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魔王が紡いだ御伽噺(フェアリーテイル) ~tutelary編~  作者: シオン
~tutelary編~ 第五章「戒めと身代わり」
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第一話『thunder chain』

 海里華がレーティングを施してからもう十日が経とうとしていた。

 海里華とアクアスの胸からすっかり消え去ったレーティングは、現在二人のエネルギー回路を繋いでいる。

 今までと聖力の量に差はないが、聖力の消費は格段に抑えられるし、何よりトップギアに入るまでの時間がとにかく早い。

 聖力の上昇にほとんど時間がかからないのだ。

 海里華はトライデントとトリアイナを両手に、レプンの背中に乗ってドラゴンエンパイアの空を駆け抜ける。

 感覚だけではなく、実際にすべての枷から解き放たれた解放感。

 今や海里華はもう四大チームの契約者と完全に同格、ついに遥香を越えることが出来たのだ。


「アクアス……なんて気持ちいいのかしら」


『すごいね、何かもう全知全能になった気分』


「私達は今あの〈tutelary〉と同じステージにいるのよ。今度はもうあんなチビッ子なんかには負けないんだから」


 開戦の空で璃斗と手を組み、初めて四大チームの契約者と戦ったあの夜。

 黒音を送り出す為に一人で〈tutelary〉の女神を請け負ったが、とてつもない強さでとても敵わなかった。

 だが今ならば、絶対的に圧倒出来る気がする。


「楽しみね、アクアス。次は梓乃の番か、アイツ一週間もの間じっとしてられるのかしら」


『さあ、でも多分フィルさんとセリューさんがセーブしてくれると思うよ』


 しかし今海里華が一番心配しているのは、黒音達のことよりも家のことだ。

 一応合宿とは言ってあるが、ドラゴンエンパイアに来てから一度も家に顔を出していない。


「面倒ね……お姉様を捨てた家族なんて、私も御免なんだけど」


『でもお姉さんを連れ戻しても帰る場所がなくなっちゃうよ』


「どっちにしろ、私はもうお父様もお母様も家族とは見てない。自分の娘を簡単に切り捨てられるような親、私は親だと認めない」


『エリちゃん……あ、そろそろ着くよ。梓乃さんのいる鉱山の上空。あそこは常に雷が入り乱れてるから気をつけてね』


 一週間かけてようやくシルヴィアの聖力が回復し、またすぐにレーティングを作成したシルヴィア。

 黒音達のためにドラゴンエンパイアにいる一ヶ月間もの間、フルに尽くしてくれるシルヴィアに、もう頭が上がらない。

 先ほどようやく梓乃の分のレーティングが完成し、海里華が梓乃を呼びにきたのだが、梓乃のいる場所は雷が渦巻く鉱山の上空。

 水属性の海里華にとっては地獄以外の何者でもないのだが、今の海里華ならばほとんどの電流を受け付けない完全に近い絶縁体となることが出来る。

 だが問題は雷ではなく、視界の悪さにあった。

 梓乃がいる場所は黒雲の中で、そこでは上下から絶え間なく雷が降り注いでは立ち上っている。

 目の前で懐中電灯を延々と点滅されるような眩しさで、レプンも自由に進むことが出来ない。


『え、エリちゃん、梓乃さんの反応を感知出来たよ。ここよりもう少し奥、すごいスピードで動いてる……』


「こんな視界の中で、すごいスピード……? 一体何をやってるのよあのバカ犬はっ」


 とにかく直進していれば、自ずと梓乃に合流出来るはずだ。

 海里華は両目をきゅっと瞑ってレプンの背中にしがみつく。

 少しでも早く梓乃のいる所へ辿り着けるように、レプンは雷を避けることを諦めて直進した。


『梓乃、そろそろ海里華のレーティングが終わった頃かもしれないな』


「ん、もうそんなに経ったんだね。じゃあ次は私の番かな」


 雲で視界は完全に塞がれ、酸素も極限まで薄く、上からだけでなく下からも雷が立ち上る鉱山の上空。

 そこを目隠しした状態で走り回っているのは、緑色の鎧を身に纏う霆の申し子。

 雲で視界が遮られる以前に、そもそも視覚を頼りにしていない。

 雷が降り注いでは立ち上る? その雷の間をすり抜けるほどの身体能力と反射神経を持っていなければわざわざこんな所に訪れるわけがない。


「あ、アンタっ……こんな所で、よく悠長にお喋りなんかしてられるわねっ……!」


「あ、エリちゃん! 来てくれたんだね、大丈夫だった?」


「体は大丈夫だけど、視界がチカチカして見えにくい……」


「じゃあ一緒に戻ろっか。エリちゃんがここに来たってことは、出来たんでしょ? レーティングが」


 梓乃の右手には律子から預けられた紅椿と言う日本刀が携えられており、梓乃はそれを左手に持った鞘に納める。

 目隠しを外した表情は以前とはもう別人。

