第三話『Das Ende der Folter』
再び広間へと集合した六人は、作戦の再確認を行い始める。
深影達があの場を離脱してから、もう六時間が経とうとしていた。時刻は七時過ぎ、予定していた作戦決行の時間だ。
あれから入ったニュースは数人の警官や消防士が取り込まれたと言う情報と、黒い煙が予想されていたスピードよりも早く成長していると言うことだった。
深影や白夜はともかく、愛梨やコロナ達三人の体力やエネルギーは未だ回復し切っていなかった。
だが六時間もの時をかけて成長した黒い煙は、流石の三人も簡単に対処出来るほどの規模ではないはずだ。
回復し切っていないとは言え、やはり愛梨達三人の力も借りなければ作戦は進められないだろう。
「それでは行くぞ。手順を忘れるなよ、愛梨が警察どもを一時的に拘束、俺とモノクロがあの黒い煙を転移させるまでの時間を稼げ」
「しっかりと頭に叩き込んでます。クトネシリカは電流を岩のように硬化させたり逆に弾力性を生むことも出来ます。深影さん達の邪魔は一切許しません」
愛梨の方はどんな時であろうが何が何でも目的を遂行する根性があるからあまり心配はしていないが、問題はこちらにある。
「ニュースで確認したが、どうやら煙の成長は想像を大きく越えていた。と言うわけで俺とモノクロが煙を転移させるのもあのままではかなり難しい」
「だから僕が煙をある程度吸い取って二人の負担を減らす……そしてエイスを探すお手伝いは僕に代わって……」
「コロナが担当するよ! いやー、モノクロちゃんのおかげで聖力をほとんど回復出来たよー」
「それはカーバンクルの宝石、その欠片……腹部の傷の調子は……?」
「問題ないよ、ほら! 傷跡もほとんど残ってないしね!」
大きなシャツをめくったコロナの腹部には、切断された傷跡がうっすらと見えるくらいでほとんど気にならない程度まで回復していた。
さらにシプカ・ハニィカムを作る過程で見つけたカーバンクルの宝石の力をコロナにも使わせてやると、みるみるうちにコロナの聖力は回復していき、今では部屋中を自由に駆け回れるほどまでに体力も回復している。
優の方も同じく、これで戦力は再び六人にまで復活した。
「コロナがやることは二つ。カーバンクルの宝石と自分の能力である〈灼熱の大国〉のスキルを同時にフル稼働して黒い煙を除去し続けろ。その間に俺がエイスを探し出す」
「コロナに任せてよ! 煙なんかコロナがかき消しちゃうからさ!」
「ある程度煙が除去されれば、俺とモノクロの〈次元歪曲〉で黒い煙をかき分け、エイスを見つける」
「アシストは僕に任せてね。フルパワーでやるとお姉さんが危険だから、微力しか貸してあげられないけど」
「構わん、元より貴様など頼りにしていない。貴様は精々コロナとともに黒い煙の処理でも手伝っていろ」
これで作戦は最終的に固まった。全第四フェーズに分けられた作戦、第一フェーズは愛梨が中心だ。
クトネシリカで一般人の危険一歩手前の電流を流し、それを硬化させて警官や特殊部隊を拘束する。
一見簡単そうに見えるが、人数があまりにも多すぎる為、一回で完遂せねば即座に反撃される危険性がある。
カンナカムイと一体化した愛梨ならば戦車の弾だろうがガトリングガンの集中砲火だろうが無傷で切り抜けられるが、魔術の維持に集中している深影とモノクロに危険が及ぶ可能性がある。
「作戦開始……我ら守護者の力をほんの少しだけ一般人にも見せてやるぞ」
「「In the name of tutelary」」
まるで軍隊のように洗練された動きで、幼い性格のコロナでさえも作戦開始と言う言葉を聞いた時点で、守護者は皆戦隊となる。
愛梨はわざと目立つようにクトネシリカを肩に担ぎ、警官が銃口を向けるのも構わずに剣を振り回した。
愛梨が一般人の意識を引いている間に、深影とモノクロは即座に持ち場の位置に待機し、魔術の起動を始める。
「ま、まさか……これほどまでに膨らんでいたとは……」
「途中で作戦を調整したのは正解……優、貴女の出番……」
