第五話『True phantom』
漓斗が仮想空間に入ってから二時間が経った。
相変わらず梓乃はシルヴィアと互角の勝負を繰り広げているし、黒音達は梓乃の卓越した剣術を見て唖然としている。
〈strongestr〉のドラゴン、竜童寺 律子から学んだ剣術を自分のタイプに合うように改良し、双頭刃式で扱いにくい形状をしているヴァジュラをまるで体の一部のように振るっていた。
「貴女、とっても面白い。元から戦いの才能があるみたい」
「契約者としては嬉しいけど、女の子としては嬉しくないかなあ……」
「何なんだ、ありゃ……本当に梓乃か……?」
「いきなりラスボスとタイマン張ってんじゃない……」
同じくイートカバーを経験した遥香があれと同じことが出来るかと聞かれると、とても首を縦には振れない。
天才肌の遥香でさえ到達出来ない領域に、今の梓乃はいる。
「でも、まだ本気じゃない」
「わふ、本気ですよ。その証拠に技はほとんど出し切りましたから!」
英雄と互角の勝負を繰り広げてまだ本気を出していないなど、だがもしシルヴィアの言うことが本当ならば。
梓乃が余力を残しているようにも見えてくる。
「その目隠しは……裏に龍封じの術式が施されてる。違う?」
「あちゃ、バレちゃった。龍封じと言っても身体能力を何割か封じるくらいです」
「マジで余力があったのかっ……」
しゅるしゅると布同士が擦れるおととともに、久しぶりに梓乃の瞳が開かれる。
エメラルドグリーンに輝く梓乃の相貌は、獣のように"危ない"光を蓄えていた。
「ふぃ、すっきりした……じゃ、右から行きますね」
梓乃がそう宣言した瞬間、突如シルヴィアの義手が左右四本も消し飛んだ。
これで梓乃に潰された義手は七本、残るは三本のみだ。
「これは……今、何をしたの……?」
「右側から接近して、背中の腕を連続で切り刻みました」
「確かに、右側から行くとは言ったが、それでも師匠が反応出来ないのか……」
「スピードには自信があるんだよね。だからこれからの私の戦法はヒットアンドアウェイ。攻撃は全部避けて、攻撃は全部当てる」
自分より強い相手と戦う場合は一番効果的な戦法だ。
それに梓乃の場合、一撃必殺の攻撃力を秘めている為、さらに相性がいい。
「あのね梓乃、ヒットアンドアウェイって言うのは攻撃を当てた後すぐに離れる戦法を言うのよ? アンタの場合、離れるどころか攻撃に向かってってるじゃない」
「まあ近づいても避けれる攻撃の時は下手に離れる必要ないよね」
その自信は過信に繋がる場合と、思わぬ武器に転じる場合がある。
自分の力を過信しすぎれば足元を掬われるし、でも自信を持って戦うことが出来ればここぞと言う時に勝負を決められる。
「梓乃はお調子者だからなあ、タイプにあってるけど危ないわね」
「だが実際に英雄と五分だ。つまりこれは有効な手……強者殺しってとこか」
「ふふん、私は強くなったんだよ!」
新生と言うだけあって、本当に強い。
どう強いとかではなく、もうとにかく強い。
しかしシルヴィアも、ただ弟子にいいようにされているだけではなかった。
「梓乃、私が今より三倍くらい強くなったら、どう?」
「三倍、ですか……うーん……接戦になるかもです」
それでも自分が負けるとは言わない梓乃。
梓乃の戦法は相手が自分より強い時ほど力を発揮する。
三倍程度ならむしろ好都合と言ったところだ。
「それじゃあ……リミットブレイク……!」
「へ……え、今なんて──」
梓乃が言葉を言い終える前に、シルヴィアを強大なエネルギーが包み込んだ。
使い魔の虎は全身を真っ白な毛で覆い、ホワイトタイガーへと変貌を遂げる。
さらに変化はシルヴィアを中心に巻き起こっていく。
使い魔の変貌に加え、シルヴィアの義手や防具が一新された。
