第二十三話「男たちの決意」
暗く続く下り階段。
闇の中、足元さえ見えないというのに零次はなぜか迷うことなく進んでいる。
しばらく進んだ辺りで、夏特有の暑さが消えうせた。
その先にあるのは冷たい空気。
それも、冷房などによるものではなく、天然のもの。
そして零次はその場所にたどり着いた。
魔術的な紋様の扉がある。
触れた瞬間、鈍い光が紋様から放たれ、扉は瓦解した。
その先に。
「柿澤、隊長」
「ここに入る隊員は君で二人目だな、零次」
その先に、全ての元凶。
倒すべき相手が待ち構えていた。
「隊長……本日は、別れを告げにまいりました」
深く暗い闇の中。
全身が凍えるような世界の中に、零次は足を踏み入れる。
おそらくこの部屋は柿澤の心そのものなのだろう。
荒れた壁、古びた床、壊れた電灯、深遠なる闇、立ち入るものを許さぬ深き場所。
その全てが、柿澤源次郎という男にいやというほどあてはまる。
そして、その中に零次は足を踏み入れたのだ。
「俺は異邦隊の考えを正しいと信じてきました。今でも間違ったものだとは思っていません」
柿澤までは、まだ遠い。
「でも、それは俺にとって手段だったんです。俺はいつのまにか手段に囚われ、本当に守りたいもの、本当に果たしたかった目的を見失ってしまいました」
さらに一歩、踏み出す。
「そして、ここにいては本当に守りたい人を守ることが出来ないんです」
暗い。
こんな世界に、自分も今までいたのだろうか。
だとすれば、涼子に感謝しなければならない。
柿澤と同じ闇へ向かっていた零次に、昔の思いを取り戻させたのは彼女だからだ。
「だから、俺はもう異邦隊にはいられません」
「……そうか」
柿澤は動かない。
静かに零次を待ち受ける。
あるいは、その様は零次の言葉を一字一句、大切に受け入れているようにも見える。
「私は止めない。その権利もなく、意思もなく、道理もない。私とて既に、異邦隊を捨てたのだから」
「そうですね。貴方にとっても異邦隊は手段に過ぎなかった」
「そうだ。私はただ私の信ずる道を歩んできただけのこと」
「そして何人もの人を犠牲にした」
柿澤まであと数歩。
零次はそれまで下げていた顔を上げ、はっきりと柿澤を睨みつけた。
その表情にあるのは、怒り。
「貴方にもう一つ用件があります」
「言ってみたまえ」
「冬塚涼子。彼女の両親、そして姉を殺害し――今また彼女の姉を狙っていたのは、貴方ですか」
「そうだ」
「刃を再起不能にさせ、赤根を殺害しようとしたのも貴方か」
「そうだ」
「目的のために、幾多の命を奪ったのは貴方かっ!」
「そうだ」
柿澤は鉄のような表情で、零次の怒りを受け止めていた。
受け流すこともせず、一つ一つをしっかりと聞いて、しっかりと答えた。
「――――そして今、君の前に立ちはだかるのもこの私だ」
それが宣告。
零次と柿澤の間にあった感情を、全て振り払う言葉だった。
「……二つ目の用件は」
もはや躊躇うこともせず、零次は最初から全力でいくつもりだった。
内側に眠る悪魔の力が目覚める。
腕、足、そして背に生える翼。
自我を保つことが出来るギリギリのレベルまで、零次は悪魔を解放した。
「第四段階解放――――これより貴方を敵と見なし、全力を持って倒します」
解放されし悪魔の力の影響か。
部屋の闇はより深くなった気がした。
「甘いよ、零次」
柿澤は片腕を水平に上げて、手のひらを零次に向けた。
「やるならば、殺すつもりでかかってこい」
「場所を移すか?」
「なに?」
「この会議室だと椅子やら机が邪魔だろう。もっと広い場所で、手加減無用の勝負をしたいんだがな」
にやけた顔で霧島はザッハークに提案する。
そのことにザッハークは警戒心を抱いた。
(今まで、奴が私を前にしてこんなに落ち着いていたことがあったか?)
