それぞれの仮面
中学に入って多恵子と親しくなった私が、多恵子の幼馴染である静香と仲良くなるのは当然の流れだった。
静香の第一印象は「名は体を表すとはこのことか」と思う程に物静かで、かつ凛としたものであり、どちらかというと活発な性格である私とは絶対に仲良くなれないだろうと直感した。しかし、コイツとは絶対に相容れないと思った相手ほど、最終的に仲良くなるケースが往々にしてあるものだ。
あまり感情を表に出さない静香だからこそ、いざという時の言葉に魂が込められているような気がしてくる。要するに、私は彼女に一目置いていたのだ。
だからこそ、理知的な人間であるはずの静香が激しい感情を吐露し、支離滅裂なセリフを口にして狼狽えている様子を見て、私は少なからずショックを受けていた。
目の前には顔を赤く染めた静香が私を睨むように立ち尽くしており、そこに先程教室に入ってきた多恵子が呆れたように歩いてくる。
「――で、私が担任に怒られている間に何があったし」
「……」
多恵子がため息混じりに尋ねると、静香は言葉を発することなく目を伏せた。
その様子を見て、多恵子は「どういうことか」と私に視線を送ってくる。
「私も何が何だか分からないんだけど……」
そう前置きをして、私は事のあらましを語り始める。
まずは、私が彰人の運命の相手であることを打ち明けた。続いて、彰人との関係について静香に相談したら、彰人と付き合うべきだと背中を押してくれたこと、そして、突如として静香が主張を百八十度変えて私に突っかかってきたことなど、包み隠さずに全てを話した。
途中、多恵子が何か言いたそうに口を開く素振りを見せたが、それを飲み込んで私の話を一から順番に聞いてくれた。
「なるほどね。色々と言いたいことはあるけど、一先ず礼奈の言い分は理解した。それで、静香。あんたからは何か言うことはないの?」
「……」
「そうかい」
多恵子は机の上に置いてある本を手に取ると、静香の脳天目掛けて振り下ろした。
「痛っ――」
「頭冷えた? まったく、あんたらしくもない。それと、礼奈……まずはAKITOの運命の相手に選ばれるなんて、光栄ね。お、おめでとう」
「ありがとう、でいいのかな?」
賛辞を送る多恵子の表情は妙に引きつっており、言葉と顔の印象が一致していない。
「礼奈、もう一度確認して良いかな? あんたがAKITOと出会ったのは一ヶ月前なのよね?」
「うん、そうだね。丁度その頃、彰人の運命の人が見つかったって噂を聞かされた時は、もうダメだと思ったよ」
「ふぅん……それで、それから一ヶ月間も私達に隠れて付き合っていたと?」
「付き合ってたとかそういうのじゃ……いや、まぁ、そういうことになるのかな?」
多恵子の声に非難が混ざっているように感じ、少しずつ尋問されているような気分になってくる。
特に、多恵子は彰人が載っているファッション雑誌に目を通しては、やれ長身で格好良いだの、やれ顎のラインが素敵だのと散々褒めちぎっていたので、私と彰人との関係に思うことがあるのかもしれない。
「事を大きくしたくないっていう礼奈の主張も分かるけどさ、友達ならもうちょっと早く話してくれても良かったんじゃないの? それとも、そのことで私達が囃し立てて周囲に言いふらすとでも思った?」
「いや、それは……ごめん」
見当違いの推測で多恵子を貶めてしまったと反省し、私は素直に謝罪を述べる。
憧れの対象であった彰人が知らぬ間に私と付き合っていた事実を受け入れられないがために、多恵子は難しい顔をしているのだと勘ぐってしまった。しかし、多恵子が非難していたのは、私がずっと隠し事をしていた件に対してだった。
「謝罪が欲しい訳じゃ、なかったんだけどな。まぁ、事なかれ主義のあんたがこうして話す気になってくれたのは素直に嬉しいけどさ。最近はずっと様子が変だったし、なんかありそうだなーと心配してたんだけど、なるほどねー」
「うぅ」
多恵子の嫌味ったらしい言動に、私はたじろぐしかなかった。
慎重になっていたと言えば聞こえは良いかもしれないが、それを言った所でただの言い訳にしかならないだろう。
つまりは、二人を信じられなかったということに他ならないのだから。それなのに、自分の都合が良い時だけ協力して欲しいだなんて、虫のいい話である。
「私が彰人と付き合うとして、多恵子はどう思う? つまり……反対したりとかする?」
私はチラリと静香の方を見て尋ねる。
多恵子に頭を打たれた静香は不貞腐れて顔を俯けており、未だに何を考えているのか分からない。
「いや、そんなのあんたの勝手でしょ? 礼奈がAKITOと生きていくって決めたのなら、反対なんてしないよ。むしろ友人の彼氏が有名人とか鼻が高いわ――それで、あんたは何が気に入らないのよ? いい加減に話してみなさいよ、静香」
「……」
「もう一発いっとく?」
「……よ」
ずっと黙っていた静香が、ようやく口を開く。
「目を覚ましなさいよ。『天命』を持たない礼奈が、本当にこのまま幸せになれると思っているの? あの男に利用されるだけだわ」
――はて、静香は何を言っているのだろう?