「おい、マジかよ……リミットブレイクだと……!?」
「わふぁ、黒音君以外のリミットブレイカー初めて見たよ」
全身に深紅のオーラをまとい、傍らに白虎の使い魔をおいたシルヴィア。
ボリュームが倍以上に増えた長い黒髪に、小麦色の肌は薄い金色に染まっている。
赤い結晶のアクセントで飾られた十本の義手は、肘の間接を折り畳んでシルヴィアの背中に輪を形成していた。
「リミットブレイカー……〈三鈷戟の烏摩妃〉……!!」
「どおりで手加減されるわけだ……」
「戦の女神が、山の女神に変身した……!?」
インドやネパールの神話には三体の主神がいる。
それを三高神と呼び、ドゥルガーはそのうち破壊を司る主神シヴァの神妃だ。
そして近づき難き女神ドゥルガーは、穏やかな山の女神パールヴァティーと同一視される。
シルヴィアのリミットブレイクはそれに沿ったデザインと言うことだ。
「この姿になるのは何年ぶりかな……本気出すよ」
「リミットブレイカー上等! 私も本気で行くよ」
この状態のシルヴィアに梓乃が張り合えれば、正真正銘梓乃は英雄と互角と言うことだ。
『梓乃、ここは私と交代してください』
「セリューも戦ってみたくなったんだね。いいよ」
梓乃がその場で一回転するとともに、梓乃の体が黒い火花となって弾けとんだ。
犬の尻尾のような茶髪のポニーテールは緑と銀の混じった長髪のポニーテールとなり、フィルとの一体化も解除される。
「初めまして、私はセリュー・エヴァンスと申します。梓乃の体にいるもう一つの人格と思ってください」
「もう一つの人格……? 確かに龍力の質が変わったみたい」
「シルヴィア師匠、それは演技じゃねえぞ。セリューって人格はリュッカ・エヴァンスのもう一人の娘だ」
「なるほど……リュッカが私の娘はたまに豹変するって言ってた。このことなのね」
セリューの肩に乗ったフィルが黒い電流に変わり、セリューへと落雷した。
強大な電流をその身に浴びたセリューは、丸焦げになるどころか生き生きした様子でその姿を変貌させる。
セリューの体は面影を感じさせないほどに巨大化し、新幹線ほどの太さと七メートルを越える長大な全長をしている。
フェレットを新幹線のサイズまで巨大化させたような姿のドラゴンの黄色い体毛からは、黒い火花が常に迸っている。
『それではドラゴンソウル、行かせていただきます』
セリューが黒音達の前でドラゴンソウルを発揮するのは、この戦いが初めて。
梓乃の成長をそのまま共有しているならば、セリューも梓乃と同じかそれ以上に成長しているはずだ。
そしてリュッカの娘と言うものは、とことん期待を裏切らない。
「フェンリル、本腰の変身──モード"盟約"……」
黄色い体毛の表面で弾ける黒い火花が硬化し、それらが無数に連なって黒い鎖を作り出す。
黒い鎖に縛られたセリューは、巨大なフェレットのような体を人の姿へと変化させていった。
梓乃よりも大人びたボディを包むのは、交差した黒い鎖の模様が刻まれた黄色の甲冑。
さらに両肩にはセリューを守るように二枚の大きな盾が装備されている。
二枚の大きな盾はセリューの背中と正面に小さな盾を何枚も連ね、それを鎖で繋いでいた。
小さい盾と大きな盾に囲まれ、セリューはヴァジュラを半分に分離させた。
双頭刃式から双剣へと姿を変えたヴァジュラは、セリューの両手に収まり黒い火花を纏う。
「……えらく派手な装備だな……」
「動きにくくないの?」
「ご心配なく。私が戦う時、この盾達は分離して自律起動致しますので」
セリューが指を鳴らした瞬間、黒い鎖で繋がれていた計八枚の盾がセリューから離れ、それぞれ統制のとれた動きでセリューの回りに集まってきた。
「それでは……霆の巫女、還りて廻ります……」
