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再び我々の国を  作者: アンドロイド安藤
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はじまり

城の窓から下を見ても、砂ぼこりが立ちこめているせいであまり見えないのだが、そんな中であろうと関係無しに戦況は目まぐるしく変化していく。先程も、第三部隊が突破された、というあまり嬉しくない報告があった。全部で五つある部隊の内の三つ目が突破されたということはすなわち、いささかこちらが不利であるということは言わずもがなであった。


見えずらいとはいえ見えないということでは当然ない。魔法によって遠方の状況を確認したが、砂埃の中に見える景色は、魔物一体に対して人間が十人がかりで戦っているというまさに数の暴力と呼べるものだった。やはり、我々が不利であるということは確かなようで、人間たちは着実に我々のいる城へと進んでいる。城の中も緊張が漂っており、いつものように無駄口を叩く輩は殆どいない。


私も当然、余裕が無くなっている。だがそれはおそらく、他の幹部達の誰よりもだ。


なにせ過去から今までの全ての戦争において、軍の大まかな動きを任されていたのは私だった。私は今回、持てる時間を全て捧げ、更には過去の戦争での作戦、諜報員によって知らされた人間界の動きを全てあらゆる方向から吟味し、先を見据えて作り上げた作戦だった。


だが、それは清々しいほどに、まるで赤子の手をひねるかのように楽々と攻略されている。


「………まさか、人間が数で攻撃してくるとは思ってもいませんでした。我々はどうやら情報収集を怠ったようですね」


そう言いながら魔樹の枝に火をつけて、さながら嗜好品のように煙を吸っているその女は呑気に椅子に座って上を見上げている。女の体の所々にはひび割れがあり、そこから木の芽が生えている。


この女は本来生えるはずのない人間界の植物がなんらかの理由でこちら側の環境で成長し、それらが魔にあてられて出来上がった植物の集合体である。木とは思えないほど潤った肌や艶やかな髪を持ち、王から直々に頂いた魔の衣と呼ばれる服に身を包み、姿はさながら人間の女の姿と同じだ。


彼女いわく、私は木であって魔物ではないからなりたい姿になってるだけよ、などと言っているのだが、実際この姿の方が人間界に行く際に非常に都合がいいという事で、彼女は諜報員を担っていた。無論彼女は潜入にも長けているため、持ってくる情報は全て誰もが信じるほどの正確さだった。当然のことながら今までの私ならばすんなりと信じていたが、今回だけは彼女が持ってきたものでさえも全て、自ら人間界に赴いて確認をした。


「………私は貴様から知らされた情報を全て吟味し、実際に自ら赴いてこの計画を作り上げた。しかし、私は甘かったのだろう。これでは王に顔向け出来ん」


「………お気になさらず。確かにあなたが今回の戦争に並々ならぬ思いで取り組んでいたのは分かります。しかしそれは全て無駄だったんです」


「……どういうことだ?」


「お気付きにならないのですか?かつてここまで、貴方のたてた作戦がいとも容易く攻略されていったことなんてあったでしょうか?貴方の作戦はいつだって人間たちを苦戦させてきたはずです」


彼女が何を言いたいのかは再度窓から戦場を見たときに分かった。


「……どうして人間たちは罠や魔獣を避けられるのだ。まるで、何処に何があるのかが………」


「…………裏切り者がいます。あらかた目処は立っています」


「………なぜそれを知らせなかった」


「…………魔王様のご命令です」


「なんだと?」


私は声を荒げた。しかし彼女は私とは違い妙に落ち着いていた。その様子を見ていて少し落ち着きを取り戻したものの、以前怒りは収まらない。


「……すまない。私としたことが……」


自然に口から出た謝罪の言葉は、普段のように私が申し訳なく思っている上での言葉ではなく、今はただの形だけのものだった。彼女は少し間を置いてこう言った。


「貴方が声を荒げるのは自然なことですからお気になさらず。改めて申し上げますが、魔王様が仰ったのです。泳がせろ、と」


何を言われたのか分かっているが、どうしてそのようなことをおっしゃったのかが私には全く分からなかった。正しく言うのであれば、なぜ今の、どうしてこの戦争において、その裏切り者を泳がせたのか、という事が分からなかったのである。