 獲物を確実に狩る猛禽のような双眸に、どこからどう見ても隙のない完璧な太刀筋。

 自分が最前線でいられるのも、どうやら後少しだけのようだ。


「ええそうよ、行きましょう」


 梓乃が展開した緑色の転移魔方陣を潜ると、二人の視界は薄暗い雲の中から一瞬で鉱山の麓へとすり替わった。

 黒音達が拠点にしているそこには、幽霊も泣いて逃げ出すほどの形相をしたシルヴィアがいた。

 梓乃のレーティングを作成している間、シルヴィアはまた徹夜していたのだ。

 しかし遥香は至って元気な様子で、ヴィオレとじゃれあっている。


「お待たせ、師匠。じゃあよろしくね!」


「これで二人目、遥香もレーティングの作成方法を大方覚えた。予定通りに進んでる。問題があるとすれば……」


「にゃ、もしかして、黒音のレーヴァテイン……?」


「そう、黒音の成長スピードにレーヴァテインの鍵がついていけていないと言う問題」


 焔達からそれを聞かされた時、シルヴィアはそうなることが分かっていたように驚かず険しい顔をした。

 梓乃が仮想空間にダイブしてから五対一の戦闘を行った時、シルヴィアは黒音の戦闘スタイルを見てそれを見抜いていたと言う。

 だがまさかこんなにも早くその時が訪れるとは思っていなかったが、黒音の潜在能力を考えれば不思議ではない。


「黒音が持ってきた鍵の破片を調べてみたけど、どうやら問題は黒音だけにあるわけじゃないみたい」


「わふ……? もしかして、レーヴァテインちゃんにも何か問題があるってことかな?」


「察しがいい、その通りよ。レーヴァテインと黒音の相性は信じられないくらいに良い。でもどちらも本来の力を発揮出来ていない」


 シルヴィア曰く、潜在能力の計り知れない黒音と魔王に使われる為だけに生まれてきたレーヴァテインの歯車が、何故か完全に噛み合っていないらしい。

 それを改善せずにレーヴァテインを運用したせいで、黒音の注いだ魔力が無駄なくレーヴァテインに伝わらず、停留した魔力が蓄積されて鍵がその負荷に耐え切れなかった……。

 途中から何を言っているかさっぱり分からず、頭から煙を出した梓乃に対して、遥香はシルヴィアの言っていることを完全に理解してアダマスの記憶から改善策を探している。


「ふにゃ、これ……師匠、何かが黒音とレーヴァテインの親和性を阻害してる可能性は……?」


「親和性を、阻害……? そう言えばモモさんが……その線も視野に入れておくわ。今は梓乃のレーティングを優先する。梓乃、服を脱いで」


「待ってました! じゃあお願いしまーす!」


 梓乃は海里華や遥香にお構いなしに上着を脱ぎ捨て、シルヴィアが指定した場所に寝転がる。

 梓乃のカップケーキほどの大きさをした胸の間と、フィルの胸部に押し込まれたレーティングの先端。

 鎖はゆっくりと梓乃とフィルの中に沈んでゆき、二人は十日前の海里華のように胸を鎖で繋がれた。


「ん……わう? ちょっと痛いの想像してたんだけど、もう終わったんだね」


「レーティングが馴染むまで一週間、貴女はここにいて。放っとくと何をしでかすか分からない」


「わふっ!? そんなあ……」


 梓乃は伏せの体制で項垂れると、海里華に投げられた上着を被せられてそのまま頬を膨らませた。

 これから一週間、ずっと何もない草原でじっとしていなければならないなんて。


「わぅ……人間界に帰ってスイーツ巡りしたいよぉ……」


「甘いものが食べたいなら、いい所があるけど……来る?」


「わふっ、いくいく! 連れてって!」


 本来のサイズへと巨大化したヴィオレの背中に乗った遥香は、左手を梓乃の方へ差し出す。

 一週間以上スイーツを食べないと禁断症状を引き起こす梓乃。

 ここに来てからまともな食事と言えば、ドラゴンエンパイアに住み着く魔獣の肉ばかりだった。

 ペットのロウも梓乃と同じものを食べているが、いい加減に飽きてきた所だ。

 梓乃はロウを抱き抱えると、遥香の手をとってヴィオレの背に飛び乗った。


「いざ、スイーツへと……ごーっ!」


「ヴィオレ、行って」


 遥香と梓乃がヴィオレに乗ってスイーツ巡りへと向かった後、海里華はシルヴィアの隣に座って肩に触れる。


「……やっぱり、相当無茶してるみたいね。レーティングを作るのって、どれくらいの負担がかかるの?」


「バレたか……レーティングを一つ作成するのに、寿命を一年削る」


 自分達の夢を叶える為に、自分達はシルヴィアの命を三年も削ることになる。

 そう考えただけでとてつもない後悔と罪悪感が涌いてきた。

 だがシルヴィアは柔らかく微笑み、口を手で覆って固まる海里華の頭を優しく撫で回した。


「大丈夫、私は女神だから寿命なんてあってないようなもの。それにこれは貴女達の為にやってるわけじゃない。貴女達が私達〈heretic〉を越えるまでに成長してくれることを期待しているからよ」


