第五章『Emperor of the wing』
神により創造されし楽園、人々が天国と呼ぶその場所で、二人の天使が互いの刃をぶつけながら様々なフィールドを走り廻っていた。
人間界から突入した最初のフィールドはいくつもの島が浮遊する浮島のフィールド。
その次に二人がフィールドとしたのはハダーニエルが門番を勤める天界の入り口、いわゆる楽園への門だ。
二人はハダーニエルの警告をものともせず、天界に浮かぶ雲を吹き飛ばしながら音速を越えてぶつかる。
無論ただの門番でしかないハダーニエルがトップクラスの力を持つジブリールとラフィラ・ルチルの戦闘に干渉することなど出来るはずもなく、ただ頭を抱えて悶絶していた。
フラガラッハとマイスソードがぶつかり合う度に濃密な聖力の火花が飛び散り、その火花に触れたものを爆発させた。
建造物は勿論、島も銅像も貴重な大樹まで、例外なく消滅していく。
天界と言う壮大なフィールドを一つのスタジアムとし、二人は存分に羽根を伸ばして剣を交えた。
「人間も侮れないわね……特に貴方はっ!」
「君こそ、この僕と互角なんだから大したものだよ!」
勝負がつかない。禁忌の天使が二翼揃っていること自体が大問題だと言うのに、その二翼が天界を破壊しながら戦っている。
しかもその力が圧倒的すぎてまともに手を出すこともままならない。
ただ警戒体制を最大に強化して見守るしかないのだ。
「でも、君の力はそんなものじゃないはずだ。もっと本気を出しなよ。それとも、出さざろう得なくしないとダメなのかな?」
白夜の背中から生える翼が爆発するように大きく広げられると、白夜の纏う薔薇の模様が刻印された純白の甲冑が白夜を蝕むように大きく広がり出した。
その時、ふいに白夜の背後に黒い影が現れたような気がしたが、ラフィラの意識はそれよりもすぐに白夜へと引き戻される。
天界すべてを揺るがせるような圧倒的、絶対的なまでの強烈な聖力。
溢れ出るように解放されているその聖力からは、全身にのし掛かる重圧とともに胸が締め付けられるほどの哀しみが窺えた。
「この、力はっ……おかしい、こんなの、いくらジブリールだからって……っ」
「当然、半分はジブリールの力だけど……もう半分は僕の力だからね。君はジブリールにばかり執着して僕のことを甘く見ていたみたいだけど、僕は人工的ながら魔王だよ? ジブリールと互角の力を持っていたって不思議じゃない。その上さらにジブリールの力を上乗せすれば……どうなるか分かるだろう?」
「狂ってる……世界のバランスが、貴方たった一人で崩れる!!」
ジブリールよりも白夜に本能的な危険を感じたラフィラは、一気にギアを最大まで高めてマイスソードを降り下ろした。
至近距離で降り下ろされたマイスソードから放たれるラフィラの全力を、白夜は全身を以て受け止める。
桁外れの力同士がぶつかり合い、黒い火花を散らすが、それは一瞬にして消え去られた。
それは両方の力が相殺されたか、片方の力が飲み込まれたか。
その場合はどうやら、後者のようだった。
「そんなものかい、君の力は?」
「う、そ……あり得ない……これは、天使の秘宝なのよ……!?」
「だから何だと言うんだい? 所詮はコピーされた偽物だ。僕達は本物、完全で完璧なオリジナルなんだよ」
煙が晴れたそこにあったのは、ラフィラの降り下ろしたマイスソードを左手の人差し指と中指のたった二本で挟んで受け止めていたのだ。
仮にもジブリールと互角の力を持つラフィラの全力を、左手の指たった二本で。
さらに抗いがたい力でラフィラの手からマイスソードの複製を奪い取ると、白夜はその刀身を左手でいとも簡単に握り潰した。
粉々に砕かれたマイスソードの複製を絶句した様子で眺めるラフィラを、白夜は頭上から踵で蹴り落とす。
隕石でも落ちてきたのかと思うほどの衝撃が天界の地面に響き渡り、とうとう二人を取り囲む天使の兵が二人へ攻め込んだ。
指揮官の天使が全滅覚悟で突撃を決断したのだ。だが白夜は自分とラフィラを中心に半径五メートルほどの防壁を張った。
ラフィラを圧倒する白夜が展開した分厚いバリアは、待機していた天使達の攻撃をあっさりと弾き飛ばし、自分が蹴り落としたラフィラの元までゆっくりと降下していく。
「見事だったよ、僕の全力を引き出したことは誉めてあげよう」
