第三話『rabbia giorno』
遥香と璃斗がエインへリアルの亡骸と対面してから四日、残る三日で二人のレーティングが完成すればいよいよ人間界へ帰ることとなる。
人間界の時間で言えばたったの一週間だが、ドラゴンエンパイアの時間で言えば二十八日、ほぼ一ヶ月だ。
人間界へ帰る日が迫るに連れて、徐々に六人にも現実味が湧いてくる。
ドラゴンエンパイアから帰れば最後は黒音と焔のレーティング、人間界でさらに二十日の時間を要することになる。
「残り四日ね……大分仕上がってきたけど、まだ足りない……」
「ちょっと休んだ方がいいよ、焔ちゃん。最近全然休んでないでしょ?」
ドラゴンエンパイアに来て、出会ってすぐに意気投合した人の姿をしたドラゴン、焔はそのドラゴンとともに生活し腕を磨いている。
そのドラゴンの名はシェーシャ、群青色に近い黒髪が綺麗な少女だ。
ドラゴンの皮や魔獣の牙を頑丈な蔦で繋ぎ作ったビキニのような格好を纏ったシェーシャは、魔獣の肉を炙ったものを大きな葉にくるみ、木の実を絞って濾したジュースとともに焔に差し出した。
「ありがと、でもダメなの。相手はあまりにも強すぎる……兄貴に……白夜に勝つ為にはこんなんじゃ全然足りない」
「焔ちゃんはとっても強いし、もうすぐ今の私を追い越すよ」
「貴女は確かに強いし、クララを使ってもなかなか勝てない。でもそんなんじゃ、ダメなのよ。勝てるかもしれない相手に勝っても白夜には届かない。悪いけど……貴女の実力と白夜の実力には天と地ほどの差がある。私にも言えたことだけどね」
「そっかあ……でも私が相手で天と地ほどの差があるならその人とんでもなく強いね」
全力の焔と互角以上の戦いを繰り広げるシェーシャだが、白夜の実力はそれを圧倒的に凌駕している。
天使最強、確かにその言葉に嘘偽りはないし、自他ともに認められるほどの実力がある。
あと一ヶ月もしないうちにそんな化け物と戦うことになるのだから、運命とはつくづく残酷なものだと思う。
「貴女の実力は本物だと思う。でもアイツの力は……私達が理解出来る域を越えてる……正直、負け戦かもしれない」
「らしくないな、今まで右も左も分からないあなたは私のやり方を見て学んで自分のやり方を見つけ、食料も戦い方も自分で獲得してきたじゃない」
「サバイバルと戦闘は違うわよ。相手は最強の天使、対してこっちはただの天使……どっちが強いかなんて火を見るよりも明らかよ」
「じゃあ今までの特訓は全部無駄だったの? 私と一緒にこの環境を生き抜いてきて、死に物狂いで強さを求めて特訓してたのは、全部無意味だったの?」
「それは、違うけど……相手のスケールが、違いすぎるの……貴女との生活や特訓はとても充実してたし、強くなれた実感もある。でも、相手が、悪すぎて……」
最初の頃はブッ飛ばすなどと宣言していたくせに、いざ戦うことになると実感した瞬間恐怖が湧いてきた。情けない話だ。
開戦の夜空で初めて再会した時、黒音との合体技をいとも簡単にへし折られた光景が今でもまぶたの裏に鮮明に浮かび上がる。
怖くて怖くて仕方がない。元より死ぬことにあまり恐怖はなかった。
むしろ両親のいる所へ旅立てるのだから。でも今は仲間が出来てしまった。
自分の全力を賭して守り抜きたい仲間が出来てしまった今、死ぬことが惜しくて惜しくてたまらない。
もっと一緒にいて、もっと高め合って、もっと楽しいことをしたい。
そんな年相応のごく普通な考えが、焔の覚悟を揺らがせる。
「情けない……あなた、本当に私と互角の戦いを繰り広げた契約者なの? 相手が強大であればあるほど燃え上がる、それが契約者ってものでしょ。死ぬことが怖いなら、あなた契約者に向いてないよ」
「死ぬのが怖いんじゃない、皆を残して死ぬことが怖いの……皆を失うことが、皆の前から消えちゃうことが、怖いの……」