「言ってる意味が、分からないのだけど……」
私はどうにか言葉を絞り出す。
『天命』を持たない? 私が?
確かにその通りではあるが、こればかりは例え親しい友人であっても隠し通すつもりだし、カミングアウトした覚えもない。
私は『悪魔の子』であると周囲にバレないように最大限の注意を払ってきた。そのために、本来通うはずだった地元の中学校には進学せず、わざわざ少し遠くの中高一貫校に進学したのだ。
小学校の同級生は、私がピアノを習っていたのを知っているため、私の『天命』が音楽に関連するものであると思っているだろうし、実際に口に出したりもしていた。だから、ピアノを止めても不自然に思われないように、小学生時代の私を知る人がいないような遠くの学校を進学先に選んだ。
そして、私の『天命』を『誰かに必要とされるような高貴な人物になること』と偽って生活してきた。
特に深い意味はない。私以外の生きる意味を持つ人のために生きることで、私の人生にも意味があるのだと思い込みたいのかもしれない。
誰かに必要とされたい。私が生きることを認めて欲しい。
これが私の根源にあるものだった。
彰人に必要とされていると実感するのは、すこぶる気持ちが良かった。ただ側に居るだけなのに、嬉しそうに微笑む彰人を見て、私も満たされる。もしかしたら、私はこのために生まれてきたのだろうかと錯覚させられる。
だからこそ、私は――
「おめでたい頭ね。知られていないとでも思っていたの? 自分が何のために生まれたのかさえ知らない、憐れな『悪魔の子』だってこと」
「静香! お前っ」
多恵子が静香の胸倉を掴んで壁に押し付ける。
何が、起きているのだろう。
静香が何かを諦めたような目付きで私を見ている。多恵子が顔を真っ赤にして、腕を震わせながら静香の胸倉を持ち上げている。
いや、そこで怒る多恵子の反応も変ではないか?
何を訳の分からないことを言っているのだと、今の私のようにフリーズするのが普通の反応ではなかろうか。
「え? 何、二人して……どういうこと?」
「礼奈、それは――」
乾いた笑いを浮かべる私に、多恵子は「しまった!」とでも言いたげな顔を向けてくる。
それを見て確信してしまった。
「ちょっと待ってよ、いつから気付いてたの?」
「それは――最初からだよ」
「最初からって……中学に入って初めて話したあの時から? それを、今まで五年間も黙ってたの? 一体、あなた達の目には、私はどんな風に映ってたの?」
私の質問に多恵子が押し黙る。
『悪魔の子』に対して向けられる感情は二つ。同情と嫌悪のどちらかだ。
大衆理解を得られないものは淘汰される運命にある。理解の及ばない自分達とは違う存在が嫌悪されるように、『天命』を持たず何も成し得ようとしない『悪魔の子』に向けられる目は決して優しいものではない。
ただ働いて生きるだけなら、その辺の虫ケラだってやっていることだ。『天命』を持つ人間だからこそ歩める崇高な人生がある。そう言って、虫ケラでも歩める人生しか進むことの出来ない私達に憐れみの目を向けてくるのが人間だ。
体が震えてくる。
興奮して熱を持っていた頭が、急に冷めていくのを感じる。
そして、初めて多恵子と会った時に聞かされた言葉が頭の中で再生された。
『私はあんた以上に生きてるって感じの奴、見たことないよ』
多恵子は何を思って、この言葉を私に伝えたのだろうか。
私を友人だと宣う彼女の本音を聞きたい一方で、恐怖が体を支配していた。
――彰人なら、私が『悪魔の子』だとしてもきっと受け入れてくれるだろうな。
たった一ヶ月程度の付き合いだが、確信があった。多分だけど、私に『天命』がないことを彰人は勘付いている。彰人が待ち合わせに遅刻した時に、私が口走ってしまったから。それなのに、変わらず接してくれる彰人だからこそ、私は彼の気持ちに応えたいと思った。たとえ、二人しかいない友人に裏切られたとしても、彰人となら幸せに生きていけるのだと。
そう思うと、自然と体の震えは収まっていた。
「あたしも昔、ピアノやっててさ」
唐突に、多恵子が身の上話をしてくる。
「ピアノやってたら頭良くなるとか、手先器用になるとか言われてるし、医者になるにはやっておいた方がいいかなぁとか、そんなどうしようもない理由で。その延長で、ピアノコンクールなんかにも参加してたんだ」
