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異法人の夜-Foreigners night-/第一部  作者: 夕月日暮
第三章「新たな日々へ」
22/26

第二十一話「決戦準備」

「まだかかりそうですか?」

「うん、いろいろと組み込んでるから……もうちょっとだね」

 真っ白な天井。

 ここは、町の死角にある闇医者。

 霧島直人が義足を修復した、あの医者のところだった。

 そこに梢はいた。

 右腕を取り戻すために。

「あと、これを使うんだっけ?」

 と、医者――幸町孝也が、筒状の物体を梢に見せた。

 梢は横になっているため頷くことはできない。

 だから直接口で答えた。

「はい、お願いします」

「了解。飛鳥井さんとこのだから、いいマジックキャンセラーだよこれ。これを組み入れれば、ザッハークが操る魔力も簡単に霧散させることができるようになる」

「そういうものだとは知らなかったっすけどね」

「感傷的なものかな?」

「……ええ、まあ」

 幸町という男は闇医者などという物騒な職業名には相応しくない男だった。

 丸眼鏡に、ちょっとぼさっとした髪。温厚そうな顔立ちをした、まだ二十代半ばの青年だった。

 口調も丁重で、まるで小学校の教師でもやっていた方が似合いそうではある。

 自然、雰囲気に呑まれて梢も似合わない敬語を使ってしまう。

「君は、このまま新たに腕を作ってどうするのかな」

「ザッハークと異邦隊を叩き潰して、遥に危害が加わらないようにするつもりです」

「その後は何も言わずに姿を消すんだろう」

 鋭かった。

 ただ、責めるようにではなく、どちらかというと秘密を解き明かした子供のような無邪気さを声に秘めている。

「さっき君が来る前に榊原氏から電話があったよ。君の事を探していたみたいだ――黙って出てきたね?」

「……」

「君に関することは直人からよく聞いてるから、知らないってわけでもない。多分君は、もう限界を感じているんだろうね」

 梢は黙っていた。

 しかし、その顔は辛そうに歪んでいる。

「……まぁ僕は今回当事者でもないし、あまり無責任なことは言えないんだけどね」

 作業を進めながら、幸町は困ったような笑みを浮かべた。

 なんともよく似合う。

 おそらく将来は奥さんの尻にしかれて、こんな笑みを浮かべるのだろうと梢は思った。

「直人さ」

「はい?」

「直人。彼、何が目的か知ってる?」

「確か誰かの敵討ちだとか」

 梢は優香のことは知らない。

 また、霧島も梢に語ることはしなかった。

 ただ漠然と、霧島がそんなことを口にしていたような気がする。

「うん、優香さんの敵討ち。殺したのはザッハークで、ずっと直人はザッハークを追い続けていた」

「なるほど、道理でザッハークと戦ったとき」

 昔とは別人のように見えたわけだ、と梢は納得した。

 梢が知っている霧島は、いつも明るく冗談ばかりを言って、それでも肝心なときは頼りになる男だった。

「直人が変わった、なんて思わないでやってくれよ」

 梢の心の内を読んだかのように、幸町は言った。

「彼は建前はそうやって復讐を理由にザッハークを追い続けてるけどね、本当はもっと別のところに理由があるんだよ。少なくとも、復讐の念だけでは何年も一人の男を追い続けることなんてそうそうできることじゃないからね」

「それじゃ、幸町さんはなにが理由だと?」

「――――後悔から来る自責の念」

 幸町は静かに、重々しく言った。

「彼が優香さんの死を知ったのは、三年ほど前かな。彼女、身体中をいじりまわされたみたいでさ、無事だったところなんて一つもなかったらしい。最初直人は彼女を見つけても、"それ"が彼女だと理解できなかったと言っていた」

 梢は薄ら寒いものを感じた。

 もし自分の周囲の人間、遥や美緒、榊原たちがそんな目に合わされたら――そのことを思うと、脊髄に氷をねじ込まれたような感覚に襲われる。

「彼は悔やんで、悔やみすぎた。一時期ものすごく自暴自棄になった。その頃だよ、彼が両手両足を失ったのは」

「……足だけじゃなくて?」

「うん、彼は右肘から先、左肩から先、右膝から先、そして左足はほぼ全て失っている。ザッハークへの憎しみはもちろんそうだけど、自分自身への不甲斐なさに腹が立ったんだろうね。まるで我を省みない戦い方ばかりして、その都度死にかけた状態でこの診療所までやって来た」

