悪魔の子
私は昨日のAKITOとのやり取りを思い出して、厄介事に巻き込まれたなと項垂れながら一人歩いていた。
結局のところ、AKITOと結ばれることの何が問題なのか。最大の理由は、私が『悪魔の子』であることだった。正直、気持ちの問題は二の次である。
『悪魔の子』に対する差別がなくなったとはいえ、その問題は根深い。神の存在を信じる者にとって、『天命』は人が認識できる唯一の啓示であり、絶対的な指標なのだ。彼らにとって、『天命』を与えられなかった人間とは神に選ばれなかった人間であり、『悪魔の子』を貶めることによって、自らの選民意識をより強固なものにしてきたのである。
その風潮は完全になくなった訳ではない。
むしろ、その確執は深まったのかもしれない。
『天命』を持つ者と持たざる者、両者は別の生き物であると考えている。
彼らは目的を持ち、未来に向かって行動することに必死だ。彼らは常に停滞を恐れ、己の欲求に――『天命』に従って生きることを幸せだと信じて疑わない。
一方で、私達は今を生きるので精一杯だ。生まれた意味も生きる目的も決まっておらず、先の見えない道を歩き続けるしかない。
彼らのように目標を決めて生きてみても、本当にこの道で合っているのか答えが分からない。
彼らはそれを不幸と呼び同情する。
彼らはそれを怠慢と呼び嫌悪する。
私も音楽やスポーツを目標持ってやってみた時期があった。確かに充実感があったし生きている感覚もあった気がする。
しかし、音楽やスポーツのために生まれて、そのために生きているのかと尋ねられたら、答えはきっとノーだ。そのために生きている彼らからして見れば、私のような存在は冷やかしもいいところだったのかもしれない。
モチベーションが違うのだ。賭けているものも違う。平等と言って同じ土俵に立ってしまったからこそ、両者の溝の深さを思い知らされた。
だからって全てを諦めた訳じゃない。劣等人種と見下している連中を、いつか見返してやりたいと思っている。
私はそのために、今を必死に生きているのだ。
だからこそ、今の未熟な私がAKITOとの関係を続ける訳にはいかなかった。彼の運命の人という立場にみっともなく縋って、一人で生きていけなくなるのではないか。そうして思考停止したまま依存するだけの寄生虫となって、遠くない未来に捨てられてしまうのではないか。
そんな風に考えながら足を動かし、気が付いたら駅前に到着していた。
進路希望調査票を書くのに手間取ってしまったため、AKITOとの約束の時間はとうに過ぎてしまっている。
駅前は仕事を終えて首都圏から帰って来たであろうサラリーマンでごった返していた。スーツで身を固めた人々が行き交う中、サングラスとマスク、そして帽子を深く被った怪しい大男が目に留まった。
大男は大きく両手を振ってこちらにアピールを繰り返しており、猛烈に他人のフリをしたくなる。これ以上、周りの人に不審な目で見られるのも恥ずかしいので、観念して私は大男の元へ向かった。
「ほら、来てあげましたよ」
「よかった。これ以上遅くなるようなら学校まで迎えに行くところだったよ」
そう言って不審な大男――AKITOはマスクの下から笑みを浮かべているようだった。
三十分遅刻して謝罪もない私に対し、怒っている様子はない。一方的に交わされた約束を律儀に守る義理はないので、私も罪悪感はない。
「ここでは目立つので場所を変えませんか?」
「そうだね。礼奈ちゃんは、お寿司は好き? ここの近くに知人が経営してるお店があるんだ。御馳走するよ。それとも親御さんが夕ご飯を用意しちゃってるかな?」
「夕ご飯は用意してないので大丈夫です。それと、お寿司は好きです」
「オッケー。それなら移動しようか」
御馳走するという言葉に釣られ、AKITOの案内のもと、知人が経営するという寿司屋の個室に通された。
昨日知り合ったばかりのサングラスとマスクをした怪しい男と、学校帰りの女子高生が二人きりで個室にいる状況は、傍から見れば相当に怪しくて危険な状況なのだろうなと、どこか他人事のように感じている自分がいた。
