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ファンタジー短編まとめ

竜の卵

作者: あきら

 やっとの思いでたどり着いた”姉”は穏やかに、そして冷たく眠っていた。深い木の影がその身体にかかっている。何よりいつもまっすぐに見てくる青い目が見えない。

 それは静かな死だった。


***


 トゥーリアは小さいころから人並み外れて美しい少女だった。

 それどころか、賢く、何をやらせても完璧だった。女が必要とする家事全般は元より、聖書を諳んじては人を惹きつけ、読み書きもよくこなした。それでいて両親を敬い、家のことを手伝うものだから、目に入れても痛くないほどに可愛がられていた。

 貧しい家には相応しくないほどの服を与えられた。水仕事は手が荒れるから、と押し問答をしたりもしていた。祝い事があればまず最初にトゥーリアに。その下にいる息子のことなど二の次で、トゥーリアが残した余り物を渡すのだ。

 幼い頃はそれも不満に思ってたように思う。やはり親の愛情とは何にも代えがたく、呆気ない扱いは不満をこじらせた。そして事あるごとに姉にあたり、心ない言葉を投げた。

「貰われっ子のくせに!」

 自然に出た言葉だった。

 誰に言われるまでも無く姉は自分とは違う生き物なのだと思っていた。似ている部分など何一つ無い。雰囲気からして違う。無論、そうでもないとやってられなかったのもあるだろう。

 器用なトゥーリアはやるべき仕事を一瞬で片付けてしまう。気を回してやらなくてもいい仕事も終わらせてしまう。何をやっても弟は姉を越えられない。

 彼女が居なかったら、それを考えない日はない。

 それは成長してからも変わらなかった。

「あんたがが居ない日々はきっと素晴らしいのだろうよ」

 そうやって出来るだけ傷つくような言葉を言った。子供の頃から何一つ変わってない。それは向こうも同じだった。

「でも私はファビオが一番好き」

「はあ?」

 頭がイカれているのか。いくら暴言を吐いても風のように流され、青い目で微笑まれた。そして一番だと言ってくる。

 何が一番だ、何が好きだ。

「ファビオの音は人間の中で一番気持ち良い。凪いでいる」

 音とは何なのか。それは喜んでいいのか。もう少し褒めることはないのだろうか。言い返すにも他の言葉があるだろうに。

 だから、逆に返してやった。

「俺はあんたの事が一番嫌いだよ」

 それでもトゥーリアは幸せそうにしているのだった。


「良い縁談があるのよ」

 村を出て嫁入りした叔母が里帰りに持ってきたのはトゥーリアへの縁談だった。

「お相手はね、幾つもの農場を持っている地主さんの息子なの。次男なんだけれどね、母方の方から引き継いだ土地があるから、いい暮らしができるわよ。それにこんな田舎じゃなくて、王都にも近いから街道も随分発達しているのよ」

 矢継ぎ早に紡がれる言葉には聞き捨てならないものも随分と含まれていた。どうもこの人はは都会的なものに憧れ過ぎている。

 溜息をつきひたすら呆れた。おもいっきり顔に出して。

 しかしトゥーリアは曖昧な笑みで飲み込んでみせた。もしかすると弟とは違い、気にならなかっただけかもしれなかったが、とにかく彼女は「はい」とも「いいえ」とも答えなかった。

 それをどう思ったのかしれないが、更に叔母は続ける。

「ね、兄さん進めていいでしょ? こんな良い縁談この先絶対出っこないんだから。トゥーリアだってそろそろ嫁入りしないとまずい年でしょう?」

 無理だ、と腹の中で三十回は笑ったと思う。馬鹿馬鹿しい。トゥーリアにはこの村を出て生きていくなんて無理だ。仕事が終われば、日がな一日森の中か川辺か畑でひたすら植物に話しかけてるような女だ。そんな彼女がゴミゴミとした石とレンガと人の世界で彼女がやっていけるとは到底思えない。

