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異法人の夜-Foreigners night-/第一部  作者: 夕月日暮
第三章「新たな日々へ」
21/26

第二十話「語られた真実」

 遠くへと過ぎ去った日々。

 その真実を、霧島直人が語る。

 今、三人は吉崎の墓の前に来ていた。

 出来て間もない墓。

 ついこの間までは、生きていた人。

 彼は今、この中にいる。

 吉崎と親しくしていた涼子には、その実感がない。

 今でも、ひょっこりと吉崎が現れそうな――そんな気さえしている。

「なんで、あの事件の話をしたかと言うとな」

 手を合わせながら、霧島は告げた。

「今回の件は、あの事件の続きなんだ」

「続き……」

 終わっていないというのか、あの悲劇が。

 いや、確かに終わっていない。

 悲劇は続いている。

 涼子の家族の死。

 吉崎和弥の死。

 だがそれらの繋がりはあるのかないのか、まだ零次や涼子には分からなかった。

「あの日から、俺はずっと壊れたままだ」

 淡白な声色で霧島直人が、語る。


 その日は、年が明けてしばらくした頃だった。

 前日、霧島は優香から連絡を受けていた。

「今年ね、冬塚さんのところで誕生会やってくれるんだって」

「おお、そいつはよかったじゃないか」

「で、直人にも来て欲しいんだけど……」

「おお、マイスウィートハニーのためなら地獄の底までも着いていくぞ!」

「あはは、私地獄には行かないよ」

 いつものように、霧島が少し馬鹿なことを言っては、優香がそれを流す。

 そんな些細なやり取りが、二人とも楽しくて仕方がない。

 榊原家に泊まっていたため、朝は梢たちと軽く阿呆な会話を交わした。

 その後、冬塚家に向かう。

 が、異変は既に始まっていた。

 涼子が家から出てすぐのこと。

 霧島は、もっとも早く異変に気づいた。

 冬塚家が、燃えている。

 驚愕しつつも、彼は凄まじい速度で家に駆け込んだ。

 玄関の鍵はしまっていない。

 と言うよりも、破壊されていた。

 そのことが、霧島に確信を持たせる。

「なにかあったなっ……!?」

 咄嗟に思い浮かんだのは、優香の両親の死。

 霧島はその頃、その事件の真相については知らなかった。

 ただ優香の両親が奇怪な死に方をし、偶然霧島と共に外出していた優香だけが助かった、という程度のことを知っていたに過ぎなかった。

「冬塚さんっ!」

 何度か面識のあった人々を呼ぶ。

 すぐに返事があった。

 ただしそれは、絶叫。

 霧島の言葉に反応してと言うよりは、苦しみ悶えて死ぬ、断末魔の叫び声。

「ちぃっ、大丈夫かっ!?」

 声のした部屋へと飛び込む。

 するとそこには、見えないなにかによって押しつぶされる冬塚夫妻の姿があった。

 そして、その脇には気絶した優香を抱えた男がいた。

 黒い外套で顔まで隠しており、果たして本当に男なのかさえも怪しい。

 そして、禍々しい。

 ――――コイツは、人間じゃない。

 本能的に霧島はそれを察知し、問答無用で能力を行使した。

「やめやがれ、この野郎!」

 怒りの咆哮と共に、神速の蹴りが男を貫く。

 蹴りを喰らいながらも体勢は崩さず、男は唸り声をあげた。

「能力者か」

「てめぇもだな」

 射抜くような視線を向ける。

 言葉はなくとも、その眼は優香を離せと告げていた。

 が、男は黙殺した。

「退く」

 それだけを言い残して、男は優香を抱えたまま窓から飛び降りた。

 が、それを見逃すほど霧島は愚かではない。

「優香を離せ、クソ野郎っ!」

 速度倍加――――発動。

 霧島の身体は普段の数倍という驚異的な速度で、男の眼前へと到達する。

「逃がさねぇよ」

「……面倒だな」

 霧島が本気であることに気づき、男はさも面倒くさそうに言った。

「おいお前、許すつもりもないが一応聞いとく。なんだってこんなことをしやがった!」

「……」

 男は答えない。

 まるで答える必要がない、とでも言わんばかりに。

 ただ、霧島の顔が見る見るうちに紅潮していくのを見て、呟くように言った。

「頼まれたのでな」

「誰に」

「我が契約者よ」

 ふぅ、と男は嘆息する。

「まったく、こんな女一人確保するために私を二度も使うとは」

「……二度、だと」

 二度ということは、同じようなことを以前にもやったことがある、ということだろうか。

 だとすれば、心当たりはある。

「優香の両親を殺したのもお前か……!」

「ああ、それがどうかしたか」

 その一言で、霧島の理性は消し飛んだ。

 道理はない。

 義理もない。

 義務もない。

 意志もない。

 目の前の、この怪物を消し飛ばすことに、なんのタメライもない。

「死ね、クソ野郎」

 修羅の声が、低く発せられた。

 それを聞いて、初めて男はニヤリと笑った。

「死ね、か……シンプルながら、心地よい響きよ!」

 高らかに、その男――――ザッハークは、哄笑した。


「戦いの決着はすぐに着いた。俺の、惨敗だ」

 経緯を語るまでもないのだろう。

 霧島はその戦いの結末だけを、あっさりと告げた。

 当時の霧島は、今よりも実力的に劣っていた。

 せいぜい現在の梢と同程度のものだったのである。

「それじゃ、俺があのとき対峙したのは……」

「ああ、ザッハークだ」

 あのときの事件と、今回の件。

 どちらも、実行犯はザッハークだった。