 そこまでなるぐらい、辛かったのだろう。

 霧島の絶望や悲しみが、梢には分かる気がした。

「でもあるとき、急に憑き物が落ちたようになってね。いつものように義手義足を壊して、うちに来たときに妙にぼんやりとしていたんだ」

 そのときの霧島の様子を再現しようとしているのだろうか。

 幸町は急にぼーっとしたような表情になった。

 ただし作業の手は休めていないため、ぼーっとしながら手早く作業するというおかしな構図になってしまった。

 この人物に自分の右腕を託している梢としては不安である。

「あの、それで?」

 とりあえず話をうながすと、幸町は真顔に戻った。

「そのときの様子があまりにもおかしかったから、ちょっと聞いてみたんだよ。どうかしたのかって。そしたら直人、なんて言ったと思う?」

「さぁ……」

「忘れてた、って。ぼんやりと、忘れ物をしたことを、手遅れになってから思い出したように言ったんだ」

 夕陽が窓の外に見える治療室で、霧島は茜色の空を見上げながら、そう呟いた。

 その後、その日になにがあったかを語った。

「その日にザッハークと対峙したとき、運が良かったんだろうね。ザッハークの一瞬の隙を突いて、直人はザッハークに致命傷を与えたと言っていた。要するに後一歩で勝てるところだったらしい。

 しかし、そのときザッハークは人質を取ったんだ。偶然その場に居合わせてしまったんだろう。人目につかないところで戦っていたというから、人質となった子供は好奇心旺盛な坊やだったんじゃないかな。

 そのとき純粋な復讐者であるなら、直人は子供を無視してザッハークを殺すべきだった」

「兄貴はそんなことしない」

「ああ、その通り。彼は出来なかった。人質をどうにか助け出そうとして、ザッハークを逃がしてしまった。そんな結果になって、直人はこう言ったんだ」

『笑っちまう。復讐のためになにもかも捨てたつもりでいたのに、まだあんな感情が残ってるなんてな』

「僕は尋ねた。そんなことになって、悔しいかい、と。そうしたら彼は」

『いいや。これまた笑える話だけどよ、ここ数年続いた闇に光が差し込んだ気分だ。あの子供、最初俺を見たときは顔引きつらせて泣き出しそうだった。ところがどっこい、助けた後には……まぁ泣いちゃいたが、笑顔でありがとうときたもんだ。こっちの方が泣きたくなったよ。俺は本来、そうだったんだ』

 そういう奴だったんだと、自分のことを笑いながら霧島は話していたという。

 夕焼けの中にあるその姿は、幸町にはひどく寂しげなものに見えた。

「僕は勧めた。これを機会に復讐なんてやめたらどうか、と。だが彼は笑って首を振った」

『そいつぁ大変魅力的な誘いだが、無理だ。ザッハークは殺さないにしても止めないと、犠牲者が増えるばかりだ。それにここまで来たら、今さら俺が手を引いたところで奴の方が放ってはおかないさ。これはな、陳腐な言い方をすれば、最早宿命という域に達しているんだ』