「私達が……シルヴィアさんを……」


「貴女には私を越えるだけの才能がある。実力も努力も申し分ない。貴女と戦って分かった。貴女は私に似てるわ」


 才能のレベルで言えば比べるまでもないかもしれない。

 だが海里華には所々自分と似ている所がある。シルヴィアはそう感じた。


「もし貴女が私を越えたら、その時は私がとっておきのプレゼントをあげる。だから頑張ってね」


「無論よ。私はもう皆と約束したの、契約者の頂点に立つって。だから絶対にアンタを倒す……シルヴィアさんの為にも」


「期待してるわ。早くここまで来てね」


 命を懸けて育ててくれたシルヴィアの為だからこそ、こちらも命を懸けて死ぬ気で挑む。

 決闘に全身全霊を注ぎ死力を賭すことこそ、契約者にとって最大最高の礼儀となるのだから。


「ねえハルちゃんっ、今どこ向かってるのっ?」


「〈狩人の独占場(シュートゾーン)〉ってとこ……ヴィオレが住んでた山なの……その奥に美味しい果実が実る木が密集してる森がある」


「ふぇー、シュートゾーンって確か怖い噂が流れてて誰も近づこうとしないけど、そんな所に美味しいスイーツがあったんだ」


 シルヴィアがレーティングの作成を終えた後、ヴィオレとともにシュートゾーンで特訓をしていた時に偶然見つけたのだ。

 人間界にあるような果物が実った木だけで構成された森、甘いものに飢えている梓乃にとってはまさに楽園。

 今まさに、自分の目の前に救世主がいる。梓乃は遥香の腹に抱きついて背中に頬擦りした。


「私、ハルちゃんと仲間でよかったよ。強いし、可愛いし、優しいし」


「梓乃だって強いし優しい。梓乃はチームのマスコットだから、十分可愛いと思う」


「わふふ~、マスコットかあ。何か照れくさいなぁ♪ でもマスコットと言えばハルちゃんもだよね。お人形さんみたいに綺麗だもん」


「私が……綺麗……? そう、かな……にゃぅ……」


 チームメートとして長くいることで気づいたが、遥香は猫のように耳や尻尾の動きで感情が分かる。

 璃斗がヒルデ・グリムの特性〈創造〉で作り出した人工の猫耳と尻尾は、無表情で物静かな遥香の喜怒哀楽を読み取りやすいようにと作られたものだ。

 遥香のスカートの裾から伸びる尻尾がピンと立ち、髪の隙間から生えた猫耳はとろけたように垂れている。

 つまり梓乃に褒められて照れていると言うことだ。

 顔を少し赤らめて耳をひくひくと動かす遥香の仕草が何とも言えない破壊力を生み、梓乃は胸を押さえて悶絶している。


「は、ハルちゃん、その表情はズルいよ……」


「ふにゃ、どう言う意味──」


『二人とも着いたぞ。梓乃、ここがシュートゾーンだ』


 ヴィオレが急停止したことにより、梓乃は思わず遥香の背中に顔面をぶつける。

 鼻を押さえながら先を見上げた梓乃は、その光景に心を奪われた。

 目の前に広がるのは津波のように適度に反り返った岸壁と、巨大な竜の牙や爪を彷彿とさせる尖った岩が密集する超危険地帯。

 だが危険だからこそ常識に囚われない異様な美しさがあり、その暁に引き寄せられる。


「ここが……シュートゾーン……すごく、綺麗……」


「ここの美しさが分かるなんて、梓乃は感性が優れてる。でも本当に美しいのはこの奥、ついてきて」


 子猫ほどのサイズまで縮んだヴィオレを頭の上に乗せると、遥香は岩山に見とれる梓乃の手を引いて岩山を登り始めた。

 だが少し登った辺りから傾斜が急になり、足場を確保することすらままならない。

 遥香はアスモデウスと一体化し、梓乃を抱えて岩肌を蹴って跳ぶようにして登った。


「雷雲の中よりも、ここの方がよっぽどキツいねっ……」


「そう……? 私は何度も来てるからそう感じない。むしろ雷雲の中の方がよっぽど危険だと思う」


「えぇ、そっかなぁ……あれ、ここ、登りにくいよね……」


 少し開けた場所に出た二人だったが、上の方で溜まった雨水が急斜面の岩肌に流れ、壁を蹴っても上へと登れない。

 すると遥香は梓乃に自分から離れるように指示をし、アダマスの柄を両手に握る。

 一体何をするのかと興味津々な梓乃の前で、遥香は空間を削ぎ落とすようにアダマスを振るった。


「〈三日月の刃(クレセント・ムーン)〉……!」


 螺旋を描くように放たれた衝撃波は、一瞬で膨張して細長い雲の繋がりとなる。