「どうしてなのだ」


あまり意識せずに出たその言葉に、彼女は首を横に振った。


「魔王様の真意は私にも分かりかねます。………私も疑問は尽きませんがひとまずお時間です。魔王様のもとへ向かいましょう」


「…………ああ」


彼女は立ち上がり、私より先に部屋を出た。私も魔法を解除し、自らの怒りや戸惑いを内に留めて、頭を持って部屋を後にした。









扉を軽く叩けば中から、入れ、と声が聞こえる。


「失礼いたします」


扉を開けて部屋、もとい王室へと入る。王室の中では王が一人、何かを手に少し俯いていた。本来ならここで私は王へ何か励ますような言葉を言うのだが、今はそれよりも聞きたいことがあった。


「…………王よ、ひとつお聞きしてもよろしいですか?」


「ああ」


「貴方は裏切り者がいるということを知らされていた。ではなぜ、泳がせろ、などと仰ったのですか?」


「エトレさん、抑えてください」


彼女の右手が私の左肩に軽くそえられる。私はどうやら気付かぬうちに声を荒げていたらしい。それを確かなものにするように、私は王へ声を荒げたことによって少しだけ怒りが収まった気がする。今すぐ謝らなければならないと思ったが、今の私は謝罪の言葉を述べるよりもどうして裏切り者をそのままにしておいたのかが知りたい気持ちの方が勝った。


「気にするな、センデ。エトレがこの戦争にどれだけの思いがあるのかは、私も十二分に分かっているつもりだ」


「ではなぜ」


「…………この国はもう終わる」


「……なぜそのような事を………貴方の為に、この国のために、今も彼らは戦っているんですよ?貴方を、国を守るために、この国を滅ぼされないために、戦っているのですよ?」


「戦いはもう終わりだ。我々の敗北で」


私自身、王から発せられたその言葉に驚きを隠せなかった。動揺や戸惑いも感じたが、同時に内に秘めていた怒りが爆発し、私は左手で背中に背負っている大剣を引き抜き、王へと切りかかった。


「やめて!!!」


私の前へと少女が一人立ち塞がった。


左右違う色の目の下にいっぱいの涙を溜め、唇を噛み締めながら両手を広げている。彼女の精一杯の敵意を私に向け、愛する自身の父である王を、その小さな体で守ろうとしていた。


私はそれでも剣を振り下ろそうとしたが、臆病な私はそれが出来ず、その場に剣を落とした。金属音が部屋にこだまし、それと同時に少女は大声をあげながら泣き出した。


「……………エトレ、話を聞いてはくれないか?お前達にしか話せないんだ」


王はしゃがみ、自身のお召しになっている服の袖で彼女の涙を拭きつつ宥めながら私にそう言った。


私はどうしたら良いか分からなかった。


君主たる王に一瞬でも殺意を持ったのは事実であり、それは例え許されようとなかろうと先ほど同様に謝罪せねばならない事であるというのは分かっていたが、先の王の発言が私達や兵士達の戦いを真っ向から否定しているように私は感じた。正直私が罵詈雑言を浴びせられるのは全く気にはならないが、兵士たちは、彼らは、王のためと今も戦っている。そんな彼らの存在そのものを否定するようにもとれるその発言が、やはり私は許せなかった。


「…………頼む。お前達にしか話せない。頼れない」


私は剣を取り、鞘へと仕舞う。


「…………分かりました」


私は結局のところ結論を出せないまま、王の話を聞いた。










戦争の最中、私を含めた数名は戦場とは真逆の方向へと、各々の使役している魔獣に乗って突き進んでいく。戦火の中を進んでいく我々を見ても、我々にとっての敵である人間たちは我々を攻撃しようとはしない。


それはひとえに我々と戦っても勝てないと踏んだからではなく、我々のことなど気にしている暇が人間たちにはなかったからだ。人々の頭の中にあるのは魔王を倒すということ、更には魔国を滅ぼすことの二つだけであり、魔王の手下である我々が逃げていくようなところを見ても、腰抜けどもが、などと見下し、それに加えて我々が彼らの強さに恐れをなして逃げていった、という優越感からか、我々のことなどはなから彼らの眼中にはなかったのだろう。