「しかし、そのときには」

 優香はいなかった、と思う。

 零次がザッハークと対峙したとき、周囲にそれらしい女性はいなかった。

 そう言うと、霧島は「それだ」と頷いた。

「俺は戦いの最中、気絶させられちまった。その間にお前がザッハークに襲われ、直後に俺がお前らの間に割り込んだんだが、そのとき優香の姿はなかった」

 零次の心の中にある疑問が、一つ氷解した。

 あのとき、自分を助け、ザッハークと戦っていた誰か。

 それは、霧島直人だったのだ。

「……」

 涼子は話についていくのが精一杯なのか、黙って聞いている。

 ただ、自分の両親、優香の両親、吉崎を殺した全ての犯人がザッハークと分かって、どうしようもない怒りがこみ上げてくるのは実感できた。

 そして、思う。

 霧島は、この数年間、ずっとこんな思いを胸に生きてきた。

 気が狂いそうになるような、感情の中で。

 あの日からずっと壊れたままだ、という霧島の言葉は正しい。

 彼はなにもかもを壊された。

 ザッハークという、一人の犯罪者の手によって。

「確かに俺も奴と遭遇したとき、優香さんらしき人は見ていない。だが……それはおかしくないか?」

 と。

 そこで零次が、疑問を口にした。

 霧島は頷き、続ける。

「つまり俺が気絶し、お前と遭遇するまでの間にザッハークは優香をどこかにやったってことだ。だが、奴の能力では転送の類は不可能だから、これは妙なことになる」

 そう。

 それだけの僅かな時間に、ザッハークは優香をどうやって、どこにやったというのか。

「それに、冬塚夫妻に関してもそうだ、あれはザッハークの手口じゃない」

 見えない何かによって圧死させる。

 ザッハークの能力で行ったにしては、妙な殺し方だった。

「……待てよ」

「どうしたの?」

 頭を抱えた零次を、心配そうに涼子が覗き込む。

 零次は思い出していた。

 吉崎の死後、亨から聞かされた話の一つ。

 赤間カンパニーで起きた、奇妙な殺人事件。

「俺はしばらくして、もう一人いると考えた」

 零次の思考と平行して、霧島の言葉が進む。

「ザッハークはあのときも、そして今回も契約者という単語を使った。裏で誰かが手を引いている。そいつが俺を警戒して、あのときザッハークから優香を受け取り、いち早く立ち去ったのだろう、と」

「契約者……」

 霧島の推測が正しいならば、契約者が涼子の両親を殺した実行犯ということになる。

 共犯。犯罪者は、二人いた。

 ならばもう一人は誰か。

 それは、赤間カンパニーの殺人事件と同じ手口。

 おそらく、犯人は同一人物。

「赤間カンパニーの件は聞いたか?」

「……ああ、亨から聞いた」

「おそらくお前もそうだろうが、俺は赤間カンパニーの事件の犯人と、その契約者が同一人物だと考えている」

「お前は、誰だと考えているんだ」

 赤間カンパニーの事件。

 殺されたのは、異邦隊を好き勝手に利用しようとしていた者たち。

 その前後に、異邦隊は行方をくらましている。

 嫌な予感がした。

 どうしても、零次の脳裏にはある人物が思い浮かんでしまう。

 違うと思いたかった。

 彼は、冬塚夫妻の事件の後、傷心の零次を励ましてくれた。

 身寄りのなくなった零次の面倒を見てくれた。

 信頼、していた。

「――――――柿澤、源次郎。あの男が、全ての黒幕だ」

(ああ――――そうなのか)

 信頼は、崩れ落ちた。

 数年来の、信じるに足ると思えたものが。

「……そう、なのか」

「お前には酷かもしれないが、証拠もある」

 ピッ、と霧島は零次に写真を投げてよこした。

 その写真を除きこんで、涼子は悲鳴をあげた。

「なっ、なにこれ……っ!?」

「――強化人間」

 人間が、より高みを目指して果てた存在。

 悲しき奇形の化け物。

 最悪の被害者。

 その強化人間が、培養液の中にいる。

 それも、一人や二人ではない。

 十や二十でもないだろう。

「柿澤はここ数年人体実験を繰り返していたようだ。一方では肉体面の強化を重視していたようだが、本命は精神面の強化と言うか、洗脳と言うか、とにかくそっちの方だった」

「……」

 霧島は語った。

「優香はその研究のために連れ去られたと見ていいだろう。優香にはそういった力があったからな」

「え、そうなの?」

 涼子が驚愕の声をあげる。

 零次は、薄々そんな気はしていたので、さほど驚かない。

 少なくとも何でもない女性を連れ去るために、ザッハークが二度も動くとは思えない。

 優香は、今回の件の遥と同じく何かしらの力を持っていたのだろう。

「優香は精神感応とでも言うべき力を持っていた。なんとなく、親しい人間の心が読めるという」

「……なんとなく、分かるような気もするな」

 あの、心の中まで優しく包み込むような姉のことを思い浮かべると、そんな神秘的な力を持っていてもおかしくはない、と思った。

「本人の許可なしに喋るのは悪いと思うが、遥も似たような力を持ってる」

 そのことは零次も涼子も初耳だった。

 そこまで情報を与えることを、亨たちは警戒していたのだろう。

 霧島は、最初からその情報を知っていた。

「連中の研究の完成のために、遥は欠かせない材料なんだろうよ。クソッタレな話だがな」

「では、俺たちに遥の捜索を命じていたのは……」

「研究のためだな。それとは別に、柿澤はザッハークをも動かしていたと見ていいだろう。俺たちがあの研究所に向かった晩から俺はザッハークの気配を頻繁に感じるようになった」