白夜に蹴り落とされて地面にめり込んだラフィラの綺麗な髪を乱暴に掴み、血塗れになったラフィラを地面から引っ張り出す白夜。
ラフィラは全身血だらけで、目も当てられないほど無惨な姿になりながらも辛うじて白夜を視界に捉える。
霞む視界に映っていたのは、先ほどからは想像も出来ないような残酷で冷酷な表情を浮かべている白夜。
もはや髪を持って頭を引き上げられる痛みすら感じないほどのダメージなのか、ラフィラは虚ろにまぶたを痙攣させる。
「だけど挑む相手を間違った。言ったはずだよ? 僕はいつでも君を殺せるんだよ、とね。君はその忠告を無視した。その結果がこれさ。別にここまで痛め付ける気はなかったけど、君みたいな性格の子はこうでもしないと力差と言うものを理解しないだろう?」
「ぁ……あな……た……は……何……者……なの……」
「僕は紅嶺 白夜、天使と言う種族を極めし者だよ。君の目的は反抗勢力の排除だったね。ならここにいる全員に警告しよう。天界転覆を目論む反抗勢力の天使達に告ぐ。我らは天界を追われし天使だ。もし僕達の故郷である天界を崩壊させようなんて考えてるなら改めた方がいい。もし改めなければ次にこうなるのは君達だ」
ラフィラの頭を掴んで持ち上げ、どの方向からでも見えやすいよう高々と吊り上げる。
ぼろ雑巾のように力なく項垂れるラフィラを見せ物に、白夜はたった一手で反抗勢力の動きを封じたのだ。
この男ならば下手をすれば神を殺しかねない、さらに最悪の場合同じ禁忌の天使であるラフィラ・ルチルまでもが敵に回ればもはや勝ち目などは万に一つもない。
「これでもう天界転覆なんて出来ないよ。これでもまだ、一ヶ月待てない?」
「どう……して……? どうして……こんな、こと……」
「やり方が気にくわないのなら好きに罵倒すればいいさ。でも結果的に反抗勢力とやらは簡単に行動出来なくなった。一ヶ月くらいの猶予は出来たんじゃないかな?」
「そうじゃ、ない……どうして私の、要求を……?」
「僕の要求を呑んでもらいたいからさ。ギブアンドテイク、反抗勢力から天界を守ってあげたんだから、今度は君が僕の要求を呑む番だ。僕の使い魔になってよ」
「私が……貴方の……使い魔……?」
いつの間にか全身の傷が治癒し、痛みが引いて冷静な思考が目覚めてくる。
それはラフィラの治癒スピードだけでなく、白夜の手から流された聖力のおかげでもある。
ラフィラの頭から手を離すと、全身の力が抜けていたラフィラはそのまま地面に落とされた。
尻餅の痛みに顔をしかめる暇もなく、白夜がラフィラの目線に合わせてかがみ、ラフィラの顎を右手の指先で持ち上げる。
少し近づけば唇が触れ合いそうな距離で、貴公子と呼ばれる白夜の美形が冷たい光を宿した。
一点集中で穿つ鋭い槍のごとく、白夜の真っ直ぐな瞳に見つめられてラフィラはたちまち言葉を失った。
「今の戦いで僕は君のことが気に入った。面倒くさい口説き文句は無しにして、単刀直入に言おう。君は強いから戦力になる。そして何より自分のパートナーを危険に晒さない為にわざわざ魔王の力を奪って契約を解消した優しさも気に入ったよ」
「な、何で……」
「本当に天界転覆を目論む反抗勢力を排除したいのならパートナーと一緒に力を合わせて戦えばいい。それでもパートナーには頼らずすでに僕と言うパートナーを見つけたジブリールに協力を仰いだと言うことは、そう言うことなんだろう?」
戦いが始まる直前、心理戦の時点で白夜はすでにラフィラの真意を嗅ぎ付けていた。
それに今更気づかされたラフィラは、下唇を噛み締めて下を向いた。
「……そうよ……本当は反抗勢力なんてどうでもいい……でも私と契約してるあの子に被害が及ぶことは、どうしても許せない……だからあの子から契約者と言う力を奪ってでも危険から遠ざけて、危険が去ってからまた戻ってあげようって……でも……あの子はもう私のことを許してはくれないでしょう……」
「なるほどね、じゃあ僕の願いが叶うまでは僕に協力してもらおう。そして僕の戦いが終わったら、僕の血を分けてあげる。魔王の血を飲んだ僕の血なら、その子の魔王の力を目覚めさせるには十分だ。僕の血を手見上げに仲直りするといいよ」
「私は貴方を、殺そうとしたのよ? なのに、どうしてそこまで……」