「大丈夫……あなたなら出来る。私は信じてる。なにせあなたは私と互角以上の戦いを繰り広げた契約者なんだからね」
「シェーシャ……ありがとう、あなたと出会えてよかったわ」
シェーシャの温かい胸の中で、焔は再び緩んだ覚悟の紐を引き締める。
誰が相手でも全力でぶつかる、不器用な私にはそれしか出来ないんだから考えるだけ無駄だ。
不器用なら不器用なりにやれることだけをやるしかない。
焔は自分の側で待機するウリエルの手を、きゅっと強く握った。
「それじゃ、手合わせお願いね!」
「うん、任せて。焔ちゃんの力になってみせるよ!」
シェーシャは自分の両腕を鱗で覆われた強靭なドラゴンの腕へと変化させ、指先に鋭利な刃物のような爪を伸ばした。
それだけでなく全身の所々にブロンズ色の鱗が浮き上がっており、小さく収納していた尻尾と翼が本来の大きさとなって展開される。
肉を食いちぎる狂暴な牙を剥き、シェーシャは戦闘態勢へと移行した。
「準備完了……行くよ焔ちゃん!」
「ええ、手加減しないでよね。ウリエル!」
『お任せください』
焔は手慣れた手さばきでクララを逆手に持ち替えると、クララを地面に突き刺した。
そして両腕に渦巻く炎の螺旋は衝撃波のように辺りへ広がり、燃え移った炎は焔を焼き尽くさんと燃え上がる。
焔を中心に円を描いて燃え上がる炎の中で、その全身を燃え盛る純白の甲冑に身を包んだ。
彫刻のような翼の模様が描かれた甲冑の結合部には紅いラインが刻まれており、周辺の熱を吸収してさらに紅く呼応する。
背面の甲冑、その肩甲骨辺りから放たれた炎は天使の翼を焼き尽くす吐息となり、焔の背中に炎の円を描いた。
辺りを焼き尽くした炎が鎮火するとともに地面からクララを引き抜くと、焔はラボーテに飛び乗った。
「私の炎は不滅……焼き尽くしてあげる」
軽やかな音とともに地を駆ける天馬ラボーテは、シェーシャと接触する瞬間に後ろ足を強く蹴りあげて前のめりになる。
ラボーテの急停止に加えて前のめりによる体重も加わり、初撃を真正面から受け止めたシェーシャに大きな一撃を与えることが出来た。
シェーシャが怯んだ一瞬を焔は見逃さず、すぐさまクララで衝撃波を飛ばす。
大分勝負の決め所や駆け引きのコツなどを見極められるようになったが、今回はシェーシャの方が上手だった。
焔は本来ならば先ほどの初撃を受け止めてもシェーシャが揺らぐことはない、そもそもばか正直に正面から迎え撃つなどと言う無策なことをしないと読めなかったからだ。
衝撃波を放ったことで一瞬の隙を作ってしまうことになった上、すぐに切り返せない。
さらにウリエルと一体化する前より溜め込んでいた倍加のパワーを、今の攻撃でリセットしてしまった。
「まだまだ甘いよ焔ちゃん、これでっ──」
「今の私はひと味違うわよ……?」
そう、あまりにも都合が良すぎたのだ。
クララのパワーチャージをしていたことも、絶対に勝てると言う状況でなければ勝負を決めにいかないはずの焔が初撃で勝負を決めに来たのも。
シェーシャのアジリティを何度も味わっている焔が、カウンターを頭に入れて攻撃していなかったことも。
そして何よりシェーシャのアジリティが、いつまでも焔より上だったことも。
「ラヴル、奥義発動!」
『〈次元転送〉……発動……!!』
焔がシェーシャに突撃した瞬間に合わせて待機していたラヴルが、周囲に無数の次元の扉を展開してシェーシャを閉じ込める。
そして拘束されたシェーシャの首元にクララが突きつけられた瞬間、シェーシャは諦めたように両手をあげた。
「今回は私の勝ちね、シェーシャ」
「そうみたいだね、やっぱり焔ちゃんは強いよ。ただ、油断しなければね」
焔が〈次元転送〉を解除した瞬間、焔がもっとも無防備になる瞬間を狙って右腕を突き出したシェーシャ。
流石の焔もそれには対応出来ず、腹に強烈な一撃をまともに受けてしまった。