ない。
どんなときでも霧島直人はザッハークを前にすると、激昂して襲い掛かってきた。
心理戦を得意とするザッハークはそこにつけ込み、霧島直人を幾度となく破ってきた。
いわば、ザッハークに対する負の感情がそのまま霧島の弱点になっていたと言っていい。
それが、綺麗さっぱり消えている。
なにかがあったのだろうか。
それとも、必死に怒りを押し隠しているだけなのだろうか。
あるいは……。
「……いいだろう」
奇妙なことだが、ザッハークはこれに同意してしまった。
この部屋には、予め用意していたトラップ用の結界がある。
ここで戦うことは、ザッハークにとってかなり有利な選択肢であった。
が、それを蹴った。
「場所は貴様の指定で構わん」
「ほう、お前がそう言ってくるとは思わなかったぜ」
「抜かせ。貴様など小細工なしでも十分倒せるということだ。それで、場所はどこだ」
霧島の言葉に眉を吊り上げながら、ザッハークは不快そうに言った。
「そうだな」
少し考える素振りを見せて、霧島は笑って頷いた。
「あそこしかねぇな。あそこなら広いし、今は人もいない。思い切り戦える」
そう言って、霧島はその場所の名を口にした。
なにかを思い出そうとしているのに、思い出せない。
そんな気味の悪さを覚えながら、梢は赤間カンパニー本社の前にやって来た。
心の整理はまだ出来ていない。
榊原、斎藤の言葉。
皆で一緒にいたいと願っていた遥。
訪れた、吉崎の死。
どうすればいいのかなんて、分かるはずはなかった。
ただ、やるべきことはやらなければならない。
梢は義務感で動いている。
「遥、ここにいればいいんだけどな」
「いるみたいだぜ」
「っ!?」
突然の声に驚いて臨戦態勢をとる。
しかし相手はそんな梢を侮蔑の眼差しで見ていた。
男の名は赤根甲子郎。
かつて、梢に敗れた者だった。
「ったく、てめぇは。俺の気配にも気づかないなんてよほど参ってんな? ちくしょうが、すっかり腑抜け野郎に成り下がりやがってよぉ」
「お前、確か赤根」
「俺の名前なんざどうでもいいんだよ、タコ」
赤根は凄まじい形相で梢を睨みつけた。
まるでヤクザのような表情である。
「そんな調子で何する気なんだ、ああ? 柿澤とザッハーク相手に、どう戦う気だ」
「……お前は違うのか?」
「違ぇ。てめぇは知らねぇだろうが、ここの異邦隊はもう壊滅状態だ。残るは首謀者の柿澤と、ザッハークだけってわけだな」
「そうだったのか」
どことなく虚ろに返答する。
本当に理解しているのかどうか、いまいち分からなかった。
チッ、と舌打ちして赤根は屋上を指差した。
「てめぇの探してる女はあそこにいる」
「は?」
「聞こえなかったのかよ、お前の探してる女があそこにいるって言ったんだ」
梢はまだそれをぼんやりと聞いていたが、やがて不思議そうに問いかけた。
「なんでそんなことを俺に教えるんだ?」
「気まぐれだ。別に善意じゃねぇ。でなけりゃ見つけておきながら放っておきはしねぇよ」
なるほど、と梢は納得したようだった。
リアクションはそれだけ。
そのことに赤根は不満を覚えつつも、踵を返した。
「どこに行くんだ?」
「あ? 邪魔そうなのはさっき外に出て行ったし。俺は中にいる野郎に借りを返さなきゃならん」
「そうか、行くのか」
梢は去りゆく赤根の背中に、ぽつりと一言。
「がんばれよ」
「――――てめぇは死ね」
赤根はそれだけを告げると、ビルの中へと入っていった。
梢はそれを見送ってから、ビルの屋上へと視線を移す。
「今助けるからな、遥」
言葉と共に、身体は宙を舞う。
まるで一筋の閃光のように、梢はビルの側面を駆け上り始めた。
近寄ることが出来ない。
許す限りの力を最大限に用いても、零次はその場を動くことすらできない。
進むことも戻ることもできない。
前後から凄まじい圧迫感が襲い掛かってくる。
――――柿澤源次郎は怪物だった。
彼を前にしては、自分ですら普通の人間と変わらないのだろう。
歯噛みする思いで、零次は眼前に立つ男を睨みつけた。
