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天命

 私たちは何故生まれたのだろう。

 別に哲学的な話をしたい訳じゃない。

 ただ、こうして生きているからには何か目的があるんじゃないかって。

 死んだら何も残らないけれども、だからって今この瞬間が無駄なんて思いたくはない。

 友人と語らったり恋人を作ったり子供を育てたり――そうした日常の中に、人生の価値は存在するはずだ。


 ――本当に?


 単に目を背けているだけではないか?

 何故生まれてきたのかという命題に対して、唯一無二の解答を持っているだろうか?


 自ら生まれてくることを望んだの?

 ――違う。


 神様が私たちに命をくれたのかな?

 ――絶対に、違う。


 じゃあ、私が今ここに存在していることに意味なんてない?

 ――違う……と思いたい。


 人が生まれてくることに意味はあるはずだ。

 美味しいご飯を食べると幸せに感じるし、空の澄んだ青色からは無常さの中に美しさを感じる。

 音楽というただの波の重ね合わせに心を揺さぶられる素晴らしい感性だって持っている。

 色々な人と関わっていくのは怖いけれど、自分と違う価値観に触れるのはいつも驚きがあって面白い。

 その全てが無意味だなんて、残酷過ぎるではないか。


 もちろん一生をかけても答えの出ない問いであることは分かっている。きっと、何もかも割り切って生きていくのが最適な答えなのだろう。

 しかし、私はどうしても思わずにはいられないのだ。

 私が生きていることに、一体どんな意味があるのだろうか――と。


「もしかして、まだ進路どうするか迷ってんの?」


 思考を中断し机から顔を上げると、いつの間にか目の前に一人の女子生徒が立っていた。

 校則で禁止されているにも関わらず、女子生徒は髪を茶色に染め、制服はラフに着崩している。大きく空いた胸元には高そうなネックレスがぶら下がっており、不思議と目が吸い寄せられる。顔面は派手なメイクで武装しているが、元の顔が良いだけに非常に残念なことになっていた。

 いかにも不良らしい恰好をしているこの女子生徒――岩清水多恵子はこう見えても学年成績トップの秀才であるのだが、その栄光を盾に自分勝手に立ち振る舞う問題児であった。


「多恵子も懲りないよね。これで何度目の呼び出しよ」

「いいんだよアタシは。やる事はやってんだから。それよりも、今は自分の心配をした方がいいんじゃない?」

「それは……そうなんだけれどもね」


 多恵子は一つ前の席に腰を下ろすと、私の机の上に置いてある進路希望調査票を取り上げた。


「えーと、二年二組三十八番松崎礼奈……って一時間経ってまだ名前しか書いてないんかい」

「ちょっと、勝手に見ないでよ」

「せめて進学か就職かぐらいは決められるでしょ。提出期限過ぎてんだから、適当に書いてさっさと出しちゃえば?」

「さっきまで説教されてた人にそんな無責任なこと言われても」


 私が冗談混じりにバッサリと切り捨てると、多恵子はバツが悪そうに調査票を机の上に戻した。そして、私と放課後に居残りをしていたもう一人の女子生徒――こがらし静香の元へ向かっていく。

 静香はいつものように教室の端っこで本を読みながら、多恵子が生徒指導室から戻って来るのを待っていたようだった。

 窓から吹き込む風で長い黒髪を軽くなびかせながら、淡々とページをめくっていく様子は文学少女の鑑と言えるだろう。低身長と童顔のために貫禄がない点を除けば、静香は同学年とは思えないほど大人びた人物であった。


「静香、待たせて悪い」

「これで通算八回目の呼び出し。そろそろ二桁の大台が見えてきたわね」

「あはは……よく覚えてたね」


 おちゃらけた声で誤魔化す多恵子を、静香は呼んでいた本から目線を外して諦め顔で睨みつけている。

 私が多恵子と静香に出会ったのは中学に入学してからしばらくの頃であった。外見も性格も明らかに正反対の二人であるが、幼馴染であるらしく昔から仲が良いらしい。今ではこうして三人で居ることが多いのだが、たまに二人だけの世界に入り込むことがあり、そうなると少し居心地が悪くなる。