 二重の作戦。

 そこまでして、柿澤は遥を求めていた。

「もともとはあの研究所さえも柿澤とグルだったらしい。もっとも用済みになったから、俺たちに襲撃させて証拠隠滅させたんだろうがな」

「では、あの研究員たちは……」

 あの晩、零次たちは梢によってけしかけられた研究員たちを捕らえ、柿澤に処遇を任せた。

「俺が殺した」

「っ……!?」

 その言葉に、涼子は怯えた。

 今までにない、生々しさを感じたのである。

 そんな涼子を見て、霧島は寂しそうに苦笑した。

「俺が柿澤隊長の部屋に潜り込んだとき、その研究員たちはみんな強化人間にされてたよ。理性も吹っ飛んで、身は腐る一方だったから、楽にさせた」

「全部、この写真のみたいに……?」

 ぞっとした様子で、涼子は肩を震わせた。

 その肩に手を置いて、零次は言った。

「つまり、全ては準備万端。ただ、そこで思わぬ妨害者が現れた、ということか」

 妨害者――言うまでもなく、倉凪梢のことだ。

 柿澤の念入りな計画を、全て水の泡とした男。

 いや――――正確に言えば梢ではなく、研究所の情報を梢に教えた吉崎和弥こそが、柿澤にとって最悪の妨害者であったということか。

 ともあれ、柿澤の計画は崩れた。

 そこで彼は、多少強引ながらも異邦隊員を動員し、遥を捜索させた。

 それが、今回の事件の真相。

「俺は、隊長の掌の上で踊らされていたに過ぎなかったのか……」

「お前だけじゃない。奴は相当な策略家だ。俺だってザッハークのことはクサイと思い、ここ数年で調べられたが、柿澤隊長についてはクサイとすら思わなかった」

「では、なぜ隊長を疑ったんだ?」

「調査に行き詰った俺は、異邦隊に入った。ザッハークと組む以上、普通の人間とは考えにくい。普通じゃない連中の情報なら、専門家を尋ねるのがもっとも確実だったからな」

 暇をみては調査を続けた。

 しばらくして、怪しいと思えるターゲットの数を絞り込むことに成功した。

 その候補の中には柿澤源次郎の名があった。

 そんな霧島に気づき、柿澤は警戒した。

 霧島の顔を、柿澤は過去の事件のとき見ている。

 だから、彼がそう遠くないうちに真相に辿り付くであろう事を恐れた。

 それから、柿澤は霧島を使うことが多くなった。

 暇を作らせず、調査を進行させないためである。

 柿澤の唯一の誤算は、霧島の調査が大分進んでいることに気づかなかったことだろう。

 既に数少なくなっていた候補の中の一人が、突如自分を使うようになった。

 危険な任務につかされることも増えた。

 霧島は、すぐにその意図を見抜き、確信したのである。

「隊長にも常々言ってやったんだがな。俺のモットーが、何事も迅速にってこと」

「だが、それだけでは確信まで至らない」

「そうだな、それだけだと容疑者止まりだった。だから、様子を見ることにした。幸い、遥の居場所はすぐに分かったからな」

 遥を餌にして、ザッハークを待ち構える。

 その一方で、遥に意識を集中させることで生じた柿澤の隙をつく。

 そうすることで霧島は、ようやく柿澤の正体を知ったのである。

「最初は梢たちを巻き込まないように、遥の身柄はこっちで確保するつもりだったんだがな。そうすれば隊長の正体もさっさと看破できたかもしれないし」

「ではなぜそうしなかった?」

「……梢と遥は縁があったからな。出来るとこまでやらせてみようかと、思った」

 どこか歯切れ悪く霧島は言った。

 その決断の末に、吉崎和弥の死が起きたことを考えると、やはり後悔するところがある。

「まぁ奇縁とでも言うべきか。遥と涼子にも縁があることを考えると」

 霧島は眉にしわをよせながら言った。

 その言葉に、涼子は一瞬遅れて反応した。

「私と遥さんが? でも、私たちこの前初めて会ったんだけど……」

「――焼肉食いに行くか」

 と、そこでいきなり話題が変わった。

 あまりにあからさまな話の転換に、零次たちは不自然なものを感じた。

 が、それほど深い意味はない。

「一気に話したから疲れたし、お前たちも頭で整理がつかないだろう。焼肉でもつつきながら、そこで改めて話すことにする」

「いや、しかしだな」

「いいから」

 強引に話を進めることは、霧島の得意とすることである。

 半ば無理矢理背中を押され、二人は墓地から出るはめになった。

 二人を押し出して数秒。

 霧島は一人、墓地を振り返る。

「優香、吉崎。土産話、ちゃんと持ってくからな」

 以降、霧島は墓地を振り返ることはなかった。


「お前の目的が達成される日も近いな」

 深淵の闇の中、二つの影が揺らめく。

 周囲は静寂に包まれ、人の気配というものがまるでない。

 それでも、人影が二つそこにある。

「そうだな、障害はまだ残っているが、どうとでもなる」

「繰り返される悲劇に終止符を、か」

「そのためにもお前にはまだ動いてもらわねばならん、ザッハーク」

 と、影の一つは闇の中で鈍い光を放つ相貌を、もう一つの影――ザッハークへと向けた。

「で、どう動けばいいのだ?」

「いくつか考えてはある。例えば冬塚涼子を人質にとるという方法などだ」

「冬塚涼子? ああ、あのときの事件の生き残りか。そいつを奪ってどうするつもりだ?」

「情に訴えればよい。その場合遥の人格面に期待せざるを得なくなるがな」

 柿澤の言葉に、ザッハークは低くくぐもった声で笑った。

「なにが人格面に期待する、だ。あの女を機械のように育て上げるよう、研究所の者どもに命じていたのは貴様であろうが」

「否定はしない。しかし計画が狂った以上、それに対応しつつ練り直していかねばどうにもなるまい」

「確かに。だが問題もあるぞ、器の女は冬塚涼子と自分の接点をおそらく知るまい」

「そのときはお前が教えてやれ、"お前たちは姉妹なのだ"と――」

 その言葉に、ザッハークは顔をしかめた。

 不満なのである。

「信用させるための説明が長くなる。そのような面倒な真似は私はしたくないのだがな」

「確かに"泉"のルーツについて語るのは、やや面倒か」

 男の方も、ザッハークと同じ意見なのか、それ以上無理強いはしなかった。

 話題を変える。

「分かった、それならばお前には、もう一度榊原邸を襲撃してもらおう」

「……なにか、えらく単純だな」

「いや、考えあってのことだ。倉凪梢は右腕を損失し、零次たちや霧島たちは現在常駐している様子もない」

「結界はどうする? 霧島直人は再び張った様だが」

「関係あるまい。前回は障害の排除を優先していただけのこと。今回は、なににおいても器の少女の奪還を目的とせよ」

「――――了解した、契約者『柿澤』よ。では、貴様の方も忘れるなよ」

