちと会話をしていない。零次や霧島は不在がちだし、赤根は回復し始めているとは言えさほど親しい間柄でもない。柿澤源次郎や藤村亮介もなにやらカンパニー側とのやり取りで忙しいようだ。

 兄である刃とは、未だに気まずい状態が続いている。

 自然、亨は一人となった。

「ったくもう、だいたい異邦隊はいちいち問題児が多かったり生真面目が多かったりで疲れるんだよなぁ」

 そんな風にぼやいていた矢先。

「あ」

 不意に。

 思考に耽っていたせいで、彼は足を踏み外し――。

「あああぁぁぁぁ!?」

 ――落下した。


 冗談みたいに空から降ってきた男を、冗談みたいな音を立てながら、吉崎のバイクが撥ねた。

「げっ……だ、大丈夫か!?」

 慌ててバイクを止めて、吹っ飛ばされた男の下に駆け寄る。

 いや、それは男と言うよりも少年といったほうがいいだろう。

 完全に気を失っていた。一応外傷はないようだったが、このまま放っておくわけにもいかない。

 軽く頬を叩く。

「おい、起きろー。大丈夫かー?」

「……はっ!」

 そこでようやく少年が目を覚ました。

「良かった良かった、無事か」

「あ、貴方は?」

 痛むのか、頭を抱えながら少年は起き上った。吉崎はそれに手を貸してやる。

「いやぁ、俺がバイクで走ってたらお前さんが上から落ちてきてな、びっくりのなんの」

「は、はぁ」

 間の抜けた返事をよこす少年。少しふらふらしてはいるようだったが、やはり怪我はしてないようだ。

「ところで、思いっきり轢いた俺が言うのもなんだけど。……君、空から降ってきたような……」

「え、えっと。ちょっと屋根の上で考え事してまして」

 納得すべきかどうか、少し悩む理由だった。今時屋根に上ったりする人がいるものだろうか。

 ……まさかこいつ、倉凪と同じような奴じゃないだろうな。

 しかし、見た目はおそろしく頼りなさそうだった。戦い慣れた者の雰囲気もない。吉崎も天我不敗流という武術を学んでいるから、そういう匂いは分かる。

 ……うーん。本当に屋根から落ちたのか?

 どちらにせよ、このまま放っておくのも悪い気がする。

「まあ、一応病院まで送っていくよ。どっか怪我してたら悪いし」

「あ、いえ。それはもう大丈夫で」

「本人は大丈夫と言っても、後でやばくなる怪我もあるんだよ。一応診てもらった方がいいぜ」

 少年は遠慮したが、吉崎は半ば無理矢理バイクに乗せた。

「この時間だと緊急外来になるのかなぁ。ま、いいや。んじゃ行くぞ」

「は、はぁ」

「そういや名前言ってなかったな。俺は吉崎和弥。そこの朝月高校の三年だ」

「あ、朝月の人だったんですか」

 多少驚きを見せながら、少年も名乗り返す。

「僕は矢崎亨と言います。朝月の二年です」


 当然と言えば当然だが、怪我はなかった。ただ、屋根から落ちたという経緯を話したらこっぴどく叱られた。おかげで帰りも大分遅くなってしまった。

「俺に轢かれたって言えば良かったのに」

 吉崎はそう言ったが、基本的には自分の不注意によるものだ。彼に落ち度はほとんどないし、下手なことを言えば免停にされてしまうかもしれない。それはさすがに悪い気がした。

 今、亨は吉崎と二人で夜道を歩いている。念のために送っていく、というのが吉崎の主張だった。

「本当に迷惑かけてすみませんでした」

「いや、こっちこそ。ま、大事ないならそれに越したことはないな」

 一見軽薄そうな印象の男だったが、話してみると意外に誠実な人柄であることが伝わってくる。学校の先輩ということで親近感も湧いてきた。

「でも、屋根の上ねえ。言っちゃなんだが、変わってるな」

「だ、駄目ですかね?」

 言い訳としては苦しかったが、一般人相手に素性を晒せない以上、そう言ってごまかすしかない。亨は必死に作り笑いを浮かべてみた。

「いや、駄目じゃないけどな。落ちなきゃ」

「以後気をつけます」

「責めてるわけじゃねえって」

 吉崎は笑って肩を叩いてきた。

「ただ、どうしてそういうことする気になったのかと思ってよ。そういや、考え事してたって言ってたっけ」

「あ、そうですね」

 そんな風に言った記憶はある。咄嗟に出た言葉なので、はっきりとは思い出せないのだが。

「ちょっと、最近周囲と上手くいってないんですよ。それで、少し」

「ふうん? どんな感じに?」

「えっと……それぞれ、何かやりたいことがあるって言ってあまり皆で集まらなくなってしまったと言うか。皆、自分一人で自分のやりたいことばかりやってると言うか」

 言葉を選びながら、吉崎に打ち明けてみた。

「要するに、自分勝手なんですよ。今までチームワークを大事にしてたのに、いきなりワンマンプレーになったんです」

「それで、一人取り残された気がする、というわけか」

「ええ、まあ」

 そう言われると、なんとなく自分が寂しい人間のような気がするが、とりあえず頷いておく。

 吉崎は唸りながら考え込んでいた。

「……それは、まあ詳しいことは分からないけどさ。少し距離を置いてみるのも、手じゃないかな」

「距離を置く、ですか?」

「人間一人になりたいとき、人の手を借りたくないときってのはあるもんだからな。そういうときは何言っても効果ないと思うぜ。むしろ、しつこく相手しようとすると嫌われる」

「そういうものでしょうか」

「まあ、俺の私見だけどな。確かにチームワークも大事だけど、人間何事も誰かと一緒にやるわけにはいかないだろ。一人の方がやりやすいこともあるし、役割分担で別々に何かするとかってのもあるし」

 言われてみればそんな気もする。しかし、吉崎の意見は異邦隊の現状に当てはまっているのだろうか。

 もっと深いところで、溝があるのではないか。例えば、自分と刃の間にも。

「ま、悩んでるなら考え方の視点を変えてみるとか、そういう切り替えをしてみるといいんじゃないかね」

「切り替え、ですか」

「相手が変わろうとしてるなら、自分もちょいと変わってみる。そうすれば、相手の考えも少しは分かるかもしれないぜ」

 そんなことを話しているうちに、亨が寝泊まりしている寮に到着した。

「ここです。……本当にすいませんでした、つまらない話を聞かせてしまって」

「気にすんなって。ま、悩みがなかなか解決しないようなら三年のA組に来いよ。相談くらいなら乗ってやるから」

 そう言い残して吉崎は去った。

「自分もちょいと変わってみる、か」

 先ほど言われたことを反芻してみる。しかし、どう変わればいいのかは分からなかった。

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