 岩肌に添うように現れた長い雲は、足場となってその位置で固定された。


「これで足場が出来たわ。ここから上に登ると急な下り坂がある。そこを降りると森の入り口に着く」


「ハルちゃんすごいね! 雲で足場を作るなんて! 私は雷属性だからそんな芸当はとても出来ないよ」


「どんな属性でも圧縮させれば頑丈になる。雷属性の力を凝縮させれば足場くらいは作れるわ」


 遥香に手を引かれながら雲の足場を登ると、案外雲はしっかりしていて足が沈み込むこともなく、すんなりと岩肌を登ることが出来た。

 足場となった雲が消えると同時、梓乃の視界に飛び込んできたのは気が遠くなりそうなほど深い谷底だった。

 見ているだけで意識を持っていかれそうな谷底だが、遥香は一切物怖じすることもなく梓乃を抱き抱えて飛び降りる。

 とてつもない空気抵抗で呼吸もままならなかったが、梓乃は必死に遥香の胸に顔を埋めてそれに耐えた。

 しばらく空気抵抗に耐えていると、梓乃のドラゴンとしての敏感な嗅覚が、甘い香りを鋭く嗅ぎ付けた。

 まだ森からは二十メートル以上も離れていると言うのに、梓乃は確かに甘い果実の匂いを捉えたのだ。


「わうっ! 見つけたよっ!」


 五メートルくらいまで高度が下がると、梓乃は自力で遥香の胸から飛び降りて地面に着地した。

 レーティングを施していたとしても、契約者としての身体能力が封じられるわけではない。

 危険地帯の岩山から一転して、二人の目の前に広がっていたのはそよ風に揺れる葉が静寂な音色を響かせる自然の結晶。

 木漏れ日の差し込む森を手を繋ぎながら歩く二人、甘ったるい香りと丁度いい温かさが眠りを誘う。


「わう、私ここ好きになったよ」


「にゃ、私のお気に入りだから」


「あら……可愛らしい仔犬ちゃんと仔猫ちゃん、どうしたの? 迷い込んじゃったの?」


 森を歩いてしばらくすると、一人の女性が声をかけてきた。

 眩いまでに明るい金髪は後頭部で蝶の髪飾りに纏められ、首には白い鱗が連なった髪飾りを下げている。

 エメラルドグリーンの帯が特徴的な巫女衣装を纏い、袖や裾を揺らしながら近づいてきた。

 見るからに穏やかで優しそうな女性だ。

 梓乃は女性の雰囲気に嘘がないことを確信すると、すぐに警戒心を解いて自分から女性に近寄った。


「わふ、私達迷ってきたんじゃなくて、自分達からここに来たんだ」


「ここの果物を食べたいから来た。そう言うあなたは誰……?」


「私は……えっと、セフィロト。この森のお世話をしてるの」


「もしかして、人間じゃないの?」


「ええ、私はドラゴン。でもしがない三芒星なの。よければ果物のある木まで案内してあげるよ」


「わう、ほんとにっ? ハルちゃん、お願いしようよ!」


「……本当に……三芒星……?」


 はしゃぐ梓乃とは真逆に、遥香は敵意を剥き出して尻尾をパタパタと早く大きく左右に振った。

 人を見抜くことに関しては梓乃と同じかそれ以上に優れている遥香が、警戒レベルを最大にして距離をとっている。


「ど、どうしたのハルちゃん? 初対面で信用出来ないのは分かるけど、この人からは悪い人の臭いはしないよ?」


「私は正真正銘、三芒星だよ。ほら、その証に……」


 セフィロトと名乗る女性が巫女衣装をはだけると、女性の胸には確かに三芒星のマークが刻まれている。

 衣装を整えたセフィロトはやんわりと微笑んだ後、二人を果物のある木まで案内してくれた。

 果物の匂いに釣られた梓乃はすぐさま遥香がセフィロトを警戒していることなど忘れ、手の届く位置にある果物を一つ手に取った。

 皮を剥く前から嗅いだことのない初めての香りが漂い、梓乃は涎を垂らして天辺の方から皮を剥いていく。

 形としては少し長いラ・フランスのような形状をしているが、匂いはどちらかと言うとメロンに近い。


「はむっ……んん~っ……甘いっ! ハルちゃんも食べてみなよ!」


「……ん、分かった。食べてみる。でも……ヴィオレ、そのドラゴンを見張ってて」


『分かった、任せろ』


「何故あの仔猫ちゃんは私のことを嫌うのかしら」


『知らん、遥香はすべてにおいて高いステータスを持っているが、その中でも人を見抜く力はずば抜けて長けている。その遥香がお前を信用出来ないと言えば仕方ない』


