第二話『regret』
アズの邸に到着した黒音は、寝室に遥香と梓乃を寝かせた。
幸い二人とも契約者で、一般の人間とは回復スピードが違う。
黒音はぬるま湯を絞ったタオルで二人の耳についていた血を拭き取り、掛け布団を着せた。
「さてと……」
「貴方も寝ていた方がいいわよ。まともにあの音を聞いたんだから」
「分かってる。なあアズ、アイツもうベルゼブブから俺達が挑みに来るって知らされてるはずなのに、何でここで殺さなかったと思う?」
いくら黒音がリミットブレイクしていようとも、深傷を負った仲間が二人もいる状態、黒音ならば畳み掛けた。
だがそれよりも重要なことは、ベルゼブブが黒音達の目的は〈tutelary〉と魔王だと明かした後にイートカバーの知識を分けてくれたことにある。
何故敵だと判明しているのにも関わらず、わざわざご丁寧に知識を分けて下さった?
「分からない……でも、どうも引っかかるわ。あの子、あれだけ力を解放したにも関わらず、まだ手を抜いてたように見える」
「あれで手を抜いてたのなら、もう俺のリミットブレイクも飾りにしか思えなくなってくるな」
「それは貴方がまだイートカバーを経ていないからよ。ベルゼブブがわざわざ知識を分けてくれたでしょう? これでこれからの目的は決まったじゃない」
「イートカバーを経る特訓をしながらパートナーの半身を移植して固定する鎖のことを調べる、だな」
鎖の知識やそのプロトタイプとなるグレイプニルの知識は丁寧に教えてもらえたが、肝心のどうやったらその鎖が手に入るかまではまだ聞いていないのだ。
とりあえず帰ったら柊に聞いてみるしかない。
〈tutelary〉に黒音達の情報は確かに伝わったはずだ。
一応今回の目的はちゃんと達成されている。
「二人が起きたら適当に飯食って帰るか」
その頃、〈tutelary〉の集合場所では。
「あ……お帰りなさい、モノクロさん……」
いきなりパートナーに呼び出されたと言って姿を消したモノクロが、二十分もしないうちに戻ってきた。
モノクロを迎えてくれたのは二人でじゃれ合うコロナと優、そしてブルー真っ只中の愛梨だった。
白夜は相変わらず書斎に籠りっぱなしで、深影はすでに集合場所から消えていた。
「何か急用だったんですか?」
「……何でもない……」
このことを話すのはまだ早すぎる。
モノクロはいつも通り何も話さず、その場を後にした。
「……刻々と……近づいてる……運命の時が……」
『もう後悔だけはするな。あれは一度きりなのだからな』
もう引き返すことは出来ない、自分の意思で選び進んだ運命だ。
例え許されなかったとしても、恨まれたとしても。
彼を守る為ならば、この命を捨てても惜しくない。
「……遅いわね……もう昼休みよ?」
「魔界でどれだけ時間が経ってようと、人間界じゃ三分の一になるはずなんだけどな」
「向こうで何かあったんでしょうかねぇ。あらぁ、噂をすればなんとやら──で、す……ね……」
黒音の魔力を感じて振り返った漓斗の声が、尻すぼみに消えていく。
漆黒の魔方陣から現れた黒音は、ぐったりとして意識のない梓乃を背負い、歩くのもやっとと言った様子の遥香に肩を貸していた。
海里華は何事かと黒音の背中から梓乃を下ろし、抱き抱える。
焔が駆け寄り海里華と一緒に梓乃を日陰に連れていくと、すぐに耳の異常に気づいた。
「何これ、梓乃の耳が、真っ赤じゃない……」
「ドラゴン特有の症状ね。とても大きな音を聞いた証拠よ。命に別状はないみたいだけどね」
ドラゴンは普通よりも五感が優れており、その特徴が梓乃にも現れている。
だからモノクロの発生させた羽音も、二人よりもより大きく聞こえたと言うことだ。
「遥香さんの方はどうなんですかぁ? ぐったりしてるようですけどぉ……」
「冥界で〈tutelary〉の死神と交戦した」
その場の空気が凍りついたのが、意識が朦朧としている遥香にも伝わった。
魔界に向かって何故冥界から帰ってきたのか、それ以前に遥香と梓乃がここまで酷くやられるとは。
「相手は〈tutelary〉の死神、モノクロ。戦ったのは遥香一人だが、梓乃は巻き沿い喰らってこうなった」
「ごめんなさい……私が弱かったから……」
「巻き沿いなら仕方ないでしょ、梓乃はそんなことを責める子じゃないわ。それより、一人で戦ってよく死ななかったわね……アンタ達が誰も死なずに帰ってきただけで十分よ」
まさに慈愛に満ちた女神の微笑み。
海のようなおおらかな心と、それとは正反対に貧相なきょう──
「アンタ今失礼なこと考えたでしょ……それも私の胸見ながら」
「い、いやそんなことは断じてねえ。話を戻すぞ。パートナーはベルゼブブ、暴食の死神だ」
黒音はベルゼブブからイートカバーに続く第三段階の知識や鎖のこと、六芒星封印をすべて解除した四大チームの強さなどを事細かに説明した。
「なるほど、そんなことが……」
「つまりある程度は対抗出来たわけね?」