 少しばかり優秀で、人に褒め称えられていたが良くと見れば自分から用もなく人に関わえいにいかない。そんなことも知らないのか。

 だが、父は別の考えを持っていたらしい。

「うむ……そうだな。お前の言うとおりトゥーリアもそろそろ嫁に行く年だ」

「ええ、ええそうでしょ、そうでしょう? だとしたらこの話はとてもいい話よ」

 年頃の娘の結婚相手を決めるのは親、ひいては家長である父の権限だった。

 姉の嫁入りは誰も口を挟む暇もなく一瞬で決まった。


 トゥーリアがいなくなったのを確信したのは五日前、太陽が一番高い位置にある時だった。

 結婚式の十日前。相手の家に出発する前日。トゥーリアは朝からずっと最後の別れを――村の外への嫁入りとはそういう事だ――村中の人々にしていた。

 この時ばかりは余り人付き合いの良くない彼女も村中の人々に挨拶をしていた。

 だから気がつくのに遅れた。

「パン屋のレーテの所にでもいったんじゃないかしら? あんなに気が合ってたのに、あの子たちもう気軽に合うことも出来ないのだもの。どうしても話が長くなってしまうでしょう? 私もそうだったわ」

 遠い目をして母は言った。昔を思い出しているのだろう。

 だが、現実にも目を向けて欲しい。

「それなら最初に確かめた。家の中も探したし、いつも夜中まで手入れをしているベリーの畑も行った。だけど姉さんは居ない」

「じゃあ、すぐ帰ってくるでしょう? 何をそんなに心配しているの?」

 姉さんが帰って来ない事を。

 それは言葉にならなかった。

 わかっていた。彼女は今日最も幸せな人間なのだから。文句のつけようのない結婚相手に準備された美しい婚礼衣装。数少ない懸念事項はずっと暮らしていた故郷を離れる事だけ。

 当然なのだ。

 彼女は”幸せ”である。

「全く、あなたが結婚するんじゃないのだから。これから素敵な結婚をするのだから、トゥーリアは大丈夫よ」

 本当は大丈夫じゃないことを心の底から望んでいた。


***


 日が昇り月が沈んだ。

 ようやく見つけた彼女のその姿は望んでいたものだった。

 あのトゥーリアが,無事に嫁入りする姿なんて見たくなかったのだから。神はこの愚かな人間の望みを叶えてくれたらしい。

 どこまでも美しかった。普段から着ている生成りのワンピースが強い太陽の光に晒されて白く見えた。それはまるで婚礼衣装のようだった。しかし彼女の最も美しい青い目が閉じられていて、少しだけ彼女から魅力を奪っていた。

 呆然と時間を過ごしていたものだから、眠っている彼女が”何か”を抱えていることに気がついたのは、長い時間が経ってようやくだった。

 目に入らなかったのが不思議だった。一抱えもあるそれはとても大事そうに、彼女の腕の中にあった。もしかしたら隠していたのかもしれない。

 つやつやとしたなめらかな表面。春先の空のような優しい青色。母が持っている一番高価な指輪についているカッライスの石に似ている。

 しかしその形は宝石と言うよりまるで――卵だった。

 このような大きさの卵は見たことがない。そもそも畑にやってくるカラスなどより大きい。これが卵だとしたら如何ほどの大きさの鳥になるのか。なぜ姉さんが持っているのか。

 とにかく姉さんを連れ帰ろう、そう思った時、遠くの方で熊払いの鐘の音が聞こえた。

 人が来るならここに留まって姉さんを連れ帰るのを手伝ってもらえばいい。きっと彼らも自分と同じで森に消えた花嫁を追っているのだから。

 でも、そうしたらコレをどう説明する?

 この森には古の生き物が住んでいる。村の子供は寝物語にそう聞かされる。ヤマイヌに森妖精、泉には人魚が泳いでいる。事実、夜になれば咆哮が聞こえ、月に怪しい影が通り過ぎる。中でも一番恐ろしいのは竜だ。一吠えで山を丸焼きにし、雨を呼び寄せる。

 おとぎ話とは全く思っていないだから村人は日が高いうちしか入らない。それだって躊躇する。気にしないのはトゥーリアだけだ。その結果がコレだ。ああ、だからやっぱりトゥーリアに嫁入りなど無理だ。いくら誤魔化してもダメなのだ。彼女は普通ではない。あるいは人間ではないのか?