「そう……なら私がいると邪魔になるね。私はここを立ち去るわ。私はここの近くの小屋にいるから、何かあったら知らせてね」


 セフィロトの姿が森に消えて見えなくなると、ヴィオレは再び小さいサイズへと縮んで遥香の頭に飛び乗った。


「セフィロトは……?」


『近くの小屋に行った。念の為警戒はしとく』


「ねえハルちゃん、この果物を何個か皆の所に持っていってあげようよ。皆喜ぶよ!」


「にゃ、賛成……じゃあ梓乃はこの辺りの果物を集めて。私はちょっと移動してみる」


 梓乃は上着を受け皿に果物を摘み始め、遥香はヴィオレの背中に乗って森を探索し始めた。

 帰り道はアダマスを探す時に用いたアリアドネの糸がある為、迷うと言う可能性は懸念していないが、気になるのはセフィロトの方だ。

 梓乃の言う通り確かに怪しい雰囲気や危ない臭いは感じないが、どうも信用のならない感じがする。


『遥香、油断するのはいけないけれど、気にしすぎもストレスが溜まるだけよ。今は果物集めに集中したら?』


「分かってる、でも……頭から離れないの……」


 こちらの戦力は申し分ないし、数日前のアイゼルネとの戦闘で消費した魔力も完全に回復している。

 あれから体力も技も鍛え上げたし、あのモノクロとも何ら遜色ない実力になったはずだ。


「ん……あの果物、美味しそう……」


 ヴィオレがしばらく森を駆け抜けていると、他の果物とは明らかに違う香りを放つ果物を見つけた。

 人間界にあるどの果物とも違う形に香り、何よりその果物がなる木の形が特徴的だ。

 二本の木が捻れて絡まったような大樹に、雫のような形をした果実。

 表面が発光しているのかと錯覚するほど瑞々しさに溢れた果実を、遥香は雲属性の力で形成したクッションの上に並べた。

 今頃黒音達はそれぞれのフィールドで、想像もつかないほどの過酷な修行をしているだろう。

 その助けに少しでもなれればと、遥香は果実へと手を伸ばした。


「すんすん……にゃ、いい匂い……♡」


『遥香、危ないッ!!』


 アスモデウスの警告よりも早く、遥香はすぐに手に持っていた果実を空高く放り投げる。

 遥香を襲ったのは黄色い衝撃波、続けて二発三発と飛んできたそれを、遥香は果実を庇いながらかわした。

 摘んだ果実は無事のようだ。遥香は果実を包み込んだ雲属性のクッションを木の背後に隠し、アダマスを携える。


「誰……まさか、セフィロト……?」


『否、我はこの森を護る者。この森の果実に手をつけることは許さん』


 遥香を突然攻撃してきたのは、純白金色のドラゴン。

 スマートな体型を刺々しい純白の鱗が包み、その所々に金色の鱗が散りばめられている。

 純白の鱗に覆われていない顎から腹、尻尾にかけては、金色の肌が露出している。

 だが何よりも特徴的なのは、そのドラゴンの額だ。

 ドラゴンの額からは巨大な剣が生えており、しかも神機に限りなく近い反応を感じられる。


「この森の世話役を名乗るドラゴンからは許可された……あなたに邪魔される理由はない」


『この森に世話役などおらん。この森の果実は何人たりとも食することは(まま)ならん』


「聞く耳持たず……仕方ない……アスモデウス」


『ええ、強引なのは好きじゃないの。それに、死神は欲しいものは力尽くで手に入れるわ』


「邪魔されるとムカつくけど……逆に燃える……!」


 遥香の全身から溢れだす莫大な雲属性の波動、さらにアスモデウスから放たれる絶大な魔力も相まって、想像を絶する覇気がドラゴンを襲う。

 しかしドラゴンは遥香の迫力に一切気圧されることなく、額の剣を角のように振るった。


「ふぃ、こんなもんかな。これ以上は入らないよ」


『梓乃、少し様子がおかしいぞ』


「ふぇ、私はいつも通りだよ?」


『梓乃じゃない。遥香が、いやこの森自体が……』


 上着を風呂敷のようにして果物を集め終わった梓乃だったが、未だに異変には気づかない。

 気づいたとしてもレーティングを施したばかりなので、何の役にも立てないだろう。


「心配しすぎだよ、フィル。もう気づいてるかもだけど、私だってあのドラゴンさんの信用出来ない感じは察してたよ。でもね、疑った所で私は戦えない。そして私の方に来てないってことは、多分ハルちゃんの方に矛先が向いてるはず」