「単純に気に入ったからだよ。自分が恨まれてでも大切な誰かを守りたいってところがね。僕も同じだ、大切な妹を守れるなら僕なんてどうなろうが構わない」
「貴方……いいわ、貴方の使い魔になる。いいえならせて。貴方は天界のみならず私まで救ってくれた……もはや断る理由が見つからない」
「今度は交渉成立だね。よろしく頼むよ、ラファエルちゃん」
「っ……!? あ、貴方っ……」
「おっと失礼、改めて……よろしくね、ラフィラちゃん」
「まったく……本当に侮れないわね、貴方って人は……」
白夜はラフィラの右手を持って引き上げると、ラフィラの胸元に契約の印を刻んだ。
大天使ラファエル。疲れた人間を癒し、守護天使を総括する地位にありながら、一人の少女の為にすべてを擲った愚かな翼。
十六夜 月光。かつてチーム〈Mond Ritterorden〉のリーダーを務めていた彼女は、唐突として姿を消した。
リーダーを失ったチームが瓦解するのに、そう時間はかからなかった。
野良の契約者と戦って負けることはなかったが、結局は油断と満身で足元を掬われ殺されていった。
皮肉なことに、力を持っていたチームメートではなく力を失ったチームリーダーが生き残ったのだ。
仲間がどんどん死んでいく姿を、何も出来ずに眺めたまま。
「待っていて月光……例え許してくれなくても、貴方だけは救って見せる……」
待ち望んでいた決戦を前に、望まずして新たな戦力が加わった。
どこまでもパートナー想いで自己犠牲が酷く、どれだけ傷ついても大切な人の為に頑張る健気で直向きな天使。
白夜はフラガラッハをラフィラに預けると、転移魔方陣を経て天界を後にした。
「で……これがレーティングの改良版なのか?」
「ん……試作品だけど、被験者がいないと成功したかどうか分からない。だから、試させて?」
「いや、そんな可愛く言われても、俺実験に使われるってことだろ!?」
黒音達が人間界に戻ってからしばらく、遥香がレーティングの改良版を作ったと言い出して学校の屋上に呼び出された黒音だったが、つまるところ実験用のマウスになれと言うことで。
遥香は首をこくんと傾けて、恐らく普通の男ならばその魅力で骨抜きにされそうな可愛さで黒音に問いかける。
「ダメ……?」
「あーもう、そんなことで泣きそうになるな。いいよ、実験台にでも何でもなってやるよ。ほら、さっさとしてくれ」
「にゃ……ありがと、それじゃあ始めるわ」
遥香が改良したのは消費するエネルギーの削減と、作成にかかる時間だ。
人間界に戻ってきてからすぐに柊とともにレーティングの改良にとりかかった遥香は、徹夜で三日と言う過酷な行程を何とか出来ないかと試行錯誤していた。
そして遥香が着目したのはレーティングを作成する行程ではなく、それの元となっている鎖。
契約者とパートナーを繋ぐ鎖をレーティングの一段上、ドローマと言う鎖にランクアップさせることで、エネルギーと時間を削減しようと言うわけだ。
だがそれを作成する為にはそれ相応の技術が要求されることは、言うまでもない。
「まずはリミットブレイクして」
「リミットブレイク? なんでまた……」
「レーヴァテインの鍵のこと、忘れた? レーヴァテインの鍵は黒音の成長速度に耐えきれずに壊れた。なら最初から黒音がリミットブレイクした状態で鎖を施せば、黒音の力に鎖が順応するはず」
「なるほど、最初の時点で伸び代を大きく設定しとくわけだな。そう言うことなら……アズ!」
『おっけー任せてよ!』
黒音はレーヴァテインを左腕に召喚し、頭上で昼寝するアズを引き寄せる。
恐らく今までの内容を面白おかしく聞いていたであろうアズはやはり楽しそうに、黒音は面倒くさそうに。
黒い甲冑に身を包んだ黒音はレーヴァテインの剣をレーヴァテインの盾に差したまま、集中力を極限まで高める。
「リミットブレイク……〈黒き終焉〉!!」
「やっぱりすごい……一瞬で何十倍にも……」
「ふぅ……これでいいのか?」
「ん……じゃあレーティング改めドローマを施す。これを胸に突き刺して」
「え……突き刺すって、この鎖の先にある短剣をか?」
遥香が手渡してきたドローマと言う鎖の先には、クナイほどの長さをした短剣が取り付けられている。
それを自分で自分の胸に突き刺せと?
