表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異法人の夜-Foreigners night-/第一部  作者: 夕月日暮
第三章「新たな日々へ」
20/26

第十九話「失ったもの」

 吉崎和弥の死は、殺人事件として扱わることになった。

 犯人はザッハーク。

 被害者である梢、零次、霧島の目撃証言が決定的な証拠である。

 吉崎は最初、闇医者の元へ運ばれた。

 既に息はなかったという。

 そこで梢は冷たくなった吉崎と対峙した。

 その後梢と共に正規の病院へ移される。

 それから梢は変わった。

 誰が何を話しかけても、すまん、としか言わない。

 それが相手に対しての言葉なのか、吉崎へと向けた言葉なのか、定かではない。

 その胸中は知れない。

 遥ならば知ることができたのだろうが、彼女はそれを望まなかった。

「私が覗き見するようなことじゃないよ」

 沈んだ表情で告げる彼女も、精神的に相当まいっているようだった。

 吉崎の死の責任は自分にある、と思いつめている節がある。

 一旦立ち直りかけた矢先に、吉崎の死が起きた。

 これでは何も感じない方がおかしいだろう。

 彼女は憔悴していたが、それでも梢よりは強かった。

 すっかり塞ぎこんでしまった美緒を励まし、榊原と共に葬儀の運営の手伝いを行っている。

 美緒はある意味で、梢以上におかしくなった。

 食事にも手をつけず、学校にも行かず、部屋からも出ず、人とは口を聞かない。

 そのあまりの落ち込み様に、榊原も言葉をかけてやれずにいる。

 榊原はさすがに大人だった。

 三人ほど憔悴している様子もなければ、塞ぎこんでもいない。

 吉崎の両親を呼び寄せて葬儀の準備を行ったり、半壊した屋敷の修理を依頼したり、警察側に今回の事件のことを伝えたりと、大忙しだった。

 かと言って榊原は人の死に淡白な性質でもない。

 一番吉崎の死に憤りを感じているのは、他ならぬ彼だろう。

 彼にとって、吉崎は単なる弟子ではない。

 梢たちと同じく、実の子のように思っていた。

 それを無残にも殺された。

 彼の胸のうちに湧き上がる怒りは、吉崎の両親よりも激しいものだった。

 だからこそ、様々な仕事を引き受けていたのだろう。

 なにか他に没頭できるものがなければ、彼とてどうにかなってしまいそうだったから。


 そんな家族を一歩離れたところで、零次は見ていた。

 彼にとって、「吉崎和弥の死」とは他人事である。

 だが、この光景は決して他人事などではない、と零次は思っている。

 守るべき者を守れなかった男。

 悲しむべき"家族"の死。

 それは、零次の中にある苦い記憶を、より鮮明にしていく。

(誰もが不幸だ)

 喜ぶ者などいない、完全なる悲劇。

 零次はその可能性を少しでも下げるため、異邦隊員として活動してきた。

 倉凪梢は、そんな彼に真っ向から対立した。

 無謀とも言えるような抵抗。

 そんな彼に、魅せられた。

 矢崎刃、矢崎亨、そして久坂零次も、どこかでそういった梢のあり方を羨んでいた。

 それを、知ってか知らずか、ザッハークは粉々に打ち砕いた。

 今の梢はかつての零次と同じ立場にいる。

 これからも彼が、今まで通りの道を突き進むことは――――

(まず、ない。俺には分かる。今の奴の気持ちなら、俺ほど理解できる者はいないだろう)

 それはかつて自分も通った道。

 挫折と苦悩。

 その先にある答えとは、大概が妥協を含んだものになる。

 倉凪梢が真っ直ぐでいられる時期は、終わったのだ。

 零次はそう判断し、そしてそのことを思うと、どうにもやり切れなくなる。

 吉崎の死は、予め零次が忠告していたようなものだ。

 そのせいか、零次はどうにも後ろめたさを感じてしまう。

「零次」

 と、声をかける者がいた。

 視線をやると、話しかけてきたのは亨だったらしい。

 亨もまた、梢たちと同様に憔悴しきっている。

 零次はよく分からなかったが、どうやら亨が異邦隊を脱退する直接のキッカケとなったのは吉崎らしい。

 彼にとって、吉崎は恩人とか、尊敬する人とか、そうした対象だったのだろう。

 また、零次同様後ろめたさもある。

 亨はザッハーク襲撃の日、万一に備えて遥や美緒たちを守るために、飛鳥井邸に留まっていた。

 そのことは問題ない。

 亨は与えられた役割はしっかりこなしている。

 しかしそれでも感情としては、

(あのとき、吉崎さんじゃなくて僕が行っていれば)

 と、思わざるを得ない。

「どうかしたか」

 零次からしてみれば、亨は裏切り者である。

 だが、そんな元同僚を責めるつもりは毛頭なかった。

 亨は亨で頑張ればいい、俺は俺でやる、と考えている。

 自分の意思を他人へと押し付けることを嫌がる梢の癖が移ったのかもしれない。

「ちょっと大変なことになってるんです」

 今は葬儀も終わり、参列者も帰りつつある。

 周囲は夜の闇に覆われ、雰囲気をより一層暗くしている。

「なにかあったのか?」

「それが、梢さんが……」

(なにか、あったのか)