「分かってる……フルパワー、ここで使い切る……!!」
「全員の拘束、完了しました。優ちゃん、今です!」
優は己の目の前に広がる果てしない黒い煙を、無差別に破壊した空間の穴へと吸い込ませていく。
ひび割れて壊れた空間の穴に吸い込まれた黒い煙は、少し抵抗するような反応を見せるも、優の持つ神機オベリスクにより一定時間だけ黒い煙の特性が停止させられて吸収された。
しかしそれも長くは持たず、オベリスクの特性と黒い煙の特性が反発して出力で劣ったオベリスクが弾かれる。
それでも優は空間を破壊し続け、肥大化し続ける中でもようやく三割ほど煙を排除することが出来た。
「よくやった優、行くぞモノクロ!」
「任せて……トリーズン……!」
二人によって開かれた次元の狭間は黒い煙により出力を大きく落とされながらも、何とか黒い煙の全体を取り込むことに成功した。
だがもし優がいなければ今のサイズよりも二回りも三回りも大きくて、飲み込むことは出来なかっただろう。
次元の狭間を締め切った二人は、すぐさま新たに〈次元歪曲〉を起動して六人を吸収する。
愛梨の、クトネシリカの拘束から逃れた警官達はすぐに次元の狭間へと走ったが、勿論二人が共同で開いた次元の狭間が閉じるスピードに追い付けるはずもなく、弾丸すらも通すことはなかった。
「第二フェーズはコロナ、お前の番だ」
「任せてよ、優の代わりは優以上のクオリティでこなすよ」
コロナは愛梨が設定した転移先に到着すると、すぐに〈灼熱の大国〉でそのフィールドを支配して再構成する。
愛梨が転移先に設定したのはドラゴンエンパイアのだだっ広い草原だったが、それはコロナによって炎が渦巻く灼熱の国へと姿を変えられた。
「スルト……カーバンクルの欠片は任せたよ……コロナは、煙の除去に集中するからッ!!」
カーバンクルの欠片で聖力を回復出来ると言っても、長時間の連続使用はコロナの肉体に壮絶な負担をかける。
本当ならば全身の骨が崩れるほどの苦痛を感じているはずだが、コロナはそれをおくびにも出さず二人の背中を押した。
コロナが身を削って黒い煙の肥大化を抑えてくれているうちに、深影とモノクロが〈次元歪曲〉で黒い煙を弾きながら中へと突き進む。
だが二人が入った瞬間に二人の後ろは黒い煙によって塞がれ、二人は意を決して〈次元歪曲〉の出力を最大にした。
「ぐっ……姉貴……エイス、いるか!? いるならば変事をしろ!!」
「上の方にいるのかも知れない……辛いけど、上に上がろう……」
想像していたよりも遥かに負荷が大きい。だがコロナに比べればまだまだ軽い方だ。
二人はカーバンクルの欠片を片手に、煙の中を泳ぐように上昇した。
視界は明かりのないトンネルのように真っ暗だが、辛うじて互いの居場所くらいは認識出来る。
だが繋いだ手を離したらすぐに見失いそうなほど、距離も広さも曖昧だった。
「っ……深影、七時の方向から何かが接近中……気をつけて……!」
「邪魔をするな……シプカ・ハニィカム!!」
腰に巻いたベルトのアクセサリーから、早速出来立てホヤホヤの銃を呼び出した。
力んだ指先でトリガーを強く握ると、深影の魔力を何倍にも膨れ上がらせた無数の銃弾が打ち出される。
正体不明の何かに着弾した瞬間、さらに眩い火花を散らして弾丸が爆発した。
「この威力は……これがシプカ・ハニィカムか……」
「実戦には使えるみたい……よかった……」
「だが、さっきのは何だったんだ? 弾丸が爆発した光で一瞬だけ姿が見えたが、まるで細い腕のような……」
『深影君、こちら白夜。そっちは無事かい?』
「ああ、だが今しがた正体不明の触手に襲われた。二人とも無事だ」
深影の左耳辺りに展開された小型の魔方陣から、安堵したような白夜の声と騒がしい戦闘音が遠くから聞こえてくる。
まさかドラゴンにでも襲われたのかと焦燥に駆られる深影だったが、そんな暇もなく新たな触手が襲ってきた。
「僕らの方も今黒い煙からいきなり飛び出してきた触手に応戦してる所だよ。さしずめ、アイゼルネの防衛システムかな」