柿澤は零次に向かって、水平に手を伸ばしているだけだ。
それも、二メートルほど離れた地点からである。
それ以外、柿澤に変化という変化は見られない。
ただ、手を出しただけ。
それだけで、零次は既に敗北していた。
「ぐっ……おぉぉぉぉぉ!」
身体中の筋肉を用いて、見えない呪縛から逃れようとする。
が、やはり動けない。
既に何度も限界を越えたような気がしてくる。
何度も、これ以上は無理だと思う壁をぶち破ったはずだった。
それでもなお、柿澤源次郎には触れることさえ出来ない。
「愚かしい」
軽蔑の念を込めて、柿澤が呟く。
普段から多い顔のしわがさらに増えていた。
「私に挑むからには相応のものを持ちえていると思ったが。この程度か、久坂零次」
「……何を」
「話にならんと言った」
柿澤は手を振り下ろし、零次に背を向ける。
途端、後方からの圧迫感が消え――零次は支えを失った形で、後方に吹き飛ばされた。
「がっ……」
頭と背中を強打して、壁に叩きつけられる。
それだけではなく、視界が揺れていた。
「式泉遥はこのビルの屋上にいる」
零次の方を振り返ることもせず、柿澤は淡々と告げる。
「分かりやすく言うならば彼女はアンテナだ。彼女を通して世界は変わる。そのためにはなるべく広い範囲に魔力の波が行き届く場所がいい。だから高い場所を選んだ」
そこまで言うと、柿澤は手を振り上げた。
ぼむ、という音と共に柿澤の頭上、天井に人一人が入り込める程度の大きさの穴が開いた。
「計画は既に終局を迎えた。彼女は死ぬ。少なくとも精神は破綻するであろう。私はその前にお前たちに最後のチャンスを与えてやろうと思った。だからここで待っていたのだ」
だが、と柿澤は失望の声を漏らす。
「チャンスなど与える必要はなかった。お前にはなにもできない。その程度の覚悟では、なにかを成すことなどできるものではないと知れ」
心底落胆したのか、肩を落としながらも柿澤は上を見上げた。
その身体が少しずつ宙に浮き上がる。
「待て……」
わずかに動く身体に鞭打って零次は立ち上がった。
だが柿澤は零次の方を見ようとしない。
ただ一言だけ、言い捨てた。
「ついてきたければ勝手にこい」
ずっとムカシのユメを見ていた。
まだヒトじゃなかったワタシ。
なんで生きてるのかも知らなかった頃。
そこにあのコが来てくれた。
懐かしい、とても懐かしいユメ。
とても、とても悲しいユメ。
ユメの最後に私は倒れる。
血まみれのあのコは、いつまでも私を守ろうとしてくれた。
気づけば、遥は夜空の下にいた。
あの薄暗い部屋ではなく、どこか解放感を思い起こさせる空。
どこまでも、どこまでも続いていく空。
「……か」
なにかが聞こえた気がした。
少し自分の様子をうかがってみる。
なんだか、複雑な模様をした魔方陣の中心にいるようだった。
「――か」
周囲には、薄い魔力の壁。
結界というやつなのだろうと、遥は漠然とした思いでいる。
「…るか」
どこからか、近いようで遠い場所から、誰かの声が聞こえる。
「梢、君?」
声が出せたことに自分でも軽い驚きを覚えながら、ゆっくりと身体を起こす。
視界の先に、彼はいた。
「遥、大丈夫か」
「……うん」
助けに来てくれたのだ、という思いがあったが、なぜか素直に喜べなかった。
だからどことなく虚ろな表情のまま返事をしてしまう。
もっとも梢の方もそんなことは気にしていなかった。
彼もまた遥と同じく、心ここにあらず、といった有様だったからだ。
「待ってろ。単純な魔力の壁だからこれは壊せる」
そう言って梢は新たな右腕を結界に当てた。
そこそこ頑丈な結界だったのだが、構成が単純すぎた。
梢の右腕に内臓されているマジックキャンセラの前に虚しく消え去る。
「梢君、それ」
「ああ、新しい右腕だ。それよりも早く家に戻るぞ」
「そうだね、帰らなきゃ」
まだ痛む頭を抑えながら、遥は意図的に帰るという表現を使った。
深い意味あってのことなのかどうかは、分からない。
ただ。
「ちっ」
梢が舌打ちした。
彼の視線は床に――建物の中に向けられている。