「遥香だからこそだ。リミットブレイクした俺でようやくモノクロの神機奥義を防げた。つまりこの中で〈tutelary〉とまともに殺り合って引き分けに持ち込めるのは俺ら二人だけってことだ」
イートカバーを経た遥香でさえも、リミットブレイクを会得した黒音でさえも、引き分けが限界。
それも刺し違えることが前提の戦略でなければ勝てない。
「それで、だ。俺はこれまでの一ヶ月間、何もしてなかったわけじゃない。あの失踪状態だった英雄を何とか探しだせたんだよ」
「失踪状態の英雄って……まさか、修羅の英雄……?」
「Esatto!」
妙に舌を回して、黒音は指を鳴らした。
褒めてはしいと言わんばかりに無邪気な笑みを浮かべ、黒音はその理由について説明する。
「シルヴィア・ヴァリアレイ。〈Heretic〉の女神であり、通称羅刹の英雄。隔てやイートカバーについて調べたらそれを開発したのは他でもないシルヴィアさんらしい」
「シルヴィア・ヴァリアレイって、英雄で最年少の天才肌よね。この中だと遥香が一番近いんじゃない?」
教えられたことはほぼ完璧にこなし、言われた仕事はすべて想像以上のクオリティでやり遂げる。
だが十年の年月が経ち、四大チームへと世代が交代したと同時に姿を消したと言われている。
「遥香は何らかの方法でイートカバーしたらしいが、本人もその方法はよく覚えていないらしい。だから元を辿って元祖の人に直接教えてもらおうって思って直談判してきた」
「で? そのシルヴィアさんはどこにいるの?」
「某大学に現在絶賛在学中だそうだ。何やら自分の限界を知りたかったらしい」
「さすが天才様ね。なんて頭してんのよまったく」
僅か十歳にして高校に飛び級し、僅か十歳にして最強の名を欲しいままに。
六芒星のドラゴンを片手で手懐け、契約者となってたった二年で十個の人工神機を操る。
願うことなく、努めることなく伝説に刻まれた英雄だ。
「しかも暇が出来たから向こうから会いに来てくれるとまで言ってくれた。マジでことが上手く運びすぎてて怖い」
「エルザさんが手回ししてくれたんでしょ?」
この中で黒音がエルザ・アルベルティの義息だと知っているのは焔だけだ。
別に隠しているわけでもないし、梓乃は自分の母親がリュッカ・エヴァンスと明かしているわけだから。
しかし特に自分から明かすようなことでもないと。
延々と悩み続けた結果、四大チームを制覇して英雄と対決するまでは隠しておくことにした。
「俺はその人に直接指導してもらう気だから、少し長期の休みが欲しい。夏休みはまだ先だし、俺を含めて残る五人がイートカバーを経るとなると、最低でも二週間は必要だ」
「六種族が共通して行ける世界はドラゴンの世界だから、人間界で経つ時間はやっぱり三日半になるわね」
「現役の大学生がぁ、初対面の私達の為に本当に三日間も費やしてくれるんですかぁ?」
「それについては問題ない。一週間は日本に滞在するらしいから、その間にドラゴンエンパイアで教えてもらう」
ドラゴンエンパイアの時間で、一人につき三日間。
シルヴィアに教えてもらうのはイートカバーだけではない。
グレイプニルをベースにした鎖のことも聞かなければならないのだ。
「では順番を決めましょうかぁ。優先順位的には黒音さんは最後ですねぇ」
黒音はイートカバーの代わりにリミットブレイクを身につけており、いざ四大チームの契約者と戦闘になっても対抗は出来る。
だが梓乃や漓斗は焔のように、破格な性能の十二宮神機なども所有していない。
現状もっとも二人が危ないと言うことだ。
「私は必然的に四番目かしら」
「修行する場所はドラゴンエンパイアですしぃ、梓乃さんが最初ですねぇ」
未だに意識の戻らない梓乃を肩にもたれさせながら、漓斗が小さく手を合わせる。
一番目は梓乃、二番目は漓斗、三番目は海里華、四番目は焔。
そして最後は唯一のリミットブレイカーと言うことで黒音に決まった。
「シルヴィアさんとの特訓は次の休日からだ。各自準備しとけよ」
「海里華、梓乃がこうなったのは私の責任。だから、私が梓乃の看病をする」
「遥香、アンタ……分かった、じゃあ任せたわよ」
「ん、精一杯頑張る……!」
漓斗は遥香の背中に梓乃を預けると、遥香は転移魔方陣をくぐって早退した。
漓斗は梓乃がイートカバーを終えた次の番なので、どんなことがあってもいいように最終調整をするべく、屋上を後にする。
残された三人は久しぶりに少し静かな昼休みを迎えた。
「んふぁ……電話鳴ってる……ドゥルガー、とって……」
『ふむ、リーダーからのようだ。元気にしておるとよいな』
アメリカのとあるホテルで、今にもベッドから転げ落ちそうな女性が一人。
日本との時差でこちらでは午前五時過ぎだ。
女性は猫のように丸めた手で目を擦り、背中を伸ばした。
「もしもし、リーダー……ごめんね、勝手にいなくなって」
『私の事情でお前達を縛る気はないさ。それより、黒音達のことを頼んだぞ』
「うん、本人からもちゃんとお願いされたから……久しぶりに頑張ってみるよ」