 今の梢ならば、何をしでかすか想像もつかない。

 発作的に暴れだすことも考えられるし、結果能力の暴走がないとも限らない。

「どこだ」

「梢さんの部屋です」

 告げる亨の表情には、疲れだけでなく、焦りも混じっているようだった。


 暗い部屋の隅に、梢は座り込んでいた。

 葬儀は榊原邸で行われ、今は片付けの時間だったが、梢は手伝っていない。

 それどころか葬式に参列すらしていない。

 ずっと、部屋の中にいる。

 その目に生気はない。

「倉凪」

 戸の向こうから声がした。

 梢が何かを言うよりも先に、戸を開き二人の男が姿を見せた。

 藤田四郎と、斎藤恭一。

 梢と共に吉崎の親友でもあった彼らは、葬儀に参加すらしていない梢を不審に思い、同時に心配もした。

 少し躊躇いはあったが、二人は梢のところへやって来た。

「……大丈夫か」

 斎藤が静かに尋ねた。

 一つ一つ、言葉を慎重に選ぼうとしているようだった。

 それに対する梢の返答は、簡素なものだった。

「すまん」

 ただそれだけ。

 その短い一言だけが、梢の発する言葉の全てだった。

「謝ってどうすんだよ、お前のせいじゃないだろ」

 斎藤と違い、藤田は感情家だった。

 言葉をいちいち選んだりはせず、ただ純粋な言葉を、吐き出している。

 だけでなく、梢の両肩を掴んだ。

「気をしっかり持てよ、お前がそんなんでどうすんだ!?」

「藤田、落ち着け」

「っ……」

 斎藤にたしなめられ、藤田は歯噛みをしながら手を引いた。

 それでも、今の梢の姿を見かねて、口は動く。

「倉凪、そう一人で抱え込むなよ」

「そうだ。悲しいのは僕たちも同じ……だから、僕たちにぐらいは弱音を吐いてくれ。なんでも一人で抱え込まれると、こちらも余計に辛くなる」

 斎藤も相槌を打ち、静かに言った。


 そして、ここから梢の異常な行動が始まった。


「ククク」

 喉を鳴らし、虚ろな表情のまま……突如、梢は笑い出した。

 梢は、普段は勢いよく笑うことが多かった。

 しかし、この笑い方はひどく陰湿な、気味の悪い笑みだった。

 まるで、周囲に悪意をばらまくかのような。

「倉凪?」

 その様子を見て、藤田が戸惑いながら声をかける。

 明らかに梢の様子が、尋常なものでなかったからだ。

「クククククク、ヒヒヒ。お前ら、馬鹿だなァ」

「……なんだと?」

「馬鹿だって言ったんだよ。ああ、大馬鹿コンビ。お前ら、知らない癖に何言ってやがる」

「知らない、とは?」

 斎藤が問う。

 藤田も彼も、梢の突然の変貌に対して戸惑っていた。

 梢は心底おかしそうに笑いながら、決定的な一言を告げた。


「――――吉崎は、俺が殺したようなもんなんだよ」


 言葉だけを聞くならば、悔いているようにも思える。

 だが、梢は薄ら笑いを浮かべながら、心底楽しげにその事実を語った。

 刹那、梢の身体が宙に浮かぶ。

 藤田が、身を乗り出して梢の胸倉を掴み上げたのである。

「おい、てめぇ……何ふざけた冗談ぬかしてんだよ!」

 その顔は怒りに満ちていた。

 吉崎の死そのものを嘲笑っている。

 それも、一番の親友だった梢が。

 藤田はそのことが、例えどんな事情があろうとも許せない。

「もう一回言ってみろ、この野郎ッ!」

「ああ、聞こえなかったのかよ? 吉崎は、俺が、殺した、って言ったんだよ」

 梢はヒヒ、と笑いながらまた言った。

 藤田は頭に血が上ることを抑えられなかった。

 抑える気すらなかった。

 迷わず、梢の横っ面を殴り飛ばす。

 梢は宙からいってんして部屋の隅まで転がりながら、それでもなお笑っていた。

「痛くないな。"化け物"相手にやるには、ちと威力不足だぜ、藤田」

 ゆらりと立ち上がり、左手を掲げる。


 ――――途端、部屋に無数の草や蔦が現れた。


 壁を這って伸びてくる蔦。

 畳の中から突如生えてくる草。

 その異様な、あまりに現実離れし過ぎた光景の中で、藤田と斎藤は動けずにいた。

「……なんだ、これ」

「……」

 そんな二人を見て、梢はなおも楽しげに言う。

「俺が出した。ま、超能力ってやつだな」

「は!? そんなもん、信じられるわけねぇだろ!?」

「でも実際ここにある。そうだな、試してみるか?」

 言って、梢は左手を藤田の方へと向けた。

 すると、次々と植物が藤田の方へと這いよっていく。

「どわっ!?」

 思わず逃げようとする藤田の足に、蔦が巻きつく。

 藤田はバランスを崩し、倒れた。

 そのまま今度は首にも蔦が巻きつけられる。

「ぐあっ!」

 蔦は物凄い力で、藤田の首を絞める。

 突然の事態に呼吸が乱れていたため、藤田の顔色はみるみる青ざめていった。

 斎藤は身体が動かせずにいた。

 どうにか梢の方を向いて、口を開くことが精一杯だった。

「倉凪、やめろ!」

「ビビって動けない癖に何言ってんだよ、斎藤。まぁ聞け」

 相手を小馬鹿にするように言う。

 まるで、今の梢はザッハークのようだった。

「俺はこの通り、こんな力を持ってる化け物だ。その気になれば、藤田の首をすぐにへし折ることもできる。ザッハークも俺と同じでな、奴との戦いに、運悪く吉崎は巻き込まれたってわけだ」