そして唐突に、全く唐突に床に穴が開いた。
その穴からゆっくりと出てくる男が一人。
「なんだ、お前も着ていたのか後継者よ」
「お前は?」
梢は遥を庇うように、二人の間に立った。
柿澤の尋常ではない雰囲気を感じ取ったのかもしれない。
それを察したのか、柿澤は目を細めて梢を見据えた。
「柿澤源次郎。お前の敵だ」
「貴方の相手は俺だ!」
と、そこでもう一人穴から飛び出してきた。
黒き翼を背に宿した男、久坂零次。
その双眸は怒りや意地を秘めたまま柿澤を睨みつけている。
「倉凪、お前は彼女を連れて逃げろ」
「状況はよく分からんが……元よりそのつもりだ」
そう言うやいなや、梢は遥の身体を抱きかかえて迷うことなくビルから飛び降りた。
その後姿を柿澤が見逃すはずはない。
彼は先ほど零次に対してやったのと同じように、梢たちの背に向けて手を伸ばし――、
ガン、と思い切り殴り飛ばされた。
柿澤はすぐさま標的を零次に戻す。
そこには若干の驚きと怒りが込められていた。
まるでありもしないものに痛手を負わされたような。
「貴方の計画の内容などは知らんが……彼女を犠牲にするというなら意地でも止めさせてもらう。彼女は今やあいつにとって、ただ一人の肉親となったのだからな」
「あくまで私の邪魔をするというか、零次」
「当たり前だ。俺は今度こそ守る」
そう言いながら、零次は心の中の鍵を一つ一つ外していった。
己の中に潜む、悪魔を呼び起こすために。
「貴方の言うように、半端な覚悟では駄目なようだ。だから俺は全力を……例え忌むべき力を振るってでも、貴方を倒す」
一言一言を発するたびに意識が遠のいていく。
ただ、零次が最後に見た柿澤は。
(笑っている……?)
そんなことを思ったとき、彼の中でなにかが切り替わった。
全身が黒く染まっていく。
心までも黒く染まっていく。
それでも、あえてこの力を振るう。
零次に今、迷いはない。
朝月学園の校庭は広い。
さらに現在は夏休みで帰省している生徒が多かった。
もともと寮から離れていることもあり、今は人の気配がまるでない。
夜風に砂が舞う。
まるで砂漠のようだった。
この二人の決着を着けるには相応しい場所であろう――――。
「なるほど。こんな場所があるとは盲点だった」
「なかなかいい場所だろ。ここなら邪魔も入らないし、小細工もなしだ」
霧島直人が、静かに立つ。
対するザッハークもその場に立ち尽くしている。
お互い相手のことを睨みつけながら。
「最初に言っておくとな、これで多分最後になる」
「私と貴様の戦いが、か」
「ああ」
いつのまにか霧島は煙草を吸っていた。
ザッハークはそれを認識できなかったことに驚きながらも、それを押し隠して淡々と尋ねた。
「それは今日で私を倒してみせるという決意表明か」
「そんなものは今更だ。俺が言ったのはただ言葉通りの意味だよ、蛇の王」
ふぅ、と一息ついて霧島は駆け出した。
煙草を吐き捨てながら、唐突にザッハークへと駆け出す。
ザッハークの方もいちいち取り乱したりはしない。
いつどこでどのような形で始まるかは分からない。
――――ただ、この二人が出会えば避けられないだけのもの!
「それが貴様と私の戦いだ!」
手元に魔力の剣を精製し、ザッハークは踊るように斬りかかった。
それは寸分違わず霧島の眼球へと迫り来る。
「させるかよ」
言って霧島は手元からナイフを取り出した。
複雑怪奇な模様が描かれた魔術道具。
予め幸町から貰っておいた霧島の武器。
ザッハークの倍以上の速度で霧島は、ナイフをザッハークの右腕に突き刺す。
「ぬっ!?」
今までにはなかった霧島の速度と、右腕に走った異様な感覚の両方にザッハークは警戒した。
一端距離を取り、ナイフを引き抜こうとする。
が、霧島はそんな暇は与えない。
ザッハークがナイフへと手をさし伸ばした瞬間には、彼の顎を蹴り上げていた。
「――――ッ!!?」
左手で身を回転させながら着地したザッハークは、驚きの目で霧島を見ていた。
(こいつ……!)