「礼奈ちゃんってしっかりしてるようで、案外流されやすいタイプでしょ? もし、ここで僕が礼奈ちゃんを襲ったらどうするの」
「馬鹿にしてます? AKITOさんほどの男性が女に飢えてるとは思いませんし、狙うとしたらもっと他に良い女の子がいるでしょう?」
「誓って言うけど、僕は礼奈ちゃん以外の女性には興味ないよ。言ったでしょ。きみが運命の人だって」
AKITOはそう言ってサングラスとマスクを外し、端整な素顔を覗かせる。
「……なんか、昨日と印象違いますね」
「そう? まぁ、昨日はこの状況を作るために多少ゴリ押しした感じはあるね。なにせ僕の『天命』が掛かっているから」
「別にこの状況を作るだけなら他に方法があったでしょ。あんな軽薄な男を演じないでも」
「ああいう多少強引なキャラの方がテレビではウケてたから……。さっきは時間になっても礼奈ちゃんが来てくれなかったから、失敗したと思って泣きそうだった」
「……私は誠実な人の方が好感持てます」
昨日の気障な態度は演技だったと分かって少しホッとすると同時に、有名になるのも大変なのだなと可哀想に思った。
「それでも、私の経歴を調べ尽くして得意げに披露するのはやり過ぎだと思います。誰かに聞いたんですか? というか、ぶっちゃけて聞きますけど、どこまで知ってるんですか?」
私が『天命』を持たないことまで知られているのか、それが大きな問題だった。
知っていて私に近付いて来たのだとすれば、その危険性は十分に承知しているはずだ。
知られていないのなら、知らないまま離れた方がお互いに幸せかもしれない。
AKITOの反応を伺ってどちらなのか探ろうとするも、ヘラヘラと笑って誤魔化される。
「今日はそういう話は止めにしない?」
「どうしてですか」
「いや、お互い焦り過ぎてると思うんだ。まだ自己紹介もしてないしさ」
「それは、そうですけど」
AKITOは端末を操作して注文をしているようだった。AKITOの知り合いが直接料理を運んで来てくれそうで、噂になっているAKITOの運命の人が私であると情報が漏れる心配はないと言う。
「それじゃ改めて、僕の本名は篠原彰人と言います。大学の同期と立ち上げたアパレルブランドの経営管理を任されてます。これ、名刺です」
「ご丁寧に、ありがとうございます? 篠原さんとお呼びした方が良いでしょうか?」
「今まで彰人さん呼びだったんだから、そのままが良いな。それと、さっきから畏まってない? 昨日の強気な態度の方が親しい感じがして良かったな。僕たち、これから夫婦になるんだからさ」
「なっ? まだそうと決まった訳じゃないですから!」
「そうそう、そんな感じで」
確かに誠実で堅苦しい態度よりも、昨日の遊び人のような態度の方が話しやすいかもしれない。全部分かって演じているのなら、彰人は相当に食えない人物だ。
それからは、彰人のこれまでの経歴について教えてもらった。
彰人は都内にある某大手企業の社長令息で、子供の頃からよく父に連れられて海外旅行に出掛けていたらしい。話の流れで「新婚旅行はどこがいい?」と真剣に聞いてくるものだから、答えに詰まってしまった。
場が盛り上がって彰人がお酒を頼み始めてからは、私の中学高校時代の話や彰人が会社を立ち上げた経緯など、お互いに色々な話をした。
彰人の話を聞けば聞く程、なぜこんな優秀な人の『天命』が私と結ばれることなのか。もし、そうなった場合の未来を考えるだけで不安が押し寄せた。
「礼奈ちゃん。ゆっくりでいいからさ、僕の事を好きになってくれると嬉しいな」
最後に、アルコールを飲んだせいか少し顔の赤くなった彰人は小さくそう呟いた。
会計をする彰人を置いて、私は先にお店を出る。携帯電話で時間を確認すると時刻は八時前。日が長くなってきたとはいえ、この時間にもなると流石に辺りは暗くなっている。
店を出て来た彰人が「もう遅いし家まで送る」と言うので、私は素直に送られることにした。