そう言って多恵子は静香を掴んでいた手を離すと、力無くどすんと床に腰を下ろした。
その様子は、仕事から帰ってきた父親が晩酌を楽しむようであった。
多恵子は体を後ろに傾けながら床に手をついて、ゆっくりと話し始める。
「都内の結構大きなコンクールだっただけに、みんな緊張しててさ。でも楽しそうに弾いてたんだ。当たり前だよな? 大体が『天命』のために音楽をやってる連中が集まってるんだから。だから、自分だけ浮くんだろうなーって出場したことを後悔してたら、あたしの他に一人だけ、クソ退屈そうに演奏してる奴がいてさ。その癖、小学生のくせにとんでもない演奏して、さらっと賞を掻っ攫っていきやがったんだ」
「それって……」
「いやぁ、すぐに分かったよ。だって、あん時と同じ顔で、今度はスポーツしてるんだもんな。AKITOじゃないけど、運命感じちゃったよね」
それは、おそらく私だ。
改めて今まで自分がやってきたことを思い返すと、本当に自分のことなのか疑ってしまうけれど。
「行動に一貫性が無さ過ぎるものだから、礼奈が『天命』を持ってないことは、薄々だけど勘付いてたんだ。この前なんか、『天命』に黙って従うのも癪かなと思ってキリッ、とか言い出して、こいつ絶対アホだろって、笑い堪えるの必死だったわ」
「ひ、酷いっ」
多恵子は床を叩きながらケラケラと笑っている。
しかし、その表情には憐れみや侮蔑といった負の感情は浮かんでいなかった。
うん、馬鹿にしてることに違いはないが、釣られて私も笑ってしまいそうになる。
「私に『天命』がないと知ってどう思ったの? 生きる意味がなくて可哀想だと思った? それとも――」
「あたしってそんな薄情な人間に見える? 純粋に、あんたがこれからどんな人生を歩むのか見てみたいって思ったよ。それ程までに、あんたとの出会いは強烈だった。あたし達のように先が決まってないからこそ、何をやらかすんだろうって興味が沸いてきたんだ。それに、『天命』がないのって一種の病気みたいなものなんだから、『たくさんの人の病を治す』ために生まれた私の出番な訳でしょ?」
「なにそれ……。私の方こそ、多恵子のそのデタラメな性格は強烈だったんだからね」
「それこそ、少なからず影響を受けてる訳だ」
「なに? どういう意味?」
「いいや、気にしないで。という訳で、あたしの話はおしまいっ」
多恵子は勢い良く立ち上がって、スカートに付いたホコリを手で払う。
その音が話の節目を示しているようで。
私と多恵子は、壁にもたれ掛かったまま微動だにしない静香に視線を移す。
「それで、静香ちゃんは一体、何を隠しているんだい? 幼稚園の頃からの付き合いだ。あんたが理由もなく友達を傷付けるような奴じゃないって、分かってるからさ」
「……っ、私」
多恵子が諭すように言うと、静香は嗚咽交じりに声を出した。
「二ヶ月程前にね、芸能関係者を名乗る男から声を掛けられたの。話の内容は、松崎礼奈という人物について」
「へ? 私?」
「最初は礼奈をスカウトでもしに来たのかと思ったのだけれど、それにしては凄く怪しかったから逃げようと思って。そうしたら、三人くらいの男達に囲まれて、礼奈の情報を求められたわ」
芸能関係者がどうして私に興味を持つのか。
嫌な予感がした。同時に、そんな訳がないと心を落ち着かせる。
「人柄、好きなもの、中学時代の出来事とか。そして、どんな『天命』を持っているのか。それから、今後は礼奈の学校での様子を逐一連絡するように言われて、アドレス交換までさせられて」
淡々と説明する静香の声が耳に入っては抜けていくようで。
私の脳裏には何故か、私の個人情報を得意気に話す男の姿が思い浮かんでいた。
「あの日、多恵子がAKITOの話をした時の礼奈の顔を見て、全部繋がったわ。それからは、私が勘付いたことに、向こうも気が付いたのでしょうね。昨日もメールが届いたのだけど、とうとうAKITOの名前まで出してきたわよ」
私は今まで一体何を見て、何を信じてきたのだろうか。
「そ、そんなはずないっ! なんで彰人がそんな事知りたがるのよ」
「知らないわよ。聞いても教えてくれなかった」
今度は私が激昂する番だった。
さらに静香を問い詰めようとするのを、多恵子に咎められる。
「そもそも、静香はなんでそんな奴らの言いなりになってんだよ?」