生まれてから数えるほどしか頑張ったことはない。
頑張らずとも大体何でも出来るから。
でもあそこまで仲間を守る覚悟を延々と語られたら、協力しないわけにもいかないだろう。
それに相手が自分のチームリーダーの息子とその仲間となれば、もう断る理由が見つけられない。
『お前は引退してからすぐにいなくなったから初対面だよな。私の息子には気をつけろよ? アイツは知らないうちに女を惹きつける』
「つまり……女たらし?」
『自覚はないみたいだが、アイツは男友達よりも女友達の方が圧倒的に多い。お前も惚れてしまうかもな』
電話越しに聞こえてくる子供のような笑い声。
女性は長いため息の後、ベッドから降りて大きめのカッターシャツを脱いだ。
咲き誇る花が恥じらい、宝石の輝きが霞む。そんな表現が最適の真っ白な柔肌と水色の髪。
背後には自分の両腕に加え、背中から伸びる八本の義手を扱う近寄りがたい女神がいた。
『ああそうだ、言い忘れてた。私の息子は魔王なんだ。自分の復讐相手と同じ存在だからと、気に病むことがある。発言には気をつけてやってくれ』
「まさか……ナチュラルなの……?」
『その通り、アイツは正真正銘、第一世代だ』
隔てを越え、イートカバーを経た契約者が擬似的な魔王、第二世代だとすれば、先祖が悪魔や死神と交わり生まれた子孫は人間と魔族の混血、魔人。
つまりナチュラル、自然に生まれた魔王が第一世代だ。
『第二世代が魔王から生まれた"欠片"だと表現するなら、第一世代は魔王の"結晶"。何せ正真正銘の魔王なんだからな』
「本当は私達が教えられた側……魔王がいなければ英雄もまた生まれなかった……」
『ロープレだって勇者と魔王がいなけりゃ始まらない。それはゲームだけの話じゃなく、現実でも共存しなければ均衡が保てない』
「ナチュラルを見るのはこれが二回目、か……そろそろ準備するね」
近寄りがたい女神がバスルームへと消えると、それと同時に十人の僕がそれぞれの武器を携え現れた。
◆◆◆
龍の住まう世界、ドラゴンエンパイア。
ここは突然変異を含めた十一の属性が世界を構成する。
黒音達がいるのは主に地属性、鋼属性、雷属性のドラゴンが生息している鉄の山、その梺だ。
六人はそれぞれの荷物を足元におくと、シルヴィアが来るまでの時間を好きに過ごした。
「ねえ、何でこんな足場の悪い所が待ち合わせなの?」
「仕方ねえだろ、一番目は梓乃だ。梓乃は雷属性のドラゴン。ここが一番最適の場所なんだよ」
あれから数日、耳の調子もすっかり元に戻った梓乃は、相変わらず目隠しをしてそこらじゅうを走り回っている。
「あははっ! ヴィオレちゃん、こっちだよっ!」
久しぶりに故郷へと戻ってきたヴィオレは、本来のサイズで梓乃と鬼ごっこをしている。
本当に修行すると言う自覚があるのだろうか、そんなことを考えているうちに遠くの方から戦闘音が聞こえてきた。
「あれは……十対一かよ……」
「あれが失踪中だった英雄?」
十人の男女を同時にさばきながら天地を舞う女神。
どうやらここに来るまでずっと戦っていたらしい。
どちらかと言うと、十人組の男女の方が消耗しているように見える。
「ふう……ウォーミングアップはこれくらいでいいかな」
「待ってたぜ、シルヴィアさん」
「うん、お待たせ。……やっぱり、全員女子……」
黒音達六人の前に現れたのは、水色の髪をした女性。
やはり同じ天才肌は雰囲気が似るものだ。
遥香とよく似ていて、少し力の抜けた表情をしている。
「リーダーから聞いてた通り、女たらし……」
「え、リズから何を聞いたんだよ?」
「別に……初めまして、私はシルヴィア・ヴァリアレイ。イートカバーの開発者よ。黒音からはイートカバーのやり方を教えてくれと頼まれたけど、最初は誰?」
「あそこで走り回ってる子だ。名前は梓乃、ああ見えてもリュッカ・エヴァンスの娘なんだぜ」
フィディを含めて二体のドラゴンと追いかけっこをしている梓乃は、リュッカの名に機敏に反応して近寄ってきた。
「緑那 梓乃です、よろしくっ!」
「そう言えば……リュッカが言ってた、子犬みたいな娘が出来たって。よろしくね」
その背後には先ほどまでシルヴィアと戦っていた、十人の男女が横並びに整列していた。
「じゃあ私のことは好きに呼んでくれて構わないわ。別にイートカバーと言ってもそんなに難しいことじゃない。魔術で作った仮想空間でパートナーと戦うだけ。本気のパートナーに本気で勝てればイートカバー達成」
「つまり、人の身で六種族と戦うってこと?」
「生身か……使い魔と神機は?」
「どっちもダメ。戦うのは契約者とパートナーだけ。ガチンコの殴り合い」
フィルの本来のサイズは、ゾウと同じかそれ以上の巨体をした狼だ。
そんなドラゴンと生身の素手で戦うなど、まず勝ち目はない。
「なるほどな……ポイントは仮想空間ってとこか。ただ喧嘩するだけなら現実の世界でもいい。でもわざわざ仮想空間で戦うってことは、意味があるんだろ?」