そこまで考えた時点で、ザッハークの脇腹に鈍い痛みが走った。
気づけば霧島がザッハークの脇腹に手を差し込んでいる。
そのまま手を引き抜くと、今度は鳩尾に渾身の力を込めた拳を叩きつける。
「ごふっ!」
その有様をザッハークは認識できない。
それはあってはならないことだ。
霧島直人の能力は速度倍加。
どれだけ倍増させられるかは分からないが、それでもザッハークはこの数年間で霧島の能力の限界を感覚として掴んでいた。
確かに速度倍加は厄介だったが、目で追う事はどうにかできた。
あとは身体が反応しなくても、魔力変質の能力を利用して、作戦を立てていけば負けることはなかった。
しかしここにきて霧島直人は、ザッハークが認識していた彼の限界を突き破った。
(なぜだ)
久々に感じる鈍い痛み。
敵前で頭を抱えながら、不様に呻くことなどザッハークにとって、あってはならないことだった。
「何故だ、何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故なんだ霧島直人!」
「さてね」
どこか、なにかを諦めたような笑みを浮かべながら霧島はザッハークの胸倉を掴みあげる。
――――そのときになってザッハークは初めて、霧島の顔色が悪いことに気づいた。
しかしそれも一瞬のこと。
霧島は凄まじい力でザッハークを上空へと放り上げた。
(次で終わりだ)
もう限界がきている。
霧島がザッハークの理解を越えた実力を発揮したできたのは、単純な理由だ。
今まで霧島は身体にかかる負担のことも考えて能力を駆使してきた。
今回はそれをしなかっただけのこと。
既に半分以上が人の身ではないが、それでも身体は悲鳴をあげ続けている。
ならばいっそのこと、悲鳴をあげることさえできないくらいに酷使してやろう。
霧島は見上げる。
己が長年戦い続けた宿敵を。
結局だらだらと長引かせた戦いは、自分にとっても他の人にとっても悪しき結果しか残さなかった。
だから、ここで全てを終わらせる。
例え何に代えても――――!
「終わりだ、ザッハーク!」
「どうかな」
視線の先の敵は、笑っていた。
そして霧島は、気づいてしまった。
驚愕の眼差しでこちらを見据える、男子生徒に。
「っ、やめ――!」
霧島の悲痛な叫び声は、そこで途絶えた。
ザッハークの右腕から、吉崎のときと全く同じように――死を呼ぶ魔弾が解き放たれた。
頭がふらふらする。
自分の意識がなくなってしまっているかのようだ。
もしかしたら眠っている間に術式を書き換えられたのかもしれない。
遥は頭を抑えながらそんなことを考えていた。
「遥、大丈夫か」
隣で心配そうにしている梢の様子も、非常に似ている。
考えがまとまらず、どうすればいいのか分かりきっていないような顔。
そう言えば彼は伝言を聞いたのだろうか。
遥はそのことを疑問に思いつつも、口には出さない。
なんだか聞くのが怖かった。
彼はまだ思い出していないと、どこかで理解している。
「大丈夫」
そう答えたとき、脳裏にある風景が浮かび上がった。
放たれる弾丸。
倒れたままの誰か。
そして、その誰かを助けようとして傷ついた他の誰か。
何の前触れもなく、最悪の予感というものが遥を襲った。
思わず膝が崩れて、道路に倒れてしまう。
「遥、おい!」
慌てて梢が抱き起こす。
が、遥は既に尋常ではない様子だった。
あらぬ方向を指差し、ぽつりと呟く。
「行かなきゃ……」
「おい、遥?」
「行かなきゃ……早く、行かなきゃ」
梢は遥の指差す方向を見た。
「あっちか?」
「うん」
「――――――学校、か」
日常を捨てようとした梢。
それを引き止めようとした、養父と友人。
脳裏に様々なものが思い浮かんでは消える。
「ちっ、なんだってんだよ」
苛立ちを含めた声をあげながらも、梢は遥を背負って学校へと駆けて行く。
日常の象徴だった、あの場所へ。