いやいやちょっと待てと、黒音は胸中に渦巻く何とも言えない感情を必死に落ち着かせた。
「お、俺は遥香や海里華みたいに不死身じゃねえから、失敗すれば普通に肺や心臓に穴が空くぞ?」
「問題ない、そうなればすぐに私が治す。万が一の対処法はすべて頭に叩き込んであるから、大丈夫」
「……わ、分かった。俺はお前を信じるぞ」
リミットブレイクしたままと言うことが条件なので、黒音は甲冑の上から鎖を胸に当てる。
このまま力を込めればドローマの先が胸を貫くだろう。
だが遥香が大丈夫と言ったのならば、黒音はリーダーとして仲間として、それを信じるだけだ。
遥香の言葉に背中を押されて腹をくくった黒音は、右手に握られたドローマの短剣を胸に突き刺した。
リミットブレイカーの力で胸に突き刺されたドローマの短剣は、甲冑に阻まれているにも関わらず一切止まることなく甲冑の向こう側へと溶け込んでいく。
多少の痛みは歯をくいしばって耐える覚悟の黒音だったが、意外にもほとんど痛みと言う痛みはなく、むしろリミットブレイクによる緊張感が解されたようだった。
「……痛みはない?」
「ああ、全然……成功したのか?」
「多分……ご主人様曰く、五分経っても痛みがなければ成功、らしいわ。それまでは変身を解除しちゃダメ」
「りょ、了解。ま、まあ本当に失敗してたら内臓に穴空いてるし普通に気づくか」
黒音は甲冑の胸辺りを撫でながら、一先ず腰を下ろす。
遥香もそれに釣られて黒音の隣に体育座りするが、話題が見当たらないことで忘れていた不安が遥香の脳裏をよぎった。
「黒音……焔は戻ってくると思う?」
「当たり前だろ、アイツは絶対戻ってくる。ただ少しだけ修行期間が伸びてるだけだ」
「でも、もし何かあったら……」
「どうしたんだよ、遥香らしくないぞ」
いつもなら誰が相手でも臆することなく挑んでいく怖いもの知らずの遥香が、心配そうに震えている。
ただ単に焔のことが心配なだけじゃない、鈍感な黒音でもそれくらいは理解出来た。
黒音は甲冑のパーツに包まれた左腕で遥香を引き寄せると、怯えた猫のような遥香の頭に手のひらを乗せる。
「モノクロに……勝てる自信が湧いてこないの……モノクロと戦って共闘して、改めてモノクロの力が分かった……このまま特訓して、本当に勝てるのかって……」
「才能の差、努力の差、覚悟の差……人が違えば色んな所で色んな差が出てくる。中でも才能、つまり人の器ってものは成長しない。注げる水の量が決まってるから、それが最終的な実力に直結する。だから力の足りない奴は奇跡なんて不確定曖昧なものに頼っちまうんだ」
かく言う俺も奇跡を願ってきたと、黒音は天を仰ぎながら腐るように吐き捨てた。
神様なんて不平等だから、奇跡なんて気紛れだからと。
切り捨ててきたはずのそれらに、今まで何度祈りを唱えたことか。
「でも遥香、お前はそれを真正面から受け止めて悩んでる。考えて追求することを諦めてねえ。つまりお前はまだ才能って器に努力って水を注ぐ猶予があるってことだ。人知を尽くして天命を待つ。それでもダメな時は俺らが補ってやる。だからお前は前だけ見て突っ走れ。右も左も分からねえ俺らが出来ることはそれくらいしかねえんだからな」
「そっか……私はまだ人知を尽くせてない……それなのに今のうちから立ち止まってちゃ何も始まらない」
「そうだ、人知を尽くせば自信なんて後からついてくる。自信がねえならつくまで人知を尽くし切れ!」
「んっ……私、まだまだ頑張るっ……!」
胸の中をずっと渦巻いていた不安が、いつの間にか消し飛んでいた。
黒音と話していると自然と悩みごとが忘れられる。
それがいつの間にか解決していて、前に進むことが出来る。
黒音には人を元気付ける力が、人の背中を押す力がある。
それは誰にも真似出来ない才能で、自覚することも出来ない小さな特技。
しかしそれはいつか多くの人を動かし、繋ぐ大きな力となる。
「にゃ、そろそろ五分経ったかも……痛みはある?」
「いいや、これって成功したってことでいいのか?」
「ん、ドローマは黒音とアズの魔力に合わせて作ったから、黒音との親和性がすごく高い。だからシルヴィアさんのレーティングと違って使うことで成長する」
シルヴィアのレーティングは一週間もの間エネルギー回路を動かさず、パートナー同士のエネルギー回路を結合するが、遥香の作ったドローマは戦いの中でエネルギー回路に馴染み、変身後に施すことでパートナー同士のエネルギー回路を融合させる。
結合するよりもさらに深く強く、エネルギー回路が結ばれると言うことだ。