 もはやその事実は、二人にもはっきりと分かっていた。

 友人が人間の範疇を超えた存在であること。

 信じたくはなかったが、梢の方が形にして見せ付けている。

 これではどう反論することもできない。

「吉崎の奴は普通の人間だったのに、馬鹿なことをしたもんだ。俺に関わってなきゃ、楽しい一生送れただろうに」

 やれやれ、と肩を竦めたところで、乱暴に戸を開いて、零次がやって来た。

「倉凪!」

 零次は大またで梢の元へ迫ると、先ほどの藤田と同じように、梢の胸倉を掴み上げた。

「貴様は何をやっている! 何を馬鹿げたことをしているんだ!? 今すぐ彼らを解放しろ!」

「ちっ、うるせぇな……ああ、分かったよ。言いたいことは言ったし、離してやる」

 その言葉の通り、藤田に巻きつけられていた蔦が、するすると離れていく。

 それだけではなく、部屋中に具現化された植物は、あっさりと消滅していった。

 咳き込む藤田を、斎藤がどうにか抱え起こす。

 二人は力なく梢の方を睨んだ。

 梢はそんなことなど意にも介さず、再び座り込んだ。

「これで分かったろ、あいつが死んだ責任は間違いなく俺にある。お前らも、命が惜しかったら俺にはもう近づかないことだな」

(――まさか、こいつ)

 梢の言葉。

 その裏にある意味を、零次は感じ取った。

「ま、榊原の親父や美緒、遥にも気味悪がられてたし、そろそろこの町を出るつもりだったから、どのみちもう会うことはないだろうがな」

「……倉凪」

 と、意外にもしっかりとした声で斎藤は言った。

「お前、最悪だ」

「……最高の誉め言葉を、どうも」

 梢が冗談めかして、そんなことを言ったときには、既に二人は部屋から出てしまっている。

 残されたのは、梢と零次の二人だけ。

「……すまん」

 二人が立ち去った後に発せられた小さな呟きを、零次は聞き逃さなかった。

(やはり、わざとか)

 梢の先ほどまでの態度。

 あれは全て演技だったのだろう。

 吉崎の死に直面した梢は、同じ親友である藤田や斎藤にもそういったことが起きないよう、自ら絶縁状を叩きつけたのだ。

 しかも、自ら嫌われ役を演じることで、よりそれを確実なものにした。

 それが意図的であるということは、榊原や美緒までが同じ風に見られないように配慮しているところが、なによりもの証拠。

(こいつは、"俺と同じ"になった)

 能力者と普通の人々との境界線を、はっきりと自覚した。

 そして普通の人々を引き離そうとする行動に出た。

 不思議なことに、零次はそのことが全く嬉しくない。

 むしろ、やり場のない怒りが込み上げてくるような思いさえした。

(結局は)

 こうなるのか、という、諦めにも似た実感がある。

 倉凪梢とは、零次がかつて持っていた儚き夢――人と能力者の共存――の体現者だった。

 彼の中に、零次は自分の「IF」を見ていたのかもしれない。

 だが、それはしょせん敵わぬ夢。

 それを、まさに梢が体現している。

 期待をさせられ、一気に、より深い場所へと落とされたような感覚。

 それは、なんとも言えない無力感にも似ていた。


「藤田、大丈夫か」

「……ああ」

 榊原邸を出てからしばらく歩き、二人は公園で休んでいた。

 精神的に、疲れすぎた。

 吉崎の死だけでも受け入れがたいことだと言うのに、梢とのやり取りが二人をさらに疲弊させている。

「なぁ、藤田」

「なんだ」

「アレは、なんだったんだろうな」

「……本人は超能力とか言ってたし、多分それは嘘じゃないと思うけど」

 違う、と斎藤は頭を振った。

 斎藤が言いたいのは、梢のあの態度である。

「あいつが超能力云々と言うのは仕方がない。認めるしかないさ」

 と、この点では斎藤も藤田も、不思議とその奇怪な事実を受け入れつつある。

「問題は、あの態度だ。あいつ、なんであんなことを言ったんだ」

「俺には分からないぜ、そんなの。分からねぇよ……!」

 髪をぐしゃぐしゃと掻き毟りながら、藤田は足を何度も地に叩き付けた。

 それをたしなめるほどの気力を、斎藤は既に持っていない。

 彼自身、額から垂れ落ちる汗が眼鏡に張り付いているが、それを取ることさえしない。

 精神的に追い詰められているのは、藤田だけではないのだ。

「くそっ、くそっ、くそっ、くそぉっ!」

「……うるさいぞ、藤田」

「っ……! ああ、そうかよ! じゃあ悪いが、俺は先に帰るぜ!」

 と、苛立たしげに、わざと物音を立てながら、藤田は立ち上がる。

 そのまま早足で、公園から出て行ってしまった。

 斎藤は自分の失言に気づきはしたが、それでも自分は悪いとは思わなかった。

(あれぐらいで、いちいち怒るな)