 俺には、もうそんな選択肢は用意されていない。

 そう、霧島は寂しげに言った後、底抜けに明るく笑った。

 ここまで好き勝手にやってしまった以上、けじめはつけないといけない。

『それさえも、俺の我侭だと考えれば、俺ほど自由に生きてる奴もいねぇよな』

 馬鹿みたいに笑った。

 幸町も一緒になって笑った。

 ひどく、殺風景であっただろう。

『けど』

 と、霧島は笑いを止めて、幸町を見た。

『俺以外の奴には、こんな風になってほしくねぇな。こんな馬鹿な道、選んじゃいけねぇ』


「君のことだよ」

 幸町は椅子に座り込みながら、梢を見据えた。

 優しい視線だった。

「君は直人と同じように大切な者を失い、大切なものを捨てようとしている。それだけは、絶対駄目なんだ」

「……」

「捨てるのは簡単だ。終わらせることは容易だ。けどね、そうすることで、二度と取り戻せないものができてしまう」

 霧島にとっては、なんだったのだろうか。

 失ったものは優香だ。

 そして捨てたものは、梢たち榊原家の一員だろう。

 霧島は、遅まきながら後悔したのだ。

 ザッハークを相手に優香の弔い合戦をやるのもいい。

 だが、榊原家の人々を捨ててまでやるべきだったことなのか、どうか。

 俗な言い方をすれば、優香でさえ霧島の復讐は喜ばないに違いない。

 失ったものを背負いながらも、霧島は榊原家へと戻ればよかった――そう思ったのである。

 梢はどうなのだろうか。

「俺は、分かりませんよ」

 麻酔を打たれているためか、身体は動かせない。

 どうにか動く頭部を横に振って、梢は呻いた。

「駄目だったんです、俺はたった一人の人間も守れなかった。俺にさえ関わってなきゃ、あいつは今頃無事でいたかもしれないってのに」

「そこが君はおかしいね」

 ぴしゃりと、鞭打つような言葉を投げつけられる。

「それは君が背負うべき業じゃないよ。君と関わり合いを持ったことも、君の窮地に駆けつけたことも、君の友人が決めたことだ。君には関係がない」

「でもっ!」

「――君は、友の決意を我が物として扱うつもりかい? それは少々、無礼というものだよ」

 視線を向けると、幸町は先ほどまでとは全く違う、なにか得体の知れない感情を込めた相貌を梢に向けていた。

 心臓を鷲づかみにされたような気分だった。

 吐き気が、する。

「君はなんでも我が事として背負い込みすぎるきらいがあると、直人からは聞いていたが。まさかこれほどまでとは思わなかったよ。ああ――実に性質が悪い」

 眼鏡をくいっと押し上げ、幸町は自分の髪をくしゃっと握った。

 癖なのだろう。

 その姿勢のまま、続ける。

「友の意志に負けて君は自分の意志を引っ込めようとしている。そんな"弱い人間"には誰も守れないな、確かに」

 梢の主体性の無さを責めるような口ぶりだった。

 その言葉に対して、梢は反論することが出来なかった。

「強い人というのはね、自ら掲げた目標を見失わず、それに向かって進み、何度転ぼうとも起き上がれる人だ」

 道を進むのをやめることはできる。

 目標を変えてしまうこともできる。

 だらだらと停滞することもできる。

 しかし、常にそこに向かって進み続ける者は、そうはいない。

「理屈などは元来いくらでも飾れるものだ。でも進むことを止めた者はそれすらできないよ」

「でも間違って――」

 現に吉崎が死んだ。

 そう言いかけて、梢は先ほどの幸町の言葉を思い出した。

 吉崎が死んだのは、吉崎自身の決意によるもの。

 梢に責任はない、とでも言いたいのだろうか。

 それとも――

「……はい、そろそろ動くようになったかな」

 パン、と幸町が手を叩くと同時に、右腕に斬新な感覚が宿った。

 従来のものとは全く違う、それでいて見た目や手触りは全く普通の、右腕。

 義手というと、もっと機械らしいものを予想していた梢にとっては、驚きである。

 が、一面これが本物の腕でないこともよく分かった。

 言いようのない違和感が、梢に付きまとう。

「その右腕は君の意識に連動して性能が変わる。いまいちそれが自分の右腕だと実感できないうちは、違和感がつきまとうだろう。とりあえず君の左腕と比較すると十倍強の破壊力、防御力を有している。それと霊体や魔力といったような、物質外のものにも触れることが出来るようになっているよ」