セリューが地面を蹴ると同時に、大きな二枚の盾が左右に別れ、六枚の小さな盾を半数に分けて引き連れる。
セリューは二分したヴァジュラでリミットブレイクしたシルヴィアの義手に的確に攻撃していった。
「大したダメージはねえが、着実に攻撃してるな……」
「スピードは若干梓乃の方が速いかしらね。でもあれは……」
海里華ももう気づいているようだ。
セリューの本命は、ヴァジュラの攻撃ではない。
この後出すであろう特大の攻撃を当てる為、少しでも隙を作ろうとしているに過ぎない。
「こんな攻撃力じゃ本気の私には勝てない」
「当然です。ただの小手調べですからね」
セリューとシルヴィアの背後で、四枚一組の盾が二手に分かれて二人を挟み撃ちしていた。
セリューに直撃したとしても、盾がセリューにエネルギーを供給するだけ。
このままセリューがシルヴィアを足止めしていれば、八枚の盾から放たれるレーザーでシルヴィアの義手は焼き切られる。
「ご存じですか? この盾、レーザーを放つんです」
それを合図に、左右からレーザーが放たれた。
檻のように交差したレーザーが、シルヴィアを焼き切る寸前、シルヴィアは十機の人工神機の特性をフル発動してレーザーを無効化する。
さらにハンマーの形をした人工神機でセリューを突き飛ばし、無理矢理距離をとった。
「流石ですね。ですが今のは防げて当然。だってリミットブレイカーなんですから。では次の手を、アイアール!」
セリューに呼ばれた八枚の盾は、再びセリューを囲むように終結し、黒い鎖で繋がれた。
「アイアール……? じゃあその盾、神機なの?」
「ご明察です。私は梓乃の弱い心によって産み出された人格ですが、人格が入れ替わればこうして自分の体を持つ一つの個体です。ですから神機と契約することも可能です」
再び八枚の盾、アイアールは分離し、大きな盾はそのままに、小さい方の盾のみが縦に組み合わさり、三枚一組のシールドとなる。
「再び、ご存じですか? この盾、斬れるんですよ」
三枚一組で盾に積み重なったアイアールが、薄い緑のレーザーを放って刃を形成する。
大きく降り下ろされたそれを、シルヴィアは軽々と一本の義手で受け止めた。
「流石は英雄と言った所でしょうか。ですが……触れましたね?」
シルヴィアが受け止めたアイアールのレーザーブレードが、突如爆発したように出力を上げてシルヴィアの義手を真っ二つに切り刻んだ。
目の前で左右に裂ける義手を凝視しながら、シルヴィアは驚愕していた。
「アイアールの特性は分解です。本来、受け止めた攻撃を分解して無効化すると言うものですが、その特性を攻撃力に転化させました。どうです?」
「流石はリュッカの娘ってところかな……驚いた」
「光栄です。では奥義で決めるとしましょうか」
三枚が重なりレーザーブレードとなった盾を手元に戻すと、今度は大きい方の盾を二組のレーザーブレードに連結させた。
横一列に繋がった長い盾のレールが二組出来上がり、セリューはそれを真正面に両手で抱える。
「神機奥義……〈電磁投射砲〉!!」
セリューの胸に溜め込まれた強大な雷属性の力が、四枚一組のレールに挟まれてさらにエネルギーを凝縮する。
そしてセリューがアイアールのセーフティロックを解除した。
──刹那、二組のレールから射出された雷属性のレーザーによって、その場が眩い光に包まれた。
黒音達は咄嗟に目を覆い、顔を背ける。
発射された雷属性のレーザーは地面を抉り、シルヴィアを飲み込んだ。
発射されてからシルヴィアへ到達するまでのスピードが速すぎる上、規模がでかすぎて回避行動が追い付かない。
以前海里華とセリューが初めてぶつかった時、セリューは神機を使わずにこれに近い技を放ったことがある。
だが今回のそれは前回とは比べ物にならなかった。
「ご無事でして?」