「コロナは大丈夫なのか? アイツの肉体はもう戦える状態では……」
『大丈夫だよ、コロナちゃんは僕が守ってる。現在触手と戦闘してるのは愛梨ちゃんと優ちゃんの二人だ』
「愛梨はともかく、優はすでに大役を終えて消耗している。今以上に状況が悪化したのならば、コロナを優に任せて貴様が戦え」
『勿論そうするけど、そっちは大丈夫なのかい?』
「正直な所、〈次元歪曲〉を維持しながら触手に対処するのは少々キツいが、何とかする。愛梨達を頼んだぞクソリーダー」
『言われるまでもないよツンデレ野郎』
互いに罵倒の言葉をぶつけた瞬間、魔方陣が小さく弾けて消え失せる。
幸い深影もモノクロも銃使いなので、自分達に大きく接近される前に触手を撃ち落とせるが、愛梨達は皆接近型だ。
持久戦になれば大技は控えなければならないし、体力とエネルギーが切れた瞬間形成は大きく傾き、最悪の場合命の危険すらある。
二人には自分達の肉体以外にも、タイムリミットがあることを理解した。
「どこだ、どこにいるんだ姉貴……変事をしろッ!!」
全方向にシプカ・ハニィカムを乱れ撃ちし、一気に触手を片付けた深影だが、まだ調整が終わっていない為にシプカ・ハニィカムのフレームに小さく亀裂が入った。
それ以上は危険だと判断した深影はすぐにアクセサリーの中にシプカ・ハニィカムを収納すると、新たに二挺の長銃を展開する。
「頼むぞ、クリミナル・マグナム!!」
単発銃と六連射撃に切り換えることが出来る変換型の長銃、クリミナル・マグナムを二挺装備すると同時に、片方六発、計十二発の弾丸を全方位に撒き散らした。
最高級の宝石から作り出しただけあって、とてつもない性能をしている。
「黒羽、お前の音は探知に使えんのか?」
「音で、探知……? その発想はなかった……やってみる……」
モノクロは翼から放つ音の質を変化させてコウモリの超音波みたく全方位に微弱な音を放ち、その反響を待つ。
その間無防備になるモノクロを、深影はクリミナルの連射でガードした。
「初めてだから難しい……でも、ここからさらに上に不自然な反応がある……触手にしては少し、大きい……」
「っ……姉貴……行くぞモノクロ、背中は任せた!!」
「任された……行って深影……!」
上昇するに連れ、さらに触手の数や狂暴性が増してきた。
どうやら本当にこの上に姉貴がいるようだ。
もしそうでないにしても、黒い煙を構成するにあたってコアのような重要なものがあることは間違いない。
深影はフリスヴェルグを呼び出すと、フリスヴェルグにありったけの魔力を注いだ。
フリスヴェルグの特性は触れた魔術をエネルギーに変換して吸収すると言うもの。
つまり黒い煙さえも例外には漏れない、ただしそれはフリスヴェルグが黒い煙の効力に対抗出来るほどの力を維持出来ればの話だ。
だから深影がフリスヴェルグに魔力を注ぎ続けている間は、絶対に黒い煙の影響を受けることはない。
モノクロの腹を抱いてモノクロをフリスヴェルグの背中に乗せた深影は、左手でモノクロの体を引っ張って支えながら右手で迫る触手を撃ち抜いた。
「深影、フリスヴェルグは最終手段だと……」
「姉貴を発見出来た今、手札を惜しむ理由はない。確実性を持って挑む」
「でもあの反応がエイスとは確定していない……気をつけて……」
しばらく真上へ向かって上昇していると、何やら聴診器で聞き取った心音のような音が二人の胸に響いてきた。
ある一定の高度を越えると襲ってくる触手の量が格段に減り始め、深影はモノクロを自分の前に座らせて落ちないように左腕で腹を抱える。
そうしていないと下に落下してしまうほど、とてつもない高度と角度なのだ。
「黒羽、フリスヴェルグにしっかりと掴まっていろよ。もし戦闘が始まれば俺はお前を支えていられない」
「問題ない……私のことは気にしないでいい……」
『クスクス……深影、ここより十数メートル上空、お目当ての反応よ……私のフクロウちゃんが見つけてくれたわ……』
「本当か! フリスヴェルグ、アンドラスの使い魔を追え!」