「随分物騒な腕ですね」

 十倍強と言ったら、だいたい翠玉の篭手を装着しているときよりも性能が上である。

「まぁ、それは戦闘を意識しているときの話さ。それ以外のときでは威力は普通の人間の腕並みに抑えられている」

「それが本当ならありがたいっすけど」

 あまりに破壊力が過ぎると私生活で不便だから。

 そう考えている自分に気づいて、梢はおかしくて笑った。

 自分はこの町を離れると言っていたばかりではないか。

 それが、私生活などというものを心配してどうするのだろうか――。

 自分の気持ちを引き締めるために、新しい右手と、左手を使って顔を叩いた。

 決意は緩めてはいけない。

 自分が普通の世界にいることで、犠牲にしてしまうかもしれない人がいる。

 その人たちのためなら、梢はなんだって捨てるつもりでいた。

「……ありがとうございました」

 また話を再開されないよう、梢はそそくさと立ち上がった。

 幸町はそれを遮ることなく、最初と同じ微笑で梢を出口まで送っていった。

 ただ、梢が扉に手をかけた瞬間。

「ああ、ちなみに定期健診、月イチ。来なかったら右腕動かなくなるかもしれないから」

 結局一ヵ月後には、ここまで戻ってくる必要がある。

 この宣告に、梢は苦笑せざるをえなかった。


 日が傾き始めた頃、榊原は自宅へと戻ってきた。

 これまで梢の行方を捜して、あちこちを飛び回っていたのである。

 やや乱暴な運転で、車を車庫へと収納する。

 頭を掻きむしりながら出てきた榊原の姿は、傍から見ても憔悴しきっているようだった。

「くそっ、あの馬鹿野郎が」

 思いつく心当たりには全て電話したか、直接出向いた。

 が、どこにも梢はいなかった。

 ただ二つ例外がある。

 藤田と、斎藤だった。

 が、あの二人の元には確認するまでもなく梢はいないだろう、と榊原は考えている。

 直接その現場を見たわけではないが、梢はあの二人を拒絶したらしい。

 そんな二人のところへ、わざわざ出向くような真似はしないだろう。

「くそったれが」

 苛立たしげに煙草を吸う。

 梢たちが来てからは家では吸わなくなっていた。

 そのことを思うと、榊原は今の自宅がひどく静かなものだということを痛感する。

 梢がいて、美緒がいて。

 以前には霧島が出入りをしていた。

 たまに涼子や藤田、斎藤らも来ていた。

 少し前までは――――吉崎も。

「……寂しい、なんて、思うとはな」

 思えば、この広い屋敷に一人でいることは久しぶりだった。

(常々思うが、この屋敷は……一人でいるには、広すぎる)