拳を受けた腹部の甲冑はガラスのように砕け散り、焔の体をぴっちりと包む白いボディスーツにまで切り傷が及ぶ。
「ごはッ……な、にッ……!?」
「甘くみてもらっちゃ困るな。今までおかしいと思ったことない? 明らかに成長してるはずなのに、私との実力差が一向に縮まらないの」
「ま、さか……手加減、してたの……? 今まで、ずっと……」
「当然だよ、私が本気なんて出しちゃったら焔ちゃんに大怪我を負わせちゃうもん。私は焔ちゃんのことをとっても気に入ってるし、特訓とは言えど傷つけたくはなかった。でも最近ぐんぐん成長してるし、いつまでも手を抜くのは失礼かなって思ったから」
もしシェーシャが焔を傷つける、もしくは殺す気ならばもっと早い段階で殺していたし、食べ物に毒を混ぜてもいい。
だがそれをせずに真剣に焔の特訓に付き合ってくれていたと言うことは、害意や悪意はないと言うことだ。
実力差が縮まらないことに疑問を感じていたのは確かだが、まさかここまでの力差があるなどと夢にも思わなかった。
「死ぬほど痛かったけど、やっと認められたのね……ふふ、何だかちょっと嬉しくなってきちゃったわ」
「勘違いされなくてよかったよ。さっきは騙すみたいなことしてごめんね。でも契約者は皆、勝つ為に手段を選ばない。この世界、いい人から死んでくんだよ」
「確かに、いい勉強になったわ。私が力をセーブしてたはずなのに、手加減されてたのは私の方だったのね」
焔もシェーシャと同じことを考えていた。
ドラゴンエンパイアに来て初めて出来た友達を、自分の事情の為に傷つけるのはどうしても気が進まなかった。
だが自分の実力を圧倒的に凌駕してくれる彼女ならば、或いは本気を出してもいいかもしれない。
「ラヴル、ラボーテ、下がってて。行くわよクララ」
『がってん! 任せてやんね焔氏!』
「たった一人でいいの? ラボーテとラヴルの力を借りたっていいのに」
「勿論借りるわよ、でも今の私がどれだけ貴女に通用するか、試したくなったの。全力で行くから受け止めてね」
「焔ちゃんの本気かぁ、面白そう……これは本腰を入れなきゃだね」
焔は一瞬でウリエルとの一体化を解除したかと思うと、また一瞬でウリエルと一体化して甲冑の損傷をリセットした。
脚を大きく開いて腰を深く落とし、右足に重心を傾けて力を溜める。
さらにクララを持つ右手を大きく後ろに引き、左手のひらにクララの切っ先を軽く乗せて低い体制の構えを固めた。
木の葉がそよ風に揺られる音すら鋭敏に感じてしまう緊張感の張り詰めたこの場で、焔はとうとう力を溜めた右足を全力で踏み出した。
その場から消え去ったかと錯覚するほどのスピードで、超低空の突進とともにクララの刃が横に振られる。
抜刀術にも似た神速を一撃を、シェーシャは両腕をクロスさせることで受け止めた。
だが刃を受け止めた両腕の鱗に僅かな切り傷が刻まれ、腕にはクララとぶつかり合った時の衝撃が届いて感覚が麻痺するほど痺れている。
だが焔の攻撃がたったの一度で終わるはずもなく、次々ととてつもない速さで斬撃が繰り出される。
梓乃には及ばないにしても、明らかに常識のレベルを大きく越えたスピードとパワーだ。
「っ……やるね、でも残念っ……私に火をつけちゃったね」
いつの間にか現れたシェーシャの尻尾が、蛇のように巻きついてクララを拘束する。
だが意外にも簡単にクララを手放した焔は、クララの柄からシェーシャの尻尾に持ち替えて、ジャイアントスイングのようにシェーシャを振り回した。
「うわぁああぁっ!? ちょ、尻尾ちぎれるっ……てか目が回ってきたぁっ……!」
平衡感覚を失って目を回すシェーシャは思わずクララを手放してしまい、人の姿に変身したクララはすぐに焔の元へと飛び出した。
最大戦力であるクララを奪ったつもりが、結果的には目を回すだけで何の収穫もなかった。