「かはッ……あ、ぶな……死ぬかと、思った……」
閃光が収まり、視界が開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
地面から追り上がった分厚い断層が、セリューの放った雷属性のレーザー砲を遮断していたのだ。
「英雄ともあろう方が弟子に助けられるなんて、今どんなお気持ちですの?」
この人を小バカにしたような言葉遣い、柔らかくも気品を感じさせる声音、そして黄色いドレスに身を包んだ女性は。
「……何故邪魔をしたんですか、黄境 り──」
「漓斗ちゃん! おかえりっ!」
セリューが言葉を言い終わるよりも早く、表の人格が梓乃と入れ替わる。
人格が入れ替わったことにより再びフィルとの一体化が解除され、梓乃はフィルとの変身を再構成して漓斗に抱きついた。
「ただいま戻りましたわ。にしても、梓乃さんのもう一人の人格がシルヴィアさんを追い詰めていたように見えたのですけど?」
「うん、私とセリューが師匠と差しで戦ってたんだ」
「あのシルヴィアさんと差しで……しかも先ほどのレーザーが直撃していたらシルヴィアさんもただでは済みませんでした。流石ですわね」
「えへへ~♪ 漓斗ちゃんもすごく強くなってるね」
「当然ですわ。今ならシルヴィアさんと互角に戦えるかもしれませんわ」
たった数時間仮想空間で修行しただけで、イートカバーを確実に経験して自分と互角に渡り合う次世代達。
シルヴィアはその場に座り込んで両手をあげた。
「流石にお手上げ……ブランクがあるからまともに戦えない」
「俺達五人を同時に相手した後にリミットブレイクしてんだから、やっぱ英雄は凄いよ。それでもまだブランクってハンディがある」
「漓斗に助けてもらわなくちゃ、負けてたかも……悔しい」
「じゃ、次は私ね。覚悟しててくださいシルヴィア師匠、今度は差しで互角になるくらい強くなってきますから」
アクアスを連れ、シルヴィアが片手で展開した仮想空間の術式に触れる海里華。
たった一日、それも一人数時間のうちにイートカバーを経た梓乃と漓斗。
もしこの調子で成長することが出来れば、案外四大チームにも通用するかもしれない。
「ああそう言えば、シルヴィア師匠。イートカバーにはもう一段階次があるんだよな。鎖、だったか。それについて知りたいんだが」
「四大チームと本気で渡り合うなら、避けては通れない。イートカバーを経ただけだとまだ不安定。だからそれを完全に固定する為に用いるのが、グレイプニルと言う鎖をベースに作った術式。それを体に刻めばいい」
「刻むって、タトゥーってこと? 私達一応学生なんだけど……」
「そこは心配ない。魔術なんだから一般人には見えない」
それにサイズも自由に変えられる、とシルヴィアは上着を脱いだ。
露になったシルヴィアの左肩には、手のひらサイズの術式が刻まれていた。
「これがグレイプニルの改造版……グレイプニルより、出力が弱い……?」
「流石は遥香。その通り、グレイプニルは封じる為のもの。でも繋ぐ為だけならそれよりも二段階下、レーディングで十分」
フィルが簡単に食いちぎれるほど柔な鎖でも、半身を繋ぎ止めるだけならば役に立つと言うわけだ。
例え壊れたとしても簡単に再構成出来る為に、シルヴィアはレーディングと言う鎖をチョイスした。
「イートカバーをした三人だけ、ここでそのレーディングを施すことは出来ないか?」
「出来ないことはない。けどレーディングを施してから一週間の間、決してエネルギー回路を動かしちゃダメ」
「え……そ、それってぇ、息をするなって言ってるようなものですよねぇ?」
契約者にとってエネルギー回路は人間にとっての血管に等しい。
そのエネルギー回路を止めろと言うことは、必然的に死ねと言っているようなものだ。