 逆に、やり場のない怒りが藤田へと向けられた。

 苛立ちは募るばかりで、治まる気配がない。

 梢と藤田、そして死んだ吉崎。

 混乱の中湧き上がる怒りは、適当な場所にいた、大事な友人へと向けられてしまったのだった。


 無邪気な日常は、終わりを告げた。


 零次は、住居を定めずにうろうろしている。

 以前使っていたアパートに戻るわけにも行かず、路銀も心許ない。

 かと行って、榊原邸に留まるわけにも行かない。

 様子見のために出入りはするが、泊めて貰うことなどできない。

 榊原は一応勧めてはくれたが、零次は断った。

 あやふやになりつつあるが、零次はまだ異邦隊を抜けたわけではない。

 つまり、一応はまだ敵対関係にあるはずなのだ。

 もっとも異邦隊とは連絡が取れないうえに、彼自身も思想に変化が現れている。

 彼もまた、純粋な異邦隊員としての日々に、終止符を打とうとしていた。

 そのためにも、異邦隊との連絡を取りたい。

 そうした事情から、町中を飛び回っている。

 葬儀が済んでからは、榊原邸にはほとんど顔を出してはいない。

 あの暗く、じめじめとした雰囲気は居心地が悪い。

 だけでなく、零次に否応なしに過去を思い出させる。

 だからか、自然と避けるようになっていた。

 が――――。

 気づけば、彼はあるマンションの前にやって来ていた。

 冬塚涼子が住む、マンションへと。

(……昔を、思い出したせいか)

 ふと、そんなことを考える。

 そこに、

「零次」

 後方から、聞きなれた声が聞こえた。

 ザッハークとの一件以来、ほとんど顔も見ていなかった相手。

「霧島か」

 霧島は、梢が最初に送られた闇医者――幸町孝也の元で、治療中だった。

 なんでも彼の義足は特別製のもので、この辺りでは幸町のところでしか修復できないのだと言う。

 そうした事情から、彼は吉崎の葬儀には参加していない。

 それどころか、榊原たちとも、電話で多少話した程度で、会ってすらいなかった。

 そんな事情を思い出しながら振り返る。

 そこには、意外な人物がいた。

「……涼子?」

「零次さん?」

 霧島はまだ足元がおぼつかない様子で、彼女に肩を借りていた。

 そのことは別におかしくはない。

 ただ、涼子と霧島。

 この二人の組み合わせは、ひどく奇妙だった。

 零次の知る限りでは、この二人にはなんの接点もない。

「どうしたんだ、二人は」

 だからと言って、いきなり二人の関係を聞くのは気が引けた。

 故に零次は、話を変えた。

「ああ、吉崎の葬儀に参加できなかったからな。せめて墓参りぐらいはしておきたいと思って、涼子も誘ってみた」

「ふらふらなのに、無茶するよねぇ。……で、零次さんこそどうしたの?」

 質問、というよりは問い詰める、という風に涼子は言った。

 実際目が据わっており、機嫌はあまり良さそうではない。

 彼女にも吉崎の死というものは堪えているだろうし、そんな時期に、突如零次が音信普通になった。

 まさか零次も、と心配していたのである。

 ところが、当の零次は呑気に自分のマンションの前で、ボーっと突っ立っている。

 心配した反動からか、少し口調がきつめになってしまったのだ。

「あ、いや……俺は」

 零次は答えようがない。

 異邦隊を探していることなどを涼子にどう説明しろと言うのか。

 そんな零次に、霧島は助け舟を出した。

「零次、お前も来いよ」

「……いいのか?」

「ああ、吉崎ともう一人、挨拶しときたい人がいるんだ」

 その言葉で、零次はなんとなく察しがついた。

 ザッハークに殺された相手。

「……優香さんか?」

「――零次さん、お姉ちゃんを知ってるの?」

 と、そこで霧島ではなく、涼子が反応した。

(……これは、どういうことだ?)