「ああ、契約の内容、確かに果たそう」

 影――柿澤が言い終わらないうちに、ザッハークの気配は既に消えていた。

「やれやれ、せっかちな男だ。だが、なにを考えているのか読めないという点では、奴への対策も練っておく必要がある」

 一切の感情を削り取った男は、一人静かに佇む。

 闇の中で、ただ一人。


「泉?」

「そうだ、泉の家系。ここ数年調べてみた限りでは、優香と涼子はその家系のようだ」

「じゃ私、本名泉涼子?」

 なんとなく微妙な顔つきで、自分の本名を復唱する。

 まるでどこかの芸能人に似ているな、とか場違いなことを思った。

「いや、泉という家はとっくに滅びている。お前の本当のご両親は分家、式泉シキズミという」

「式泉……変わった姓だな」

 式泉優香。

 式泉涼子。

 改めてその二人の本名を思い浮かべると、どうにも違和感を覚える。

「式泉の家系は精神感応に関する能力を持つ者が多い。血のなせる業というやつだな。涼子にはそういった力はないようだが」

「精神感応か」

「泉の家系のルーツについて話すと長くなるし、今はさほど必要でもないから省く。さて、なにか気づいたことはあるか?」

 と、高校教師のような口ぶりで霧島は二人を見た。

 あまり自信はないようだたが、おずおずと涼子が手をあげた。

「……義兄さん、さっき遥さんも似たような力を持ってるって言ってたよね」

「ああ」

「それじゃ、ひょっとして遥さんも」

「そう、正解だ涼子。遥もまた、お前や優香と同じく泉の者だ」

 うわぁ、と驚いているのかいないのか、微妙な声を上げる。

 先ほどから知らなかった事実が次々と舞い込んできて、感覚が麻痺しているようだった。

「それじゃ私たち、親戚だったんだぁ……」

「親戚なんてもんじゃない。あいつはお前の姉貴だよ」

「え?」

 涼子は口を開けたまま動かなくなっていた。

「姉?」

「ああ、そうだ」

「誰が?」

「遥が。お前の姉貴」

 しばらく、その事実に涼子は凍りついた。

 周囲にいる客の賑やかさからは完全に浮いている。

「俺がお前にこんなことを話した一番の理由が、そこにある」

 まだ呆然としている涼子に、霧島は言った。

「お前と遥は姉妹という強い繋がりがある。それを利用しようとして、お前が巻き込まれる可能性は十分にあるってわけだ」

「なるほど。例えば遥を得るために涼子を人質にする、という手もあるわけだな」

 零次の言葉に、霧島は同意を示した。

「いざそういうことになったとき、何も知らないでいるのはかえって危険だ。だから、知りえることはなるべく伝えておこうかと思った」

「……そう、なんだ」

 涼子の心の中に、少しずつその事実が浸透してきた。

 今まで数回しか会っていない女性。

 どこか、温かい陽だまりを連想させる人だった。

(お姉ちゃん、だったんだ)

 そのことが、嬉しいようでもあり、しかしそれ以上に驚きもあり、なんとも言えぬ複雑な感情が涼子を支配していた。

 けれど、決して嫌なものではない。

「では、霧島。最後に二つ」

「ん、どうぞ」

「倉凪梢と遥の縁というのは、なんなんだ? まさか倉凪も泉の者なのか?」

「違うし、その質問には俺は答えられない。知ってはいるが、それは然るべき相手から聞くのが筋ってもんだろう」

「倉凪か?」

「違うな、あいつは気づいていない。聞くなら遥だな、彼女は多分気づいてる」

 霧島は、結界を張り続け、遥を見ていた。

 正確には遥を餌にして、柿澤やザッハークを暴き出すのが目的だったのだが。

 その際、梢とのやり取り、時折見せる無感情の表情などを見て確信した。

(遥は気づいている。気づいていて、黙っている)

 そのことは、霧島が介入すべき問題ではなかった。

 梢と遥の、二人の問題なのだ。

 無粋な真似は、よほどのことがない限り避けるべきだろう。

「それより、もう一つは?」

「ああ――お前はこれからどうするつもりだ」

 事件に関する因縁を話されるだけでは、現状はどうにもし難い。

 過去のことは過去のことで、事実として知る価値はあるが、それだけでは現状を改変させるに至らない。

 霧島はふむ、と頷いてから水を飲んだ。

 話し疲れたのだろう。

 飲み干すと、一枚の地図を取り出した。

「この地図、いくつかポイントが記されてるだろ」

 見ると、確かに赤いペンで記された箇所がいくつかある。

 大半は郊外に記されているものだったが、一つだけ町の中心部に記されている箇所もある。

「これは、赤間カンパニーのビル?」

「イエス。ちなみにこのポイントは、柿澤たちが潜伏しているであろうとこだ」

「どうやって調べたんだ、こんなに」

 霧島はザッハーク戦の後、義足の修理のために知人の闇医者の元にいた。

 そんな彼が自分で調べることが出来たのは、異邦隊行方不明後からザッハーク襲撃までの一日しかない。

 その僅かな時間でここまで調べられるものだろうか。

「ちょっとバイトを雇ったんだよ」

「バイト?」

「さっき呼んだからもうすぐここに来る。喧嘩するなよ」

 と、霧島がそう言ったちょうどそのとき。

 霧島たちのテーブルに、一人の男がやって来て、腰を下ろした。

「……よう」

 その男は暗い表情で、零次と涼子の方を見た。

 零次がかつて見たときに比べると、覇気にひどく欠ける。

 もっとも零次が最後に見たとき、この男は昏睡状態にあったのだが……。

「赤根……! 貴様、なぜここに!?」

 思わず声を荒げて、涼子を庇うような姿勢をとる。

 異邦隊員、赤根甲子郎。

 脱走した後行方不明とされていた男が、突如として現れた。

 赤根甲子郎は戦い好きの、危険極まりない男だと零次は見ていた。

 態度も悪く、口も悪い。

 おまけに粗暴で、異邦隊の中でも彼は嫌われていたし、怖がられていた。

 零次の様子を見て、赤根はため息をついた。

「安心しろよ、俺は女子供には手は出さない主義だからな。そっちの女に変なことしたりはしねぇよ」

「信用できん」

「信用してやれ」

 と、霧島が口を挟んできた。

「こいつは今のところ俺たちの味方だ、味方は信用するものだろう」

「なぜこいつが味方なんだ」

 零次としては納得がいかない。

 赤根甲子郎とは、徹底的に気が合わないのである。

「さっき言ったろ、柿澤は人体実験をしてるって。こいつ、危うく被験体にされるとこだったんだよ」

「……脱走したんじゃないのか?」

「あれは隊長の嘘。自分の研究室に押し込んである赤根の捜索を俺に命じておけば、多少なりとも時間稼ぎになると思ったんだろ。普通にしてたら見つかるわけない相手なんだからな」