「普通に生活する分にはいい。ただ怒ったりするのはダメ。もしエネルギー回路が活動を始めれば、レーディングを異物と判断して結合を拒絶するから」
「なるほど、確かベルゼブブはパートナーの半身を移植する為に鎖を魔力回路に誤認させるとか言ってたな……」
「だから戦うなんて以ての外。最低でも一週間の間は誰かに守ってもらうしかない。契約者に安全な場所なんてないんだから」
「出来たとしても二人ずつが限界か……」
二人同時で一週間、三組あわせれば三週間。
ドラゴンエンパイアで施せば五日間となる。
「夏休みまで後二ヶ月弱……待ってられねえ……」
鎖を施し終えれば黒音達は、ようやく四大チームと同じステージに立つことが出来る。
四月に転入して、仲間を集めるのに一ヶ月。
そして〈tutelary〉と接触する方法を模索するのに一ヶ月。
もうこれ以上手を拱いているわけにもいかない。
「海里華と梓乃で一組、漓斗と遥香で二組、焔と黒音で三組だ。これで間に合う」
シルヴィアの滞在日をギリギリまで計算すると、三日余る計算となる。
しかしシルヴィアは首を横に振り、
「ダメ、頑張っても、二人が限界……」
「な、何でだよ? もしかして、シルヴィア師匠の予定か?」
「ううん、レーディングは説明だけだと安物みたいだけど、それも数体の神々が力を合わせて創るものだから……」
「この術式を一つ組むのに、何日かかる?」
「私が頑張っても……レーディングを一つ組むのに、徹夜で三日……組み上がるまでは脆いから、一つずつしか作れない……」
六人分だとここで十五日かかるし、イートカバーだってまだ三人も残っている。
今の黒音が深影と同じステージに立つ為には、最低でも十日間はかかると言うことだ。
「私がどれだけ頑張っても、レーディング作成には三日かかる……レーディングを馴染ませる時間を縮めるわけにもいかない……だから一週間くらい余るけど……」
「待てよ、一週間……? つまり後二つはレーディングが作成出来るじゃねえか。守るだけなら人間界でもいい。レーディングの移植までをやってもらえれば、後は俺達が守るだけだ」
「それなら何とか……でもやっぱり、後二人は……」
「シルヴィア師匠、私にレーディングの作り方を教えて」
「遥香……でも、私が初めてレーディングを造り上げた時、一週間はかかった。いくら遥香でも、難しい……」
「六人全員じゃない。二人分だけ、たった二つだけ、作れればそれでいい。だから、お願いします……」
確かに遥香がレーディングを作成出来るようになれば、黒音達だけでも四大チームと同じステージに立つことは可能だ。
しかし天才シルヴィアをして作成するのに徹夜で三日、初心者の遥香が作成すれば一週間かかる以前に、完成するかどうかすら危うい。
「……分かった、リーダーと頑張るって約束したし、貴方達を必ず強くする。遥香、私は人に教えた経験が少ないから、上手く教えられないかもしれない。そこは遥香が私から技術を盗んで」
「シルヴィア師匠……! ありがと、私、頑張る……!」
これで計画は確立された。
今からレーディングの作成に入り、遥香はその工程を見てレーディングの作成方法を学ぶ。
海里華、焔、黒音がイートカバーを終えた後、レーディングを施していく。
最初に施すのは海里華と梓乃の二人だ。
レーディングを一人で作成する際、莫大なエネルギーを消費する。
だから海里華がレーディングを移植して一週間の間、シルヴィアは聖力を回復させて再び梓乃のレーディングを作成し始める。
ここまでで二十日間、残る一週間はシルヴィアと遥香の二人で漓斗の分と遥香の分のレーディングを同時に二つ作成する。
後は黒音達だけでどうとでもなる。
「頼むぞ遥香、俺ら三人のレーディングはお前にかかってる」