 涼子の言葉に、零次はうまく答えられない。

 視線を霧島にやると、彼は重々しく頷いた。

「ついてくるなら、俺が説明する。全部な」


 その墓石に刻まれた名は、八島優香。

 涼子とは姓が違う。だが姉妹だったという。

「私ね、捨て子だったの」

 零次の疑問を察して、涼子はあっけらかんと言った。

「零次さんとはじめて会った冬の前に、教えられたんだ」

「……そうか」

 出会い頭に雪をぶつけられた理由が、明確に分かった気がした。

 子供心にそのようなことを聞かされ、ショックだったのだろう。

 そして偶然一人になれるあの公園を発見した。

 一人になることを涼子は願っていた。

 ところがその場所に零次が現れたため、唯一の自分の居場所まで取られた気になってしまったのだろう。

「私、そのときはすごくショックだったんだ」

「きっかけは、優香だった」

 墓に向かって手を合わせていた霧島が、不意に口を開いた。

「優香の両親がザッハークに殺された。他に身寄りがなくなった優香と、当時あいつと付き合っていた俺は、どうするか悩んでいた」

 そのとき、冬塚夫妻が優香を招こうとしたのだという。

 冬塚夫妻は優香を拾った八島夫妻と親交があった。

 だけでなく、両夫妻は同じときに同じ場所で涼子たちを見つけた。

 経済的負担から、両方の子の面倒をみることは難しい。だから、一人ずつを連れ帰った。

 折を見て、娘たちにはその事実を話すつもりだったらしい。

 しかし、彼らは優香に、真実を伝えることなく逝った。八島夫妻はザッハークによって殺された。その真相は、当時は誰も知らなかった。

 が、八島夫妻の元にいた優香のことを、冬塚夫妻は放っておけなかった。

 さほど経済的余裕があるわけでもなかったが、それでもどうにか優香の面倒をみることぐらいならばできそうになっていた。

「俺は賛成だった。冬塚夫妻の家ならば、当時俺が通いこんでいた榊原家からも近かったし、会いやすかったからな」

「そのこと、この間まで私も知らなかったんだけどね」

 涼子はびし、と突き刺すような視線を霧島に向ける。

 どうも霧島は割と涼子とは会っていたようで、しかし榊原家と自分との繋がりに関しては一切黙っていたらしい。

 鋭い視線を受け流して、霧島は続ける。

「……で、優香は冬塚家に行った。お前が涼子と出会った頃にな」

「そうか、その頃に」

 名も知らなかった涼子の姉。

 そんな経緯があったとは、知らなかった。

 ただ、涼子が姉とうまくいっていないような気がしていただけで。

「で、ここからが本題だ」

 霧島は改めて二人を見る。

 その表情は真剣そのもので、そしてどこか悲痛そうな面を持ち合わせている。

「まず涼子。これから俺が話す内容は事実だが、とても信じられるようなものじゃない。当たり前のことが当たり前じゃなくなる。それでもお前には話しておきたい、事態が事態なだけに、知っておかないとお前も危ないかもしれない」