深影の命令を受けて大きく翼を羽ばたかせるフリスヴェルグによって、二人はとてつもない重圧を受けながらもフリスヴェルグにしがみつく。
この上空にエイスが、姉貴がいる。外で踏ん張ってくれている愛梨達の為にも、一刻も早くエイスを救出なければならない。
「見えた……あれが、エイス……!」
雲を突き抜けるように黒い煙を突き抜けると、フリスヴェルグはアンドラスの使い魔と合流してその場で静止する。
黒い煙の抵抗にも体が慣れてきた頃、ようやくエイスを見つけることが出来た。
深影の目の前に広がっていたのは、アイゼルネと分離したエイスが黒い触手に拘束されている光景だった。
エイスの四肢をがんじがらめにする触手を、深影はクリミナルの銃弾で撃ち抜いて取り除く。
触手から解放されたエイスは、中途半端にエイスとの一体化を解除させられたせいで着ていた服が戻ってきていないようだった。
「深影……私のローブを使ってあげて……」
「いいのか? それはお前の……」
「別に誰かに貰ったものじゃない……それに、貴方には一度裸を見られてる……」
「そ、その件は本当に済まなかった……」
「別に、気にしてない……それよりも、早く脱出した方がいい……エイスが暴走して黒い煙が生み出されたのならば、コアであるエイスがいなくなればここは崩壊する……」
モノクロは自分が着ていたローブを脱ぐと、エイスの体を包むようにローブを着せた。
ローブから解き放たれたモノクロの姿は、漆黒の衣装を纏う無表情な小悪魔だった。
女神も羨む人形のような美貌と、艶やかな黒い髪の細いツインテール。
肩を大きく露出したコルセットのトップスは、幼い面持ちとそれには似合わない大人びた体型を際立たせる。
黒いフリルスカートからは、蝶の模様が描かれたニーソックスに包まれた細く長い脚が伸びていた。
「ん……んん……ぅん……? 深影……くん……?」
「その様子だと、本当の姉貴のようだな」
「あ……れ……アイゼルネは……どうしたの……?」
「アイツは……分からん。だが今は何も考えるな。俺が側にいる」
「うん……分かった……えへへ……深影くん温かい……♪」
寝惚けたように微笑む姉貴を左腕に抱えると、深影は再びフリスヴェルグに飛び乗った。
意識がはっきりしてアイゼルネがいないことに気づけば、姉貴はどれほどのショックを受けるだろうか。
どんな形であれ、アイゼルネは生き返った姉貴の大きな心の支えとなっていたのだ。
それがなくなったとなれば、いや今は脱出することのみを考えなければ。
それにまだアイゼルネが消滅したと言う確証もない。
「黒羽、フリスヴェルグに飛び乗れ。脱出するぞ」
「分かった。リベリオン、トリーズン、フリスヴェルグに魔力の譲渡をお願い」
ローブを被っていた時よりも声音は凛々しくなり、双眸から深影ですら息を呑むほどの迫力が伝わってくる。
これが本来のモノクロの、黒羽と言う少女の姿なのか。
以前研究室の奥で肩を抱きながら震えていた少女とは思えなかった。
「フリスヴェルグ、煙を突き抜けろ!」
一際大きな羽ばたきとともに、フリスヴェルグは直線を描いて黒い煙を突っ切る。
息が詰まるほどの強風を受けながらも、深影は姉貴を守るように抱えて体制を低くした。
対してモノクロは左手だけでフリスヴェルグの羽毛を掴んで体を支え、さらにそこからフリスヴェルグに魔力を送り込む。
『深影君、こちら白夜っ……お姉さんは助け出せたのかいっ!?』
「ああ、丁度今助け出した。今脱出しようとしている。少々雑音が多いのか、貴様の声が少し早く聞こえる気がするな」
『そ、それはそうだよ、焦って早口になってるんだから』
「どうした、何かあったのか?」
『今さっき、多分深影君がお姉さんを救い出したのと同時くらいかな……黒い煙が暴走したみたいに膨れ上がったんだ。流石にコロナちゃんでも手に追えなくて、やむなく手を引いたよ』
暴走しているから黒い煙に姉貴が飲み込まれたと言うのに、姉貴を救い出してからさらに暴走しただと?