 彼女が抱えているソレがもし卵だとしたら、何の生き物の卵なのだろうか。どう考えても村の手に余る。捨て置かれるなら良い。もしも万が一、だ。コレを持っていたせいでトゥーリアの評判に傷がついたらどうする? 彼女はもう挽回する機械を永遠に持てないと言うのに。

 ならば彼らが来る前にさっさと捨ててこよう。とりあえずトゥーリアの腕の中からコレが消えれば良いのだ。そうしたら彼女は不運な花嫁で済む。

 そっとその腕に手を伸ばす。彼女がこれ以上傷つかないように、人生で一番彼女に優しく触れた瞬間だと思う。

 それなのに腕はピクリともしない。

 だから今度は強引に腕を引き抜いた。しっかりと両方の腕を引き上げてやると、ソレは静かに転がり、地面の上に横たわった。

 改めて手にするとソレはより一層卵に見えた。ずっしりとした重さは全くの未知の体験ではあったが、普段食べている鶏のものに非常に近い形をしている。

 後はコレを投げ捨ててしまえばいい。

 どこがいいだろうか、そう一巡している途中トゥーリアと目があった。

 

――守って。


 本当に馬鹿馬鹿しい。

 比べられるものなど存在しないのに、彼女を置いて行くなどくだらなすぎるのに。


 その日の晩になり損なった夫に連れられてトゥーリアは無言の帰宅をした。母は泣き崩れた。父はいつも以上に無言で人を近寄らせない。村の人間は娘を失った親たちを囲み、ひたすら寄り添った。

 しかし、彼らのもう一人の子である人間はとうとう一晩中姉の前に現れなかった。

 悲しい夜が更けていった。



 本当に自分は何がしたいんだ?。

 今トゥーリアは教会で横たわっている。いい加減会いに行かねばならない。これがあの美しいトゥーリアの姿を見れる最後なのだから。

 しかし、長櫃に隠したモノを放って出かけるのも気が引けた。コレを放っておいて万が一自分が居ない間に問題を起こしたらどうすればよいのか。中身が出てきてしまったら――誰がその息の根を止めると言うのだ。

