エピローグ「おはよう」
夢を見ていた。
とても長い夢。
夢の中では、いろいろな人たちが出てきた。
遥、吉崎、美緒、榊原、霧島。
零次、涼子、亨、刃。
藤田、斎藤。
皆で一緒になって、馬鹿みたいに笑っていた。
それを温かく見守る木が一つ。
木は動かず、語らず、輪の中から少し離れたところに立っている。
ところが、次第に皆はその木を中心にして輪を作り始めた。
やがて、木も輪の中に入った。
そのうち、遥が木に寄りかかって尋ねた。
「いつか言った言葉、覚えてる?」
木は答えない。
「私がまだ感情を知らなかった頃。最初に会った頃は私、人といるのが怖いってよく言ってたよね」
そうだったか。
木はよく思い出せない。
だが思い出そうとすることはできるようになった。
それならばいつかは思いだせるようになるかもしれない。
「そしたら……」
『なら、俺は大丈夫だな』
『……なんで? あなたは人じゃないの?』
『ああ、俺は植物だからな』
『そうなんだ』
『そうなんだよ。俺はな、木が好きなんだ。木になりたい』
『なんで?』
『木ってさ。静かに、黙って温かく見守っててくれるだろ? それに、人じゃないけど人と共にあるじゃないか』
「だから、木になりたいんだ、って言ってたよね」
だとしたら、目的は叶えられたのだろうか。
木にはよく分からなかった。
「でもね、木になんてならなくてもよかったんだよ」
遥は笑って、木を撫でた。
「だって、梢君は私たちと同じなんだから」
言われて、木は自分の身体を見てみた。
「……あ」
ないはずの口から、声が漏れる。
遥はしてやったり、といった様子でにこにこと笑っている。
「ねっ?」
「……そうだな、確かにそうみたいだ」
参った参った、と言って梢は照れ臭そうに頬を掻いた。
と、その背中に組み付いてくる者がいる。
「おう、マイブラザー。そんなところでイチャってないでこっちきて飲め!」
霧島だった。
「そうだそうだ、お前一人で青春謳歌してんじゃねぇー!」
もう一人、肩を回してきた。
吉崎である。
「おいおい吉崎、そこらへんにしとけー」
「そうだぞ、倉凪の顔が青くなってる」
遠くから藤田と斎藤が、楽しげに声をかけてきた。
「は、遥。助けてくれぇぇっ」
物凄い力で、吉崎と霧島に拘束されながらも梢は遥に手を伸ばす。
が、遥は遥で襲われていた。
「ほらほら、お姉ちゃんはこっちこっち」
「り、涼子ちゃん、酔ってない?」
「酔ってないよっ、ただこう皆でパァッと盛り上がるときは騒がないと!」
「むー、お義姉ちゃんと涼子ちゃんに突撃ー!」
「って美緒ちゃん、うわっ!?」
……あちらはあちらで大変そうだった。
「まぁこういうのも悪くはない」
「言葉の割にはやけに嬉しそうですね、零次」
「そうか?」
「そうですよ」
「うむ……」
「だがまだまだ辛気臭いな」
「さ、榊原さん? その、俺は未成年なのですが……その手に持っているものは?」
「気にするな。祭りにはこいつが欠かせないもんだぞ。直人もお前くらいの年の頃には飲んでいた」
「いや、しかしですな……ぶふぉぁっ!」
「なかなかいい飲みっぷりだな。亨、お前も飲め」
「誘うなら兄さんでも誘ってください! 僕だって未成年なんですよ!?」
「あいつは既に飲みまくってるぞ」
「……美味だ」
「うぐっ」
「さぁ、お前も飲め」
「れ、零次」
「俺も飲まされたんだ……お前も飲め」
「か、顔がマジなんですけどぉっ!?」
なんだか騒がしい。
それでも、楽しい。
「なぁ、梢よぉ」
霧島が梢から離れ、苦笑する。
「これだけの些細なことでも、難しいよなぁ」
「そうだな」
「うん。だから、お前はちゃんと守れ」
そう言って、昔のようにポンと肩を叩いた。
そして霧島は吉崎と肩を組んで、輪の中から遠ざかっていく。
「どっか行くのか?」
梢はそのとき、自分でも不思議なくらい爽やかな気持ちでいた。
「ああ。マイラバーを待たせてるからな」
「兄貴じゃ迷いそうだからな。俺がちょっくら迎えに来たって訳だ」
吉崎が笑いながら、梢に笑いかける。