崩壊して雲散霧消するならまだしも、何が起こっているのかいまいち状況が掴めなかった。
ただ一つ分かることは、姉貴を救い出したことでさらにヤバい状況へと陥ってしまったと言うことだ。
「深影、そろそろ外に出る。もし黒い煙がさらに暴走しているのなら、戦闘準備をした方がいい」
「ああ、そうだな。姉貴、あんたはフリスヴェルグの上でじっとしていろ。落ち着いたらちゃんと迎えにいく」
「ふぇ……? どうして……? 何か、あったの……?」
「安心していろ、今度は俺が守ってやる。あんたが心配することは何もない」
深影の腕の中で小さくなる姉貴を、深影は赤子をあやすようになだめた。
姉貴が落ち着き始めた頃、三人の目に久しぶりに日光が差し込む。
眩い日の光を腕で遮る間もなく、何かが三人の視界を覆った。
「深影さん、こちらです!」
「愛梨、無事のようだな。モノクロ、お前もフリスヴェルグの上で待機していろ。そして姉貴を守ってくれ」
「気を使うことないのに……でも、分かった。お姉さんのことは私に任せて」
ローブを姉貴に貸したモノクロをフリスヴェルグの背中に残し、深影は愛梨達のいる地上へと飛び降りた。
コロナを支えながらゆっくりと近づく優の体を支え、深影は白夜から大まかな状況を説明される。
「なるほど……コアである姉貴を失って暴走したのか。つまり、姉貴がいた間はまだ優しい方だったと言うことか」
七人の視界を覆っているのは、際限なく増え続ける煙の大群。
大空を覆い尽くしても尚増え続けるそれは、大樹のように中心がうねりながら地面に根を張った。
地面と繋がって徐々に形をなすそれは、世界樹とでも言うべきか。
計り知れない、壮大と言う言葉で表しきれないほど巨大な灰色の大樹だった。
「これは……はは……まるで世界樹……いや、これは〈穢された世界樹〉とでも言うべきかな」
「バカなことを言っている場合か。これは、ただ事じゃないぞ」
「このままじゃ、カンナの世界が……ドラゴンエンパイアが、崩壊してしまいますっ……!」
「元はと言えば俺の責任だ。俺が何とかする」
「ど、どうする気ですか?」
「……何とかだ。具体的な方法はまだ分からん」
深影にしては珍しい、行き当たりばったりのようだった。
だがこれほどまでに壮大な光景を見せつけられて、誰が具体的な案を思いつけよう?