「流石はリーダーの息子……そう、仮想空間で戦うことには勿論意味がある。仮想空間では単純な戦闘力ではなく、思いの力がすべてを左右する」
「契約者の原点に帰るわけか。あ、この中で一人だけイートカバーを経験してるのがいる。それがこの子だ」
遥香の手を引き、シルヴィアの前に立たせる黒音。
初めて間近で目にする英雄に緊張しているのか、遥香のネコミミは萎れたように倒れ、尻尾は針金が通ったかのようにピンと張っている。
「し、紫闇騎 遥香です……よろしく……」
「見るからに天才の素質……この子、もうリミットブレイクしてるの?」
「いや、リミットブレイクしてるのは俺だ」
「え……い、いくらリーダーの息子でも……それは……」
これから四大チームと渡り合うと言うのに、仲間の前でわざわざこんな大ぼらを吹くわけがない。
黒音はそれを証明する為にアズと一体化し、レーヴァテインを呼び出した。
「信じてねえな。リミットブレイク……!」
終焉の始まり、レーヴァテインのフレームが剥がれる。
銀色の煌めきが収まると、レーヴァテインの剣が挿された状態で収納された、五角形の盾へと変形した。
黒音の身を包む甲冑の表面が弾け飛び、黒音は淡い光に包まれる。
さっきまで身を覆っていた漆黒の甲冑を振り払うと、今度は起伏がなく空気抵抗の少ないフレームを纏った。
そして黒音の頭上に展開された魔方陣から、次々と金色のフレームがはめられた黒い甲冑のパーツが落ちてくる。
甲冑のパーツはそれぞれ決まった場所に装着され、黒音の全身は重厚な甲冑に包まれた。
最後に黒音の頭部を黒いベールが覆うと、黒いヘルメットの上に金色の仮面を被せたようなフルヘルムが現れる。
「リミットブレイカー……〈黒き終焉〉!!」
「ほ、本当に……リミットブレイクした……信じられない……」
「だからこの中では俺と遥香だけが唯一互角に戦える」
互角とはつまり相討ち、刺し違えることでしか倒すことは出来ないと言うことだ。
「でも私は負けた……仲間を守れなかった……」
「なるほど、だから黒音は土下座してまで……」
「あ、そ、それは言うなよ……」
リミットブレイクと一体化を解除すると、黒音は遥香を下がらせて再び梓乃を連れてくる。
「さあ、最初は梓乃だ。仮想空間でフィルと心をぶつけてこい」
「わうっ! フィル、いつもは頼ってばっかりだけど、私だって強くなったってこと教えてあげるよ!」
「ふむ、それは楽しみだ。手加減はお前の為にならない。私も本気を出すぞ」
互いに信頼し合い、親子のような存在だからこそ、互いのすべてをぶつけて戦う。
契約者にとって戦いとは、即ち心を通い合わせる儀式だ。
戦いの中でしか生きられない契約者が、相手の気持ちを理解する唯一の方法。
「仮想空間は私が展開する。私が協力出来るのはイートカバーの情報を教えてあげることと、仮想空間を展開してあげることだけ」
「十分です、私は絶対に強くなる……誰も欠けることなく、皆でママを……〈Heretic〉を越えてみせます!」
「うん、待ってるよ。それじゃあ始めよう」
まさか梓乃があんな顔をするなんて、海里華も滅多に見ない梓乃の真剣な表情に驚きを隠せないでいた。
梓乃はシルヴィアの展開した立体的な球体の魔方陣に手をかざし、意識を手放す。
真後ろに倒れそうな梓乃を抱えた海里華は、同じく意識を手放したフィルを左手で抱えた。
「これで二人は仮想空間に意識を移したわけか」
「こうなったらもう、私達がしてあげられることはない」
「って言うか、この方法なら五人同時にやれるんじゃない?」
「それは不可能。仮想空間を作る魔術は一度に一つしか展開出来ない。もし二つ以上展開したら処理速度が追い付かなくて無事に意識が戻れなくなる」
天才のシルヴィアをして、二つ以上を同時に展開出来ない超高難度の魔術。
黒音達は梓乃が帰ってくるまでの間、手持ち無沙汰になってしまった。
「シルヴィア師匠、梓乃が帰ってくるまで俺と手合わせしてくれないか?」
「仮想空間は自律制御出来るから、二つ以上展開しなければ放置してても大丈夫。だからいいよ」
「あ、ズルいわよ黒音君! 私だって戦ってみたいのに!」
「じゃあ二人いっぺんにかかってきてもいい。なんなら貴女達も、五人全員でかかってきて」
流石の黒音達もその言葉は看過出来ず、五人の中でエネルギーが脈動を始めた。
「なあシルヴィア師匠、それは言いすぎだぜ」
「天才だからって、凡人のことを甘く見すぎ」
「これでも私ぃ、一応堕天使の帝ですからぁ」
「私だって原初女神なんだから負けないわよ」
「自分の力を過信すると本当に痛い目を見る」
次々とパートナーと一体化していく五人。
黒音にいたってはリミットブレイクを、焔は十二宮神機のラヴルを展開している。
「レーヴァテイン、ザンナ、英雄と戦う準備はいいか?」
「クララ、ラボーテ、相手は英雄よ。ワクワクしてこない?」
「ヒルデさん、グリムさん、本気で行きますわよ」
「トリアイナ、トライデント、いきなりラスボスよ」