「そうそう、お前に一つ言っておくことがあった」
「あ、なんだよ?」
「うむ」
珍しく真剣な顔で霧島は梢を見据えた。
やがて重々しく口を開く。
「もしお前が遥を嫁さんにする場合は、俺のことをお義兄さんと呼べっ!」
「いや、訳分からねぇよ! もともとアンタは俺らの兄貴だろうがっ!」
あまりにアホな発言に梢は思わずビシッ、とツッコミをいれる。
が、霧島の方はけたけたとやかましく笑うばかりで取り合わない。
「冗談だよ」
「タイミング考えろバカ兄貴!」
「ははは、いや。しかしよかったな……うん」
と、霧島は笑みを穏やかなものに変えて、ひどく優しい表情になった。
「よかった。俺はいろいろと捨てちまったつもりでいたけど、それでもお前らの兄貴でいられた。
ああ――――これほど嬉しいことはないよ」
その言葉に、梢と吉崎は勢いよく頷いた。
それ以上のものは、いらない。
「――――さて、俺はもう十分笑った。そろそろ行くよ」
「……そっか」
「ああ。お前はもっと頑張れ」
「ああ。ちゃんと頑張るよ」
そう言って、三人は手を重ね合わせた。
とても温かく、懐かしい。
「じゃあなっ」
「おうっ」
重ねた手を離し、一斉にパン、と叩き合う。
それだけで良かった。
目が覚めると、そこは病院だった。
身体はどうにか動かせそうだったので、起き上がってみる。
どうやら四人一部屋らしい。
正面には亨の姿が見えた。
他にも二人、眠っているようだった。
ここからではよく見えない。
ふと、自分のベッドに違和感を覚える。
視線を移すと、そこには冬塚涼子が眠りこけていた。
「……なんだ?」
いまいち、状況が理解できなかった。
彼――久坂零次の記憶は、屋上のあのとき以降一切残っていない。
偶然なのか、カレンダーが壁に貼り付けてあった。
日付を見る限り、あれから既に四日経っている。
「あれからいったい、どうなったんだ?」
それが知りたい。
が、尋ねられそうなのはここには涼子しかいない。
無理矢理起こすわけにもいかないな、と思いながら零次はどうするかを考えていた。
改めて考えてみると、ここがどの病院なのかも分からない。
と、そこで病室のドアが開いて一人の医師が入ってきた。
「やぁ久坂君、ひっさー。いや、おっはーの方がいいのかな?」
「貴方は、幸町先生……」
「うん。ツッコミくれなかったのが僕的には減点対象だけど、一回会っただけの僕の名前を覚えていてくれたのには感心だ」
「はぁ」
いまいちよく分からない人物だな、と思いつつも零次は早速尋ねてみた。
「状況は」
「漠然としすぎていて答えにくいなぁ。まぁいいか。とりあえず遥ちゃんを巡る一連の事件は終結したよ」
幸町の言葉に、零次は肩の荷が下りたような感覚を覚えた。
ようやく終わったのだと、胸をなでおろす。
が、このことは自分などよりも梢や遥自身の方が喜ぶだろう。
「それで、その……柿澤隊長たち、は」
「それは俺が説明する」
と、幸町の脇から一人の男が入ってきた。
少々くたびれたYシャツ姿の、榊原だった。
「とりあえず最初のうちに悪いことを言っておこう。何人かは――死んだ」
死んだ。
その言葉に、零次は再び心が重くなるのを感じた。
「……柿澤隊長も?」
「ああ。柿澤源次郎、藤村亮介、冬塚夫妻、八島夫妻、吉崎和弥――――そして霧島直人と八島優香。彼らが、この一連の事件の犠牲者たちだ」
榊原はなるべくポーカーフェイスを装いながら、淡々と言葉を告げる。
だがその内に秘められた怒りや悲しみは、零次や幸町にもひしひしと伝わってきた。
「そうですか。やはり父は……」
「お前の父は別に死んでない」
と、柿澤は零次の言葉を遮った。
「お前の親父は柿澤源次郎なんて男じゃない。久坂源蔵だ。今もどこか遠い場所で生きてる――そう信じておけ」
不意に出された父の名前に、零次は驚いた。
榊原と柿澤はなんらかの繋がりがあったというのだろうか。
だが、それについては今は追及できない。
ただ、榊原の好意に甘えることにしようと思った。
他にも榊原の口から、いくつかのことが判明した。