 そこまで分かっていて、梓乃は遥香を心配する気配がない。

 自分では助力に足らないとしても、フィルにはその様子が少し薄情にも思えた。

 だがそれは遥香に対しての絶対的な信頼の証だ。遥香の人を見抜く力と、純粋な戦闘力を梓乃は心から信頼している。

 例え危険な目に遭っていたとしても、遥香なら必ず切り抜けてくれると信じている。


「私じゃなく、ハルちゃんを狙ったのは運の尽きだね。ハルちゃんの戦闘力はもはや……リミットブレイカーの黒音君と互角だよ」


 才能で言えば六人の中で最強かもしれないが、限界のその先へと辿り着けないのは、恐らく生い立ちのせいだろう。

 親に捨てられてから今まで、たった一人で生きてきた為に他人を信用出来ず、未来を見ることさえ許されず、ただ死ぬことだけを望んで生きてきた為に、希望を持てなくなった。

 それが唯一、彼女にとって欠落しているものだ。


「ま、ただでさえ最強のハルちゃんにリミットブレイクなんてされたら、もう契約者の世界が崩壊しちゃうけどね」


 梓乃は猫のような俊敏さで木の上まで飛び乗ると、安定する位置に座って果物を食べ始める。

 その頃、遥香は穏やかな森を縦横無尽に駆け回って純白金色のドラゴンと戦闘を繰り広げていた。

 森を護る者と言いながら、ドラゴンの戦い方は乱暴そのもの。

 果実のなる木をお構いなしに斬り倒し、遥香と言う獲物を狩る為だけに森を傷つけている。

 対して遥香は森に被害が及ばぬよう雲のフィールドで自分とドラゴンを囲い、自分もろとも雲の中へ閉じ込めた。


「ここなら思う存分やれる……そろそろ姿を見せたら……?」


『姿、か……そうだな、貴様が強いことは分かった──いいね、楽しませてくれそうな子が相手なら遊んじゃうよ?』


 突然ドラゴンの口調が変わった。声はあのセフィロトとまったく同じ、やはり純白金色のドラゴンの正体はセフィロトだ。

 遥香の攻撃をいとも簡単に弾き返している辺り、三芒星と言うのも嘘に違いない。

 本来の実力は六芒星、もしかすればそれ以上だ。


『ねえ、いつから気づいてたの? 私が私を偽ってるって』


「最初から……あなた、最初に私達に名前を名乗る時、一瞬(ども)ってた。その名前を名乗り慣れてないから、でしょ……?」


『あっはは、流石だね。死神はこれだから面白いんだよ。でも、あまり自分の力を過信しない方がいいよ? この世界にはね……』


 遥香の視界から、一瞬にしてドラゴンの姿が消え失せる。

 すぐさま視線を巡らせる遥香だったが、その首筋にひんやりとした感触が触れていることで全身が思考とともに凍りついた。


「知らない方がいいことも……あるんだよ……?」


「な……あな、た……何者……?」


「鬼ごっこ楽しかったし、名前だけ教えてあげる。私はゼフィーロギア、忘れられた龍帝よ。また会う機会まで……adieu(またね)……♪」


 ゼフィーロギアと名乗る少女はさよならの言葉を残すと、遥香の胸元に何かを落として消えた。

 一瞬の隙を突いて反撃しようとした遥香だったが、振り返った時にはもうゼフィーロギアの姿はなかった。

 歯噛みしながら谷間に挟まった物体を引き抜くと、遥香の思考は再び停止する。

 何故あのドラゴンはこれを持っているのか、それ以前にどうしてこれの存在を知っているのか。

 遥香はただ考察することを諦め、それをポケットに締まってアリアドネの糸を辿った。


「あ、ハルちゃんおかえり!」


「ただいま梓乃、フルーツは集まった?」


「うん、たっぷりね。それじゃ皆に届けてあげよっか」


 遥香の様子が明らかにおかしい。そんなことは梓乃が観察眼を用いずとも容易に分かった。

 ヴィオレに飛び乗った遥香の腹に抱きついて確信したが、遥香が少し震えているのだ。

 寒さで震えているのならば雲属性で何とかなる、だがこれは寒さで震えているのではない。

 遥香の身に何かしらのことが起こったはずだ。それが何かまでは分からないが、とにかくヤバいと言うことだけは理解出来た。