 じゃり、と地を踏みしめて榊原は縁側に座り込んだ。

 吐き出された煙が、夕陽に覆いかぶさった。


 ぴんぽーん。

 誰かが訪れた音を聞き、榊原は煙草を灰皿へと押し付けた。

 その足で玄関へと向かう。

 梢が戻ってきたのだろうか、という期待がある。

 あるいは、ザッハークの襲来か。

 この時点で遥は拉致されており、もはやザッハークが榊原邸を襲撃する可能性はないのだが、榊原はそれを知らされていなかった。

 警戒しながらも、門を開ける。

 そこに立っていたのは――――。

「……倉凪、いますか?」

 眼鏡をかけた、怜悧そうな顔立ちの少年。

 ――斎藤恭一だった。

「お前は、確かあいつの友人の」

「今は断交状態にありますがね」

 クイッと眼鏡を押し上げて、斎藤は榊原に問いかけた。

「倉凪がいないようでしたら、榊原さん。貴方に少々うかがいたいことがあります」

「……なんだ?」

「倉凪の真意。それと、吉崎の死についてもう少し詳しく」

 斎藤の言葉が何を指しているかに気づき、榊原はホウ、と感心した様子で声を上げた。

「なぜそれを聞きたい?」

「あまり腑に落ちないので。それに、このままでは納得し難い」

 斎藤はあれからずっと、梢の態度について考えていた。

 彼が知っている梢とは、あまりにもかけ離れた存在。

 であるにも関わらず、どこかで変わらないモノがあるようにも感じられたのである。

「いろいろ考えてみました。しかし判断材料がこちらにはなさすぎる」

「それで、直接問いただしに来たわけか」

「ええ、しかし残念ながらいないようですが……榊原さん。貴方なら、ある程度事情は知っているのではないでしょうか」

「知っているには知っているがな」

 果たして話すべきか否か。

 梢はこの友のためを思って、彼らを拒絶したという。

 しかし彼らはそれに納得しておらず、梢自身、別に嬉しいと思っているわけでもない。

 ならば、話すべきだろうか。

 そこまで思い至ったとき、門の陰から――矢崎亨が飛び出してきた。

「榊原さん、梢さんいますか!?」

 顔色を真っ青にしながらも、凄まじい気迫で問いかけてくる亨を見て榊原は直感した。

「なにか、あったか?」

「遥さんが、ザッハークに……!」

 亨は、斎藤がその場にいることにも気づかずにその言葉を言ってしまった。

「彼女が……?」

 訝しげに歪んだ視線が、亨を捉える。

 もはや、隠しようがない。

 榊原は、斎藤に全てを話した。


「正直なところ、混乱しています」

 話を聞き終えた斎藤は、車の後部座席で頭を抱えていた。

 榊原は知っている限りの情報を、斎藤に語りつくしたのである。

 梢のこと、遥のこと、ザッハークという男のこと。

 さらに霧島から聞かされていた異邦隊なるものの実態までも、何から何まで残すことなく全てを語った。

 異常という他ないような出来事。

 しかしそれらに密接に関わっていた友人。

 そのギャップも、斎藤を戸惑わせる原因となっていた。

 車は今、薄暗くなりつつある町を駆け抜けている。

 亨がどうしても梢を、一刻も早く探し出したいと言い出したからである。

 理由は、亨は語らなかった。

 ただ、まず最初に梢に言わなければならないということだけを告げた。

「ですが、倉凪の心情はある程度察することが出来ました」

「と言うと?」

「あいつはおそらく吉崎を守れなかったことに強い責任を感じたのでしょう。遥さんを狙う輩――柿澤源次郎という男と、あのザッハークを倒し、その後姿を消すつもりではないでしょうか」

「……奇遇だな、俺もそう思っていたところだ」

 榊原はいつもの三倍以上の集中力で、視線を忙しなく動かし続けている。

 夜のため昼に比べると視界が悪いというのもあるが、なによりも梢は夜になると人目をさほど気にせずに全力でその能力を活用できるようになる。

 よほどの動体視力がなければ、存在を完治することなど到底出来ない。

「梢さんは、間違ってなんかいませんよ」

 顔色を真っ青にしながら、榊原同様周囲に気を配っている亨が呟いた。

「間違ってないから、そんなことしちゃ駄目なんです」

「……」

 斎藤はまだ頭の中が整理しきれていないのか、黙ったままだった。

 大通りに出る。

 そのまま交差点を曲がろうとした際に、


 ドンッ!