「つまり……この鎖は時間じゃなくて、戦って馴染ませるってことなのか?」
「じっとしてられない黒音にぴったりでしょ?」
「ああ、違いねえな。これで最後は焔か。じゃあ早く焔専用のドローマを作って届けてやろうぜ」
「ん、なるべく早く仕上げるから、黒音も手伝って」
「任せとけ、俺に出来ることなら何でもするぞ」
アズとの一体化を解除した黒音は、アズと手が真っ赤になるほど力強いハイタッチを交わして笑い合う。
また一歩〈tutelary〉との、深影との決戦が近づいた。
残るは一人、未だドラゴンエンパイアで自分の答えを追い求める焔のみだ。
「待ってろよ焔、遥香と俺でお前専用のドローマを届けてやるからな」
抑えきれない好奇心に胸を弾ませ、黒音は胸の中に沈み込んだドローマを意識する。
この鎖が深影を、魔王を、契約者の頂点を引き寄せるのだ。
「はぁッ……はぁッ……マズったっ……もう、聖力がっ……」
『焔、聖力は私が供給する! だから焔は全力を出し切って!』
「ありがとラヴル、でも体力まではカバー出来なっ──」
「どこ見てるの? 火山じゃ気を抜いた奴から死んでくのよっ!」
山を駆けずり回って剣を交え、溶岩を飛び散らせながら剣を交え、時に降り注ぐ火山灰に生き埋めにされたり、時に溶岩のど真ん中に突き落とされたり。
超一流の、超弩級の、超トップクラスの火属性使いの契約者がぶつかり合うと、何とたった三日で火山が原型を留めないほどに破壊されてしまうのだ。
黒音達が人間界に戻ってから早三日、焔とシェーシャは不眠不休で戦い続けていた。
体力も精神力も聖力もほとんど尽きかけているのに対し、シェーシャはまだまだ余裕と言った様子で焔を追っかけ回している。
「くっ……一時ここを離脱するわ。私はラボーテと一緒にシェーシャから離れる。ラヴルは私が離脱するまでの時間稼ぎおよびシェーシャの誘導、クララは火山を離れて食糧を調達してきて。集合場所は"γエリア"よ」
『『御意!』』
各自が分散して焔の命令をこなそうと火山を駆け巡る。
焔の戦略の核を担うラヴルをシェーシャの足止めに使い、ラボーテのスピードを移動手段に割き、人の姿になれるクララに食糧調達を命じた焔。
残るのはパートナーであるウリエルのみ、もしラヴルが撃破されれば次は焔とウリエルが丸腰の状態でシェーシャを相手にしなければならないと言うことになる。
シェーシャの戦闘力は時間を追うごとにパワーアップしていき、萎える様子は一切ない。
底知れないエネルギーを秘めたシェーシャは火山の噴火をものともせず、溶岩の川に浸かりながら焔を追い詰める。
「ふふ……この私を相手にまさか三日も持ちこたえるなんて……やっぱり焔ちゃんは持ってるよ。くぅ~っ……楽しくなってきたなぁもうっ!」
少しでも体力を回復させる為には、熱や火を吸収する他ない。
焔は止めどなく溢れる溶岩をまるでジュースを飲むかのように飲み干していく。
溶岩は焔の体内で分解、体力と聖力に変換され、焔はすぐに全快に近い状態まで復活する。
だが流石に空腹までは満たすことが出来ず、クララの帰りを恋しそうに待つ。
対してラボーテは焔やラヴルのように溶岩でエネルギーを回復することが出来ないので、三日間まともに回復することもなく走り続けていた。
焔のコンディションを常に最高の状態に保つ為には、火山から溢れでる溶岩が必要不可欠。
だが火山地帯にはラボーテが飲める水も食べれる食糧もない。
すでに限界に近い状態だが、辛うじて焔から分け与えられた聖力で立っていると言った感じだ。
幸いクララは剣の状態になればエネルギーの消費を抑えられるので、問題があるとすればラボーテが持つかどうか。
飛んで移動しようにも上空は火山から吹き出す火砕流で塞がれており、ラボーテがいなくなれば焔の移動速度は極端に低下してしまう。
『焔様、勝算はあるので御座いますか?』
「いいえ、まったく? でも私は這いつくばってでもシェーシャを倒す」
『呆れました……まったくのノープランだとは』
「じゃあ逆に聞くけど、貴方ならこの絶望的な状況を切り抜ける策があるの?」
『それは、ありませんが……』
「なら仕方ないでしょ、今出来ることは分散した戦力が戻ってくるまで死に物狂いで逃げること。皆が揃ったら反撃開始よ」
確かに焔の戦略は理に適っている。
下手な戦略を立てて真正面から潰されるより、逃げ回って回復して常に最高の状態でぶつかっていればいつかは必ず勝利出来る。
途方もない道のりだろうが、これがもっとも確実性がある方法だ。
「逃げるの? ダメだよ、戦ってくれなきゃ」
「え、ええっ!? ちょ、ラヴルはどうしたのっ!?」