「ヴィオレ、アダマス、今度こそ勝利する……!」
小手調べの為、まず遠距離が得意な海里華と手数の多い漓斗が先陣を切る。
海里華は漓斗の展開した自分達のコピーに水の防御壁を張り、トリアイナとトライデントで遠距離から水の槍を飛ばした。
漓斗は海里華がシルヴィアの意識を逸らしている間に、柊の〈換装〉を〈創造〉で再現して一撃必殺の武具を呼び出す。
「〈換装〉……ラフィラ・ルチルの神話剣!」
天を穿つほど巨大な剣は、人工神機として甦らせた神話級の剣。
〈失敗作の天使〉の一体、ラフィラ・ルチルの第二形態だ。
漓斗は必殺の間合いまで気配を殺し、静かに霊力を巨剣に注ぎ込んだ。
「挟み撃ちするわよ! 神機奥義・終!!」
「承知しましたわ! 人工神機奥義!!」
トリアイナとトライデントの最終奥義、ラフィラ・ルチルの剣から放たれる特大の人工奥義。
「〈海を結ぶ死の三角形〉!!」
「〈穢れた聖域〉!!」
トリアイナ、トライデント、レプンから受けた聖力を纏い、蒼い流星となってシルヴィアに追突する海里華。
ラフィラ・ルチルの剣から放たれる強大なエネルギーを、純粋な破壊力として放つ漓斗。
二人が今持てる最大最強の技を以て、シルヴィアを挟み込んだ。
「あ、アイツら一発目からやりすぎだ。もしシルヴィア師匠が大怪我負っちまったら、俺らがイートカバー出来ない所か梓乃が戻ってこれねえかもしれねえってのに……」
「そんな心配はいらない。だから本気で来て」
砂埃が晴れ、三人の姿が現れると、黒音達は絶句することしか出来なかった。
海里華の最終奥義を左腕の義手五本で、漓斗の人工神機奥義を右腕の義手五本で受け止めているシルヴィア。
それこそシルヴィアが羅刹の英雄と呼ばれる由縁。
決してその場から動かず、相手の攻撃をすべて十の腕でさばき、何人をも近づけさせない女神。
これが現役を引退した英雄の、大学で勉強ばかりしているであろう女性の力か?
「どうやら、私と遥香の番みたいね」
「大将である黒音が出るまでもない」
「いや、お前ら二人でも多分勝てない。俺ら五人で行くぞ」
黒音がこめかみに冷や汗を流しながら、四人にそう指示を出した。
シルヴィアからバックステップで距離をとった二人を含め、黒音は矢継ぎ早に作戦を話していく。
「へ、でもそんなことをしたらアンタの体が……」
「いくらなんでも連続でそれは……」
「まあ勝算があるのはこれだけだし、やってみましょ」
「倒れても私達が皆で看病する。だからやってみる」
「じゃあ行くぞ。これはテンポとタイミングが重要だ。遅れるなよ」
「「イエス、マイリーダー!」」
フィディのような返答の仕方に、黒音はつい面食らった。
四人は心底楽しそうに笑い、四人でハイタッチする。
「これ一回言ってみたかったのよ」
「奇遇ですわね、私もですわ」
「何か一体感があっていい……♪」
「そんじゃ緊張もほぐれたし、行くわよ!」
「ったく、俺が仕切るんだよ。行くぞ!」
黒音が一歩前に出ると、残りの四人が整列して神機を構える。
黒音の手にあるのは厳、霞、憐、雫、闇の鍵。
黒音はそれらの鍵を海里華達にそれぞれ預け、厳と闇の鍵を手に持った。
「行くぞ漓斗、最初はお前だ」
「承りました。行きますわよ」
「何をする気? まあ何をされても負けないけど」
「いくらアンタでもリミットブレイカーを五人連続に相手するのはキツいんじゃねえか?」
「まさか……ここにいる全員がリミットブレイカーなわけ……」
遥香との決闘中に漓斗から託された厳の鍵を、ペン回しのように遊んで黒音はレーヴァテインの剣を盾に差し込んだ。
「九つの門に封じられし鉄拳、砕け……〈解錠〉!!」
「破壊と再生、分解と構築、世界はそうやって進歩します」
切り離された甲冑は魔方陣へと吸い込まれ、代わりに新たな甲冑のパーツが現れた。
金色のフレームにトパーズカラーのプレートで構成された重装甲の甲冑。
巨大な鉄槌を彷彿とさせる肩当てから伸びる、数重層もの装甲で出来た分厚い腕。
一見防御のみでスピードはほとんどないように見える甲冑だが、背中や肘、くるぶしの辺りに小型のロケットブースターが装備されている。
頭部を包むのはクモの巣のような形状をした額部分、口辺りには鬼を思わせる牙状の突起のあるフルヘルム。
拳と拳を何度もぶつけ、黒音は漓斗と肩を並べた。
「黄の門……〈厳の愛情〉……母なる大地の声を聞け」
「なかなかに逞しく、美しい甲冑ですわ」
「テンポとタイミング、忘れんなよ!」
漓斗とともに拳を構え、ブースターに魔力を送った黒音。
二人から同時に放たれる四つの拳が、無茶苦茶なスピードでシルヴィアに襲いかかる。
勿論漓斗はリミットブレイクした黒音のスピードにとてもついてはいけない。
これはリミットブレイクした黒音が合わせるのではなく、漓斗達が合わせるのだ。
だから考えながら拳を放つことはしなかった。
(考えながら動いていては、とてもついていけません。ですから、すべてを直感に任せて拳を放ちますわ!)