(黒音君みたいに二刀流が出来ればもっと手数が増えたのに……なんて、無い物ねだりね)
「あー……ふらふらするよぉ……酷い目にあったな……」
「人の神機に手を出すものじゃないわよ。それじゃあそろそろ、ラヴル!」
待ってましたとばかりに蒼い炎を蓄えたラヴルが、たてがみを揺らがせて前へと歩みでた。
焔の放つ紅い炎とラヴルの蒼い炎が合わさり、危険な紫色の炎を放つ。
先ほどまでとは明らかに段違いのエネルギー、純白の甲冑に刻まれた翼の模様が紫に染まっている。
獄炎シリーズの一つを展開したのだ。
凶悪な破壊魔術を一定時間ノーコストで使用出来るが、一線を越えると寿命を削ってしまう危険なもの。
だがドラゴンエンパイアの修行を経た焔は、その境界線を押し上げることに成功した。
つまり本来、寿命を削らなければ発動出来ないものをノーコストで発動出来るようになり、使用時間が決まっているものの制限時間を引き延ばすことに成功したと言うことだ。
焔は一時的に物理限界に迫るほどのスピードとパワーを生み出す『紫焔』を発動し、さらに〈次元転送〉を上乗せして空間をも支配する。
「やっぱり強くなったなぁ……こりゃ、ちょい本気出すかな」
弾丸のスピードすらも凌駕するクララの刃、自分の特性によりその力は何倍にも膨れ上がり、おまけに〈次元転送〉でどこに現れるかも分からない。
神出鬼没な上に一撃必殺のパワーを持っている、一流の契約者であってもまともに対抗することはほぼ不可能だ。
それが一流の契約者であったらの話だが。
「焔ちゃんは水と火、どっちが好き? なんて、聞くまでもないよね」
シェーシャの背中から溢れ出した莫大な炎の圧力に、ラヴルの展開した〈次元転送〉が一瞬にしてかき消される。
いとも簡単に位置を特定され、焔はシェーシャの背中から放たれる炎の渦に飲み込まれた。
焔を縛る炎の渦はまるで蛇のように焔の体へとまとわりつき、全身を逃さず焼き付くしていく。
「な、にこれッ……熱い……何でッ……!?」
焔は火属性の天使、大抵の熱や炎は聖力に変換されて吸収されるはずだが、シェーシャの背中から放たれた炎だけは受け流すことも吸収することも出来なかった。
久しぶりに感じる肌が焼ける痛みと、全身から溢れ出す脂汗の感触。
どうもがこうとも渦から抜け出すことは敵わなかった。
「勝負あったね、よく頑張った方だよ」
「嘗め、ないでよね……まだ、終わってないわよ……!」
クララを逆手に持ち替えた焔は、猫のように背中を丸めながら肺の中の酸素をすべて吐き出した。
これ以上ないと言うほどまで息を吐き出すと、今度は逆にすべてを飲み込まんと言う勢いで空気を吸った。
焔のとてつもない肺活量に耐えられなかった炎の渦は、焔の体内で焔の聖力として分解される。
流石に聖力に変換されるまで多少の時間は要したが、内臓が焼けるなどと言うアクシデントもなかった。
「ま、まさか、炎を飲み込むなんて……」
「火属性の力を持つ契約者、特に私の肺は特別製でね。体内に吸収したものを何でも燃焼して聖力に変換出来るのよ。それが例え貴女の放った特別製の炎でもね」
「私の炎を消したのは貴女が初めてだよ、流石は私が認めた契約者だね」
「前々から気になってたけど、貴女本当は何者なの?」
「気になる? そりゃなっちゃうよね」
もったいぶっているわけではなく、なるべく明かしたくないだけだ。
互いを高め合ってきた君になら教えてもいいかもしれない、そんな淡い期待を今まで何度抱いてきたことか。
「でもダメだよ、焔ちゃんが私よりも強くなったら、その時は包み隠さず明かすからね」
「貴女よりも強くなるなんて、無茶苦茶遠いわね。でもいつかは越える。じゃなきゃこの先進んでいけないから」
リミットブレイクした黒音ならばシェーシャに勝てるだろうか、少なくとも自分よりはまともな戦いをするだろう。