「眠ってもらってるよ。ドラゴンエンパイアにはマタタビに似た効果を持つ植物があるからね。それを餌に機能を停止させた」
「機能を停止って……あの子は十二宮の神機よ? そんな簡単にっ……」
「私も一応王様だからね、仕方ないね。ナーガラージャって聞いたことない? 炎と水を自在に操る蛇の王なのよ」
王の命令は絶対、そう言わんばかりに胸を張るシェーシャ。
確かに普通のドラゴンにしてはあまりにも強すぎると思ったが、まさかナーガラージャだったとは。
ナーガラージャは蛇の王で、あの龍帝と互角に近い力を持つ存在と言われている。
よくもそんな化け物が一介の契約者でしかない焔を気に入り、特訓に付き合ってくれたものだ。
「それじゃあ、一騎討ちと行きましょう!」
「くっ……せめてクララがいてくれたらっ」
ここ三日である程度シェーシャの動きに慣れて捌けるようにはなってきたものの、すぐにそれを大きく上回られるせいでまともに一騎討ちが成立してことはない。
しかも今回は最悪なことに完全な手ぶらで、まだ体力も回復しきっていない状態だ。
焔は何とか手刀でシェーシャの攻撃をいなしてはいるが、それもそう長くは続かない。
「どうしたの? 貴方の力はまだまだそんなものじゃないはずでしょう?」
「無茶を言わないでよっ! まともな武器もない状態で一騎討ちとか、ってかクララはまだなのっ!?」
ラヴルが足止めすらままならないような相手に、ラボーテをぶつけても時間の無駄でしかない。
このクラスが相手ならば十二宮神機ですらほとんど歯が立たないのだ。
ついにシェーシャのスピードが焔の反応速度を凌駕し、必殺の拳が腹に命中する。
だが焔はそれを予想していたかのように体を炎に変換し、流れる溶岩を経由してその場を離脱した。
「逃げ足の早さは流石ね。でもまたすぐに見つけてあげるわ」
家の中を駆け回る子猫を見守る飼い主のように、シェーシャは温かい笑みを浮かべて空へ飛び立った。
対して焔はやっとのことでシェーシャの追跡から外れ、荒い息をついている。
「な、何とかなったわね……まったく、本気でとは言ったけどまさかここまでとは……」
『逃げると言う手段を考えずに戦っていれば五分と持たずにやられていましたね』
「幸いなことに、これはサバイバルバトルだからね。人間界に戻らなくちゃならないタイムリミットまで時間をたっぷり使ってシェーシャを倒すわ」
真正面から挑んで勝てないのは癪だけどね、と焔は脂汗の浮かんだ額を脱ぐって笑った。
しかしその表情には一切の余裕はなく、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。
『焔様、やはり諦めた方がよろしいのでは? 相手は蛇王、三日間もぶっ続けて戦ってもあちらは消耗を見せず、こちらは一度ぶつかる度に満身創痍……勝敗は目に見えています』
「そんなことは分かってるの。チームを結成する前、海里華は過去の自分と決別する為に黒音君と決闘したでしょ? だから私も兄貴と戦う前に一つ大きな壁を乗り越えたいの」
『しかしその結果は大敗北……海里華様のシナリオを辿るのならば焔様に待っているのはやはり敗北です』
「相変わらずどぎついわね。そうよ、ぶっちゃけ勝てるなんて微塵も思ってないし、希望なんて考えたこともない。それでも自分のすべてをかけて挑みたいの。ダメ元なんて今まで何度もあったでしょ? 今回もそのノリで付き合ってよ」
『はあ……どうなっても私は知りませんよ?』
「ええ、大丈夫。ごめんね、いつも迷惑ばっかかけちゃって」
『本当にいつものことです。今更無理に止めたりは致しません。ただ、妥協だけはしないでください。後で後悔するようなやり方だけはくれぐれもしないよう、お願い致します』
「モチのロンよ。さあ、そろそろ体力も回復したし、集合場所に向かうわよ」
仕事の早いクララのことだ、今頃美味しい木の実や魔獣を狩ってきたに違いない。
ラヴルもいつまでも眠らされているほど柔ではないだろう。
黒音は相討ちとは言え、龍帝であるヴァンキーシュと、互角に戦ったのだ。
ライバルである自分がこんな所で苦戦していては、皆に会わせる顔がない。
『すまない焔、与えられた役目をまともにこなせず……』
「いいわよ、私だってあんな化け物相手に足止めなんて出来ないもの。それよりこれからの作戦を立てるわよ」
これが何度目かはもう忘れてしまったが、また総力戦だ。
だがこのまま何度ぶつかろうと、恐らくシェーシャには勝てないだろう。
何よりもの原因は、焔が黒音との決闘で余すことなく出せた力を出しきれていないことだ。