「転移魔方陣で一旦シルヴィアさんのとこまで戻る。それから黒音達のとこに向かう。それでいい?」


「うん、いいよ。じゃあ魔方陣お願いね」


 梓乃に気づかれていないはずはない。自分でも誤魔化し切れないほど恐怖していることは分かっている。

 だが彼女はどうして私を殺さなかったのか、どうしてこれを自分に渡したのか、その意図が掴めない。

 それが余計に怖いのだ。もし黒音達の身に何か起こったのならば、自分は果たして正気を保っていられるだろうか。

 不思議だ、今は自分の平穏が脅かされることよりも、仲間に危険が及ぶことが怖い。

 自分の命を犠牲にしてでも誰かを守りたい、以前では考えられなかったことだ。

 死にたいからと言って、誰かの為に命を懸けるような真似をしたくない。

 そもそも誰とも関わりたくなかった。でも今は黒音のおかげで、黒音達のおかげで変われた。

 震えている場合ではない。どんなことがあっても雲は独自の視点で仲間を見守り、平穏を脅かす者に対して牙を剥く。

 それが雲である、遥香の使命だ。


「ただいま、シルヴィアさん。フルーツを摘んできたわ」


「おかえりなさい、二人とも。懐かしい……これは〈生命の樹(セフィロト)〉になる木の実、よく見つけられたね」


「シュートゾーンの奥にあったんだよ。とっても美味しかったから、持って帰ってきたの。これから皆にも届けてあげるんだ」


「そう、この果実には疲労回復の力があるから、疲れてる時に食べると格別に美味しいの。だから丁度いい」


 今頃四人とも、それぞれのフィールドで独自の特訓をしているはずだ。

 特に海里華は今まで自由に動けなかった分、四人の中でも特に激しい特訓をしているはず。


「じゃあハルちゃん、エリちゃんのいる泉まで行こ! ヴィオレちゃん、もうちょっと頑張ってね」


「ヴィオレ、〈聖なる泉ホーリィ・ファウンテン〉までお願い」


『任せろ、しっかり掴まっていろ』


 梓乃達によって届けられたセフィロトの果実。

 二人はエメラルドブルーの泉で蕩けるほど美声を味わい、酸素も光も薄い鉱山の奥地で酸欠を味わい、噴火直前の火山で身を焦がすほどの熱気を味わった。

 最後に訪れたのは、無論黒音のいる谷底だ。

 ごっそりと失われた地面を覗き込み、二人は意を決して谷底へと飛び降りる。


「ダメだよ二人とも、ここから先は立ち入り禁止」


「ふええ、何でダメなの?」


「多分それだけ危険ってことだと思う……」


 二人の服を掴んで引き寄せたのは、黒音の使い魔であるレオだ。

 いつの間に現れたのか、いやそれ以前にいつからいたのか。

 恐らくいつかは誰かがここを訪れると予想していた黒音が、レオに見張りをさせていたのだろう。

 ヴィオレが住んでいたシュートゾーンに負けず劣らずの危険地帯で、あの龍帝ヴァンキーシュが住まう谷底。


「レオちゃん、私達を黒音君の元まで連れてってよ」


「黒音に会いたい……ダメ……?」


「うーん、そこまで言うなら案内してあげるけど、でもただでさえ危ないとこだから危険を感じたらすぐに引き返してね」


 ダメだと言われても無理矢理通ると分かっていたのか、レオは案外あっさりと許可を出してくれた。

 何の躊躇いもなく崖を飛び降りたレオに続き、二人もその崖に飛び降りる。

 少し気になる所は、ただでさえ危ないとこだからと言うレオの言葉。

 ただでさえ、と言うことはイカれたドラゴンの他に、まだここが危険たる所以があると言うことか。


「そろそろ来るよ、ほらッ……!」


 レオが空中で腰を落とすと、何をしているのかと眺める二人。

 だが刹那、二人の体に強烈な衝撃が加わった。

 下に引きずられる引力と、上から押し潰される重力。

 内臓を引きずり出されるかと思うほどの衝撃の後、二人は谷底に叩きつけられた。

 起き上がるどころか、指を動かすこともままならない。

 だがそんな二人を嘲笑うかのように、二人が地面と衝突した音を聞き付けて何体ものドラゴンが近寄ってきた。