「礼奈のヤツ、私が担任に連行されてからずっとあの調子なのか?」

「そのようね」

「はぁ……。ったく、いつまで悩んでんだ。ゴールが決まってるんだから、そこから逆算して考えれば良いだけじゃん」


 机に向かいながら二人の会話を聞き流していると、私の話題になったのでチラッと横目で盗み見る。

 高校二年生の段階で進路を決められない私がさも可笑しいと言わんばかりの発言に対して、静香も読みかけの本を閉じながらしみじみと頷いていた。


「ゴールかぁ……」


 多恵子が何気なく放ったであろう言葉を、私はポツリと呟く。

 二人の言う通り、未だに進路を悩んでいる私の方が世間とズレているのだ。

 人生における目標を知らされていないなんて、本来ならばあり得ないことなのだから――


 人はなぜ己がこの世に生を受けたのか、その意味を生まれた時から知っている。

 『天命』と呼ばれるそれは、人が生まれながらに持っている人生の指標であり、『天命』に従って生きることは人間に備わっている生理的欲求の一つだ。

 『天命』を知ることで人は生きる意味を見つけ出し、目的を持って生きてきた。これまで人類が文明を発達させることが出来たのも、『天命』という絶対的な神の意志に従ってきたからだと信じられている。

 人類総出で創り上げてきたこの世界は、一体どこに向かっているのだろうか。

 

「ねぇ、やっぱり『天命』には従わないといけないんだよね」

「いきなり何を当たり前のこと言ってるんだよ」


 私の問いかけに多恵子が訝し気な顔をする。


「いや、『天命』に黙って従うのも癪かなと思って」

「なんだよそれ。飯を食わずに人は生きていけるか? 『天命』に従うってことはそれとほぼ同義でしょ?」

「そうだよね。何言ってるんだろう私――」


 『天命』という人生の目的が決められているのだから、多恵子の言う通り進路なんて悩むものではなく、ゴールに向かってただ行動するだけだ。

 多恵子の『天命』は『たくさんの人の病を治す』ことだ。そのために多恵子は都内の医学部を志望している。

 静香の『天命』は『物語を書いて人に感動を与える』ことで、多恵子と同じ大学の文学部を志望しているらしい。

 このように『天命』を知っていれば、私のように進路で悩むなんてありえないのだ。

 私が未だに進路を決められないのは、ひとえに『天命』を与えられなかった『悪魔の子』と呼ばれる存在だからである。

 『悪魔の子』は今でこそ一種の病気という扱いだが、そこには闇の深い歴史がある。


 どうして人には『天命』なんてものが定められていて、それを遂行しなければならないのか。詳しい理由は未だに判明していない。

 近年では、人間が生きていくための活力として、遺伝子レベルで自らの『天命』を定めているという説が有力だ。実際、『天命』を持っている人と持っていない人とでは、後者の方が自殺者数が多いという統計結果が出ている。

 一方で、『天命』とは神に与えられた試練であり、『天命』を全うした者だけが天国に行けるなどというオカルトじみた説もある。一昔前まではこちらの説を信じる者が多く、『天命』を持たない者は酷い扱いを受けていたらしい。今ほど科学が発達しておらず宗教が世の中を支配していた時代に、『天命』を持たない者は『悪魔の子』であるとして迫害されてきた経緯がある。神から『天命』を授かって生まれてきた者にとって、『天命』を持たない者は神に仇なす異端分子であり、差別の対象であったのだ。

 『悪魔の子』は長い歴史の中で奴隷として生きてきた。しかし、生きる意味を持たない『悪魔の子』にとって、役割を与えられることは救いだったのかもしれない。


 科学が発展してきて神の存在が疑問視されるようになった頃、ようやく『悪魔の子』も同じ人間であると国際的に認められた。そうして現代では、人間は生まれながらに平等であるという考え方が浸透し、次第に『悪魔の子』という言葉は差別用語として使われなくなっていった。

 しかし、生きる目的を持たない『悪魔の子』に対して偏見を持つ者は多く、現代でも選民思想を持つ一部の過激派に弾圧されることも少なくない。

 そのため、ほとんどの『悪魔の子』は『天命』を持っていないことを周囲に隠して生きている。


 私も、その一人だ。


「生きる目的もないのに、生まれてきて可哀想――」


 母にそんな事を言われたのは、いつの頃だったか。

 当時は言われた言葉の意味がよく分からなかったが、涙を浮かべながら謝る母の顔を見て、ひどい罪悪感に苛まれたのを覚えている。

 それからというもの、『悪魔の子』であることを周囲に隠さなければならないと子供心ながらに誓ったのであった。


「そう言えば二人とも、今話題になってるAKITOの噂ってもう聞いた?」


 私の迷いを吹き飛ばすように、多恵子が意気揚々と新しい話題を提供してきた。

 私は聞き覚えのある名前に妙な奇声を上げそうになるのをグッと堪える。

 AKITOと言えば、最近になってメディアへの露出が増えてきたファッションモデルである。さらには、アパレルブランドのマネジメントにも携わっているらしく、何でもこなすハイスペック王子という呼称で世間を賑わしていた。