地面に膝をついて今にも泣きそうな愛梨を、コロナは意識を保つことでさえ辛いような状態で慰めた。
「姉貴を救出した今、もはや壊すコアもない。どうすれば……」
「深影、皆も聞いて」
ローブに身を包んだ姉貴を抱き抱えながらフリスヴェルグから飛び降りたのは、無論ローブを纏っていない本来の姿をしたモノクロだ。
揃って驚愕、焦り出す深影と白夜をよそに、モノクロは話を切り出す。
「コアであるエイスを失った黒い煙、即ちアイゼルネは、失ったコアを埋めようと新たなコアを自分で作り出す、もしくは自身がコアになっているはず。つまりあの大樹の中にある、またはいるコアを破壊すれば、この暴走は収まる」
「確証はないが、その方法がもっとも濃厚だろうな。だがあの世界樹からどうやってそのコアを見つけ出す?」
「それは、コアが見つかるまで大樹の表面を攻撃し続けるしかないと思う……」
「この場には白夜を除いてまともに戦えるのは俺とお前くらいだ。俺はともかく、お前もずっと〈次元歪曲〉を使って体がボロボロだろう」
いくら白夜と言えど、二十階建てのビルが積み木に見えるほど壮大なサイズの大樹を一人で壊すのはまず不可能だ。
これは対契約者の戦闘ではなく、自然災害を相手にしているような防衛戦。
コロナと優はカーバンクルの欠片を使って回復すればいいと言う問題ではないほど肉体が疲労しているし、愛梨はその二人をカバーしながら触手と戦って体力も限界に近い。
モノクロと深影は姉貴を見つけ出すまでずっと〈次元歪曲〉を使い続けていたし、深影に至ってはフリスヴェルグにありったけの魔力を注いだせいで体の負担も一際重い。
もはやこの場にあの世界樹をどうにか出来るほどの戦力は、ほとんど残されていなかった。
「あ、あの……えっと、あのおっきな木をどうにかするには、コアって言うのを破壊しなくちゃならないんですよね? だったら、私にやらせてください」
「な、何を言っている姉貴? あれはもう一人や二人でどうにか出来るほどの規模じゃない。それにあんたは病み上がりだろう」
「でも、アイゼルネは私のせいでああなっちゃったから、これは深影くんの責任じゃないんだよ? こんな時くらい、お姉ちゃんでいさせて。ね?」
「あ、姉貴……だが、ティソーナとコラーダは今手元にないぞ?」
「ふええっ、あの子達いないのっ!? そんなあ……で、でもやるよ、やるって決めたんだから。怖いけど、私は深影くんのお姉ちゃんだからね!」
どんな根拠があってその自信が湧き出てくるのか、そして深影のお姉ちゃんであることと今の状況に何の関係があるのか。
だが白夜はそんなこともあろうかと言わんばかりな得意気な表情で、
「もしかして、お探しの神機はこれかな?」
白夜は直径が自分の腕と同じくらいのサイズの魔方陣から、二振りの剣を引っ張り出す。
薄暗い洞窟を意味する神機コラーダと明るい松明を意味する神機ティソーナ、白夜は『Kreuz Keuschheit』と彫られた鞘に納められた二振りを、姉貴の両手に託した。
「ティソーナ、コラーダっ……! よかったぁ……でも、どうしてあなたが?」
「暴走した貴女から黒い煙が発生する直前、地面に突き刺さっていたこの神機を僕が回収していたんですよ。あのままではこの子達も黒い煙に取り込まれていたでしょうから」
「そうだったんですか、ありがとうございます。じゃあアイゼルネを助けて来ますね!」
「バカか、一人で行けるわけがないだろう。俺も行く」
「ダメだよ、そんな体じゃ。白夜さん、手伝ってくれますか?」
「ええ、勿論最初からその気でしたけど、二人で行っても難しいでしょう。それに貴女は今パートナーが不在です」
一体化も出来ないのでは丸腰も同然、そんな状態であんな危険な地帯に送り出すなど、深影には到底出来なかった。
「やはり、俺も行く。何と言われようが行くぞ。せっかく取り戻せた姉貴を、みすみす失ってたまるか」
「えへへ、深影くんったら、何だか優しくなったね。お姉ちゃんとっても嬉しいな♡」