「でも義兄さんは、その柿澤って人の研究室に乗り込んだ?」

「ああ、それについては零次と梢のおかげだな。梢の脱走、梢と零次の戦い。自然と柿澤の意識もそっちに向かっていたから、俺はなんなく潜入に成功して……強化人間どもと、赤根を発見したわけだ」

 霧島の説明を受けて、零次は納得した。

 少なくとも、自分を利用し、処理までしようとした柿澤に、赤根は恨みがある。

 相手が柿澤一派であるならば、赤根が裏切ることはないだろう。

 現に、動けずにいた霧島に代わって柿澤たちの所在を捜していたようでもある。

「まぁ、いい」

 憮然とした調子で零次は腰を下ろした。

 涼子の方もそれで落ち着いたのか、ほっと胸を撫で下ろしている。

 赤根はというと、先ほどから黙りこくっている。

 この男にしては、妙な落ち着きようであった。

「で、話を戻すが、これからはこのポイントをしらみつぶしにあたっていく」

「……さっきまで俺がやってたことの続きってわけだ。だいたい五ヶ所程度には絞ったから、そうはかからないだろ」

 と、赤根は記されているポイントのうちいくつかを消していった。

 零次はそこでふと疑問に思ったことを尋ねてみた。

「赤間カンパニーには、いないのではないか? 赤間カンパニーから行方をくらましたのに、赤間カンパニーにいるというのはおかしいだろう、矛盾している」

「そうでもないぞ、むしろ逆にここにいる可能性が一番高い」

 理由はいくつかある。

 まず、霧島が見た、カンパニーの柿澤の私室。

 そこはかなり設備の整った場所であり、あの地をみすみす手放すとは思いがたかった。

 さらに赤間カンパニーでは異邦隊が行方知れずになったと言っているが、それも疑わしい。

「そもそも異邦隊の領域である地下三階以下に進むには専用のカードが必要だ。あれは異邦隊員しか持っていないから、カンパニーの社員がその先に進むことは不可能だ。もしもあの場所にい続けてるんであれば、もっとも発見されにくく、もっとも安全な場所といえる」

 ちなみに例の扉は、周囲のものから独立したシステムを持っており、カンパニー側がシステムをいじって無理矢理開けることはできない仕組みになっている。

「それに、自分たちの社長をあんなエグイ方法で殺した連中が潜んでるかもしれない場所だ。ひょっとしたら連中、確認しようとすらしてないかもしれねーしな」

「恐怖を植えつけることも計算して、隊長が社長らを殺害したという可能性もあるのか」

「……ねぇ、義兄さん」

 と、涼子がおずおずと手を挙げた。

「遥さん、狙われてるんだよね? その人たちに」

「ん、そうだな。連中の目標はあくまで遥だ」

「じゃあ遥さんのところにいればいいんじゃない? 今までもそうしてたんでしょ?」

 確かに、相手の目的が遥である以上、確実に鉢合わせるにはその方法が一番だろう。

 だが霧島は即座に首を振って、その意見を否定した。

「今までは、な。だが俺の見方も甘かった……結果的に、犠牲が出た」

「あっ……そっか、ごめんなさい」

 そう、霧島が今になって「待ち伏せ」から作戦を変更した一番の理由はそれである。

 これ以上犠牲者を出させないようにする。

 それが、今もっとも霧島の中で優先されているものだった。

 涼子はそこまで頭が回っていたなかったのだろう。

 申し訳なさそうに、頭を下げる。

「お前が謝ることじゃない。お前なんかよりも、俺の方がよほど酷いさ。遥を利用して、挙句弟分を一人死なせ、もう一人には心と身体に大きな傷跡を残しちまった。家族と呼べる人たちにも、辛い思いをさせている」