リミットブレイクした黒音とほぼ互角の戦いを繰り広げた力があれば、相手がシェーシャでも幾分かはまともに戦える。
しかしスポーツにしても殺し合いにしても、本調子の全力を出せる機会はほとんどない。
「ウリエルには申し訳ないけど、やっぱりラヴルの特性を使わなきゃシェーシャには勝てないわ。ただし今回は制限時間を設けるわよ。五分、五分でシェーシャを仕留める」
もう何度も追いかけっこをするのは飽きた。
これからシェーシャと戦う五分間にすべてをかけ、シェーシャを圧倒する。
五分間ならば如何なる破壊魔術を使おうとも、ラヴルの特性を使えば取り返しがつく。
クララもすでにパワーチャージを始めているし、いつシェーシャとぶつかっても問題ない構えだ。
「クララのパワーチャージが終わり次第、行くわよ」
『御意、我らが姫君の為に』
それぞれの配置についたラヴル達は、焔の合図があるまでの間を息を殺して待つ。
距離が離れているのにも関わらず、とてつもない威圧感が彼らの胸を射貫いていた。
どうやらあちら側も、こちらが勝負を決めに来ていることを察知したらしい。
ならばその期待に応えてやろうじゃないか。焔はクララのパワーチャージが一段階、また一段階と上昇していくに連れ期待で胸が一杯になっていた。
もしかしたら勝てるかもしれない、そんな愚かな期待を抱いて。
それでも契約者と言う生き物は自分より強い相手を求め、戦い、散っていく。
だが自分は違うと、焔は心の中で断言した。
自分には待ってくれている仲間がいる、なのにこんな所でつまずいている暇はない。
「行くわよ、飛びっきり盛大にね……!」
焔が合図と決めた火の玉が上空に打ち出される。
シェーシャはその火の玉が打ち上げられた方向へ猛スピードで駆け出し、焔もまたシェーシャが来るであろう方角に狙いを定めた。
「ラヴル、紫焔、刃焔、翼焔を同時起動、クララには紫焔を、ラボーテには翼焔を譲渡して」
『すでに済ませてある。私達はいつでも行ける状態だ』
「流石ね、クララ、ラボーテ、準備はいい?」
『問題ないやんね!』
『こちらも同じく』
全員の確認が終わった所で、丁度よくシェーシャの反応を感知した焔。
やはりシェーシャは真正面から来るようだ。
焔はシェーシャとの距離を正確に測り、最後の合図を送った。
「よし、後五秒で接触よ。三、二、一……今っ!」
焔の合図とほぼ同時に、焔を取り囲むように三方向から、莫大なエネルギーが打ち出される。
クララから放たれた無数の衝撃波、ラボーテの全霊を賭した突進、ラヴルの咆哮が焔へ吸い寄せられるように集中し、焔のみに狙いを定めていたシェーシャはまともにそれらを食らった。
この時ばかりは流石に決まったと思ったが、やはりその考えは甘かった。
「これだけの力を蓄えてただなんて、やっぱり貴方は面白いわ」
「嘘でしょ、これを受けて、無傷なの……?」
「無傷ではないわよ、ごっそりとエネルギーを持っていかれたわ。でもこれで正真正銘貴方はすっからかん。終わりよ、焔ちゃん。次のバトルまでにはもっと強くならなくちゃ──」
「誰が、終わりですって? 冗談はよしてよ、まだ私は降参してないわよっ!」
シェーシャが油断したその一瞬を狙い、剣に変身したクララをシェーシャの脳天に降り下ろす。
だがシェーシャはそれを予測していたかのように両腕で受け止め、焔の腹に軽い蹴りをお見舞いした。
たったそれだけで糸が切れたように崩れ去った焔は、クララを持ち直すことも出来ずに倒れた。
いとも簡単に、こうもあっさりと、焔の全力は打ち砕かれたのだ。
「やっぱり、貴方は……つよ……すぎる……」
「最高だったわよ、焔ちゃん。帰ったらいっぱい美味しいもの作ってあげるからね」
「悔しいなぁ……まだ、真正面からは勝てないかぁ……」
まるで不意打ちならば勝ったような口ぶり。
そしてその言葉の意図を理解するのに、そう時間はかからなかった。
シェーシャの背後、まったくの気配を感じさせずにパワーを溜め込み、それを悟らせず、最後の最後で現れた切り札。
最大火力をつぎ込んでシェーシャのエネルギーをごっそりと奪い取り、それでも尚越えられなかったと油断させ、シェーシャが焔の元にしゃがみこんだその刹那のチャンスに、焔はその切り札を叩き込んだのだ。
「っ……人工神機、グラムっ……? 嘘、何で……今の今まで、まったく気配を感じさせずに私の背後にっ……」
「大変だったわよ、でも貴方との戦いで私も成長したの。今の貴方なら、このグラムを一突きすれば倒せる。でも今回は引き分けね。卑怯な手を使ったし、でも次こそは真正面から勝つわよ」
