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ちーちゃん

目が覚めるとなぜか泣いているーそういうことが時々ある。その夜、ちーちゃんが行ってしまった夜もそうだった。


寝苦しくて目が覚めると、ちーちゃんが起きていた。ちーちゃんというのは僕がつけたあだ名だ。もうずいぶん前から本当の名前は忘れてしまっていた。

「なんだ、もう起きてたんだ。」と声をかけると、ちーちゃんの様子が変だ。目が慣れてくると、小刻みに肩を震わせている姿が暗闇に浮かんだ。泣いていた。慌てて涙をふいてやったらすぐに落ち着いて、また横になった。

「何か嫌なことでもあった?」

答えは返ってこない。いつものことだ。

ちーちゃんが理由もなく泣くようになったのはいつからだろう。きっと、あの日、中1の暑い夏の晩だ。ちーちゃんが何で泣くのかわからなくて母に聞いたけど、母は曖昧に微笑むだけで何も教えてはくれなかった。母は確実に何かを知っていたけど、その時の僕は幼すぎてそれが何かを理解することはできなかった。

その日から僕は学校で何か嫌なことがあると、ちーちゃんに話すようになった。彼女は辛抱強く聞いてくれて、僕が抱きしめると一緒に泣いてくれた。ちーちゃんはなにも言わなかったけれど僕らの心が通じ合っていることは確かに感じた。みんながどう言おうとちーちゃんだけは僕の気持ちを理解してくれたし、ちーちゃんと遊ぶとなんだか、とっても気持ちがよかった。


知らない間にまた眠っていた。僕は夢を見た。ちーちゃんが出てくる夢だ。彼女はペンを持って僕の手に何か書くと、にっこり笑って、気がつくとどこかへ消えてしまっていた。彼女は何もいわなかったけれど、僕は彼女が本当の名前を僕の手に書いて教えてくれたのだという確信があった。僕はゆっくりと手をひらいた。



ちーちゃんのすすり泣く音でふたたび目が覚めた。さっきからまだそんなに時間はたっていなかったので、すぐに涙をふいてやってもう一度寝かしつけた。目が冴えてしまって、眠れない。コーヒーでも入れようと電気をつけ、ふと右手を見た。白い文字が3つ浮かんでいる。

ち、ん、こ

ちんこだ。ちんこ、ちんこちんこちんこちんこ!忘れかけていた夢の記憶がよみがえり、夢が夢じゃなかったことを悟った。時間が止まって、世界中から音という音がすべて消えてしまったように感じた。

そうだ。ちーちゃんは僕のちんこだ。小学校のころ、友達のいなかった僕は自分のちんこにちーちゃんと名付けて友達にした。母を心配させまいと、ちーちゃんについての作り話をしたり、実際にちんこに話しかけたりしているうちに、いつしかちーちゃんが本当にいるような気がしていた。幼かった僕はちーちゃんの存在を信じこみ、僕がちーちゃんを露出させると嫌がるクラスメイトに当惑した。なんでみんなはちーちゃんと話せないんだろう。みんなはちーちゃんの声が聞こえないんだろうか。僕はますます孤立し、自分の殻にこもるようになった。

そう、ちーちゃんは実在しない。ここで、でも、、、と僕は思う。今この手にある文字はなんだろう。これはちーちゃんが確かにここに存在した証明ではないのか?少なくとも今だけはちーちゃんは現実に存在していた。現実に影響を及ぼした。なぜ、、、?直接聞きたい。僕はすぐにちーちゃんを露出させた。でも、そこにあるのは30を越して間もない男の萎びたちんこだけだった。今までのちーちゃんとどこか外見が変わってしまったというわけではなかった。しかし、そこには決定的に何かが失われていた。ちーちゃんは美しい女だったはずだ。なぜこんなにも醜くなってしまったのか。僕はその醜悪な物体をまじまじと見つめた。そこで気づく、ちーちゃんは醜くなったわけではないのだと。彼女は失われてしまった。あるいは、損なわれてしまったか。今ここにあるのは抜け殻に過ぎないのだ。もう帰ってくることはないだろう。彼女は夢の中で僕に別れを告げに来た。彼女は僕のつくりだした虚構の中の存在だった。僕も彼女とともに虚構の中に生きていた。でも、そのつくりものの世界で彼女は気づいたのかもしれない。自分は虚構の中の存在でしかなく、僕は現実の中の存在だと。僕は現実の中で生きなければならない、だから虚構の創造物である彼女とともに生きることはできないと。そして、僕らが結ばれることは決してないと。



どれくらい時間がたっただろうか。窓の外で蝉が鳴き始めたころ、僕の頬をつたった涙がちーちゃん、いや、ちんこの頬にぽとりと落ちた。まだ乾ききらない彼女の涙と混じったそれは、沈みかけた満月の光に、妖しく光った。


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