 そうやってグズグズとしている自分に非常に嫌気が差した。腹がたったと言ってもいい。乱暴に長櫃に鍵をかけ、窓を締め切り、扉につっかえ棒をして家を出た。

 胸がすう、とした。アレを見ていると胸がもやにかかったように苦しい。

 教会へは村の中心にあった。そんな距離ではない。のに、行く手を阻まれた。

「コレはお前のか?」

 見ない顔だった。背後に幾人もの帯剣した男を従えている。どの顔も見たことがない。初対面の人間にこのような態度をとられる筋合いは無かったので、無視を貫いた。

「答えろ!」

 無理やり肩を捕まれ、目の前にずいと差し出された。お守りだった。

 見覚えは、あった。

「どこで手に入れた」

「質問しているのはこっちだ。コレはお前のだな?」

「……ああ」

 答えた瞬間に力任せに投げつけられた。後ろでは剣が抜かれた音がした。

「表にでろ。今すぐにだ。裁判をする」

「こんな村で裁判も何もないだろ」

 私刑の間違いだろ? その言葉は飲み込んだ。相手は怒り狂っている。イライラと、相手は叫んだ。

「これは”我が妻”の所に落ちていたものだ。”我が妻”をあのような姿にした下手人のものに違いないのだ」

「姉さん、に襲われた形跡は無かったと聞いたが」

「つまり熊のしわざでは無いし、野盗の類でも無いのであろう。誰かが害意を持って彼女を襲ったのだ。村をほとんど出たことがなかった”我が妻”を誰が憎むという?」

「さあな。あの人は美人だったし、才能もあったし、妬まれることもあるだろうさ」

「それに親御の愛情もな」

 赤ん坊じゃあるまいし、そんなものもう欠片もいらない。要らないもののためにトゥーリアを殺したと? こいつはそう言いたいのか。

 本当に馬鹿げている。

「旦那様、正解でした!! こいつの部屋、厳重に締められてます」

「!! 勝手に家に入ったのか!?」

「”我が妻”の実家だから、他人でもあるまい。それに、目下最重要容疑者の家であるしな」

「今、他の奴らが部屋を調べてます。きっとなにか出てきまっせ」

 脳裏にアレが浮かんだ。

 守れと言われた、アレが。

 こいつに渡すために、トゥーリアを置いて持ち帰ったわけじゃない。

 カッとした瞬間にはもう走りだしていた。

「こら待て!」

 叫び声には目もくれず、元来た道を必死で戻った。扉は開け放してあり、自室までの、長櫃のまでの道には何の障害もなくなっていた。

「触るな!!!!」

 ちょうど長櫃のカギがひねり壊されていた。部屋の中に居る人間は見たことがある。村人だ。村の奴らも一緒になって疑っていたのか。ならば、と遠慮無く一人、二人と蹴りあげた。

「逃がさん! お前たち、その男を抑えろ! それに、その箱だ。中に証拠があるに違いない。渡すな! 奪い取れ!!!」

「くそっ離せ!」

 だが追いついた男たちは見るからに肉体でもって金を稼いでいる体格をしていて、押さえつけられればピクリとも動くことを許されない。

 蹴りつけた奴らもまた態勢を立てなおして長櫃に向かった。

「開けろ」

 中からは当然の如くソレが入っていた。

 つやつやの、まあるい楕円の、青く、青い、ソレ。

「……これは、何だ?」

 無遠慮に自称”夫”が手を伸ばした。

 許せないと思った。ソレに勝手に触るなんて。

 一瞬の感情の暴発が、完璧な拘束をぬけ出す力となった。

「返せ!!」

 手を伸ばして取り返そうとした瞬間、

 ソレにヒビが入った。

 ぴしりと言う音一つしない。自然に。じんわりと。ただ静かにひびは大きくなっていった。

「ひっ」

 抱えていた人間が手を引っ込めた。落とさせやしない。その瞬間を見逃さずに奪い返した。他の人間も皆一様に後ずさり、遠巻きにしている。

 腕の中に帰ったそれは今度は音を立てて崩れ出した。勢いが早まっていく。

 ああ、あの人は”違う”んだ。

 死の中でトゥーリアがそうしていたように抱きかかえる。コレを大事にしていたその感情が、人間とは違う。

 ぞわぞわと恐怖が背中を這いずる回る。

 そして中身が現れた。

「……竜」

 ぽつりと誰かが声を漏らさした。

 深い藍色のスラリとした美しい姿。まっすぐに伸びた角。長い尻尾。そして綺麗な空色の瞳。

 青い二つの瞳はトゥーリアを思い出した。

 誰もが唖然と腕の中の生き物を見ていた。

 見られてる方といえば何も気にせず体をくねらせ、やがて羽を広げた。人間など全く気にしていない。ただ一度だけこちらを見て目を細めたかと思えばそのまま煙突の隙間から飛び去っていった。

 呆気なかった。

 彫像のようにその場に居た人間全てが動かなかった。

 だから自分はその隙に竜を追いかけた。小さなくせにその生き物は早い。必死で置いていかれないように走った。

 途中で村人にすれ違う。もしかしたらその中に母の、父の姿を見たような気がした。叔母の声が聞こえたかもしれない。

 それら全てを置いて、ただただ追いかけた。


***


 竜は古い森へと帰った。

 それをきっかけに全てに幕が下りた。

 古い森の端にある小さな村には荷が重すぎる出来事は全て終わったのだ。


 後には割れた卵の殻だけが残った。


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