しかしそれが幸いし、我々は誰からも追撃を受けることなく森林に入ることが出来た。魔国の周辺をまるで城壁のように囲んでいるこの森林は、魔霧と呼ばれる黒い霧が常に辺り一面に満ちている。この霧は人間にとっては非常に有害であり、賢者が空気を清めない限り人間が入ることは出来ない上に、光が一切入ってこないため、一度この森に入ってしまえば我々を追跡することは不可能であるため、既にこの時点で我々は逃亡に成功したということが確定した。


我々には果たすべき願いを託されたが、許されるのであれば今すぐにでも引き返し戦いに参加したいという気持ちがあった。しかしながら、願いを託された以上果たす義務があり、更には王と兵士たちの最後の願いということであればなおさら果たすべきだと私は思っていた。そのため、我々は兵士たちの苦しそうな声や魔獣の断末魔などが聞こえても、一切それに反応することなく、進み続けた。


やがて森を抜けた我々は、目の前に広がる荒野を依然として走り続けた。


目的地は人間界。


全ては魔国を再建させる為に。





















「王よ、お時間でございます」


かなり古い宿の一室の前で、私は扉を軽く叩き、中にいるであろう王へと時間を知らせる。扉へと足音が近づき、やがて扉が少し開き、その隙間から王が顔をのぞかせる。


「…………王よ。準備はよろしいですか?」


「…………」


王は何も言わずに扉を閉めてしまわれた。私はしつこい奴だと自他共に認めるが、王を呼びに来るときは必ず一度だけで引き上げると決めている。


私は静かに部屋の前から離れ、宿を出た。


宿の外では三人の私の同僚と、二人の部下が、自らの使役している姿を変えた魔獣の上に座っていた。私が来たとわかった彼らは一斉にこちらを見て、私一人だけが来ているということに苦笑いを浮かべた。


センデが私の近くへと来る。


「………まだ彼女は貴方をお許しにはならないですか」


「………元々許される事をしたとは思っていない。家臣である私が君主である王に刃を向けたのだ。まして、自分の父を手にかけようとし、更には城への侵入を許すような愚かな作戦を立てた私のような者と行動を共にしているということになれば、その心情は複雑だろう」


「……………私が行きましょう」


そう言って、センデは宿へと歩いていく。彼女が入っていくと、1人がこちらに近づいてきた。


「…………なかなか打ち解けてはくれませんよね。今のところ彼女が心を開いているのはセンデ、エストロトのたったの二名です。貴方と同じように私も心を開いていただけてはいない」


「………励ましのつもりならば受け取っておこう」


「捉え方は貴方に任せます」


そう言う男はセトリという私の同僚の一人で、種族はスケルトンと呼ばれる骨だけの体を持つ魔物である。目も鼻も髪の毛も、まして筋肉や皮膚も存在しない。しかしながら今は人間社会に溶け込む為に我々は魔法によって姿を人間にしている。


セトリは人間の年齢というもので言うならば私とほとんど同じくらいなはずなのだが、どういうわけかこいつは自身を初老の男の姿にしている。ないはずの目は黒く、あるはずのない鼻は高い。髪の毛も髭も白くなっており、髪の毛は長く、あご髭だけが短く生えている。


着ているものは我々が先代の王に仕えていた際に頂いたものだった。王が人間界を訪れた際に『しつじ』なる存在が着ていたのを見て、セトリは『しつじ』みたいだと思ったから着せたかった、などとおっしゃって、着せようと奮闘していたのが昨日のように思い出せる。


「………しかしお前はどうして自分をそんな姿にしているのだ」


「いいじゃないですか。私の本来の年齢は人間が生きていられる年数をゆうに超えています。年齢を人間に合わせて姿を変えようにも、墓場に埋葬されている亡骸、それこそ姿を変えていない私と同じじゃないですか。ならば自分がなりたい姿になるほかありません」