「な、何を言っているこのバカ姉貴、今はそんなことを言っている場合ではないだろうがっ」
珍しく深影が取り乱している。コロナと優はそんな余裕があるはずもないのに、腹の底から沸き上がってくる笑いを押さえられなかった。
「な、何がおかしいんだ……」
「少し気持ちが楽になったね。ま、現状何も進んでないんだけど」
「カーバンクルの欠片が回復してくれるのはエネルギーだけで、体力や精神力は回復してくれない。だがこのままここでくすぶっていても無駄なのも事実だ」
「じゃあさ、近づくだけ近づいて偵察しにいこっか。それくらいなら大丈夫だよね?」
「そうだな……なら俺のフリスヴェルグを連れていけ。俺は愛梨達と何か策を考えておく」
「じゃあ行きましょうか、えっと……」
「ああ、そう言えば本名は名乗ってなかったですね。私は不知火 深陽です。皆よろしくね♪」
二振りの神機を腰に下げると、深陽はエイスだった頃とはまったく別物の生き生きとした笑顔で振り向いた。
この人ならば大丈夫だろうと安心させてくれる、そんな深陽の温かい微笑みに、コロナ達は自然と強ばっていた体の力が抜ける。
「ところで、この子達ってどうやって使うんだっけ?」
自分の両手に持った二振りの神機を眺め、深陽はそんなことを言い出した。
今までアイゼルネがほとんど深陽の体を操って戦っていた為、大まかな知識以外はほとんど一般人と同じ。
それどころか今までまともに剣を握ったことなど、ただの一度もない。
「あのなあ……いや、仕方ないことか……アイゼルネとはまだ契約を解除していないんだろう? ならばまだ神機を使うことは出来る。ジェットコースターに乗った時、何もかも忘れて絶叫するだろう? それをイメージして体に力を入れてみろ」
「ジェットコースターに乗ったことをイメージして、体に力を入れる……やあっ!」
えらく可愛らしいかけ声とともに、深陽の全身から莫大な量の聖力が吐き出された。
ティソーナとコラーダはそれを余すことなく吸い取り、その刀身を輝かせる。
「なるほど~こう言うことなんだね、分かったよ」
「流石にやりすぎだがな……まあいい、行ってこい。ただし偵察だけだぞ」
白夜にエスコートされながらフリスヴェルグへと飛び乗り、深陽は再び腰にティソーナとコラーダを差した。
近くで見てみなければ判断は出来ないが、大樹の成長が少し鈍った気がする。
恐らく限界に近いほどまで成長して、今は自らの強化に励んでいるのだろう。
暴走しているくせに賢いことだ。
「あの、白夜さん、コアって言うのはこの木の中にあるんですよね?」
「ええ、恐らくは。でもそれはあくまで推測で、中がどうなっているかは分かりません」
「むぅ……何とか壊したいですね。そして深影くんをびっくりさせたいです」
エイスの頃とは別人と思ってしまうほど、今の深陽はとても無邪気で幼い様子だった。
勿論今はアイゼルネに操られていないので別人なのだが。
「おっきいですね……近くで見るとほんとにおっきいです」
「これを何とかするなんて、本当に出来るのかどうか……ですが僕達がやらなければこの世界を壊してしまうことになる」
「大丈夫ですよ、根拠はないですけど……でも大丈夫です。どんなにダメでも、いつかは必ず達成出来ますから!」
生身の、それも病み上がりの女性に励まされるとは、白夜は自分の情けなさに歯噛みした。
やがて大樹との距離が一キロほどまで狭まった頃、深影とモノクロを煙の中で襲った防衛システムである触手が無数に近づいてきた。
深陽と白夜を敵と判断して襲ってきたのだ。
白夜は深陽をフリスヴェルグに残したまま、ジブリールと一体化してフラガラッハを構えた。
「まさか……本当にこれを使うことになろうとはね。でも、こんな規格外な存在にこの子の特性が使えるのかな……」
『白夜……案じている暇はない……来る……!』
尋常ならざる量の聖力を撒き散らして触手に応戦する白夜だが、未だにフラガラッハの特性を使おうとはしない。