シルヴィアは四つの拳を同じ四つの腕で防ぎ、圧倒的な力差があることを示す。
だがその圧倒的な力差こそ、黒音達が勝利する為の鍵の一つでもあるのだ。
「神機奥義、行きますわよ!」
「無駄……リミットブレイカーじゃない奥義なんて──」
「じゃあリミットブレイカーならどうだよ?」
「なっ……真逆……!? しかも、さっきまで装備していたヒルデ・グリムがない……!?」
神機奥義を放ったのは漓斗ではなく、漓斗の〈創造〉で漓斗の姿に変身していた黒音だ。
物理的な質量を無視して姿を変身させ、それを維持する神業。
人を驚かせることが大好きな漓斗にとって、それはこの上ない得意分野だった。
「〈大地を別つ拳〉!!」
いつの間にか漓斗のヒルデ・グリムを装着していた黒音。
レーヴァテインの盾とヒルデ・グリムはトパーズの結晶に結合され、ヒルデ・グリムはレーヴァテインに合わせて形状を変化させる。
地面を裂きながら突き出された拳が、絶壁が迫ってくるような威圧感を放った。
「っ……ドゥルガー……!」
シルヴィアの背中から伸びる十本の腕のうち、二本を残して八本の腕で黒音の左拳を受け止めた。
力と力がせめぎ合い、シルヴィアが本気を出してほんの一瞬力の均衡が崩れた瞬間、黒音は速やかに拳を引いて回し蹴りで八本の腕を弾く。
同時に厳の門を閉門すると、今度は遥香を呼んだ。
「次はお前だ、行くぞ遥香!」
「ん、分かった……受け取って……!」
遥香から受け取った霞の鍵とアダマス、黒音は霞の鍵をレーヴァテインに差し込んだ。
「九つの門に封じられし大鎌、刈り取れ……〈解錠〉!!」
「学習とは即ち未来……後退の許されない世界の心理……」
再びパージされた甲冑は魔方陣へと吸い込まれ、代わりに新たな甲冑のパーツが現れた。
金色のフレームに、アメジストカラーのプレートで構成された細身の甲冑。
背中には三日月を彷彿とさせる、大鎌を重ねたような刃の翼。
頭部を包むのは肉食恐竜の足跡のように三股に分かれた突起と、額辺りに埋め込まれた紫色の結晶が特徴的なフルヘルム。
刃で構成された翼が大きく上に向くと同時、黒音の背中に紫のマントが現れた。
「紫の門……〈霞の希望〉……冥府の門より罪を償え」
「焔との決闘以来……久しぶりに見た……にゃん……♪」
「もっとスピード上げるぞ!」
黒音は三日月のように弧を描くアダマスの刃に、レーヴァテインを重ねた。
レーヴァテインの〈解錠〉と言う特性を共有し、黒音はハンマーのようにアダマスを振るう。
遥香は魔力で大鎌を無数に作り出し、それを投げて黒音を援護した。
「やっぱり遥香も考えてないわね。あんな投げ方じゃ、黒音君に当たってもおかしくないのに」
「でも鎌は的確に黒音をすり抜けてシルヴィア師匠の義手を防いでる……」
(今度は騙し討ちじゃない……? 地属性よりむしろ雲属性の方が不意打ちには特化してるのに……)
背中の翼を構成する十四枚の刃と、遥香が投げる魔力の大鎌が絶え間なく飛び交い、シルヴィアの義手に次々と浅い傷を与えていく。
だが致命傷にはほど遠く、義手の一本すらも切り落とすことは出来なかった。
「これくらいでいいか……遥香!」
「ん、分かった……神機奥義・合!」
宙を舞う十四枚の刃は再び黒音の背中に戻り、大きな翼を二枚形成する。
遥香はありったけの魔力を注いで無数の鎌を作り出し、黒音も背中の翼を分解して再度刃を放った。
二人はともにレーヴァテインと連結したアダマスの柄を握り、真正面から降り下ろした。
「「〈虚無を切り裂く鎌〉!!」」
「これは、ドゥルガー……!」
黒音と遥香の合体奥義を脅威と感じたシルヴィアは、珍しく十本すべての腕で鎌を受け止めた。
しかし黒音の口角が嫌なほどにつり上がったことで、それが一連の作戦だとようやく気づく。
「なっ、あ、腕がッ……」
幾重にも鳴り響く亀裂の音が、シルヴィアの顔を焦燥に歪めていく。
二人の合体奥義を受け止めた十本の腕のうち、八本の腕が悲鳴をあげてひしゃげたのだ。
「まさか、さっきの拳は腕を劣化させる為、だから早々に引いたの……!?」
「それだけじゃない……私と黒音の刃が与えた無数の傷、あれも作戦のうち……」
「一度じゃ壊れねえ、なら何度もダメージを与えればいい。漓斗と俺の拳、遥香と俺の刃、二つが八本の腕にダメージを蓄積させた。そしてこれが仕上げだ!!」
皇クラスの神機グラムさえも押し返した合体奥義、それがシルヴィアの義手を八本同時に爆砕した。
残るは二本、シルヴィア自身の腕を合わせると四本だ。
「まさか、ドゥルガーの腕を砕くなんて……」
「言ったでしょ? 凡人のことを甘く見すぎだって」
「次はお前だ焔、ライバル同士は最強だぜ」
「そんじゃあ気張って行くわよ!」
焔から受け取った憐の鍵とクララ、黒音は憐の鍵をレーヴァテインに差し込んだ。
「九つの門に封じられし双刃、爆ぜろ……〈解錠〉!!」