 AKITOが王子と呼ばれる所以は、まさしく絵本の中から出て来たような容姿をしているからという理由の他に、彼の『天命』に関わる部分が大きい。


「僕の『天命』は『運命の人と一生を共にすること』です」


 彼のその一言は世の中の女性を震撼させた。つまり、AKITOは運命の人と添い遂げるためこの世に生まれてきたのである。ロマンチックな背景に加えてイケメンで優秀という要素が合わさったフィクションのような存在だった。

 そんなAKITOが運命の人を探していると公言したために、我こそはAKITOの運命の人であると自称する者たちで溢れかえったらしい。

 ベタな少女漫画の展開よろしく、ハイスペック王子が運命の人を探しているという発言は各メディアで取り上げられ、当時大きな話題を呼んでいた。

 しかし、この情報で盛り上がっていたのは先月がピークで、最近はあまり目にしなくなったはずだった。


「AKITOの噂? 聞いてはないけど、今更興味ないし」


 私は努めて平然な振りをして突っぱねる。

 しかし、内心はかなり焦っていた。よりにもよって、どうして今AKITOの噂が話題になっているのか。


「つまり、何か進展があったという事ね?」


 珍しくミーハーな話題に静香が乗っかる。

 せっかく私が興味がないと話を途切れさせたのに、なぜ今日に限って静香が興味を示してしまったのか。先月からずっとAKITOに熱を上げていた多恵子の発言に、私と同様うんざりしていたはずなのに。


「そうそう。その運命の人が見つかったって記事をさっき見たのよ」

「多恵子、あなたさっきまで生徒指導室で注意を受けていたはずでしょう?」

「いやぁ、生徒指導室の机って無駄に広くってさ。俯いて反省してる振りしながら下で携帯弄ってたんよ」


 まったく反省の色が見られない多恵子に、静香が無言で鉄槌を下す。白く細い腕のどこにそんな力があるのか、静香は本が詰まったカバンを振り回して多恵子にぶつけていた。

 多恵子は外見こそ派手だが内面は案外乙女な部分があるため、小っ恥ずかしい恋愛話をよく口にしたがる。普段であれば私も適当に興味のあるフリをするのだが、この話題に対してのみ下手に口出しをすることが出来なかった。

 私は二人の会話に耳を傾けながら、進路志望調査票の記入を進める。


「相手は分かっているの?」

「いいや、それはまだ。ただ、AKITOがプライベートでこの辺に来ていたらしいのよ。この記事みて」

「SNSの情報だけど、結構目撃証言が出ているわね」

「ということは、AKITOの運命の人って、私達の地元にいるってことでしょ! すごくない?」


 いつの間にか目の前にやって来て、携帯を見ながら何やら言い合っている多恵子と静香。


 迂闊だった――

 もし周りに誰もいなければ、今頃頭を抱えてのた打ち回っていただろう。

 それでも、まだ核心を突いたような情報が出回っていないことに安堵した私は、二人が顔を近づけて楽しそうに井戸端会議を繰り広げて、あまつさえ羨ましそうに話している様子を見て我慢ならなかった。その運命の人とやらの事情を考えもせず、まるでAKITOと結ばれることが幸せであるかのように。

 だからこそ、この二人には私の事情を相談することは出来なかった。


「決められた相手と結ばれなきゃいけないとか、なんか嫌じゃない? 相手がもの凄い不細工でも付き合わないといけないんでしょ? 選ばれる方も『天命』だからって言われれば断りにくい雰囲気になるし、誰も幸せになれない気がする」


 私の発言に水を差されたのか、多恵子と静香はこちらを向いて目を見張る。

 運命の人という言葉が既に胡散臭い。謎の外的要因に自分の意志が操作されているのかと思うと、おぞましくて堪らない。そんな相手から好意を向けられたとして、果たして素直に受け入れられるだろうか。


 そんな私の心情を見越してか、多恵子が残念な子を見るかのようにこちらを向いてため息をついた。


「夢がないなぁ。こういうのは、出会った時に互いが運命を感じて結ばれるってのがお約束でしょ。もし運命の人が礼奈みたいな女だったらAKITOが気の毒だわ」

「……AKITOの運命の人とかどうでもいいよ。それよりも今は私の進路の方が大事」

「決められないなら、進路希望はAKITOの嫁です(自称)って冗談で書いておけば? ウケそう」

「ウケないから。もう、ちゃんと書くし」


 本当に、笑えない冗談である。

 ふと、窓の外を見ると時期外れの桜の花びらが一枚舞っているのが見えた。その桜の花びらが私の人生を暗喩しているようで軽く身震いをする。


 花にも『天命』なんてものがあるのかな。


 そんなことを考えながら、私は昨日の出来事を思い出していた――


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