まずザッハークは、一時的に警察に引き渡された。
ニュースなどでも報道され今回も事件の犯人として扱われていたため、事件解決を人々に教えるためにそうなったのだという。
ザッハークは意識不明だったためにそのようなことができた。
が、復活すればどうなるかは分からない。
そのため、すぐに警察から然るべき場所へと移された。
その場所については榊原もよく知らされていないというが、どうも警察は警察で普通ではない機関との繋がりがあるらしかった。
ともあれ、ザッハークによる被害者はもう出ることはないだろう。
赤根甲子郎は行方不明となった。
遺体もなければ、目撃報告も皆無。
あの決戦の土壇場で、結果的には零次を助けた赤根。
零次としては少し気になったが、放っておくことにした。
赤根は確かに乱暴者だが、ザッハークとは異なり意味なく人を傷つけたりはしない。
ザッハークが犯罪者なら、赤根は不良だ。
別に悪とも言えない。
そのため、放っておいても別に構わないだろう、と思ったのだ。
零次たちと異なる一般の異邦隊員たちは、他の支部へと移されていたらしい。
柿澤率いるこの地方の異邦隊が消滅したことでかなり混乱しているようだった。
そして、最後に零次たち。
梢、遥、亨……そして零次はかなり消耗していた。
そのためこの病院で休ませていたのだという。
「君は他の三人と比べると精神面や魔力の問題は少ない。だから早く目が覚めたんだろう。だからと言って無理をしてはいけないよ、君は外傷がひどいのだから」
そう言って、幸町と榊原は静かに出て行った。
他に眠っている怪我人が三人もいるこの部屋で、これ以上はなす必要もないと思ったのだろう。
ふと、視線を涼子に戻す。
(思えば、随分と辛い思いをさせてしまったな)
両親を失い、出会ったばかりの姉を失い、そして友人さえ失って。
たった一人、記憶を消され、訳の分からないうちに放り出されて。
そんな彼女から、理由を作っては逃げていた。
「すまない」
起こさぬよう、静かに、そっと涼子の頭を撫でる。
柔らかい髪に触れるたびに、女の子らしくなったな、などと思う。
「う……ん」
その感触が気持ちよかったのか、涼子は頬を緩ませていた。
が、やがて違和感に気づいたのか、ゆっくりと目を開いた。
「……あれ?」
目を擦りながら、自分の今の状況を把握しようとしているのだろう。
最初はぼんやりと零次のことを見ていたが、やがてその目が大きく見開かれた。
「れ、零次さんっ! だ、大丈夫っ?」
「冬塚、ここは病室だ。静かにしなければ」
「あっ」
指摘されるまで忘れていたのだろう。
涼子は照れ臭そうに頬を掻いた。
「ごめんなさい」
「いや、俺に謝っても仕方がない。誰も起きなかったようだしな」
「うぅー」
それでも納得いかないのか、あるいは零次のことがまだ心配なのか。
涼子はなにかを言いたそうに、視線をせわしなく動かし続けていた。
「なぁ、冬塚」
「え、うん。なに?」
「俺は大丈夫だ。もう少し休んでいれば、ちゃんと治るらしい」
「そ、そっか。良かった……」
「それと」
安心して胸をなでおろす涼子に、零次は頭を下げた。
「すまなかった」
「え……」
「俺はずっとお前から逃げていた。一番辛かったであろうとき、友人としてお前の側にいてやれなかった」
「……」
「だから、謝らせてほしい。本当に――――すまなかった」
深く頭を下げながら、零次は一つ一つの言葉に力を、思いを込めて言った。
自分が親を失った時は、柿澤が側にいた。
涼子と出会って、傷は癒された。
が、それが崩れたとき、自分だけ逃げてしまった。
残された涼子に、なにが必要かも考えず。
「零次さん……いいよ、そんな」
涼子は泣きそうな声で、零次の肩を掴んだ。
「確かにあの頃は辛かった。思い出すこともできなかったんだし。でもね、零次さんがまた戻ってきてくれてからは――楽しかったんだよ? 私は零次さんに、十分助けてもらったからっ」
「……」
必死な声。
泣きながら、それでも笑顔を作ってくれる涼子。
