私に触るな 2
「私に触るな」
ムカつくことに、これは私の口癖だった。
いつからこんなことを言っていたのか、もう覚えていない。
確か、アイツが泥だらけの手で私に触ろうとしてきた時からだったか……。
記憶は不確かだ。
それでも、きっと碌な切っ掛けではないだろう。
アイツは昔からスキンシップが過剰だった。
小学校の頃や、中学校の頃はまだ我慢できた。
それでも、高校に上がって、年頃の男女の間で、ああもしつこく撫でられたり小突かれたり……抱き上げられたりするのは、なにか間違っているのではないだろうか。
そうして私は日々、アイツに不満を抱き続けてきた。
昔はどうしてかそれほどアイツのスキンシップも嫌ではなかったように思えるが、今はただただ不快だった。
そうして、私は、ついに、アイツへ、面と向かって言ってやったのだ。
「私に触るな」
と、本気で、そう言った。
アイツは私を驚くでも、悲しそうでも無く、ただただ、嬉しそうな顔で見ていた。
次の日から、アイツが私に触ってくることはなくなった。
※ ※
イライラする。
アイツへと、きっぱり告げてから、もう二ヶ月が過ぎている。
もはや私たちの仲は疎遠なものとなっていた。
スキンシップも、会話もすることはない。
それどころか、アイツはクラスからも少し、孤立しだしていた。
ただ、アイツの性格から、イジメなどには発展していないようだ。
けれど、そんな、誰からも無視されるようなアイツを見て、私は、とてもムカついて、イライラしていた。
毎日毎日、私の機嫌が治まることはいっこうに無い。
自分ではわからないが、学校でも、そして家でも、ずっと眉を顰めていたのだろう。
母から、
「彼と喧嘩でもしたの?」
と聞かれた。
ふざけるな、どうして私がアイツと喧嘩なんかしなくちゃないけないんだ。
違う、と、半ば叫び声をあげるかのように否定してしまった。
母はそんな私を見て、
「昔はあんなに仲が良かったのにね……」
なんてことを呟いていた。
そんな筈はない。
ただ、アイツがベタベタと私に粘着していただけだ。
そんな筈は、ないのだ。
※ ※
学校でも、私は常に不機嫌だった。
友人たちも、最近では私を少し腫物扱いするようになってきている。
別に、私の機嫌なんて取らなくてもいい。
わけのわからない自分の感情に振り回されては駄目だ。
だから私は、なんとか愛想笑いを浮かべて、以前のように振る舞った。
けれど、多くの気を遣われて言われた言葉の中で、
「その髪、とっても綺麗だよね」
という、言葉だけが、なぜか私の中に残っていた。
※ ※
いい加減にしなさいと、母から言われた。
何をそんなにイライラしているのだと、怒られた。
そんなこと、もう自分でも、わからない。
だから、正直に、そう言った。
すると、母は、いつからそうだったのか、その切っ掛けはなんなのかと、聞いてきた。
わからない、けれど、いつからかは、わかっている。
なら、きっと切っ掛けはそうなのだろう。
私は母に、あの日のことを、アイツへと言ったことを、話した。
※ ※
母は私の話を黙って聞いていた。
そして、聞き終わると、一言だけ、言った。
「気が済んだなら、彼に謝ってきなさい」
と、そう言われた。
なんで私が謝らなくちゃいけないんだ。
一気に頭に血が上って、自分の部屋へと駆けた。
身体が怠くて、しんどい。
私はふらふらと、ベッドの上に倒れた。
※ ※
夢を、見ていた。
小さい頃の夢。
少し変わった髪の色から、一人だった。
ずっと一人で、周りからからかわれながら、それでも泣かずに、頑張っていた。
夢の場面が飛ぶ。
一人でいる私の周りに、もう一人いた。
アイツだった。
アイツは嫌がる私に無理やり泥まみれの手で触り、私の服を汚したりしていた。
私が怒ると、何故かアイツは、嬉しそうにしていた。
どうしてだろう。
どうしてアイツはあんなに、嬉しそうに、笑っているんだ。
その顔が、あの日のアイツの顔と重なる。
わからない。
私は、何を忘れているんだろう。
思い出せない。
考えて、考えて、そして、すっと、それを思い出した。
※ ※
白金色の髪している女の子が言った。
「……私にさわらないで」
男の子が言った、どこにでもいるような、けれど、明るそうな子だった。
「えー、どうして?」
不思議そうな顔をする男の子に、女の子は苦しそうに言う。
「『きん』がうつる……」
「『きん』って、きん? 『ろうかきん』のこと?」
こくりと、女の子は頷いた。
「そんなの、あるわけないじゃん」
男の子は、おどけたように言った。
でも、そうじゃないのだと、女の子は俯いていた顔を上げる。
実際にあるかどうかじゃなくて、そう扱われるということが問題なのだから。
男の子は、何かを察したように、彼女の髪を、頭を撫でてきた。
突然のことに、女の子は戸惑う。
「これでおれも『かんせん』したねー」
明るく、そう、笑った。
そして、男の子は言った。
「もっとおこればいいのに。やめてって。ほんきでいやだっていえば、きっとわかってくれるよ」
女の子は、ぽかんとした顔で、男の子を見ている。
「もし、それでもだめだったら、だいじょうぶになるまで、おれがさわっててあげる」
男の子は、……アイツは、笑いながら、そう言った。
「おれが、そんな『きん』なんていないんだぞって、しょうめいしつづけてあげるから」
女の子、私は、きっとその時初めて、家族以外の前で、泣いてしまった。
※ ※
目が覚める。
イライラとした気持ちの行き先が、やっとわかった。
どうして気付かなかったのだろう。
どうして忘れていたんだろう。
私がしっかり怒れるようになるまで、特訓するのだと、アイツは私が嫌がるようなことばかりしていた。
私に友達が出来るまで、アイツはずっと、隣に居続けてくれていた。
そんなアイツに、私は……。
思い浮かぶのは、最後に見た、嬉しそうな顔。
もう大丈夫とでも言うような、そんな顔だった。
部屋から転がるように飛び出る。
身体は未だ熱くて、とても怠いままだけど、そんなことどうでもいい。
驚く母に、アイツの家に行ってくると、そう言って、家から出た。
アイツの家は、それほど遠くない。
縺れそうになる脚を動かして、なんとか走った。
いくら身体が悲鳴を上げても、知るものか。
絶対に許してなんかやらない。
私は、ずっと、自分自身に、怒っていたのだから。
※ ※
もたれ掛るように、チャイムを押して、待った。
家の中から、アイツが出てくる。
驚いていた、そして、心配そうな顔だった。
駆け寄ってきたアイツに縋りついて、私は言った。
「ごめんなさい」
アイツは、また、私の頭を撫でてくれるだろうか。
そんなことを思いながら、私の意識は途切れた。
※ ※
「私に触るな」
これは私の口癖だ。
ベタベタベタベタ、触ってくるな。
鬱陶しい。
アイツは、私の腹に耳を当て、言う。
「おー、今、動いた? 動いた?」
知るか。
それより私は今、身重なんだぞ、もっと労わってくれ。
アイツは笑いながら、私の髪を撫でてきた。
蛇足感が否めない。
実はあれから色々と学校であったという裏設定もあるのだけど、連載にしたくないので全カット。
なんでそんなプロット書いたんだろう。