 その言葉に反論することはできなかった。

 下手な慰めなど霧島は欲していない。

 これは己への罰。

 自ら背負うと誓った、十字架なのだ。

「俺は、ザッハークと柿澤を倒す。これ以上犠牲は出したくねぇからな」

「……俺たちは、だろう」

 零次が、訂正する。

「お前一人ではザッハークを倒すことも難しいだろう、だから俺と同盟を結んだ。そのことを忘れてもらっては困る」

「なるほど確かに。俺一人で特攻して、もし死んじまったりしたらただの自己満足野郎だからな」

「犬死だな。そんな真似は、俺がさせん」

 零次も、霧島と同じ思いだった。

 信じていたことは、いくつも崩れ落ちてしまったけれど。

 それでも、一番大切にしたい思いだけは、まだ残されているから。

「俺も、これ以上犠牲は出したくない」

 それで十分。

 理屈は、今は必要ない。

 身を包んでいた防具は全て消えてしまったけど。

 今はただ、立つための足があれば、それで良かった――。

「……私も」

 と、涼子が口を開いた。

「零次さんたちに比べたら、何にもならないかもしれない。でも、私にもなにかできることがあったら――」

 突然聞かされた、様々な事実。

 知らないことだらけで、それは日常の中からは切り離された世界の出来事。

 涼子自身は近くにいるだけで、その異常な世界の住人ではない。

 それでも、自分と関わりのある者がそこにいたら、迷わずその世界に入ってきてしまう。

 涼子はそんな少女だった。

 梢が、遥が、霧島が、もしかしたら美緒が――そして、零次が巻き込まれている。

 助けられるならば、助けてあげたい。

 優香とは性格も見た目も似ていないが、その思いやりの強さだけは、よく似ている。

 霧島は、零次に目配せをした。

 零次は霧島の意図を見抜き、涼子に言った。

「涼子、お前はいい。なるべく安全な場所で、待っていてくれればな」

「でも、それじゃ――」

「俺は、待っていて欲しい」

 零次は、繰り返し言った。

 霧島に言われるまでもなく、零次は涼子を、自分たちの世界に引き込んではいけないと思っている。


 ――――涼子は、零次にとって日常の象徴だった。


 母や妹の死という絶望から這い上がり、一時の安らぎを与えてくれた。

 また、再会した後も、涼子の側でなら、零次は普通の人間になれた。

 零次にとって、入りようのない、平穏な世界。

 ただ一つの例外が、涼子だった。

 涼子だけが、平穏な世界での、零次の居場所。

 だから、待っていて欲しかった。

「帰ってきたら、今度こそ食事をご馳走になりたいものだ」

 零次の言葉に、涼子も気づいた。

 自分にしかできないこと、自分が一番頑張れること。

「……うん、分かった」

 だから、ただ笑って頷いた。

 それだけのことなのに、涼子は辛く、苦しい。

 それでも、これが一番の道だと思ったから。

「――――頑張って」

「ああ」

 いろいろ背負っていたものが、なくなってしまったが。

 零次は、これぐらいがちょうどいいのかもしれない、と思っていた。

 先ほど霧島に言ったことと、同じだ。

 無理して一人で多くのものを背負おうとしても、こぼれ落ちてしまう。

 共に背負ってくれる仲間がいればいいのだが、零次にはそんなものはいなかった。

 だったら、やれるところからやっていけばいい。

 十を選んで十をこぼすよりも。

 たった一つを選んで、死ぬ気でその一つを守り抜く。

 全てはそこから始まっていくのではないだろうか。

「……話は済んだか?」

 席から立ち上がりながら、赤根は言った。

「ああ、お前はどうするんだ?」

「目的は一緒だが、ここからは俺は俺でやる。ま、お前らの邪魔はしねぇ」

 それだけを言い残して、赤根は店から去っていった。

 そんな赤根の背中を見て、零次はふと漏らした。

「あいつ、変わったな」

「誰もが変わる。きっかけがあればな」

 霧島はそう言っただけで、具体的なことは一切述べなかった。


 店から出たところで、霧島の携帯が鳴った。

「師匠からだ」

「榊原さん?」

「ああ、とりあえず出てみる」

 ぴ、と霧島は携帯の通話ボタンを押し、耳に当てる。

 その向こうから静かな声が聞こえてきた。

『まだ生きてるか』

「ぼちぼち」

『冬塚の嬢ちゃんには話したのか?』

「ああ、だいたいのことはな。今ここにいる」

『ならば好都合だな、今からしばらくは家に帰らず、飛鳥井の家に行くように言ってくれ』

 飛鳥井家については、既に述べた。

 日本国内の魔術の一派であり、多数の分家が存在する高名な家柄である。

 前回のザッハーク襲撃の際、一時的に遥を連れて榊原たちが逃げ込んだ場所でもあった。

『あそこなら何重にも結界が張られているし、現状ではもっとも安全な場所だろう。今から遥と美緒、亨をそちらに移動させる』

「なるほど、確かにそれが一番安全だろうな」

 ちらりと、霧島は視線を零次と涼子に向けた。

 会話が聞こえるように二人のすぐ近くで会話をしていた。

 視線を向けたのは、分かったか、という意味である。

 二人は黙って頷いた。

「……ん? 一応聞いとくが、師匠と梢はどうすんだ? 榊原の家は今危ないだろう」

 葬儀である程度人の出入りがある頃は、まだ襲撃の可能性も少なかった。

 能力者はなによりも人目につくことを嫌うからだ。

 前回ザッハークも、それが原因で撤退している。

 が、今の榊原家は葬儀後、落ち着きつつある。

 人の出入りも少なくなったため、残っていればまた襲われる可能性がある。

 だからこそ榊原は遥たちを飛鳥井家に移そうと考えた。

 が、その中に梢の名前がない。

 榊原が自身の名を口にしないのは分かるが、梢の名前がないのはどういうわけだろう。

 梢は心身ともにズタボロで、とてもザッハークの襲撃に対応できる状態ではない。

 榊原は少し言い難そうに、だがはっきりと言った。

『あの馬鹿は、行方知れずだ』

「はっ!?」

 思わず零次たちは揃って声を上げてしまう。

 零次や遥は梢の憔悴しきった様子を見ていただけに、なおさらそのことが信じられなかった。

 梢が自分で動いたというのだろうか。

 そんなことは、まず有り得そうにない。

 が、そこは霧島の方が梢をよく理解している。

 梢は吉崎の死に、心を痛めたことは確かだろう。

 それでも、遥を守るという役目がある以上、いつまでも腐ってはいない。

 それに、遥の身を脅かす相手は吉崎の仇なのである。

 霧島は、梢が動く可能性はそれなりにあると見ていた。

 予測していただけに、霧島が一番焦った。

「師匠、行き先に心当たりは?」

『ない。携帯も電源切ってるのか出ないしな』

「くそったれめ……あの馬鹿!」

 霧島は、これ以上ないというくらいの勢いで毒づいた。

 梢は間違いなく動き出した。

 が、片腕もなく、戦闘能力は激減している。

 今ザッハークたちに遭遇しても、勝ち目は万に一つもない。

「一番まずいのは、あいつが自分の身を大事に考えないことだ……!」

 梢は遥を守るため、吉崎の仇を討つために動き出した。

 ただし、そこに自分の身を守るという考えが欠如している。

 そんな男が、この状況で動けば。

「ザッハークどもに狙い撃ちにされて、殺されるのがオチだ!」

 このとき、霧島はかつてないぐらい悲痛な声を上げた。

 あまりに悲痛なその様子に、零次と涼子も飲まれてしまった。

「師匠、本当になにも手がかりはないのか!?」

『俺だって必死に手がかりなり心当たりなど探している! 今とて知人全員に電話をしてるところだ!』

 榊原の方も必死だった。

 霧島と同様、榊原の梢の"異常さ"を知っている。

 だから、彼にも同じような梢の最期が、見えているのだろう。

「……悪い。なにか分かったら、すぐ連絡入れる」

『ああ、頼む――それと、お前も死ぬなよ』

 最後に、そんなことを言い残して榊原は電話を切った。

 意図してではなく自然とこんなことを言えるのだから、あの人は得な性格をしていると霧島は思ったが、それは口に出さない。

 それ以上に、師である榊原の言葉に、少しだけ昔を思い出したからだ。

(あの頃は――)