二人の間に会話はなく、閑静な住宅街に足音だけが響く。隣を歩く彰人を盗み見ると、視線が合って思わず目を背ける。彰人は変装を解いているが、辺りは暗いし人影もないので大丈夫だろう。
昨日は緊張と警戒で無言であったが、今はこの静寂がどこか心地よい。
今日の対話でストーカー気障野郎という彰人の評価は少し改善された。昨日の変人ぶりも、『天命』に従うために必死だったと言われたら納得できた。
私と一生を共にするために生まれてきたと言う彰人。私と話しているだけで楽しそうに笑うその顔を見ていると、生きる意味を必死に考えていた私の方が馬鹿に思えてくる。
いや、もしかしたら彼は、私に生きる意味を与えてくれるのではないか。彼の運命の人という役割を果たすことが、私の生まれた理由で生きる目的なのではないか。
今まで散々な事を言ってきたが、私は彰人に期待しているのだ。しかし、期待し過ぎて裏切られるのが怖いから、あえて邪険に扱って彰人を試している自分がいる。
『悪魔の子』という名前に相応しい所業に、私は自分が嫌いになりそうだった。
歩き始めて三十分、ようやく我が家を視界に捉える。
周りの民家の光が薄っすらと暗闇を照らす中、私の家には光が灯らず夜に飲み込まれている。
「礼奈ちゃん、昨日来た時も真っ暗だったし、外食するのにどこにも連絡入れてなかったよね? ご家族は?」
「……両親とは別に暮らしているの。私のこと、流石に全部は知ってる訳じゃないんだ?」
私が一人暮らしをしているのは独り立ちをしたいからという理由が建前として存在する。
しかし、本当の理由は私が『天命』を持たない『悪魔の子』であるから。その事で随分と両親を傷つけてしまい、私は我慢出来ずに家を飛び出した。
「ここに住んでるってことしか知らなかったよ。もしかして、ご家族とうまくいってないの?」
「別に。普通だよ」
「普通の両親は娘を隔離させたりしない」
「隔離って……。ただちょっと思うところがあって、私が我が儘を言って一人暮らしさせてもらってるだけ。お金も住む場所も面倒見てもらっているし、本当に凄く良い両親だと思ってるよ」
そう言って顔を逸らす私に、彰人がゆっくりとした足取りで近づいて来るのを感じる。そして、彰人の手が私の頭にのせられた。
男の人の大きな手で少し乱暴に――当人は優しくしているつもりなのだろうが、前後に撫でられる。
「んな!」と自分でも驚く程に色気のない声を出して、咄嗟に彰人の手を払い除けた。どういうつもりなのかと顔を上げて睨むと、これまで見た事のないくらい優しい表情で私を見つめている彰人の姿が映った。
彰人は何をどこまで知っていて、なぜこんな顔を私に向けてくるのか。
私は今まで一人孤独に耐えてきたという自負がある。それなのに、昨日出会ったばかりの運命の人だなんて訳の分からない他人に分かったような顔をされたくはない。
この苦悩は、生きる目的が最初から決まっている人達には分かるはずもないのだから。
「変な同情しないでよ」
そう言って私が睨んでも彰人は表情を変えずに、あまつさえ声を上げて笑い始めた。
「同じ事言ってる」
「同じ事?」
「これは同情とかじゃなくて……」
私が何か言うよりも先に、彰人の手が再度私の頭を捉える。
心なしか先程よりも優しい手つきで前後に撫でつけられた。
「偉い偉い」
「馬鹿にしないでよ」
同情されるのは嫌い。でも、優しくされるのはもっと嫌いだ。
優しさは強者が弱者に施すものだ。それも、主観的な立場で考えるものだから、弱者が何を言ったところで、それは全てただの強がりだと思われる。
強がりなんかじゃない。私は一人でも耐え忍ぶことが出来る、強い人間だ。
私は先程よりも強い力を込めて、彰人を拒絶する。閑静な住宅街に、手と手がぶつかり合う乾いた音が響いた。
彰人は「素っ気ないなぁ」と言って、振り払われて行き場を無くした手をポケットにしまう。
「……困った事があったら何でも連絡してね。また明日、おやすみなさい」
そう言ってこの場を後にする彰人を、私はただ見つめることしか出来なかった。