「な、に……ここ……おかし……すぎ……全然……動けないよ……」


「梓乃、気を……つけて……コイツら……多分、強い……」


 レオが二人を守るように仁王立ちするものの、相手の数は十を越えている。

 断崖絶壁に張り付く四足歩行のドラゴンや、地中を泳いで現れた蛇のようなドラゴン。

 流石のレオも、この数の六芒星が相手では歯が立たない。


「引け、この二人は俺の仲間だ」


皇帝(モナルカ)、あんたの仲間だったのか。手を出すつもり

はねえよ』


「モナ、ルカ……?」


「イタリア語で皇帝って意味……黒音、動けない……助けて……」


「レオ、誰かが近づいてきたら止めろっつったよな? 何で二人も入れてんの?」


「だって言っても聞きそうにないし。でもこれで分かったでしょ? ここは並の契約者が来ていい場所じゃない。ただ魔力が強いとか、身体能力が高いとかじゃダメなの。ここで求められるのは優れた適応力」


 如何にこの馬鹿げた重力をいなすか、如何にこの馬鹿げた力を持ったドラゴン達を見方につけるか。

 この谷底ではほんの少しでも適応出来なければ、文字通り押し潰される。


「そう言えば、何の用件でここに?」


「果物を届に、来たけど……それ、そこに転がってるやつ……」


 遥香が雲属性のクッションで防護していたおかげで、何とか潰れてはいないようだ。

 だが二人は這いつくばって壁にもたれ掛かるのが限界で、その場で天を仰いだ。

 ここは谷底の中間地点よりもさらに奥、人間界の重力のざっと百倍はある。

 体感的には二百倍近いが、実際はそれくらいだ。

 案外倍数で聞けば大した数字ではないと感じるが、仮に二人の体重が五十キロだとすれば、ここでは約五トンと言うことになる。

 一般的な軽自動車が一トン弱なので、現在二人は軽自動車の五台以上の重力を受けていると言うことだ。

 いくらアスモデウスと一体化した遥香でも、軽自動車五台の鉛をぶら下げていてはまともに動くことも出来ない。


「どうして、黒音君は……立ってられるの……?」


「んー……慣れだな。毎日ここら辺をマラソンしてるから。いつの間にかコイツらとも友達になって、何か俺のことモナルカとか呼び出して。でも楽しいからいいかなって」


「話、脱線してるよ……ってか、こんなとこを、マラソン……?」


「普通に動いてる時点ですごい……なのに、走るなんて……」


 黒音は慣れだのコツだのと言っているが、この環境で普通に生活する為にはここにいるドラゴン達のように長い年月をかけて適応していかなければならない。

 だが黒音はたった数日でこの圧倒的な重力に適応し、谷底の皇帝と呼ばれるまでになった。

 言うまでもないが、異常だ。


「そうだ梓乃、多分もうレーティングを施した頃だろ? エネルギー回路を動かせねえから暇してるはずだ。ちょっと俺に付き合わないか?」


「つ、付き合うってまさか……ここで一緒に、マラソンするとかじゃ、ないよね……?」


「そのまさかだ。梓乃の身体能力を伸ばすにはもってこいの場所だと思うぜ」


「そ、そんなあ……わううぅ~っ……!」


 逃げようにも体が地面に張り付いているように動かず、じりじりと黒音が迫ってくる。

 黒音にしてみれば一切の悪意はないのだが、梓乃にしてみればここはただの地獄でしかない。

 だが梓乃のことを思って提案してくれた黒音を無下にすることなんて出来るはずもなく、


「よし、まずは重力に体を慣らさなくちゃな。あ、遥香はどうする?」


「私はシルヴィアさんの手伝いがあるから遠慮する。梓乃、頑張って」


「ふえ、ハルちゃん一緒にやってくれないの!?」


 黒音に肩を貸してもらいながら転移魔方陣を潜った遥香は、せめてもの同情を込めて静かにエールを送った。

 そしてレーティングが馴染んだ一週間後、梓乃が半泣きで谷底を脱出したのは言うまでもない。

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