「獄炎とは罪の浄化。燃え盛る炎は命を繋ぐ道しるべ」
三度パージされた甲冑は魔方陣へと吸い込まれ、代わりに新たな甲冑のパーツが現れた。
金色のフレームにルビーカラーのプレートで構成された、翼の模様が特徴的な甲冑。
背中の粉雪のようにきめ細かな羽は、純白と言ってもまだ生ぬるい。
湖に浮かび上がる月のような切ない輝きを放つフルヘルムは、耳の部分に薔薇の刻印が刻まれている。
「紅き門……〈憐の勇気〉……骨の髄まで溶かし尽くす」
「流石は私の力、綺麗だし強そうじゃない」
「畳み掛けるぞ!」
攻撃力の倍加、防御力の倍加、クララとレーヴァテインはそっくりでありながらまったく真逆の特性を持っている。
クララは攻撃力やエネルギーを一定時間ごとに倍加、レーヴァテインは受けた衝撃やエネルギーを一撃ずつ倍加させる。
その特性を巧みに使い分けて残り二本の義手に的確なダメージを与えていく黒音。
焔は黒音と何度も立ち位置を入れ換え、人工神機グラムで大きな攻撃を浴びせる。
連続で与えられる小攻撃と単発で与えられる大攻撃は、何も言うことのないコンビネーションを見せつけた。
「まるで双子ね……」
「気を抜かない方がいいですわよ?」
「次は海里華の番……最後だから頑張って」
海里華は黒音の焔の二人が戦っている間に、一人トライデントを振り回していた。
トライデントに莫大な聖力を送り込むと、それを馴染ませるように風を切って振り回す。
「焔、そろそろ決めるぞ!」
「いつでもいいわよ黒音君!」
「神機奥義・合!!」
炎に包まれ巨剣と化した人工神機グラム、レーヴァテインの峰とクララの刀刃が重なり、連結した二振り。
グラムの振り下ろしと連結したレーヴァテインの振り上げがシルヴィアを挟み撃ち、赤い炎と蒼い炎が混じって紫の爆発がシルヴィアを包んだ。
「〈終焉の劫火〉!!」
シルヴィアはその攻撃をそれぞれ一本の義手で受け止めるが、勿論そんな防御では到底防ぐことは出来ない。
だからとうとう出すのだ、一体化と言う本気を。
「ドゥルガー……変身っ……!」
水色の髪は漆黒に染まり、色白の柔肌は一瞬にして健康的な小麦肌へと変色する。
帯のような赤い胸当てと、金色の装飾品で彩られたスリットの深いロングスカート。
破壊したはずの八本の腕は新たな形として再構成され、シルヴィアは虎の姿をした使い魔に跨がって現れた。
「〈十の神機〉!」
先ほどシルヴィアの背後で整列していた十人の男女が、様々な武器へと変身してシルヴィアの義手に収まる。
これすべてが神機ならば、もはや黒音達に勝ち目は──
「安心して。この子達は皆人工神機。だから私の義子」
シルヴィアに作られた刀剣、ハンマー、斧などの武器が各自に特性を発揮し、黒音と焔の神機奥義を跳ね返した。
人工のものとは言え、神機に変わりはない。
壊れても時間が経てば自己修復するし、生物の姿にも変身出来る。
「最終段階だ、海里華。最後はお前で決める」
「寄りによって一番厄介な時に……まあいいわ」
海里華は莫大な聖力を込めたトライデントを放り投げ、黒音の左腕を強引に引いて雫の鍵をぶっ差した。
「九つの門に封じられし双頭、滴れ……〈解錠〉!!」
「海は生命の根元。すべてを生み出し、すべてを育む恵み」
最後にパージされた甲冑は魔方陣へと吸い込まれ、代わりに新たな甲冑のパーツが現れた。
金色のフレームに、サファイヤカラーのプレートで構成された、丸みを帯びたの甲冑。
津波や渦潮のような形状や刻印が特徴的な甲冑の右側、肩当てから広がる蒼いローブが、黒音の右半身を覆っていた。
頭部を包むのは、ひし形をした角のようなカバーが特徴的なフルヘルム。
黒音が右側のローブを翻すと同時に、背中に宙を舞う十四本の槍で形成された輪が現れた。
「蒼き門……〈雫の心情〉……日の光届かぬ深海へと沈め」
「幼馴染みの力、見せてやろうじゃないの」
「これで仕上げるぞ!」
海里華から受け取ったトライデントの石突にレーヴァテインのボンメルを連結させ、双頭刃式の槍を振り回す。
トライデントはレーヴァテインの〈解錠〉の影響を受けて形状を変化させた。
海里華はトリアイナを連続で突き出して水流の刃を飛ばし、黒音は縦横無尽にレーヴァテインと連結したトライデントを振り回した。
「こんな攻撃、まだまだ甘い」
だがシルヴィアは十機の人工神機でそれを巧みに防ぎ、余った六本の腕で反撃してくる。
未だにシルヴィアはその場から一歩も動いておらず、黒音達の一連のコンボを防ぎきっていた。
「甘いのはそっちさ。今までの戦略を見てもまだ、俺達は可愛らしいひよっこか?」
「強者の宿敵は弱者よ。強者は力を振り回すことしか出来ないけど、弱者は脳みそを絞って強者の虚を突ける」
この中でただ一人、海里華だけは完璧に黒音の動きについていくことが出来た。
漓斗や焔達も十二分に黒音に合わせられていたが、黒音と海里華の二人には合わせる合わせないと言う次元にいない。