どれだけ歯を食い閉めても届かない、ついさっきまでは互角以上だったはずなのに。
「悔しいな……ふふ……でも、すぐに追いつくから。クララ、ラヴル!」
光を跳ね返す無敵の名を持つ剣を携え、焔は赤と青の炎を纏った。
皆はもう自分の戦い方を見つけている。
黒音はレーヴァテインを軸として五つの力を使いこなし、仲間との連携でその力を高める。
海里華はトライデントとトリアイナを中心に水を支配し、その歌声ですべてを無力化する。
梓乃はヴァジュラと紅椿を牙と爪に、ヒットアンドアウェイで確実に相手を狩る。
璃斗はその器用さとヒルデ・グリムを武器に、無数のコピーで相手を制圧する。
遥香は純粋なる力、その莫大な知識とそれを完全に活かし切る力を以て、すべてを捩じ伏せる。
だが私には何がある? ただ神機の性能に頼りきった戦いだけで、今の今までウリエルにかかっている負担のことなど微塵も頭になかった。
そう今でも、戦いに集中すればすぐに仲間にかかる負担のことを忘れてしまう。
「どうしたの? 来ないの?」
「いいえ、いくわよ。クララ、私に力を貸して」
『任せてやんね、最大限の力を出し切るよ!』
これではもう、皆の前で胸を張って黒音のライバルだとは言えない。
いつの間にか、導く側から導かれる側にいたのだ。
師匠に合わせる顔もなければ、皆の仲間でいることも恥ずかしく思えてきた。
こんな状態で果たして本当にあの白夜を倒せるのか、黒音を魔王まで連れていくことが出来るのか。
シェーシャの思いがこもった一撃に何度も吹っ飛ばされながら、焔はクララの刃にただ聖力を乗せて振るうことしか出来なかった。
「おっでかけ、おっでかけ~♪」
「コロナ、いつもより楽しそう……」
「そりゃ久しぶりだからね、白夜ちゃんとお出かけするの!」
「今日は二人の行きたい所にどこでも連れてってあげるからね」
普段は寝起きのパジャマ姿か学校に行く制服以外はあまり見たことがないので、白夜が私服を着ているのはなかなかに珍しい光景だった。
深影と愛梨は古本屋を巡る為、白夜達よりも一足早く拠点を出発している。
三人はゆっくりと朝食を済ませると、モノクロに留守を任せて拠点を後にした。
「ふう……ようやく一人になれた……」
『厳密には二人だがな。しかし、二人になったとて何か大がかりな実験でもする予定があったか?』
「ううん……今日は久しぶりに部屋で休む……」
『そう言えばあの部屋に入るのは久しぶりだな。あそこは進入禁止にしてあるから無論愛梨も掃除をしていない。今日はまず部屋の掃除から始まりそうだな』
モノクロが研究とは関係ない自室の片付けを始めた頃、白夜達は街中を渡り歩いていた。
コロナと優に左右へ引っ張られ、白夜は両手に花と言う羨ましい状態で道歩く人達の視線を独り占めしている。
「ねえ白夜ちゃん、白夜ちゃんが行きたいとことかないの?」
「僕の行きたい所かい? そうだなあ……駄菓子屋、かな。昔よく通ってた商店街にね、古い駄菓子屋があるんだ。多分二人も気に入ると思うよ」
「駄菓子屋かぁ、そう言えばコロナ行ったことないなぁ」
「僕も行ったことない……行ってみたい……」
「よし、じゃあ行ってみようか」
白夜達が駄菓子屋のある商店街へと向かっている頃、深影と愛梨は互いに行きつけの古本屋を巡り歩いていた。
今二人がいるのは愛梨が最近通い始めたと言う古本屋、そこで店番をしているのが十三歳の女の子と言うのだから驚きだ。
女の子は手慣れた様子でレジを扱い、本をカバーで包んで茶色の紙袋に入れて客に手渡す。
最後にぺこりと頭を下げた後、愛梨の元に近づいてきた。
どうやら愛梨は店番の女の子に相当懐かれているらしい。
「お姉さん、また来てくれたんだ。……もしかして、彼氏? ってことは今日はデート?」