そんな涼子を、零次はそっと抱きしめた。
「冬塚」
「……なに、零次さん」
「俺はもう逃げない。お前にたくさん迷惑をかけるかもしれない。だが、迷惑をかけたらその分お前を助けてみせる。だから――――また、一緒にいよう」
「――――――うんっ」
朝の光が少しずつ病室の中に満ちていく中、二人はようやく……"再会"を果たした。
二人にある絆の先には、いくつもの困難が待ち受けるであろう。
それでも、二人は進んでいく。
どこまでいけるか分からない。
それでも、二人は進んでいくことを選んだ。
「起きたか」
目覚めると、そこにはなぜか大勢の人間がいた。
その中の一人がズイ、とこちらに迫ってくる。
「藤田、か」
梢は今目が覚めたばかり。
それでもなんとなく、どういった状況なのかは理解できた。
「話は全部聞かさせてもらったぜ」
「そっか」
ぽつりと梢が漏らした瞬間、彼の頬が大きく横に飛んだ。
不意打ちなのに、不思議とすぐに殴られたのだと気づいた。
「いてぇか」
痛くない。
以前彼に向かってそう答えたことがあった。
だが、違う。
あのときは嘘をついていた。
今は、嘘をつかない。
「ああ。無茶苦茶痛い」
梢は頭を垂れながら、肩を震わせていた。
「痛いに決まってるだろ。ダチに殴られて痛くないはずがねぇよ」
「だったら最初からそう言いやがれ。殴った方だって、いてぇんだよ」
藤田は泣いていた。
梢も泣いていた。
「お前の気持ちも分からくはないけどよ、そこでお前まで消えちまったらどうすんだよ。全部捨てちまったら、吉崎のことだって否定することになっちまうんだぞ。そんなの、あんまりにも寂しいじゃねぇか……っ!」
どん、とベッドを力任せに殴る。
そんな梢と藤田の間に、斎藤が入った。
「倉凪。さっき藤田に殴られて、痛いって言ってたよな」
「ああ……」
「それで十分なんだよ。僕たちが一緒にいる理由なんてな」
藤田や斎藤は、別段人間としての倉凪梢に惹かれたわけではない。
ただ、本当に相手のことを大切にして、そのために泣けるような梢を友人として見てきたのだ。
それがあれば十分。
「お前がその痛みを忘れない限り、僕らはいつまでも友人だ」
「……だな」
鼻を擦りながら、藤田も起き上がって梢の肩を叩いた。
梢もやがて、顔を上げた。
涙の跡が残っていたが、そこにはもう迷いはなかった。
藤田たちの友人である、倉凪梢の顔だった。
「忘れねぇよ、絶対に」
「なら、仲直りの印だ」
と、斎藤はノートの束を梢に向かって投げた。
「なんだ、これ」
「お前が休んでたときのノートと、僕の夏休みの宿題。参考にしとけ」
梢はしばらく呆けた様子でそれらを見ていたが……やがて、豪快に笑い出した。
「ははは、毎度のことだな」
「ああ、毎度のことだ」
「代わり映えしないな、俺たちも」
「きっと卒業しても、その先もずっとこうなんだろう」
「全く。ずっとそうで、ありたいよな」
三人は肩を組みながら、馬鹿みたいに笑った。
なぜか、そこに吉崎もいたような気がした。
藤田と斎藤が下がると、今度は美緒と亨、そして榊原が前に出てきた。
「よう、調子はどうだ」
「いい感じ。それと師匠、今回はいろいろ迷惑かけてすんませんでした」
「阿呆。親がガキの面倒見るのは当たり前のことだ。そして親ってのは、子が無事であることを願ってる。お前が生きてりゃ、文句はねぇよ」
「お兄ちゃん、よかった。本当によかったよぉ」
「泣くな泣くな、もう子供じゃないんだから……いやまぁ、俺もさっき泣いちまってたけどな」
「そうだよ、自分ばっかりずるいよぉっ!」
「あー、分かった分かった。久々に胸貸してやるから、存分に泣け」
「梢さん、ご無事でなによりです」
「ん、亨か。ってお前もなんか怪我ひどいな。大丈夫か?」
「あなたに比べれば軽傷ですよ。ここ数ヶ月、一番戦って一番消耗してるのはあなたなんです。ですから、しっかり休んでくださいよ」
「ああ。あと……刃はどうなった?」
「兄も少し前に目が覚めたようです。ですが、しばらくはリハビリだと幸町さんが言ってました」