ただフラガラッハを剣としてだけ使い、防御に回っている。
本来この停滞した状況を維持して相手の様子を詳しく観察することが最善なのだが、深陽はそれがもどかしくてついコラーダを鞘から引き抜いた。
「使い方は何となく覚えてるよ。力を貸してね、コラーダ」
『期待は裏切りません。真に目覚めし我らの力を使ってください』
「白夜さん、ちょっとごめんね!」
「へ、あ、ちょっと深陽さん、それ以上近づいたら──」
白夜の制止など聞く耳を持たず、深陽は白夜の肩を持ってフリスヴェルグから飛び上がった。
ろくに翼の展開方法も知らない深陽だったが、深陽が地上に落下する前にコラーダが自ら〈空間操作〉の特性を起動して深陽を大樹に接触させる。
咄嗟のことで世界樹も対応出来なかったのか、触手を放つまでにほんの少しだけタイムラグがあった。
「ありがとコラーダ、次はティソーナ、あなただよ!」
『その望み……照らしてあげる……』
世界樹の表面にコラーダを突き立て、それにぶら下がったままティソーナを大きく振り下ろす。
すると今度はティソーナが自らの特性である〈消滅〉を発動し、世界樹の表面をごっそりと消し去った。
それに巻き込まれた触手は、一斉に弾け飛びながら地面へと落ちていく。
「えーっと……コアは──見当たらないなあ……」
「な、なんて無茶を……深影君のお姉さんとはとても……むしろエイスだった頃の方が深影君のお姉さんとしては相応しかったんじゃ……」
「白夜さーん! そっちから見てコアみたいなのは見つかりましたかー?」
「い、いえ、見当たりません。どうやらもっと深い部分にあるみたいですね。それより、早くそこを離脱した方が……」
「へ~? すみませーん、遠くて少し聞こえにくいですー!」
風の音に遮られて白夜の声は行き届かなかったが、仮に届いていたとしても間に合わなかっただろう。
世界樹の表面が消滅したことでコラーダが刺さっていた部分まで消滅してしまい、白夜の想定通りにコラーダが世界樹から抜け落ちた。
コラーダもティソーナも今さっき特性を使ったばかりなので、深陽を支える手立てがない。
白夜かフリスヴェルグが助けようにも、一キロ以上も距離があってとても追いつけない。
このままではマズいと必死に翼に力を込める白夜だが、運悪く触手にフラガラッハを絡めとられ、そちらに気を取られたせいで飛び出すタイミングを失った。
「このままじゃ……間に合わない……っ」
「ラボーテ、行きなさい!」
突如展開された魔方陣から、聖なる天馬が飛び出してきた。
天馬には悪を払う一角が生えており、普通の馬よりも二回りほど大きい。
ラボーテと呼ばれる天馬は一直線に深陽へと突き進み、深陽を受け止めた。
ラボーテの背中に受け止められた深陽は、案外落ち着いてティソーナとコラーダを腰の鞘に納める。
「ありがとう、綺麗なお馬さん」
「あの天馬は、確か焔の……」
「勘違いしないでね、別に兄貴を助けに来たわけじゃないから」
「おい焔、間に合ったか? って、テメェは紅嶺 白夜! まさかお前までドラゴンエンパイアに来てたとはな」
大きな転移魔方陣から現れたのは、七人の契約者。
そのうちの一人は誰もが知っている英雄の一人、シルヴィア・ヴァリアレイだった。
他の六人のうち、白夜は三人の契約者と戦ったことがある。
「君は確か、黒騎士……」
「ヴァンキーシュとの戦いを終えてゆっくりしてたら、いきなり空が曇ってきたからな。様子を見に来てみればこの様。どう言うことだ?」
「説明すると長くなる。今はここを離脱しよう。ここより先に深影君達がいる。来てくれるかい?」
「俺はいいが、焔と璃斗はどうする?」
「私は構いませんわ。でも、焔さんは……」
「私も構わないわよ。ただ、あんまり話しかけないでね」
この状況で他の契約者と戦う意味もメリットもない。そう判断した白夜は少しでも戦力となり得る可能性のある黒音達を深影達のいる場所へと案内した。