「なっ、ち、ちちち違うよっ!? え、えっとこの人は深影さんって言って、私の先輩みたいな存在でっ……」
「焦るとこが怪しい……でもお姉さんが言うなら信じるね」
深影のことをなめ回すように観察した少女は、腰の方で手を組んで軽く微笑んだ。
子猫のようにふわふわとした白い髪に、無気力そうに開ききっていない大きな瞳。
そして一丁前に店の名前がプリントされたエプロンをつけている少女は、深影の雰囲気に怖がる様子もなく首をこくんと傾げた。
「ませた子供だな……名前は? お前一人でこの店を?」
「虎春……ハルはお婆ちゃんの代わり……お婆ちゃんが最近体調を崩してるから、ハルが代わりに店番をやってるの」
「そうか、偉いな……誰かの為に頑張れるのは良いことだ。お婆ちゃんを大切にしろよ」
「ん、分かってる……深影さん、だっけ……結婚したら教えてね」
「なっ、こ、このガキっ……」
健気な子だと見直したかと思えば、すぐにこれだ。
深影はげんこつを落としたい衝動を必死に押さえ込み、本棚の奥へと消えていった。
だがどちらかと言うと愛梨の方が虎春と遊びたかったらしく、本を見に来たと言うよりは虎春の様子を見に来たと言う感じだ。
「そう言えばモノクロが宝石について載っている本が欲しいと言っていたな……銃の作成の礼になるかは分からんが……図鑑、図鑑はどこだ……?」
「兄ちゃん、図鑑探してるの?」
「なんだ、またガキ──ん、お前……お前もこの店を手伝ってるのか?」
深影の足元で深影の服の裾を引っ張ってきたのは、虎春と同じく小さなエプロンをつけている男の子。
虎春よりも幼く、たれ目な虎春とは対照的なつり目だが、雰囲気は何となく虎春に似ている。
外見のサイズからして虎春の弟か、深影は膝を折って男の子の目線に合わせるようにしゃがむと、
「お前が図鑑の場所を知ってるのか?」
「ん、こっちにある。ついてきて」
男の子は成人男性に近い深影にも怖がることなく、小さな両手で深影の右手をとって引っ張る。
ちょこちょこと本棚と本棚の間をすり抜けるように進む男の子に腰を屈めながらついていくと、そこには昆虫や動物、恐竜などの図鑑が集められた本棚があった。
そこに宝石について記述されている図鑑が二冊あった為、深影は比較的分厚い方の本を選択して再び男の子の目線までしゃがんだ。
「助かった、お前の名前は?」
「叶夜、もうちょいで小学生になるんだ。兄ちゃんは?」
「俺は深影だ。よく本の場所を知ってるな」
「毎日姉ちゃんの本の整理手伝ってるから、自然に覚えた」
「そうか、姉貴のことは何がなんでも守ってやれ、間違っても傷つけたりするな」
「姉ちゃんいっつも悲しそうにしてるから、オレが姉ちゃんを守る。婆ちゃんとも約束してるんだ」
「そうか、男なら強くなれよ」
深影は叶夜と言う男の子の頭に手をおくと、宝石の図鑑を左手に虎春と愛梨のいるレジへと向かった。
五分くらいはかかったはずだが、愛梨は未だに虎春とじゃれ合っている。
こうして見るとただの可愛らしい子供だが、口を開けば歳に似合わないませた発言が飛び出す。
「あ、深影さん、欲しい本が見つかったんですか? なになに、宝石の図鑑……? 珍しいですね、深影さんが宝石だなんて」
「この前モノクロが欲しいと言っていたからな、普段の礼もかねてだ」
「む……お姉さん、深影さんをとられないように頑張らなきゃね……」
「だ、だからホントにそんな関係じゃないんだよっ!?」
「そして何故モノクロが女性だと分かるんだお前は、いいから会計をしてくれ」
「二千百十六円……女の勘、甘く見ると痛い目を見るよ」
不思議な姉弟に見送られながら、二人は古本屋を後にした。
モノクロへのお礼もかねて本を買うことが出来たし、時間もお昼頃、今度は深影が行きつけの店に案内する番だ。
普段一人で魔術書を読む際、レモンティーを飲みながら静かに過ごせるオープンテラスがある喫茶店。