「っ!」

 車の上に何者かが飛び乗ってきた。

 その衝撃で車が大きく揺れる。

「野郎っ!」

 榊原は車をスピンさせ、車上にいる何者かを振り落とそうとする。

 が、依然として気配は離れない。

「榊原さん」

 見かねた亨が、助手席のドアを開いて言った。

「伝言を頼みます……遥さんは、昔から、そして今もずっと貴方のことを待っている、と!」

「任せろ!」

 榊原が頷くと同時に、亨は外へと飛び降りた。

 そのまま外で何かと何かが激しくぶつかりあう音が聞こえる。

 そんな中で、榊原は一気にアクセルを踏み込んでその場から離れた。

 斎藤はその状況に一人取り残されたように、後ろで呆然とするほかない。

 思い出したように榊原は斎藤をちらりと見た。

「大丈夫か?」

「……これが倉凪たちのいる世界なんですか」

 返答はせず、逆に問い返す。

 榊原は静かにああ、と答えた。

「これがあいつらの住む世界だ。俺たちの住む世界とは、訳が違う」

「でも」

 と、そこで斎藤はようやく、意見らしい意見を言った。

「それでも、あいつは僕たちの世界にもいた」


 亨は車に飛び乗っていた影を、不意の一撃で叩き落した。

 ザッハークにやられた傷は未だ癒えていないが、飛鳥井家で簡単な応急処置はしてもらった。

 無理をすれば、数分程度は戦えないこともない。

 叩き落しながら、その反動を利用し、塀の上に飛び乗る。

 一方叩き落された相手は、路上にその身を投げ出した。

 街灯によってわずかにその顔が照らし出される。

「まさか、貴方でしたか――――奇遇ですね、藤村」

 そう。

 そこにいたのは、異邦隊員が一人、藤村亮介だった。

 もはやこの地区の強化能力者では、最後の異邦隊員になる。

 藤村は、かつて同僚だった亨の問いかけを黙殺した。

 と言うよりも、即座に戦闘態勢に入っている、

 己の顔を照らし出す街灯を一撃で破壊すると、次々と同じように周囲の街灯を破壊して回った。

 ここは住宅街の奥地。

 民家の明かりもほとんどなく、街灯が破壊されるとすぐに暗闇に包まれてしまう。

(こっちの視界を塞ぐつもりですか)

 亨は冷静になるよう自分に言い聞かせている。

 カッとなった挙句に、ザッハークに一撃で倒されたのが効いたのだろう。

 冷静に、そして冷徹に藤村の動きを読もうとしている。

 彼は数日前までは同僚だった。

 それでも、その彼と戦うことに――彼を倒すことに、躊躇いはない。

「藤村、君は忘れているのか。君が、戦いに向いていないということを」

 気配を捉えた。

 藤村は普段、情報収集を主に担当していた。

 強化能力者であり、身体能力だけならば亨たちとも大差がないはずのこの青年が、なぜそうした事務仕事を中心としていたのか。

 能力の方向性である。

 他者の記憶を映像化するという能力だけでは、万一戦闘向けの能力を持つ者が現れた場合――例えそれが強化能力者でないにせよ――敗北する危険性があったからである。

 そうした経緯もあり、藤村は戦い慣れしていなかった。

 亨もそれほど自分が強いとは思っていないが(少なくとも零次や霧島、もしかすると梢にも及ばないだろう)、それでも藤村が相手ならば十分勝つ見込みがあると踏んでいる。

 現に、既に周囲は暗くなってはいたものの、藤村の気配はそれとなく察知することができる。

「黒金の針!」

 亨は藤村の気配がした場所へと、無数の鉄の針を投げつけた。

 藤村は気配を隠しきれていなかった。

 胴体を守るために腕を交差させ、針を受ける。

 が、その際にどうしても隙ができる。

 それを亨は見逃さなかった。

 藤村が交差させた腕を解いたとき、既に亨は藤村の右脇へと飛び込んでいた。

 手には銀の棒。

 剣や槍などではなく、打撃系のものを用意したのは藤村を誤って殺さぬよう、そして同時に、打撃系の武器で深手を与え、戦意を萎えさせようという考えから来ている。

 藤村が気づくよりも早く、亨は野球選手がフルスイングするように、銀の棒を藤村の脇腹へと、

 どくん。

「――っ!」

 叩き込む前に、亨は全能力を駆使してその場から飛びのいた。

 ぞくりと、背筋が凍るような……耐え難い恐怖を感じたからである。

 どくん。どくん。

(ナンダナンダナンダナンダナンダナンダ!?)