「……脅されたの」
「は?」
「私の『天命』が『物語を書いて人に感動を与える』ことだと知って、いくら物語を書いても人の目に触れないように、世に出回らないようにしてやる。自分達にはそれをやれるだけの金と権力があるって」
静香は携帯を取り出すと、黙って私に画面を見せてくる。
メールの文面を見て、私は足元が崩れていくのを感じた。
『件名なし:
松崎礼奈に相談を持ち掛けられた場合の対処。
AKITOとの関係を世間に公表するにあたり、キミは彼女から事前に相談を持ちかけられるかもしれない。
その時にAKITOと付き合わずに、関係を終わらせようと考えているようであれば、AKITOと付き合わせるように誘導しなさい。
これが最後です。
もし失敗すれば君の夢を全力で潰す。
この前のように、匿名で出版社に持ち込んだ所で無駄なので、変な気を起こさないように願っております。
』
文面からは冷たい印象しか受けない。
先程までの静香の様子を見ていたら、嘘を言っているようには思えない。
「待ってよ? じゃあ、何で私に彰人と付き合うのを止めるように言ったの? 静香の夢が叶えられなくなるかもしれないんだよ?」
「最初は見て見ぬふりしようと思ったんだ。罪悪感はあったけど、『天命』のためなら、私が幸せになるためには仕方のないことだって。礼奈がこのまま何も知らないまま、幸せになってくれるなら別に良いかなって。だけど、礼奈が完全に彰人に依存してるように見えたから、あの男に裏切られたら壊されちゃうような気がして、怖くなって……」
なんだ、それは。
私のために、人生を棒に振ると言うのか?
だって、あなた達にとって『天命』は生まれた意味で、生きる目的なのだろう?
なのに、どうしてそれを捨てるような真似をするのだ――
「こんの馬鹿!」
「そうだな、本当に馬鹿だ。ずっと一緒にいるけど、ここまで馬鹿だとは思わなかったよ」
私の罵声に多恵子が同意する。
「本当に、ね。あーあ、これから何を目標に生きれば良いのかしら」
静香は壁に寄りかかりながら、するすると滑り落ちていく。
いや、『天命』に従おうとする強制力は絶対だ。それでも、何らかの原因で『天命』を果たすことが不可能になった人間がどうなるのか、私は聞いたことがある。
何をするにも無気力になって死んだように生きるか、自ら命を絶ってしまうかだ。
力無くしゃがみ込んだ静香を見て、私は罪悪感と怒りで訳が分からなくなりそうだった。
私は深呼吸をして、静香を抱きしめる。
「静香、ありがとう。後は全部任せてよ。もし、発表の場が全部奪われちゃったとしても、その時は私が一人でも多くの人に静香の書いた物語を読み聞かせて回ってあげるからさ」
「礼奈……うん、うん……ありがとう」
私はこれから彼と戦うために、静香の小さな体と声を体に刻み込む。
一度は心を許してしまった。信頼していた。一生を添い遂げようと思える程、好きになっていたのだと思う。
でも、それも全て終わりだ。全部茶番だったのだから。
私の大切な友人をこんなに傷付けて、何を企んでいるのか。
泣き崩れる静香を多恵子に任せて、私はカバンを持って教室を出る。
そして、すっかりと慣れた手付きで携帯電話を操作した。
「礼奈ちゃんの方から連絡をくれるだなんて珍しいね。嬉しいなぁ」
「彰人さん、私はあなたのこと、本当に信じていいんですよね」
「急にどうしたの? 何かあった?」
心配そうに優しい声を掛けてくる彰人。
本当は全部勘違いであって欲しい。
彰人の言葉に嘘はなかったのだと信じさせて欲しい。
私は縋るような気持ちで、言った。
「静香に全部聞きました」
「しずか? ――あぁ、彼女か」
しばらく間があって、ワントーン低い声が耳に届いた。
「そうか、聞いちゃったのか」
「目的はなんですか? それとも、何か弁解することはありますか」
「直接会って話をさせて欲しい」
「分かりました。どこに向かえばいいですか」
「今学校だよね? 迎えにタクシーを手配するからそれに乗って。心配しなくても、君に危害を加えることはないと約束するよ。なにせ――僕の運命の人だからね」
「ふざけないでくださいっ! 何が運命の人ですか、変態詐欺師ストーカー野郎っ!」
私は今、腸が煮えくり返っている。
「――絶対に許さないから」