そこのサンドイッチが深影のお気に入りだ。
深影は何気なく愛梨の左手を握り、愛梨がゆでダコのように真っ赤になっていることも気づかず隣に引き寄せた。
「ここが……昔通ってた駄菓子屋?」
「そうだよ、昭和の匂いがするよね。僕はこう言う昔の風景とかが大好きなんだ」
「僕も好き……こう言うとこ初めてだけど、気に入った……」
「おや、白夜じゃないか、久しぶり。大きくなったねぇ」
駄菓子屋の奥、古びた木製の机に将棋やらオセロやらの盤を並べ、薄っぺらい座布団の上で駒を動かす年老いた女性。
白夜の姿を見るなり、女性は老眼鏡をずらして少し前のめりになった。
「久しぶり、おばちゃん。相変わらず元気そうでよかったよ」
「白夜ちゃんこそ相変わらずいい男だよ。しかも可愛らしい彼女を二人も連れて。女泣かせだねぇ」
「な、この子達はただの友達だよ。それに僕は保護者みたいなもので……」
「お客さん……? いらっしゃい」
駄菓子が並んでいる棚からひょこっと現れたのは、コロナ達と同い年くらいの少女。
透き通った艶やかな黒髪は星屑が彩る夜空のように美しく、赤い和服がさらにその美しさを際立たせる。
森林を思わせる翡翠色の右目と、向日葵のように明るい黄色の右目が特徴的な少女は、白夜の姿を捉えるなりいきなり白夜に飛びかかってきた。
「白夜お兄さんっ……よかった、やっと来てくれました……」
「心配かけてごめんね、桜弥ちゃん。雫ちゃんは元気かい?」
「はい、もう少ししたらここに来るんです。雫ちゃんも心配してましたから、顔を見せてあげてください」
「そうだね、じゃあしばらくここにいようかな。あ、そうだ二人とも、ここはスルトちゃんもライラさんも出てきていいからね」
言われてみて気がついたが、ジブリールが実体化してカウンターのおばちゃんとチェスで対戦している。
おばちゃんは天使であるジブリールを見ても驚くどころか、さも当たり前のように受け入れていた。
それに誘われておずおずと実体化したスルトは、二十メートルを越える巨体を手のひらサイズまで縮めてコロナの頭の上であぐらをかき、ライラは優の後ろに隠れるようにしてその姿を現した。
「なんだ、その子達も契約者だったのかい」
「ふぇ、なんで契約者って……」
「おばちゃんはね、昔とんでもなく強い契約者だったんだよ。僕が契約者になってからまだ浅い頃、決まった居場所がなくてね。ここに居候してたんだ。その時におばちゃんが契約者だって知ったんだよ」
「ちなみに私も契約者です。ここに来るお客さんはほとんどが戦いに疲れた契約者ばかり。だから貴女達が契約者でもそんなに珍しくありませんよ」
少女の背後に現れたのは、背中に桜の木の翼を生やした桃色のドラゴン。
全身を飾る鱗は桜の花びらのように繊細で美しく、全体的に細長いフォルムをしている。
桃色のドラゴンは少女の胸元まで細長い首を下げ、目を細めて頬擦りした。
「そうなんだ……ちょっとビックリしたけど、面白そうなとこだね」
「うん、ますます気に入った……えっと……」
「申し遅れました、私は神楽 桜弥と申します」
「コロナ・キイ・ドールだよ、よろしくね」
「白笈 優です……よろしく……」
桜弥とコロナ達はいい雰囲気で、早くも馴染み始めている。
久しぶりながらジブリールも、少し楽しそうにおばちゃんとチェス盤を睨んでいた。
そしてすっかりコロナと優が駄菓子屋の雰囲気に馴染み、桜弥の淹れてくれたお茶がなくなった頃、一人の少女が肩を弾ませながら入ってきた。
ここまで走ってきたのか、少女の顔には少しの汗が滲んでいる。
「お待たせ桜弥、こんにちはおばちゃん」
「雫ちゃん遅かったね。もしかして、ミズハちゃん?」
「その通り……一度水浴びを始めると言うこと聞いてくれないから、ごめんなさいね」
「やあ雫ちゃん、久しぶり。また綺麗になったね」