「――え?」

 と、涼子は明らかに戸惑っていた。姉の墓参りに来ただけなのに、突然こんな話を切り出されて、どう反応すればいいのか分からないのだろう。

「それと、お前の両親が殺された事件についても思い出させることになる。お前を傷つけるかもしれないが、それでも俺は話そうと思う」

「……う、うん」

 そこまで言われれば、覚悟を決めるしかないと思ったのか、涼子は力強く頷いた。

 こういう辺りは本当に強い、と零次は思う。

「零次、俺はあの事件の内容を話す。つまり、どういうことか分かるな?」

 今度は零次の方に顔を向けてきた。

 霧島の言葉の意味はよく分かる。

 あの事件についての仔細を話すのであれば、零次が普通の人間ではないことを涼子にも話すのであろう。

 それでも、霧島は言った。

 知っておかないと、涼子も危ないかもしれない、と。

 今回の件、中心は遥という少女だった。

 涼子が中心となった事件は、すでに終わっている。

 しかし、涼子は妙なところで今回の件に関わっていた。

 倉凪梢、倉凪美緒との繋がり。

 さらに久坂零次や霧島直人との繋がり。

 偶然かどうかは分からないが、涼子が安全な立場にいるとは言いきれない面がある。

 知っておいた方がいいのかもしれない。それこそ、零次の正体を含めたすべてのことを。

「構わない、全部話してくれ」

 迷わずにそう言えたことが、零次のちょっとした誇りであった。

「――分かった。それじゃ、順番に話していこう」


 まずは、零次と涼子の事件から。


 冬の日。

 優香が冬塚家に入った。

 涼子はその"姉"に馴染むことができずにいた。

 だから、よく家を飛び出して公園に行った。

 そこは、自分だけの場所だったから。

 そしてある日、零次と出会った。


「零次君って、真面目な感じがするね」

 当時の涼子はまだ幼かったせいか、今ほど零次に敬語を用いなかった。

 子供同士の触れ合いだったから、そんなものはいらない。


「……そう?」

「うん、すっごく真面目そう。うちのお父さんみたい」

「そうか」

 父という言葉を口にしたとき、彼女は少し不機嫌そうな顔をした。


「ねぇ、零次君。今日は商店街の方行ってみない?」

「いいけど、どうするの?」

「食べ歩きツアー!」

「……お金、大丈夫?」

 お店のおじさんたちは元気な子供たちが好きだったのか、特別サービスをしてくれた。


「涼子ちゃんって、難しい本読むんだね」

「うーん、そうかな」

「そうだよ、僕には全然分からなかった」

「あ、ごめん……つまらなかった?」

「……正直、ちょっと」

「うぅっ、それじゃどうしよっか」

「……」

「零次君?」

「いや、僕からなにがしたいとかって言うこと、なかったから。どうしようか迷って」

 結局、二人でずっと考え込んで、日が暮れた。


 一冬の思い出。

 涼子の脳裏には、その美しい部分しか思い浮かばない。

 情報としては、この後なにが起こるかは知っている。

 両親が、突如何者かに殺された。

 自分自身も死にかけた。

 それでも、そのときのことが一切思い出せない。

 が、零次は覚えている。

 自分の無力さを痛感し、人と異能の者とを隔てる、あの事件を。


 その日、零次は涼子の家に初めて招待された。

 優香の誕生日。

 突然現れた姉の、突然の誕生日。

 涼子はこの頃、家族と距離をおいていたから、心細かった。

 きちんと、祝ってあげられるかどうか。

 優香の人柄は、母性的で穏やかな女性、といったものだった。

 当時破天荒な若者だった霧島直人の恋人だったことからも、察することが出来る。

 彼女はいつでも温かく笑って、周囲の人々を見守っていた。

 だから、本当は涼子も優香が好きだった。

 姉だということも分かっていたし、好きだということも分かっていた。

 それでも、不自然な気がしたから、受け入れることが出来なかった。

「あのお嬢ちゃんとの仲はうまくいってるのか?」

 ある日、心配した霧島はそんなことを聞いた。

「うーん、まだまだ、かな」

「おいおい呑気だな、そんなんでいいのかよ」

「ええ、今はまだ不自然な感じだから。でもいつか、きっと自然になれる日がくる。そうしたら、私たちはとても仲良しになれる、その自信はあるわよ」

「……お前、大物」

「ふふ、直人が妬いちゃうぐらい仲良しさんになるんだから」

 そう言った彼女の顔は、穏やかで、確信に満ちていて、とても優しかった。

 霧島は、そんな笑顔をずっと守りたいと思っていたのだ。

 事件の日、涼子は零次を迎えるために家を出る。

 玄関先に、優香がいた。

「あっ」

 思わず、視線を逸らす。

 それでも気にすることなく、優香は微笑みかけていた。

「涼子ちゃん、お友達を迎えに行くの?」

「……うん」

「そっか、ありがとね」

 ぱっ、と笑顔が現れる。

 その笑顔はあまりに綺麗で純粋で。

 だから、涼子もつい見とれてしまう。

「なんで、ありがとう、なの?」

 零次を呼んだのは、自分のため。

 一人でこの家族の中にいると、居心地が悪いから。

 そんな理由なのに、なぜお礼を言うのか、涼子は分からなかった。

「だって、私の誕生日を祝ってくれる人が一人でも多くいるなら、それは嬉しいし」

「でも、それは――」

「いいのよ、理由は。涼子ちゃんの理由がどうであれ、私はそれを嬉しいって思えるんだから」

 その言葉を聞いて、涼子は分かった。

(ああ――この人は、本当にいい人なんだ)