「ん、任せて。必ず完成させて見せる」
「じゃあ早速造り始める。遥香、一度創り始めたら手を止めることは出来ない。行くよ」
「ん……よろしくお願いします」
こうして黒音達の最後の試練が始まった。
全員がレーディングの移植と、最終調整を済ませるまで約一ヶ月弱。
この調子で上手く行けば、夏休みの一ヶ月前くらいには〈tutelary〉に挑めるはずだ。
だが裏を返せば一ヶ月後には〈tutelary〉と決戦することになると言うことだ。
「待ってろよ深影、もうすぐだ。もうすぐ決着をつけにいく」
明確な道が照らされたことで沸き上がる興奮を抑えきれず、黒音は隣にいるアズの手を握った。
魔王と決戦する前に、黒音は深影との再戦を控えている。
絶望的すぎて逃げてもおかしくないはずなのに、黒音は常軌を逸した強さの二人と戦えることが楽しみでならなかった。
(どうせ戦うならとことん楽しませてもらうぜ。悪く思うなよ、お前の復讐は俺が果たしてやる)
次にお前が目を覚ます頃には、お前が魔王として恐れられているだろうな、と黒音は記憶を失う前の自分へ向けて自虐的な笑みを浮かべた。
『どこまで歩けばいいんだろう……』
穢れた大地を延々と歩き続け、私はとうとうその場に立ち尽くした。
そもそも歩くことが正しいのかさえ分からない。
背中の傷はずっと痛いままだし、二本の剣を抱える理由だって分からないし……。
私は二本の剣を足場におくと、そこで座り込んで昼寝を始めた。
体が疲れていると言うわけではないが、精神的にしんどい。
先が見えないのに歩き続けるって言うのがしんどいんだよね。
そんなことを考えているうちに、向こう側(何をどう捉えたら向こう側なのかは分からないが)から一人の女性がやって来た。
『よくここまで歩いてきたね。大丈夫?』
『ふえ、誰ですか……? 私もう疲れちゃいました……』
『私は、うーんと、そうだね……女神と死神の間に存在している、神様?』
『疑問系で返されても困るよぅ……私が誰なのかもよく思い出せないのに……』
自分が誰なのかを考えようとすると、背中の傷が酷く痛む。
だからとくに何も考えずに歩いていたのに。
『じゃあ、名前は何て言うんですか?』
『名前? 私はアイゼルネだよ。ドイツ語で鉄の処女って意味なの』
『鉄の、処女……あれ、確か……』
私は地面においた二本の剣、その刀身を包む革製の鞘にも、同じくドイツ語で処女と言う意味の単語が刻まれている。
『クロイツ・コイシュハイト……』
『コイシュハイトはスペイン語、アイゼルネはドイツ語。処女は処女でも国が違うわ』
『そんなことはどーでもいいんです、私はどうなったの? 何でこんな所にいるの?』
『ああ、貴女は死んだのよ。焼けた家に押し潰されて』
……どうやら夢を見てるみたいだ。
私はそうであることを祈るように瞳を閉じた。
もういっそうこのまま寝てしまいたいと思いながら。
『ここは黄泉比良坂、ジャパニーズの冥界。生きてる人の住む世界と、死んでる人の住む世界の境界線だよ』
両腕を広げたアイゼルネの背後に、巨大な鳥居のようなものが浮き上がってきた。
血塗られたように真っ赤な鳥居は、生者と死者の世界を区別するようにガラスのような膜を張っている。
『死者はここを潜ることは出来ない。生者もまた然り。でも、私と契約を交わせば貴女はまた現世に戻れる』
『……どうして、なの? だって、死んだ人なんて何百人もいるはずなのに、何で私だけを?』
『簡単な話よ、私が気に入ったから。それに私は神様だけど、ここの管理者じゃない。ただ行くとこがなくてここに居座ってただけ。だから私はずっと探してた。私を面白い所に導いてくれそうな子を』
『それが……私?』
『そう!』
──彼女、女神は心から楽しそうに。