「………確かにそうか」


「そういうあなたは何ですか?その姿は。若作りも良いところです」


「この姿以外私はやってこなかったのだ。この姿だと色々と都合がいいんだ」


今の私の姿は見た目三十代後半の男である。髭は生えておらず、髪の毛は黒く短くしてある。目は茶色く、鼻はセトリよりかは幾分か低い。しかし背はセトリよりも大きく、現にこの宿の部屋に入ろうとするたびに扉の淵に頭をぶつけていた。


「なんで私の方が年寄りなんですか」


「しょうがないと言っているだろう」


視界の隅にセンデの姿が見え、宿の方へと視線を移せば、彼女と共に王が立っていた。座っていた者は魔獣から降り、我々は片足の膝を地面につけ、そのついた足と同じ側の手を拳にし、同じように地面につけ頭を下げた。


「…………もういいよ」


彼女の言葉と共に我々は頭をあげる。


「……今日はどこに行くの?」


王はそう言ってセンデの服の裾を軽く引っ張る。元々彼女の世話役も兼ねていたセンデが、今の彼女にとって最も心を開ける人物であることは明白であり、今までの王への一切合切の連絡は全て彼女を通して伝えてきた。例えどれだけ近くにいようとだ。


「今日はここから『カストレア』を目指して東の方へと向かいます」


センデは彼女と視線を合わせようとしゃがみ、優しい口調でそう言った。


「…………分かった」


彼女は短くそう言って頷いた。


「準備を始めろ」


私がそう言うと同時に彼らは立ち上がって各々の魔獣に跨る。


「王はいつものようにセンデの後ろへ」


「分かっているわ。行きましょう、アリエ」


「…………うん」


全員の準備が出来たのを確認し、私も続こうとした時、ふと何かが視界の隅に見えた。私がその方へと視線を移すとそこには何もいなかったが、いたということは確かだった。


「………………先に行け。少々気になることがある」


「何かいたのですか?」


「ああ。魔力を使った跡が見える」


「………分かりました。くれぐれもお気をつけて」


「王は頼んだ」


セトリを先頭にセンデと王を守るように囲って、彼らは去っていった。


「いるのだろう?出てきたらどうだ」


「…………」


宿の周りに茂っている森の中からぬるりと現れたそいつは私の方を静かに見ていた。私はそいつをよく見たことがある。


「………皆は行ったぞ。何か用か?アルドレ」


「悪いな」


そう言ったそいつは、私と同じ、王に仕えていたアルドレという男で、種族はガーゴイルと呼ばれる。この男は我々のために国に残って戦う方を選んだため、会うのはおおよそ一ヶ月ぶりだろう。


「普通に伝えたいことがあるのならばコソコソとせずに堂々と俺たちの前に現れるはずだからな。お前が隠蔽を使っている時点でなんとなく彼らには聞かれたくない話をお前が持ってきたのだと思ってな」


「相変わらず勘がいいな。感謝する」


「……お前の顔がないのを見るとかなり追い込まれているようだな」


本来上級の魔物たちは皆、分身を使うことが出来る上に、その分身と感覚を共有できる。そしてその分身との感覚の共有の正確さを高める為には細かい部分まで再現する必要があるのだが、今のアルドレの分身は目、鼻、口が平べったい顔になる予定だった楕円の上に置かれているように見え、体は全身から魔力が漂っている。


アルドレぐらいになれば分身一体を作るのに10秒もかからない。正確に作るとしても30秒もあれば十分だ。しかし、そこまでの実力を持っている彼がこんな程度のものしか作れないということは相当追い込まれているか、死の淵に作り出したか、のどちらかである。


「見るところ魔力もだだ漏れだが、それほどまでに追い込まれているのか」


「隠蔽ですらもう使えない。肉体の維持も厳しくなってきた。………今回の勇者は今までのとは別格だ。俺らは出来る限り時間を稼ぐ。だからお前らには早いとこ国へ行ってもらいたい。国に入ればしばらくの間は大丈夫なはずだから」