 今はまだ不自然な姉妹だけど。

 それでも、いつかは自然に笑い合っていけたらいいな、と。

 そんなことを思いながら、涼子は家を出た。

 出るとき、優香が玄関から。

 二階のベランダから、両親が手を振っていた。

 だから、涼子も一生懸命振り替えした。

 そのとき、確かに姉妹は、家族は笑い合っていた。

 これが、涼子が最後に見た家族の姿だった。


「――私、覚えてないんだ。そのこと」

 霧島の話を聞きながら、涼子は涙を流していた。

「話を聞いてたら、それは本当にあったことだって分かった。でも、それでも私、それを……自分じゃ思い出せなかった」

 泣いていた。

 なぜ泣いているのかは、きっと涼子自身にも分からない。

 それでも、その涙はきっと正しい。

 零次はそう思う。

 だからこそ胸が締め付けられる。

 彼女の正しい時間を奪ったあの事件を、彼は覚えているから。

「そろそろ、いいか?」

 涼子の様子を見計らって、霧島は会話を続ける……前に、涼子に言った。

「なぁ涼子、超能力って信じるか」

「……え?」

「超能力。これからの話は、それが実在するということを理解しないと、信じられない」

「……」

 突然話を変な方向に向けられて、涼子は戸惑っていた。

 だから、少々酷で、勇気が必要だったが、零次はそれをした。

「冬塚」

 呼びかける。

 呼びかけに応じて、彼女は零次の方を見た。

 当然、嫌でも目に入る。

 零次の背に生える、対の黒翼が。

「……なに、それ」

「これが、霧島の言う超能力の一種だ」

「え、でも……え?」

 せわしなく視線を巡らす涼子に、零次も霧島も言葉はかけない。

 ただ、涼子を待っていた。

 数分して。

 涼子は、深呼吸をして自分を落ち着けた。

「零次さん」

「なんだ」

「私、突然のことで訳が分からないけど……」

「ああ」

 続きを促す。

 だが、涼子はうまく言葉が見つけられず、霧島の方に視線を向けた。

「義兄さん、続けて」

「……いいのか?」

「うん。正直混乱してる。でも、今聞いておきたい。考えるのは、後でもできるから」

「そうか」

 深くため息をついて、霧島は零次を見た。

 言葉には出さず、視線で謝罪をする。

 これでもう、零次と涼子の縁も切れるかもしれない。

 それでも零次は構わなかった。

 無理矢理作り上げていた幻想。

 新たな道を見つけ出すには、一度思い切り整理しないといけない。

 それはとても辛いことだったが、構わない。

 そう、決めたから。


 零次と涼子は、いつもの公園で待ち合わせた。

 どことなく、涼子が嬉しそうだったから、零次も嬉しくなった。

「なにかあったの?」

「ううん、多分、これからあるんだよ、たくさん!」

 無邪気に答える涼子が、零次にはとても眩しかった。

 そう、いつだって眩しかった。

 かつては母と妹に求めた、日常への憧れ。

 それは捨てたつもりだったが、涼子の中に生きていた。

「早くいこっ」

 そう言って自分の手を引っ張る彼女。

 同じように自分を導いてくれた男とは、全く違うものだった。


 だから。


 彼女が泣く姿なんて、見たくなかったのに。


「……え?」

 公園から出て少ししたとき。

 嫌な予感がぞくりと全身を包んだ。

 煙。

 黒い煙。

 町中で。

 それは、涼子の家の方角だった。

 涼子はまだ気づいていない。

 とても嬉しそうに、駆け出そうとしている。

「待って!」

 零次は思わず、その手を強く握り締めて、止めた。

「痛っ!」

「あっ、ごめん……」

 慌てて手を離す。

 涼子は若干涙ぐんでいた。

「どうしたの?」

「いや、僕ちょっと忘れ物しちゃったんだ。誕生日プレゼント」

「えーっ!」

「だからちょっと待ってて、すぐ戻ってくるから」

 そう言って、公園を出る。

 出る寸前に、釘を刺しといた。

「絶対動かないで! 僕が戻ってくるまで、ここにいて!」

「分かったー!」

 その返事を確認すると、零次は急いで涼子の家の方へと向かった。

 もちろん、涼子に気づかれないように。

 近づくたびに、人が増えていく。

 その口々から聞こえる言葉は、内容までは聞き取れなかったが、それでも零次の心を重くした。

 やがて、その場所についた。

 表札には冬塚と書かれている。

 間違いない。

 間違いなく、涼子の家だった。

 ――――間違いなく、涼子の家が燃えていた。

「っ!」

 本能的な行動だった。

 周囲の大人の制止を振り切って、家に飛び込む。

 炎の赤。

 そして、血の赤。

 全く風景は違うのに、母と妹が死んだときのことを思い出した。

「あ――」

 思わず吐きそうになる。

 ここはまずい、と身体が告げる。

 それでも退くわけにはいかなかった。

(大丈夫。まだ、大丈夫!)

 きっと間に合うと、零次は信じた。

 涼子の家族、名前も知らない人たち。

 それでも、助けたいと思った。

「誰か!」

 叫ぶ。

 炎は混沌を生み出す。

 景色も音も、異質な世界。

 そこで、零次は懸命に叫び続けた。

 答える声はない。

 その代わりに、花が咲いていた。

「……え」

 真っ赤な、花だった。

 二つの身体が押し広げられ、人為的な、極めて人為的な花を生み出している。

「嘘だ」

 これは、人間の仕業ではない。

 自分と同質の者の、仕業。

 それが、涼子の両親を殺した。

「嘘だ、嘘だ、嘘だ嘘だウソだうそだうソだ嘘ダウソダ……!!」

 見当違いだと分かっていても。

『貴方さえ、普通の子だったなら、こんなことにはならなかったわ……』

 死んだ母親の言葉が、呪縛となる。

 まるで、自分が殺したかのような錯覚を覚える。

 そう。

 やろうと思えば、零次にもできる。

 ほんの気まぐれで、いつだって人をこんなふうにできるのだ。

「嫌だ、嫌だ……そんなこと、できない!」

 頭を抱えながら、その部屋から飛び出す。

 僅かな希望はあった。

 涼子には姉がいる。

 名前は知らない。

 涼子が話そうとしなかったから。

 その人は生きてるかもしれない。

 そんな期待と共に廊下を駆け出した零次の脇腹を、なにかが貫いた。

「うっ!?」

 思わず尻餅をつく。

 その姿は能力者という怪物のものではなく、ただの子供と同じものだった。

 眼前には、黒いローブで顔まで隠した男がいた。

 纏う雰囲気は、虚無感。

 全てを無に帰す威圧感を放つソレは、どう見ても人間ではなかった。

「……」

 男は口を開かない。

 無言で片腕を水平に上げ、零次へと向けた。

 途端、男の腕から蛇が伸びてきた。

「うわぁっ!?」

 振り回す。

 思考など介入せず、ただ恐れるがままに腕を振り回す。

 死にたくないから、暴れる。

 暴れることで、敵をどうにかする。

 ――そんなことが通じる相手ではなかった。

 無数の蛇が、零次の全身に喰らいつく。

 普通の人間ならばその時点で食いつぶされていただろう。

 痛みを実感して、零次は確信した。

(コイツが、コイツが涼子の家族を……!)