 優香がいて、榊原がいて、吉崎がいて、美緒がいて、梢がいて。

 大切なものは沢山あった。

 一番充実していた。

 そのピースも、既に二つ欠けてしまっている。

 そして今また、三つ目が失われようとしていた。

 これ以上、犠牲を出したくない。

 先ほど言ったばかりの言葉が、霧島の心に重い決意を抱かせる。

「零次、ここからは別行動だ。お前は涼子を飛鳥井の家に送っていけ」

 道中なにがあるか分からないからである。

 それでも零次級の能力者が側にいれば、大分安全になる。

「きちんと守りきってから、戦いには来い」

「――――」

 守りきれなかった男からの、言葉。

 零次は肝心なことを聞かされていない。

 霧島が優香の死をどんな形で知り、そのときどんな思いだったのか。

 そこは、霧島は意図的に話さなかったのだろうと零次は考えている。

 涼子の前ということもあるし、なにより"これから守る者"に、そんな辛気臭い結末を話しても仕方がない――霧島は、きっとそう言うのではないかと思った。

「ああ、必ず」

 零次は、答えた。

 その言葉は今まで説いてきたどんな言葉よりも重く、そして力強い。

「……いい返事だ」

 にこりとも笑わず、だが声だけは嬉しそうにして、霧島は姿を消した。

 おそらく速度倍加によって限界まで速さを上げることで、少しでも早くザッハークや柿澤を見つけるつもりなのだろう。

 そうすれば、梢も助かる。

「零次さん、早く行こう」

「ああ、急がないとな」

 だから、二人も急いで行動した。

 早く零次は霧島に合流しなければならない。

 今の霧島では、敵に遭遇し次第戦闘に入ってしまうだろう。

 まったく、霧島も梢も、似た者同士であった。


 道中、雰囲気は重い。

 誰もが口を開くことなく、目的の場所を目指すだけ。

 吉崎の死以来、心を閉ざしきった美緒。

 後悔によって自らを責め続ける亨。

 そして、遥。

 三人、誰もが吉崎の死によって、光から闇へと叩き落されている。

 吉崎が、それだけ彼らの中では重要な人だったのだ。

 さらには、梢の突然の失踪。

 行き場所も告げず、突如として消えた男。

 彼のことも、三人の心に暗い影を落としていた。

 だから、かもしれない。

 誰も、気づけなかった。

「――久々だな、器の女」

 眼前に、最悪の敵が現れていたことに。

「っ……ザッハーク!!」

 はっとして、亨は身構える。

 いつでもザッハークの攻撃に対応できるように。

「お前、よくもぬけぬけと僕らの前に顔を出せたな……!」

「その女の確保が我が目的ゆえに。必要であれば、何度でも来てやろう」

「ふざけるな! このままどこかへ失せろ!」

 亨は顔を怒りによって紅潮させ、遥と美緒を庇う形で立っていた。

 美緒は現状がいまいち掴めておらず、遥がその身体を抱きしめ、支えていた。

 亨は本来激情家ではない。

 それでも、ザッハークに対してはどうしようもない怒りが湧き上がってくる。

 柿澤のことをまだ知らない亨にとって、今ある悪の集大成はザッハークなのである。

 怒りも憎しみも、全てがザッハークへと向けられていた。

 だから、今亨はいつになく感情が高ぶっている。

 しかし、ザッハークは意に介さない。

「さて器の女。今回はお前の確保が最優先だ。大人しく来てもらおう」

 ここが道中であるからか、ザッハークもいきなりの実力行使はしてこない。

 もっともその言葉は、絶対に逃がさないということを暗に示しているのだが。

 遥が反応するよりも早く、亨がその提案を切り捨てた。

「ふざけるな、お前の要求など死んでも受け入れるか!」

「貴様は先ほどから五月蝿いな」

 鬱陶しそうに、苛立たしげな視線を亨に送る。

 一瞬その眼光に呑まれかけた亨だったが、屈しなかった。

 毅然とした様子でザッハークを睨みすえる。

「お前だけは、許さない……絶対にだ!」

 グッ、と衣服の中に仕込んである金属に手をかける。

 ここが人目につく道の中であろうと、能力を行使しかねないほどの剣幕である。

 亨にとって、吉崎とは。

 兄が示した、倉凪梢という出口へと導いてくれた、いわば恩人とも言えるような相手だった。

 それを、眼前にいる男が殺した。

 到底許せるものではない。

「ふむ、なぜ貴様なぞにそこまで言われねばならんのか理解に苦しむな」

「理解できないだとっ……吉崎さんを、お前はっ……!!」

「吉崎――?」

 その名を聞いて、ザッハークは顔をしかめた。

 自分に屈辱を味合わせた相手のことは、あまり思い出しても愉快ではない。

 が、亨の怒り様を見て、ザッハークは笑った。

 ザッハークはこのときまで、確信していなかった。

 それでも、亨の反応を見て、間違いないと確信したのだ。

「そうか、あの男は死んだか」

 くっくっ、と可笑しそうに笑う。

 亨のこめかみに青筋が浮かび上がる。

 が、ザッハークはなおも笑い続けた。

「死んだか、クククク……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

「……貴様ァァァァ!」

 だんっ、と音を立てて、亨はザッハークへ挑みかかった。

 実力差など、とうに頭から抜け落ちている。

 絶望的だとか、そんな状況を考える力もない。

 亨はこのとき、ただ怒りという感情一個によって突き動かされていた。

 疾風の如き速さでザッハークへと駆ける。

 その手には対の刃。

 金と銀の刃が、握り締められている。

 亨の感情がそのまま形となっているかのようで、鋭く研ぎ澄まされた、細長い剣のようになている。

 その二つの剣を、ありったけの力をこめてザッハークへと叩き込む。

 亨の脳裏には、分割されたザッハークの姿がよぎっていた。

 が、現実はそうではなかった。