途切れ途切れの伝えたい事だけを淡々と話す彼の分身は、本体がいかに余裕がないかを物語っているようだった。


「………それだけではないだろう」


「…………これを」


魔力が漏れている右手の拳を彼は差し出してきた。差し出された拳がゆっくりと開き、私は驚いた。


黒く鈍く光っている彼の手に収まるほどの大きさの石が彼の手に握られていた。


「驚くのも無理はない。魔晶だ」


「………どうしてお前が魔晶を持っている」


「話すことは何もない。俺の使命はこれをお前に渡すことだけだ」


「どうして私だけに……」


「俺にもよく分からん。だが受け取れ」


彼の手から魔晶を取ろうとした瞬間、彼の右手が無くなり、魔晶は地面へと落ちた。


「大丈夫か!!?」


「…………もう俺は駄目だ。頼んだぞ」


分身が消える要因は、一つは本体が意図的に消す、もう一つは本体が死ぬことの二つである。意図的に消そうとするならば一瞬で全身が消えるが、意図せず消える場合は一部がいきなり消え、ゆっくりと他の部分が消えていく。


今の分身の消え方は後者、つまりアルドレは死んだということになる。


段々と朽ちていく彼の姿を私はただただ見ていることしかできなかった。


「………お前の意思を無駄にはしない。必ず王を守ってみせる」


「…………じゃあな」


彼の体は完全に消え去り、地面に残っていた魔晶がただただ鈍く輝いていた。私はそれを手に取り、自身の懐へとしまう。


悲しみに暮れる暇はない。


「来い」


そう言うと私の使役している魔獣が私の隣に現れた。今は馬の姿をしている。私は跨り、彼らの後を追った。















魔力を辿って来てみれば、妙な古い家の前で彼らは座っていた。


「遅かったじゃないですか。何が居たんですか?」


ここで先ほどのことを言うべきか迷ったが、今彼らに動揺を与えるのは良くないと思い、小さい魔獣が迷い込んでいた、と私は初めて彼らに嘘をついた。


「………そうでしたか」


「お前たちはどうしてこんな所に居るんだ」


「国を目指していたのですがあるところを境に聖域結界が貼られていて、この子達と一緒にでは入ることが出来ないのです」


「………そうか。だが、核を見つける時間は無い。すまないが魔獣たちは置いていくしかない」


聖域結界は人間の中に稀に生まれる賢者と呼ばれる神聖な力を使える者だけが使える結界である。この結界は魔獣や魔物に対して絶大なまでに効果を発揮する。少なくとも下級の魔物は結界を通ろうとすれば一瞬にして跡形もなく消え去ってしまう。


我々でさえも無事では済まない。万が一結界を通った後に聖石を使っている武器を持っている人間に襲われれば、例えそれが女子供でも苦戦は避けられない程に衰弱する。それほどまでに聖域結界は我々、魔物にとって脅威なのだ。


そして魔獣たちは自分で魔力を生成することが出来ない。我々の使役している魔獣たちも例外では無い。魔獣は普段森の中で生きている。森は魔霧が常に漂っており、それを体に取り入れる事で魔力を補給し、それを糧に動く。他の補給方法としては他の魔獣や魔物を食らう事のみである。他のことでは一切補給が出来ない。


「魔獣達の魔力もかなり減っている。ここは一旦、森に戻らせよう」


「森は危険では無いのですか?」


「だがこのままでは魔力補給が出来ずに死ぬ。確かに今の森は安全かどうかはわからないが、それでもここでただただ死なせるよりは遥かに良い。我々とてそう簡単に結界を出入りできる訳ではない上に結界の核を見つけ出すのもかなり厳しいだろう。ならばきたる時に備えて休ませるべきだと私は思う」