 殴りたい。

 壊したい。

 目の前の男を、消し飛ばしたかった。

 そう思えば思うほど、零次の身体は悪魔に侵食されていく。

「……ホウ」

 黒く染まった腕を見て、男は興味深そうに呟く。

 しかし、それだけ。

 蛇は零次の身体から離れず、その牙はさらに身体へとめり込んできた。

「うあああぁっ!」

 痛みに、仰け反り返る。

 そして、見てしまった。


 壊れてしまった彼女を。


「涼子――」

「……」

 声は出ない。

 ひゅーひゅーと、口から音が漏れるだけ。

 涙が流れ出ていないのは、きっと思考がついていけていないから。

 ――あれだけ待ってて、と言ったのに。

「……」

 虚ろな目で、涼子はふらふらと歩み寄ってきた。

 それを見て、男はまた腕を上げた。

 また蛇を出す。

 あれに噛み付かれたら、彼女では耐えられない。

「駄目だ、きちゃ――」

 叫ぶが、すでに遅い。

 涼子の全身に、無数の蛇が襲い掛かった。

「あ」

 涼子はそのときだけ、声をあげた。

 ただ、それだけ。

 続く言葉はなかった。

 なぜなら、すぐに彼女は朱色に染まったから。

 なにが起こったかも分からず、崩れ落ちる。

 そんな彼女に、手を差し伸べることさえできない零次。


 このとき、零次は捨てた。


 人と自分たちとの共存の夢を。

 幼い子供にはあまりに酷な現実。

 それでも、零次はそれを受け入れる。

 気づけば、身を束縛する蛇は消えていた。

 遠くから激しい物音が聞こえる。

 おそらくは誰かが、あの男と戦っているのだろうと、零次は思った。

 が、どうでもいい。

 零次はただ、倒れた涼子の元へ歩み寄った。

「ごめん」

 赤い手を、そっと持ち上げながら、零次は声にならない叫びをあげた。

 それはとても純粋な慟哭。

 悲し過ぎる、結末だった。


 そこで、話は一旦区切られた。

 零次の表情は、いつもに増して暗い。

 涼子は、真っ青になって震えていた。

「大丈夫か、涼子」

「……う、ん。ただ、思い出した、だけだか、ら」

 涼子は事件の後、病院に運ばれ一命を取りとめた。

 しばらく昏睡状態が続いていたのだが、その間に異邦隊によって当日の記憶を消されてしまったのである。

 起きたとき、彼女は当日のことを覚えていなかった。

 なにがあったのかを、全て忘れていた。

 だが、異邦隊の記憶操作など大したものではない。

 ちょっとした刺激があれば、いつでも元に戻る。

 ただ、事実を知る零次が今まで遠慮していたため、思い出すことができなかった。

「そっか……」

 涼子はただ静かに、うなだれた。

「私、そうしてお父さんとお母さんを、失くしちゃったんだ」

「冬塚……」

 どう言葉をかけていいのか、零次には分からなかった。

 謝罪の言葉か?

 励ましの言葉か?

 それとも、全く別のことを――。

「それで、零次さんまでいなくなっちゃって。帰ってきたとき、どこか余所余所しいなとは思ってたけど、そういうことだったんだ」

 棘を含んだ言葉が胸に痛い。

 だが、どんな言葉を受けようとも耐えねばならない。

 ふと、涼子の視線が零次に向けられる。

 明らかに、怒っていた。

「零次さん!」

「……ああ」

「なんで、もっと早く言ってくれなかったの!?」

 と。

 予想だにしない言葉が、投げつけられた。

「冬塚?」

「なによっ」

「いや、言葉の意味が分からない」

「分かんないのっ!?」

 余計怒り出した。

 まったく、想像していなかった光景。

 零次は、どうすればいいか分からなかった。

 しばらく黙っていると、涼子はため息をついた。

「零次さん、そういうとこは昔と変わらないね」

「そうか」

「そうよ、ニブチンだもん」

「すごい言われようだな」

 観戦者となった霧島は無責任だった。

「じゃ言うけどね、今私は、自分がすごく許せない」

「は? ……俺、とか犯人、ではなく?」

「どっちも許せないけど、それよりも私自身の方が許せない。だって今まで零次さん、ずっとそのこと一人で抱えてきてたのに、私一人だけ忘れて楽してるなんて、最悪じゃない」

「いや、だが君は被害者だろう」

「それを言うなら零次さんも被害者でしょ?」

 俺はいいんだ、と言いかけて、零次は止めた。

 そんなことを言えば、涼子はますます怒るだろう。

 が、続く怒声はなかった。

 少しお互い無言だったが、やがて涼子が静かに言った。

「……私は、大丈夫だから」

「本当に?」

「うん、お父さんとお母さんのことはずっと前に受け入れてたから。ただ、その瞬間を思い出しただけ」

 強いな、と零次は思う。

 冬塚涼子。

 普通の人間。

 それでも、自分などよりも何倍も強く、尊い。

 実際、涼子は強かった。

 青天の霹靂。

 突如として現れた、不可思議な世界。

 それを全て、受け入れた。

 ただ、理由はある。

 その不可思議な世界の中に、零次がいたからだ。

 零次がいて、一人で悩み苦しんでいる。

 しかも、涼子のことで悩んでいる。

 そんな零次を目にしては、他の何を受け入れてでも助けなければ、と思ったのだろう。

「零次さん」

 涼子はそう言って手を差し出してきた。

「再会の握手」

「握手?」

「そう。今度こそちゃんと、友達として再会した、ってことの握手」

 有無を言わさず、零次の手を握りしめて、ぶんぶんと振り回す。やはり隠し事をされていたことが気に入らなかったのか、力が入っていた。少し痛い。

「はい。これで良し」

 手を離した彼女の顔は――あのときと同じ笑顔だった。

 長かった。

 原点に辿り付くだけで、こんなにも迷ってしまった。

 そう考えると、久坂零次ほど弱い人間もいない。

 理屈で己を偽造し、中途半端な処置で大切な相手を拒絶し。

 それが相手のためなのだと一方的に思い込んでいた。

 それでは、駄目なのだ。

 人は、理屈や体面を持って生きる。

 だが、その原点には、本当に大切なものを置いておかねばならない。

 それがなければ、人は誰のことを見ることも出来ない。

 自分のことさえも。

「何も言わずにいるのは、お前を受け入れていなかったことと同じ……俺は、俺自身と、お前と。そのどちらをも、裏切っていたんだな」

 涼子は言葉では答えず、ただ零次の背中を勢いよく叩いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