黒音ならこう動くだろう、海里華ならこう動いてくれるだろうと言うテレパシーに近い感覚が体に染み付いている。
互いがどうするかなど、思考するに値しない。
互いが互いのことを理解出来すぎている為に、自然と互いにとって最善の動きが構築されているのだ。
「黒音!」
「任せろ!」
海里華の放った高密度の水流が、的確にシルヴィアの義手、その関節部分に傷を与える。
数秒動きの鈍った義手へと、黒音の双頭刃式が無数の切り傷を刻んだ。
「海里華!」
「分かってるわよ!」
黒音の与えた切り傷から海里華の放った水流が侵入し、シルヴィアの義手のコントロールを奪った。
シルヴィアも凄まじい抵抗で海里華の水流を追い出そうとするが、そちらに力を込めようとすれば黒音に対応出来なくなる。
「あ、あの二人、まさかお互いの名前を呼び合うだけでお互いの考えてることを理解し合ってると言うんですの?」
「五年以上の付き合いは伊達じゃない……羨ましい……」
「黒音君は昔の記憶がないはずなのに、もう体に染み着いちゃってるのね」
海里華の支配から主を解放しようと使い魔の虎が突っ込んでくるが、海里華は肉体を水に変換してそれを難なく避ける。
次に待っていたのは、黒音の左手から放たれた水流の触手。
黒音の触手は虎をがんじがらめにし、天高く放り投げた。
虎が落ちてくる数秒の間に、海里華は一旦前線から下がり、背後からの援護に徹した。
「海里華っ!」
「黒音っ!」
「「っ……バカ、同時に名前を──」」
こんなことまで二人はあらかじめ練習したかのようにピッタリだった。
同時に互いの名前を呼び合ったことに一瞬吹き出した二人だが、すぐにリズムを合わせ直した。
「喰らいなさいっ!」
黒音が大振りの攻撃を大きく下にしゃがんで回避した瞬間、海里華は空から落ちてきた使い魔の虎を尾びれで打った。
打たれた虎はなすすべもなく吹き飛ばされ、シルヴィアへと激突する。
シルヴィアの視界が塞がれた瞬間に、二人は奥義を発動した。
「「これで決める!! 神機奥義・合!!」」
黒音はレーヴァテインと連結したトライデントを、海里華はトリアイナの矛先をクロスさせ、水流を纏わせる。
ドリルのように水流の渦巻く矛先をシルヴィアに向け、二人は全身の力を腕に込めて振りかぶった。
「〈海底帝国の進撃〉!!」
まるで何千何万の兵が一斉に攻めてくるように、無数の槍が際限なくシルヴィアの義手を攻撃する。
雨のように降り注いだ水流の槍に、ついに義手がひしゃげて大破した。
それと同時に大本命の特大槍が、シルヴィアを貫く。
「っ……あ……ま、負け……?」
……寸前で停止し、黒音と海里華の二人は槍を引いた。
二人の放った槍はただシルヴィアの首にほんの少しかすっただけで、すぐに消滅したのだ。
漓斗は呆れたように項垂れ、焔は穏やかな笑みを浮かべ、遥香は二人に抱きついた。
「黒音と私達の……勝利っ……♪」
「勝てた……五人がかりで、ようやく……」
「本当は私一人で戦って勝たなくちゃダメなのに……」
「まさか負けるだなんて……貴方達のこと、侮ってた。……そう言えば黒音、何で最後の鍵を使わなかったの?」
「ああ、闇の鍵か。これはまだ使ったことがないんだ。だから海里華とのタッグが通用しなかった場合の最終手段だよ」
そんなことを言えばリミットブレイクした状態で使ったことのある鍵は遥香の霞の鍵だけだ。
厳も憐も雫も、ほとんどがぶっつけ本番だったのにも関わらず、黒音達は英雄の一人に勝利した。
「随分時間が経ったように感じたが、梓乃はもうイートカバーを経験出来たのか?」
「目的を達成すれば自力で戻ってこれる。戻ってこないってことは、まだ……」
ふわふわと浮遊する球体の術式を眺め、黒音達はその場に寝転がった。
もはや立つ気力もなく、遥香を除いた四人はこの後自分達もイートカバーをしなければならないことをすっかり忘れて眠りについた。
「ふふ……皆可愛い寝顔……皆将来が楽しみ……」
『シルヴィア、何故あそこまで手を抜いた?』
「手なんか抜いてない。むしろ十本全部使った」
『そう言うことを言っておるのではない。何故お前もリミットブレイクしなかったのかと聞いておるのだ』
「早々に後輩達の希望を打ち砕くのは可哀想だから。それにこの子達は自分の全力を出し切った。なのに先輩が無慈悲に叩き潰すのは大人気ないでしょ」
十機の神機は再び人の姿に戻り、シルヴィアの側に膝をついて待機する。
シルヴィアも五人と同じように昼寝しようとしたが、術者が気絶したり眠って意識を手放せば、例え自立制御していても強制的に魔術が解けてしまう。
そうなれば梓乃とフィルの意識は一生仮想空間に閉じ込められてしまうのだ。
「危ない危ない……寝るところだった」
シルヴィアは自分の頬を両側に引っ張り、睡魔と戦いながら球体の術式に視線を固定した。