「焔ちゃん……ふふ……そうだね、期待してるよ。でもまさか、本当に負けるとはなぁ。流石だよ」
「ジャイアントキリング、何とか成功ってとこかしら。でも……疲れたぁ……もう無理ぃ……」
シェーシャとの三日間ぶっ続けの戦いが終わったことで、焔の中で張り詰めていた緊張の糸が一気に弾け飛ぶ。
死んだように爆睡する焔を背中に負うと、シェーシャはゆっくりと火山を下山し始めた。
『シェーシャ様、何故敗北を認めたのです?』
「ん、何のことかな?」
『先ほどの貴方ならば、焔様のグラムを背中で受け止められたはずです。なのに……』
「飴と鞭って必要だと思うの。焔ちゃんは十二分に努力して知恵を絞って私の足元に食いついた。なら少しはその結果を実らせてあげないと、突き落とすばっかりだとやる気を失っちゃうからね。すごいと思った時は素直にそれを認めて褒めてあげることが大切なの」
『シェーシャ様……ありがとうございます……』
「いいの、私は本当に焔ちゃんのことが気に入ったんだし。それと、これを焔ちゃんに渡してあげてね」
『これは、神機のコアのようですが……』
「神機グラムのコアよ。私をビックリさせたご褒美。私は明日の朝早くにドラゴンエンパイアを発たなくちゃならないから、代わりに貴方が渡してあげてね」
『グラムのコア、まさか……分かりました、何から何まで、本当にありがとうございました』
そう言えばグラムのコアが破壊されたのはドラゴンエンパイアだとラヴルが言っていたか。
だがまさかそのコアをシェーシャが持っていたとは。
何とも奇妙な運命だ。ウリエルはシェーシャから手渡されたグラムのコアを胸に抱え、シェーシャの背中で眠る焔の隣に寄り添った。
「あれからもう一週間か、本来のレーティングならもう馴染んでる頃だけど、ドローマの調子はどうだ遥香?」
「ん、最終調整はもう終わるわ。後は本人に試して貰うだけ」
「じゃあ予定通りこっちから迎えに行くか」
遥香がドローマを開発してから一週間、そろそろ焔がドラゴンエンパイアに滞在出来るタイムリミットだ。
黒音はドローマを抱えた遥香とともに、ドラゴンエンパイアへと転移魔方陣を展開する。
果たして焔はどれほどまでに成長したのだろうか、黒音は期待に胸を膨らませながら転移魔方陣を──
「待って! もうそっちに用はないでしょう?」
「……遅かったな、待ってたぜ」
「お待たせ、でも時間ぴったりね」
学校の屋上から転移魔方陣を潜ろうとした二人を、待ちわびていた声の主が引き留める。
黒音はその声に背を向けたまま笑みを浮かべた。見ずとも分かる、焔はもう以前の焔ではない。
期待通り、いや期待以上だ。黒音は背中に感じる強さを具現化したようなオーラに冷静を保てず、思わず後ろを振り向いた。
「お前の分の鎖作って待ってたぜ、焔」
「そうみたいね、ありがとう遥香」
「ん、この鎖の作成は黒音も手伝ってくれた。だからお礼なら黒音に言って」
「そうなの? ってことは、レーティングじゃないの?」
「ご明察、これは遥香が柊先生と一緒に編み出して自分一人で作成した特別製の鎖、ドローマだ。レーティングの完全上位互換と言ってもいい」
「すごいじゃない、黒音君もこれを?」
「ああ、今ではすっげえ馴染んでるぞ。焔も試してみろよ」
黒音は遥香の両手に収まるドローマの短剣を焔に差し出し、その方法を説明する。
説明を聞いた焔は目を星のように輝かせながら、黒音とは逆に一切の恐怖を感じずに何の躊躇いめなく胸にドローマの切っ先を突き刺した。
やはり体を焔に変換出来る者は、物理的な痛みをまったく気にしないようだ。
白騎士に変身した状態でドローマを胸に沈めた焔は、何やらむずむずする感覚とともに変身を解除した。
「これでいいのね?」
「ああ、五分間痛みがなければ成功だそうだ」
「失敗はしてないとは思うけど、一応……」
「分かったわ。よーし、これで〈tutelary〉を迎え撃つ準備が完璧に整った訳ね」
「そう言うことだ。そんじゃあ焔が戻ってきたこと、海里華達にも伝えなきゃな」
黒音の手にあるのは、アイゼルネの件で白夜から手渡された〈tutelary〉への挑戦権。
〈tutelary〉のいる場所への転移魔方陣だ。
黒音は自信満々な焔と達成感に満ちて少し得意げな遥香に見送られながら、急いで屋上を後にした。
とうとう、ようやく待ちに待ったこの時が来たのだ。
四大チームと肩を並べるこの時が。
深影のことを随分待たせてしまったが、これでやっと再戦出来る。
「今行くぞ、待ってろよ深影……!」