「そっか――なんか、吹っ切れたな」
「まだまだですよ」
次に出てきたのは、零次と涼子だった。
「先輩、良かった……」
「冬塚? そうか。お前らちゃんと元に戻れたんだな」
嬉しそうに梢が言うと、零次は鼻を鳴らして横を向いてしまった。
どう見ても不機嫌そうである。
「倉凪」
「ん?」
「お前は俺に散々文句を言っておきながら、逃げようとしたそうだな」
「あー、いや……うん。そうだ」
言い訳をしても仕方がない。
梢は素直に、零次に頭を下げた。
「俺、なんも知らなかっただけだったんだな。お前の言葉、今なら少しは分かる気がする」
「……まぁいい。結局お前はきちんと元の道に戻れたようだからな」
「お前もだろ。なぁ冬塚」
「はいっ。零次さん、これからはちゃんと一緒にいてくれるそうです」
と、周囲の視線が零次に突き刺さる。
こう大勢の前でそういった発言をされると、零次の意図とはまた違った解釈をされるものであり……。
「零次、告白したんですかね」
「くぅっ、冬塚ちゃん……」
「泣くな藤田」
「――いや、なにかこう、誤解されているような気がするのだが」
「え?」
途端に涼子が不安そうな表情になる。
「違う、の?」
「いや、違わんといえば違わんのだが、なんというか我ながら微妙な言い方をしてしまったような気もするのであり……」
「慌ててますね」
「はっきりしろよチクショウ!」
「五月蝿いぞ藤田」
と、そこで零次が爆発した。
「ええい、貴様ら! 好き勝手になにを想像しているっ!?」
「どわっ、なんか怒り出したぞっ!?」
「逃げるが勝ち、ですね」
「やれやれ……」
どたどたと、騒がしく病室から出て行く一行。
それを涼子は苦笑して見ていた。
が、やがて梢の方を向いて、
「それじゃ、先輩。お大事に」
「ああ」
梢も苦笑して見送る。
病室の中は静かになった。
そして残されたのは二人。
梢と、その向かい側のベッドに眠る遥。
お互い上半身だけ起こして、見つめあっていた。
「なんつーか、もう話すことないよなぁ」
「夢の中でいっぱいお話したもんね」
木の話。
家族の話。
友達の話。
これからの話。
いろんなことを話した。
「でも、起きてからじゃないとできないお話あったでしょ?」
「あれか。そうだな、ちゃんと言わないとな」
二人は一斉に息を吸い込み、大きな声で言った。
『――――おはよう』
これで終わりではない。
彼らの絆は作られたばかり。
これからが、始まり。
夜が終われば、異人とて常人になる。
夜という時間帯に魔性の力があるのなら。
朝陽は、それらを清めてくれる力がある。
隣にいる人が自分と違っていても、絆はいくらでも作りようがある。
だから恐れず、一歩ずつ踏み出していこう。
人はそうして、生きていくのだから。
夏の陽射しは、いつもより強く。
榊原は汗を拭いながら、ある墓の前に来ていた。
『霧島直人、霧島優香』
『吉崎和弥』
煙草を吸いながら、手にした酒瓶を墓に注ぐ。
「お前らと……優香って子も一緒になって、飲み交わしたかったな」
新興住宅街が建設された際に、唯一残された高山。
町全体を見下ろせる場所に、墓地がある。
「あいつらは、これからまだまだ悩んで苦しむだろうさ。人間関係ってのはただでさえ難しいってのに、あいつらの場合さらに厄介な力のこともある」
それでも。
例え人と違っていても。
「なぁ、お前ら生きてて楽しかったか?」
自分の弟子たちが眠る墓石に榊原は尋ねてみた。
返事は当然ない。
ただ、あいつらならこう答えるであろうという予測はつく。
「もし、楽しかったって言うならよ」
煙草を吸いながら、天高くへと昇っていく煙を見上げながら、榊原は言った。
「笑ってあいつらを見守っててくれ。そうすれば、きっと――――――」
強く吹いた風によって、榊原の言葉は途中で切れた。
彼がなにを言ったのか。
それは、おそらく風が天へと持ち去ってしまったのだろう。
夏の陽射しはいつもより強く。
人の心も、いつもより強く。
そうあることを願いながら――――。