「…………分かりました。ではこの子達はひとまず森へと返しましょう」


センデはそう言って、近くにあった木に軽く触れた。すると木はだんだんと変化していき、やがて人型になった。それを数度繰り返し、魔獣と同じ数の人型の木が出来上がった。


「私の分身を使って誘導させます」


「頼む」


木だったそれらは、我々の使役している魔獣に跨り、我々が来た道を戻って行った。


「しばしの別れだが感傷に浸っている時間は無い。結界まで案内を頼む」


「する必要は無いです。この古びた家の裏が境界線の様です」


「……つまりこの家が目印というわけか。これを王に渡してくれ」


私は先ほど貰ったものとは別の魔晶をセンデの手に握らせた。


「魔晶があれば結界もあまり苦しまずに通る事ができるだろうからな」


「分かりました」


彼女が王に渡しに行ったのを見て、私は古びたその家の横を進み、裏の一歩手前まで進んで足を止める。ゆっくりと手を伸ばすと、一瞬にして私の変身が解け、体中から黒い霧状になった魔力が溢れ出す。結界は魔を消滅させる効果があるため、結界に触れている間は絶えず修復と消滅が繰り返される。


「この結界を作り上げた賢者はかなりの脅威だろう。出来ればもうこの世にいないことを願う」


そう言いつつ一歩一歩確実に進んでいくのだが、一歩ずつ進むには理由がある。我々魔物は魔力が多ければ多いほど体は硬くなり、力も強くなるが、代わりに修復が遅くなる。体の一部でも残っていればそこから体全体を修復し始めるのだが、一気に行けばどの部分でも修復が間に合わずに消失してしまう。だからこそ一気に行くなんてことは出来ない。


やがて結界を通り抜けると、全身から力が抜け、その場に膝をついた。


「大丈夫ですか?」


センデ達が私を心配そうに見ているが、今は答える余裕もない。


「次はアリエ………」


「待って。次は僕が行こう」


そう言って此方に近付いてくるのはエストロトという名のサキュバスである。彼女はまだ百年も生きていないにも関わらず、幹部へと抜擢された実力者である。今はどういうわけか王と同じくらいの齢の少年へと姿を変えている。


「…………ふう。さて、行くよ」


彼女、もとい彼は足からゆっくりと結界へと入ってくる。彼女も苦しそうな表情を浮かべながらも、なんとか結界を通り抜け、地面へと倒れた。


「大丈夫か!!?」


重い足を無理やり動かして彼女に駆け寄る。倒れている彼女を抱え、少し揺する。揺らし続けていると、彼女はゆっくりと目を開き、私を見た。


「生きてる、よね?」


「ああ。大丈夫だ」


「初めて通ったから不安だったけど、もう通りたくないね」


彼女はそう言って、へへへ、と笑っている。


「………次、私行くよ」


王はそう言ってゆっくりと此方へと近付いてくる。やがて結界の一歩手前で止まると深呼吸をして結界へと手を伸ばす。しかし、結界はまるで機能しなくなったかの様に彼女の手に反応を示さない。


「………どういう事だ」


私が驚いている間に彼女はそのまま進み、やがて魔晶を握っているであろう左手が結界に触れた瞬間、バチンッ!!と音がしたと同時に、彼女はこちら側に転倒し、彼女の手からは魔晶が離れて地面へと落ちた。


「王よ!!ご無事ですか!!?」


彼女に駆け寄り、彼女を起こそうとしたところで彼女は私を手で制止した。彼女は立ち上がり、自身の服についた土などを払い、エストロトの方へと行ってしまわれた。


「…………ご無事そうで良かった」


刹那結界が浮かび上がり、白く光り出した。


「何だ!!?」


「魔晶に反応したのか!!」


国があるであろう場所から大きい音と共に一本の白い光の柱が見えた。その光が天へと伸び、消えたと同時に、結界の上から白い光が均等に間を空けて次々と現れ、その光は一斉に先ほど光った場所を目指して伸び始めた。


「何だこれは………」


やがて全ての光が一点に集中すると、光と光の間隔を青い光が埋めていき、全ての間隔が埋まると同時に光は一斉に消えていった。


「…………これが本当の結界という訳か」


「…………こんな結界見たことありませんよ」


外の様子も一切分からない。光は消えたはずなのに、外の様子が一切見えないのである。見えるのはただただ何も無い森だけだ。


ふと何かがいる気配を感じ、エストロトに小声で、私に合わせろ、とだけ伝えると、彼女は頷き、王と肩を組み、彼女の顔に耳を近づける。恐らくは私が言ったことを伝えてくれているのだろう。彼女は小さく頷いた。