「へ、その声──は、白夜さんっ!?」
白夜の姿を見てのけ反った少女もまた、桜弥と同じくとてつもない美少女だった。
黒に近い群青色の髪はどこまでも続く水の流れのようで、影を作るほど長いまつ毛の下には宝石すらも霞むほど瑞々しい濃い蒼の瞳が煌めいている。
触れれば壊れそうな硝子のように光を返す柔肌は、滴る汗すらも葉の筋を伝う朝露のように魅せる。
目を閉じて再び開けばもうそこにはいないんじゃないかと思わせるほどの儚い美しさを放つ少女は、鏡に写したように自分と同じ姿をした水の女神を連れて白夜にゆっくりと近づいた。
「本当に、白夜さん……?」
「本物だよ、その証拠に……君からプレゼントしてもらったペンダントを持ってる」
白夜の胸元から取り出されたのは、雫の形をした水色のペンダント。
白夜が〈tutelary〉のリーダーとなり、この駄菓子屋を出ようとしていた時にプレゼントされたものだ。
「本当に、白夜さんなのね……よかった、無事で……!」
「二人とも僕が死んじゃったとでも思ってたのかい? 僕は最強の天使だよ?」
「当たり前さ、年寄りのアタシより先に死ぬなんて許さないからね」
いつの間にかジブリールとの勝負を終えていたおばちゃんが、白夜の背中を思いっきり叩いた。
軽く吹っ飛ばされた白夜はジブリールに受け止められ、さらにジブリールからチェスの勝負を申し込まれる。
どうやらジブリールはおばちゃんに負けてしまったらしい。
「あの、もしかしてあなたも契約者?」
「あ、ごめんなさい、白夜さんに驚いて……そう、私も契約者よ。私は氷室 雫、こっちはパートナーのミズハノメよ。貴女達は?」
「コロナちゃんと、優ちゃんって言うの。雫ちゃんも気に入ると思うわ」
「コロナちゃんと優ちゃんね、よろしく」
雫の隣にいるのは、雫とまったく同じ姿をした女神。
顔や体型は鏡に写したように瓜二つだが、目の色はこちらの方が明るく、服装はまったく別物だ。
踊り子のような衣装を纏っているミズハノメは、コロナと優に抱きついて早速意気投合している。
「ねえ雫ちゃん、桜弥ちゃんとはチームメートなの?」
「そうよ、私と桜弥を含めて後一人、まだ三人しか集まってないけどね」
「そう言う二人も、白夜さんのチームメートですよね」
「うん、チーム〈tutelary〉……僕達は白夜さんに拾われてチームに入った……だから白夜さんは恩人……」
「僕はただ君達が気に入ったからチームに誘っただけだよ。それに二人とも優秀だからね」
一人だけなら〈tutelary〉で最弱かもしれない。
何せ天使最強の男や技の頂に君臨する化け物がいるチームだ、それも当然と言えよう。
しかし二人はあくまで二人一組、二人揃って完全だ。
この二人が揃った時の力は、白夜や深影でも計り知れない。
「不完全だからこそ、どこまでも無限大の可能性を秘めている。強さを極めてしまった僕にとってそれ以上に羨ましいことはないよ」
「なーにを言ってんだい、アタシに言わせりゃお前もまだまだひよっこだよ。お前より強い奴なんかすぐに現れるさ」
「だといいな、早く僕も追いかける側になってみたいよ」
強さを求めて、真髄を探求して、いつか誰かの背中に追いつくために走ってみたい。
だが自分はもう、天使と言う種族の頂点に立ってしまった。
一つの種族を極めてしまった。そこには殺風景なだけの景色しかなく、ただただ憂鬱なだけだ。
恐らく深影も同じような気持ちだったのだろう、しかしそこに未愛 黒音と言う存在が現れ、深影の景色に色を与えた。
いつか僕の元にも、この殺風景なキャンバスに色を与えてくれる人が現れるといいな。
白夜は笑い合う四人の少女を眺めながらそんなことを思い浮かべた。
そしてその願いはすぐに叶えられることとなる。
もっとも望んでいた形と結末で、もっともありきたりなあらすじに添って。