 どくん。どくん。どくん。

 絶対的な恐怖。

 それを、ここまで実感したのは初めてだった。

 ザッハーク相手に感じた得体の知れない、多分に抽象的な恐怖とはまた違う。

 絶対に乗り越えられないと、実感した壁。

 それが、亨の眼前に姿を現した。

 二メートルを越すであろう巨体。

 漆黒の闇色に紛れていても、その輪郭を亨が見間違えるはずがない。

 いつも共にあった、相手なのだから。

 どくんどくんどくんどくん――――。

 そして、絶対に越えられないと思っていた相手でも、あった。

「――――――兄、さん」

 闇の中、巨体の男は静かに亨の前に立ちはだかった。


 涼子は、零次に連れられて飛鳥井邸へと来ていた。

 零次はこの屋敷の家主である喜八郎という老人に涼子を預けると、すぐさまその場を去っている。

 ただ去り際に残した、必ず戻ってくる、という言葉が涼子の心を温かくした。

 数年前の事件のときは、そうではなかった。

 病院で目覚めた涼子を待っていたのは、どうしようもない孤独感。

 ぼんやりと、記憶の中から抜け落ちた事柄。

 かすかに浮かぶ情景は現実感を感じさせない。

 そして、涼子の側には誰もいなかった。

 あのときほど孤独を感じたことはない。

 病院で入院している最中、どれだけ一人、泣いたか分からない。

 悲しいときに、本当に悲しいときに、側に誰もいないということの苦痛。

 それを涼子は身を持って体験した。

 だから、今は。

「……どうなっちゃうのかな」

 か細い声で、美緒が呟いた。

 涼子はその隣に座り込んでいる。

「吉崎さんも、お義姉ちゃんもいなくなって――お兄ちゃんも。なんで、皆いなくなっちゃうんだろう」

 美緒は俯きながら、必死に涙を堪えているようだった。

 両親との死別、親類からの虐待。

 その先に得た、榊原邸での安息。

 少しずつ積み上げてきた、大切な安らぎの時間。

 それらが、次々と崩れ去っていく。

 そのことがどれだけ辛いことかは、涼子にも多少は分かる。

「私、吉崎さんが好きだったんだ」

 ふと、親友である涼子の前だからか、美緒はそんなことを漏らした。

 吉崎は、思えばよく美緒の相手もしていた。

 霧島や梢が揃って遊びに出かけるとき、そっと美緒に手を差し出したのは、吉崎だった。

 だからだろうか。

 霧島は頼もしかったし、梢は心強かった。

 榊原は他の何よりも信頼できた。

 が、吉崎のことは、純粋に好きだった。

「いつか言おうかなってずっと思ってたんだ……でも、言えなかった。馬鹿だね、私」

「美緒ちゃん……」

「お兄ちゃんさ、きっともう戻ってこないよ」

 涼子の言葉は聞きたくないのか、美緒は頭を振りながらそんなことを言った。

「私なんかよりもきっと、ずっと吉崎さんのこと悔やんでるから。思いつめてるから。私たちの前から、きっといなくなっちゃうよ」

「そんなことない」

 涼子は美緒の言葉を優しく否定する。

 そっと肩に手をかけて、抱きしめた。

 零次だって戻ってくると約束したのだ。

 あの、周囲を想って止まない倉凪梢が、こんなふうに泣き崩れる妹を放って消えるはずがない。

「大丈夫。先輩はきっと戻ってくる……だから、待とう。私と一緒に」

 きっと戻ってくる。

 倉凪梢と久坂零次は、彼女たちの"姉"を取り戻し、きっとここに戻ってくるだろう。

 だから二人で待てばいい。

 一人で待つのは辛いけど、二人ならきっと大丈夫だから。


 遥は椅子に縛り付けられていた。

 身動きが取れない彼女の前には二人の男がいる。

 柿澤源次郎と、ザッハーク。

「久しいな、と言ったところで、そちらは覚えていないか。泉の娘よ」

「覚えてません。誰ですか、貴方は」

 警戒心を丸出しにして遥は柿澤を睨みつける。

 やはり一人囚われの身となると、どうしようもなく怖い。

「私は異邦隊の長……君がいた研究所の、上にいた者と言った方が分かりやすいか」

「あの研究所の……」

 その言葉だけで、遥は吐き気を覚えるようだった。

 自分を人形のようにしか扱わない研究機関。

 最低限の教育と、多数の実験。

 自由は与えられず、ただ実験材料として過ごすことを強要された場所。

「でも、泉ってなんですか。私はそんなの、聞いたことない」

「泉とは魔術師の家系のことだ。日本国内では魔術の名門として名をはせていた……もっとも、本家は今から十七年ほど前に滅んでいるがね」