『私は、生き返るの?』
『私は女神でもあり死神でもある。だから生き返らせることも、不老不死にすることも出来る。勿論……殺すこともね』
──しかし女神はとても残酷な笑みで。
『私の記憶を、あなたは持ってるの?』
『うん、死者となって記憶を失ったのなら、逆に生き返れば記憶は戻るよ』
──その言葉はまるで女神の慈悲のように。
『私はまた……やり直せるの?』
『そう、やり直せるの。契約者として、新たな命を』
──その言葉はまるで死神の誘惑のように。
『愛しい人に……会うことは出来る?』
『ええ、貴女が私の手を握り、その剣を携える限り』
──名も知らぬ二振りの剣は、対極的な光を宿して。
『このままここにいるのもつまんないし……いいかな』
私は暖かい光を灯す剣を右手に持ち、冷たい光を放つ剣を左腰に差し、女神の手を握った。
『契約成立……貴女の願いはなに? 私が可能性をあげる』
『願い……別に大したことはないんだ。ただ、大切な人の力になりたい。今度は間違えないように』
真っ白なキャンバスが色鮮やかな絵の具で彩られていくように、私の空っぽの記憶を何かが埋め尽くしていく。
大切な弟を自分が追い込んでしまっていたことも、死にそうな弟を助けた時、初めて自分が姉だと実感出来たことも。
どれくらいの時間が経ったのだろうか、白く塗りつぶされたキャンバスが、ようやくすべて自分色に染め上げられた。
『あ、やっと思い出せた……あれからもう三年かぁ……元気にしてるかなぁ……』
『生き返った気分はどう?』
『うん、とっても最悪……体がすごく重たいし、頭痛がひどいよ……』
『仕方ないよ、今までは幽霊みたいなもので肉体がなかったんだから、体が重たく感じるのは当然。頭が痛いのも一気に記憶が戻ってきたからだよ』
気分はすこぶる悪いが、逆に生きている実感がわいてきた。
手のひらを開いたり握ったりを繰り返し、私は腰に差した剣をなぞった。
『コラーダ……形を持たないものを意味する名前から忌み嫌われた洞窟の剣……』
重たい体をめいいっぱい伸ばし、空に突き出された右手の剣を逆手に持ち替え、刀身を包む革製の鞘から初めて抜剣した。
『ティソーナ……闇を照らすたいまつの意味を持つ名前から崇められた炎の剣……』
何故私がこの二振りを死者の世界にまで持ってきて抱えていたのか、ようやく思い出せた。
これは私と弟をそのまま表したような剣だったからだ。
『木漏れ日……それは影と陽がなくては存在出来ない……』
日の光は強すぎれば、人を苦しめる。
だから束の間、人を癒す日影がなくてはならない。
暗い影は温度を奪い、人を冷たくする。
だから時々、人を暖める太陽がなくてはならない。
『だから私達は二人で一人……ぼっちじゃダメなんだよ』
『じゃあ、一緒にこの門を潜りましょうか。ここを潜れば貴女は死んだ場所に戻ってくるわ』
『あそこかぁ……私のすべてが終わり、あの子のすべてが始まった場所……あなただけ苦しい思いはさせないよ。私だってあなたを支えたいんだから』
あなたの冷え切った心を暖めてあげる。
今度こそ、絶対に。
だって私はあなたの陽だまりとして生まれたんだから。
「やっぱりそのままなんだ……お父さんもお母さんも、私のことすらどうでもよかったんだね」
目覚めてみれば全焼して崩れた鉄骨の下にいた。
本当ならどうやってもどかせないような重たい鉄骨を、私は何故か片手でどかすことが出来た。
それがやはり夢でなかったのだと実感させてくれる。
『人なんて結局自分が一番可愛いからね。この世界、偽善者が溢れすぎてる』
黄泉の國で感じていた倦怠感はいつの間にか消えており、あるのは実際に体を締め付けられる苦しさのみ。
その原因は三年の時を経て成長した体を包む服が、三年前の服装のままだったからだ。