「………貴様らは魔物か?」


突然聞こえた声と共に後ろを振り向けば、首元に剣を突きつけられた。突きつけているやつは私から見て右目が自身の白い髪の毛に隠れている。見た所女だ。


ちらりと彼女の後ろに目をやれば、地面にはいないが木の枝に乗って、此方を見ているやつらがおよそ五人。さらに少し後ろにも数人がおり、皆武器を構えて、辺りや我々を警戒している。


「いいえ、わた、私たちは!!魔物が、違った、魔物に!!」


「………落ち着け」


エストロトは随分と芝居に自信がある様で、率先して焦って慌てている子供を演じてくれている。


「我々は魔物に追われていたんです」


本来なら私が焦っている道化を演じようと思っていたのだが、エストロトが先にやってくれているため、私は冷静に彼女に合わせた。


「………お前はやけに落ち着いているな」


「昔からよく言われるんですが、こう見えても私は今、とても緊張しています」


まるでつい最近になってようやく言葉を覚えた様な口調にすることで、冷静になっていない様を見せたかったのだが、彼女には通じるだろうか。


「………息が上がっていないようだが?」


「さっき、魔物に食われました、馬が、私の」


「……………ではあれか?お前たちは馬が食われた瞬間に結界内に入り、その魔物が結界に触れたとでも言うのか?」


「………黒い石を運んでたの」


王が静かにそう言った。すると彼女たちの目の色が変わった。


「それは今どこにある!!?」


「…………外」


彼女はそう言って結界の方へと指をさした。


「………お前たちは黒い石をどうやって手に入れた」


「…………かけらが!!道に!!落ちてたんです!!」


「…………王に連絡しろ。この結界は不良品だ」


これほどまでに素晴らしい結界のどこが欠陥品なのかが私には分からないが、敢えて劣化させてくれるならこれほど都合のいい事はない。


「お前たち。何処の道に落ちていた」


「宿の近くです。西に行った、古い宿があります」


我ながら変なやつだと思うが、人というものは変なやつとは関わろうとしないと聞く。これで我々を変なやつらとみなして解放してくれれば嬉しいのだが。


「………此処から西に行くと古い宿があって、その近くで拾ったということか?」


「そうです」


「………取り残しがないか採取係を連れて行け。私はこいつらを国まで連れていく」


彼女がそう言うと木が揺れ、木の上の気配が消えた。


女は見た所かなり上機嫌だ。どうやら魔晶はこの国にとって価値のあるもののようだ。我々に対してもう警戒心のかけらも内容に伺える。隙だらけだ。


今しかない。


私は彼女の腹を殴り、彼女が体を曲げた瞬間を狙ってしゃがみ、彼女の足をすくって転ばせ、馬乗りになって彼女の腰の剣を引き抜き、右手で彼女の頭を掴みつつ、首に左手に持った剣を当てる。


「おとなしく私の知りたいことを話してくれれば見逃そう。手始めにこの国の内情、そしてお前たちがどうして魔晶の話に異様なまで食いついたかを聞かせてもらおうか」


「くそ!!離せ!!」


「あまり騒げば容赦はしない」


剣の先を彼女の首に軽く刺す。赤い液体が彼女の首から地面へと流れていく。


「話せばいいんだ。話せば」


「やめて!!」


後ろの方から声が聞こえた。振り向けば、王が私を睨んでいた。


「その人を離して」


「もらった!!」


女はそう言って私を殴り、するりと私の下から抜けると、私が殴られた際に落とした剣を拾い、我々の前から姿を消した。


「………………」


私は無言のまま立ち上がり、服に付いた砂を払う。


「……ひとまず、国へと向かいましょう」


王は何も言わずにエストロトの後ろへと周り、私を睨んで隠れてしまった。エストロトはこの微妙な空気に、私はどうしたら、という表情で私を見ているが、私は彼女に、先に行け、と合図を送ると、彼女は王の方を向き、行こうか、と言って歩いていく。


「………ますます私は疎まれているようだ」


そんな他人事のようなことを私はぼそりとつぶやき、彼らの後をゆっくりと追った。








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