 柿澤は遥には分からない意味の言葉を並べた。

 それに気づいたのか、彼は遥の方へちらりと視線をやり、苦笑する。

「失敬。分かりやすく言うと、君たち姉妹は魔術の名家の出ということになる。まぁ分家ではあるがね」

「私が、その泉の人間だから狙うんですか」

「そうだな。泉の分家、式泉という家はなかなかに面白い研究を重ねていたらしい」

 柿澤が指をパチン、と鳴らすと、暗闇の中にディスプレイが浮かび上がる。

 ディスプレイには大きな泉と無数の点が描かれている。

 よく見ると点と泉は細い線で繋がっていた。

「泉家はもともと精神感応に関わる魔術を研究していた。ユングという心理学者は、人の潜在意識のもっとも深い部分が集合無意識として、全人類繋がっているという説を提唱した。魔術世界でもそうした理論は古くから取り上げられていて、魔術師たちはその集合無意識を"源泉"と呼んだ。精神、意識を研究していた泉家の名の由来はここにある」

 柿澤の解説に、遥はディスプレイに映っているものがなんなのかを理解した。

 あの無数の点は人間で、泉はその源泉というものなのだろう。

 線は人の意識の繋がりを表しているに違いない。

「式泉家は共有というものを研究していた。人は、例えば喜びを分かち合うだとか、そうした行為が実際に可能なのだ。喜怒哀楽、その他様々な感情、意識を共有するということは、意外と頻繁に行われていることだ」

「共有……」

「そうだ。そして君たち姉妹にはその力がある」

 その言葉に、遥はふと疑問を覚えた。

「さっきも言ってたけど、私に……姉妹が?」

「ああ、一人は君は知らないだろうな。もう一人は、君と既に会っているようだが」

「……それともう一つ。それじゃ、私の力は魔術ってことなの?」

「そうだ。倉凪梢や我々とは異なり、君は自ら独自の法を内包しているわけではない。君に流れている血の中に、魔術式が組み込まれているのだ。だから私はそれを意図的に書き換えた」

「っ!?」

 柿澤の言葉に、遥は身をよじらせた。

 知らない間に、なにか大変なことをされてしまったのではないかという不安がよぎる。

「考えてもみたまえ、君は今まで"人の心を読む"ことしかできなかっただろう。それは私が、意図的にその能力を書き換えていたからだ」

 柿澤の説明と共に画面が切り替わり、AとBと記された二人の人間の図が現れた。

 AとBの間には、相互関係を示す矢印が描かれている。

 AからBへ。BからAへ。

「お互いに感情を共有するということは、その者同士の意識が繋がり、交わっているということだ。私はそれを一方的なものにした」

 AからBへの矢印が消える。

「これでBはAの意思や感情というものが分からなくなった。ところがAは変わらずBの内面をうかがい知ることができる。今の君と同じようにな」

「……」

 改めて説明を受けると、思い当たる節がいくつかあった。

 梢たちと共に過ごした時間、希にだが触れ合うことで遥の考えを、何度か梢が読み取ったかのようなことが起きた。

 単純に察した、とも考えられる。

 と言うよりも柿澤の言う意識の共有などは、要するに"確実に察し合える状態"ということに過ぎない。

 だからそれが能力によるものか、それとも単に察しただけなのかは、なかなか判断がつかない。

 どちらにしろ確実なことは言えない。

 ただ触れ合った結果、お互いの考えていることが何度か分かったのは事実であった。

 そのとき遥は、能力が発動していることを実感している。

「式を書き換えれば、君の能力はすぐにでも変化させられる。と言うよりも、既に私が施した封印は解けかかっているようだが」

「元に、戻すってこと……? だったら、最初から変えなければ良かったじゃないですか」

「そうもいかん。そのとき君はまだ私の目的に耐えうる存在ではなかったからな」

「目的……」

 そう言えば、柿澤はまだ自分の目的を明らかにしていない。

 泉の家系の者である自分を捕らえたその理由を。

「なにを、するつもりなんですか」

 震える声で遥は尋ねた。

 柿澤がなにか、とんでもないことを口にしそうな予感がしたからだ。

 その予想は見事に的中した。

 柿澤は不動明王のような厳しい面構え、厳然たる声ではっきりと言った。

「君には器となってもらいたい――――君を通して、私は世界を変える」

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