成長した肉体を現世に持ってくることは出来ても、流石に衣服まではどうにもならないと。
鉄骨を片手で動かせる怪力があるくせに、どうして服装だけはそのままなのか。
「とにかく服を何とかしなきゃ、でもどうすればいいんだろ……」
『特注で作ってもらってばかりだったお嬢様には難しいよね。安心して、服は私が作ってあげるから』
「あなた、服が作れるの? すごい、流石神様だね」
『別に、魔力を物質に変化させればいいだけだし。それより、その剣を持ったまま街中を歩く方が何とかするべきだと思うけど』
「あ、ほんとだね。こんなのどうやって隠すんだろ……」
私は腰に差したコラーダと右手に持ったティソーナを凝視し、目覚めたばかりの頭を捻った。
思い付く方法はギターケースなどの長い入れ物に収納するくらいだが、アイゼルネは私が考え込んでいる間に二振りの剣を一瞬で消え去ってしまった。
「あ、あれ……剣がっ……」
『胸元見てごらん?』
アイゼルネの指差す先は、私の胸元。
私の胸には細いチェーンに繋がれた、剣のネックレスが二本下げられていた。
『あんまり知られてないけど、武器系の神機は封印状態にするとサイズを小さく出来るんだよ』
「便利なんだね。って、神機ってなに?」
『神様が作った武器だよ。そうだ、契約者の知識を教えてあげなくちゃね』
そう言うとアイゼルネは、何やら呪文のような言葉を紡ぎだした。
何語とも分からない言葉は読めない文字となって実体化し、投影したように宙に浮かんでいる。
鎖のように連なった文字は、不思議と読むことが出来た。
厳密には読めると言うよりも、内容が頭の中に直接流れ込んでくるような感覚だ。
『……知識のトレース完了……これが契約者だよ』
「守護者……無法者……絶望者……最強者……英雄……」
頭の中に渦巻く無数のワードが、次々と知識を書き込んでいく。
息苦しさとともに力の使い方を覚えた私は、知識の通り呪文を唱えた。
その非効率さからほとんど使われなくなった詠唱系の魔術を。
「……これが、力なんだ……これであの子を助けたい、支えてあげたい」
『じゃあ服を作ろっか。もう自分で出来るよね?』
「うん、あなたが教えてくれたから。これでいいよね」
魔力を物質に換え、それを自由に編む詠唱。
頭の中で形作った洋服を、魔力で実際に作り出した。
薄いベージュのショートパンツに、白いシャギーニット。
その上から白いニットカーディガンを羽織っている。
「髪型も変えたいなぁ……」
『ならこんなのはどう?』
アイゼルネは器用な指で私の髪を左側に集め、それを三束に分けて編み込んでいく。
毛先をアイゼルネの胸に飾られていた紫色のリボンで括ると、ふわふわで可愛らしい形へと纏まった。
『はい、鏡』
「ふわぁ、可愛いよアイゼルネ……自分じゃないみたい♪」
『それはよかった。格好も整ったし、戦い方もある程度教えたし、それじゃあ街にでも繰り出してみますか』
「そうだね、まずは何か食べないと。その後探しまょう。待っててね、私の愛しい弟くん……♪」
鉄の処女アイゼルネ、中に入った者を串刺しにする拷問器具。
アイゼルネが司る概念は拷問器具、決まった属性は二つ。
人々の血と怨念が染み着いた闇黒と虚無。
闇と無が融合して生まれるものなど、言わずと決まっている。
──混沌。
戦争、殺戮、虚言、労苦、悲嘆、破滅、無秩序──
地獄の閻魔大王さえ惨いと畏怖する残酷な女神。
女神の名はアイゼルネ、人の心を蝕む怨み辛みによって生み出された拷問器具の女神。
彼女の行う拷問に痛みはなく、あるのは究極的な苦しみ。
大切な人を自らの手で苦しめてしまうと言う、最低最悪の苦しみ。
殺しても殺しても満たされない渇き。
それこそが〈処女神拷問〉だ。