 ザッハークはいとも簡単にその刃をそれぞれ掴み、へし折った。

 さらにがら空きになっていた亨の腹部を、痛烈な一撃が襲う。

「がっ――はっ!」

 仰向けに、弧を描くようにして亨は吹き飛ばされた。

 慌てて遥が亨の元に駆けつける。

 目立たないながらも、ザッハークは相当力を入れて蹴り飛ばしたようだった。

 内臓がやられたのか、亨はわずかに血を吐いている。

 だけでなく、意識も朦朧としているようだった。

「普通の人間ならば、腹部が丸ごと消えている威力だ」

 と、わざわざ丁重にザッハークが語ったのは、遥へ恐怖心を植え付け、実力差を思い知らせるための作業だった。

 ザッハークは蹴る瞬間に、己の足に魔力を集中させ、亨の腹部に触れた瞬間に爆発的な勢いでそれを解放した。

 派手さはないが、近接戦闘では非常に有効なやり方だと、ザッハークは思っている。

「……なんで、こんな酷いことを……!」

「全てはお前が原因なのだがな、器よ」

 冷酷な視線が遥へと向けられる。

 その瞳は物語っていた。

 ――――悪いのは、全てお前なのだ、と。

 遥はその言葉を聞いて、唇を噛み締めた。

 反論できないからだ。

 黙りきった遥を前に、ザッハークは手をかざした。

 途端、遠くはなれた場所から爆発音が聞こえた。

「適当な場所を爆破した。自然、人間どもの視線はあちらに向けられるであろう」

「それだけの、ために……」

 かなり大きな爆発音だった。

 どれだけの被害者が出ているか、計り知れない。

 ただ、この場所から人を遠ざけるためだけに。

「邪魔は入らぬ、これで心置きなく――――そこの邪魔者を殺すことが出来る」

 ザッハークは視線を、遥が抱きかかえている亨へと移した。

 遥は恐怖した。

 この男の"殺す"という言葉が、ひどく生々しいものに感じられたからである。

 実際にザッハークは、吉崎和弥を殺している。

 歴然とした、殺人者。

 遥は呻き声をあげている亨と、近くで震えていた美緒を見た。

 無理だった。

 あまりにも、状況は絶望的だ。

 打開策は、一つしかない。

「……待って」

「なんだ」

「亨君と、美緒ちゃんには手出ししないで」

「ほう、では」

 ザッハークは視線を遥に戻し、嫌な笑みを浮かべた。

 その笑みから逃げ出したくなる気持ちを抑え、遥は頷いた。


「行きます」


 その言葉を聞き、ザッハークは殺気を解いた。

 遥は亨から手を離し、身をザッハークの方へとやる。

「遥、さん……」

「お義姉ちゃん……!」

 起き上がろうとする亨、こちらへ駆け寄ろうとしてくる美緒を、遥は手で制した。

「来ないで。来ちゃ駄目――早く、ここから逃げて」

「でもっ」

「倉凪」

 と、なおも何かを言おうとする美緒を、亨が止めた。

 顔面蒼白になりながらも、ザッハークを睨みすえている。

 しかし遥を手中に収めたザッハークにとって、亨はどうでもいい存在なのだろう。

 見向きもしない。

「ヤザキン!」

 美緒は泣きそうな顔で、自分を押し留める亨に非難の声をあげる。

 吉崎の死によって、これまで離れていた魂が、この危機的状況によって舞い戻ってきたかのようだった。

「私嫌だ、吉崎さんだけじゃなくてお義姉ちゃんまでいなくなるなんて、絶対に嫌だ!」

「いいから退くんだ、死にたいのかっ!!」

 激昂。

 亨の凄まじい咆哮に、美緒は押し黙った。

 そんな美緒の肩を掴み、亨はザッハークを睨みながら少しずつ後退していく。

「ザッハーク」

「……」

「聞いていないならそれでもいいが、これだけは言っておく。僕たちは、絶対に遥さんをそのままにしてはおかない」

「……ああ、そうか」

 それだけ。

 簡素な言葉を残して、ザッハークは二人の視界から消えた。

 遥と共に。

 途端、亨の身体から一気に力が抜ける。

 美緒は慌てて、その身体を支えた。

「ヤザキン!?」

「ああ――大丈夫。僕としたことが、らしくない真似しちゃったな」

「すぐ、病院に……」

「いい。梢さんだって、これぐらいの怪我じゃ病院になんて行ってなかっただろ? 僕らは普通の人間よりも自己治癒能力も高い――大丈夫だ」

 と、美緒から離れて壁に寄りかかる。

 そして、物凄い勢いで壁を殴りつけた。

「ちくしょうっ……!」

 亨は己の無力さを、このときほど腹立たしく思ったことはなかった。

 何も出来ない。

 ザッハークには敵わない。

 自分があそこで向かっても、ザッハークに殺されるだけ。

 そんなものは、遥も望んでいない。

 だから、理屈ではあの行動は正しかったかもしれない。

 それでも、腹の底からマグマのように湧き上がってくる、灼熱の怒りは抑えがたかった。

 が、亨はいつまでもそうしているわけにはいかない。

 彼にはやることがあった。

「倉凪」

「な、なに……?」

「とりあえず飛鳥井さんの家まで行こう。そして――梢さんを探す」

「お兄ちゃんを?」

「ああ。僕は伝えなければいけないことがある」

 そこまで言って、亨は美緒に、やや引きつってはいたが、笑顔を見せた。

「遥さんは、諦めてないよ」

「え?」

「彼女は、まだ自分が助かる道を放棄してない」

 朦朧としていた意識に、何者かが触れてくるのを感じた。

 あれは遥だったのだろうと、亨は考えている。

 遥は、触れることで亨に自分の意識を流し込んできた。

 それは、伝言。

 梢に伝えて欲しいと彼女が願った、伝言であった。

「僕はその言葉を梢さんに伝えなきゃいけない」

 だから、今は止まらずに行こう。

 亨はそう言って、美緒の手を引っ張り、歩き出した。

 身体は痛むし、心も痛む。

 最近は何かを失ってばかりだった。

 それでも、まだ諦めさせないだけの、希望はある。

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