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第五話

 多少不満そうな彼女と共に店を出て、その日はそのまま帰宅することになった。彼女も何か用事があったようだし、僕は僕で、一日に起こることが多すぎて、とてもではないが疲れてしまった。ばいばいと、手を振る彼女の悲しそうな、それでいてどこか喜んでいるような表情を見つつ、岐路で別れた。同じ方角に家があることは知っていたが、まさか同じ町内に家があるとは思いもしなかった。

 そんな、夢を見た時とは違う寝不足に悩まされながら、家に居ることも出来ず登校した学校は、いつもと何も変わらない姿で僕を迎えた。机に落書きされていた場合に消すのが面倒であるから、僕は他の人より登校が早い。校舎にいる人影はまばらで、それでいて人の気配はどこからともなく感じる、奇妙な空間。

 正直な所、少しだけ身構えていた。今までであれば、僕個人へのいじめはあまり面白みがないのか、落書きや画鋲がある日もあればない日もあった。徹底的にやられた時は至る所が嫌がらせだし、興味が無い時は無い時で、探すだけ損である時もある。

 しかし今日は、骨折り損にはならないだろうと思っていた。何せ、学校のアイドル的な岩本とああいうことになったのだから、少なくとも嫌がらせをされていると考えるのが定石だ。溜息を一つ、昇降口を潜ったが、僕の下駄箱は何も変哲は無く、ただ一足の上履きが、昨日置いたままの姿でそこにあった。

 上履きでないなら、机か。大概、他人が気軽に悪戯出来るのはその二カ所である為、それだけ見ていればおおよそが防ぐことが出来る。

 横開きの戸を開き、教室に入る。いつもの教室、何も変化のない無機質な空間。いつも通り誰も居ないかと思いきや、一人だけ、中央で机を見つめて立ち尽くしている。……岩本だ。

「……おはよう、岩本さん」

「あ……おはよう」

 どこか、岩本の表情はぎこちなく、ともすれば引きつっているようにも見える。嫌な予感がして、自分の机に向かわずに、岩本へと近付く。

「え、っと、葛城君? いや、えーとー……」

「どうしたの?」

「えっと、えっとね、ちょっと、忘れ物した……訳じゃ無くて、いや、何でもないんだけど」

 僕を近付けさせたくないという対応と、明らかに机と僕の間に立ち塞がっている仕草。何となく、察しが付く。

「……うん。落書き? 画鋲?」

 一瞬、泣きそうな表情を浮かべるも、必死に取り繕う笑顔が痛々しい。

「いや、うーん。画鋲とかは、まぁ、落書きはないし、それと、うん」

「大丈夫。僕は見ても何も思わないから。見せて」

「葛城君は! 関係ない、からさ。今日は葛城君の机は綺麗だったし、ほら、気にしないで」

「いいから」

 岩本を避けるようにして、他の机との隙間から岩本の机へと近付く。だが、顔を引きつったのは岩本だけではなくて、私事として見慣れたはずの僕自身ですら、無意識に眉間にしわが寄るのを感じた。

「……向日葵」

「そう、向日葵。私、この花好きなんだけどな。きっと、誰かからのプレゼントなんだろうね」

 机の上には、時折担任が花を飾っている透明な花瓶が置かれていた。その中には一輪の向日葵が活けられている。それは大した問題ではない。いじめにおいて、相手を死んだように見せかけるなんて、よくある話である。

 問題なのは、その向日葵だった。まず、花弁がない。枯れているとかではなくて、むしられている。それも荒々しくであり、所々に破片となった黄色が見えている。

 そして何よりも、花の種が出来る茶色い部分に、二本のカッター、それも本体等に入っていない替え刃そのものが、貫通して刺さっている。誰がどう見ても悪趣味にしか見えない。

 またその花瓶の回りには、画鋲が敷き詰められている。これは几帳面に、全てが針を上にするように置かれ、ともすれば蜂の巣の六角形が広がっているようにも見える。如何せん気持ちが悪く、僕が受けていたいじめの域をも超えていた。

「こんな物……」

 花瓶を除ける為に机に近付き、持ち上げる。しかし、花瓶はびくともせず、変に力が逃げたせいで、花瓶どころか机ごと倒してしまった。教室に響く、硝子の割れる音。足下には粉々になった硝子が散乱した。その破片の中に、無残な向日葵が横たわっている。

 しかし、そんなことよりも僕は、横になった机を見て、驚愕するしかなかった。

 割れた花瓶の底面と画鋲が、重力に反して全て机に張り付いたままなのだ。衝撃と自身の重さに耐えかねて花瓶は砕けたが、接着されているであろう底の部分はしっかりと机に残っている。

「こんな……。奴らだって、先生に見つかれば面倒だろうに。ちょっと、職員室に」

「ダメ」

「どうして。ここまでされて、黙っておく必要なんてないよ」

「先生は、何もしてくれないから」

 何かがある。そう感じた。

 確かに、先生なんてあまり信用は出来ない。僕がいじめられていることだって見て見ぬふりだし、これを見たからと言って、何か行動するとは思えない。

 しかし、目立たない僕とは違って、彼女はこのクラスの人気者である。当然先生の目に留まることも多いし、何かしらの問題として、取り上げると思う。

 しかし、彼女自身がそれを否定している。そして、確信を得ているような、妙な自信まで感じる。

「もしかして、さ。犯人を知っているの?」

 彼女は黙って、それでもしっかりと頷いた。

「犯人というか、こうなることは何となく予測出来たから。これくらいは、覚悟してる」

「いや、覚悟とかそんなことじゃなくて、幾ら三年生とは言え、卒業までは半年近くあるよ。こんなことが続いたら、流石に耐えられない」

 岩本は悲しそうな表情を浮かべながら、首を横に振った。それにつられて、髪がゆらゆらと振れる。

「いいの。葛城君だってこれまで耐えてきたでしょ。私、知ってるよ? 油性ペンで落書きされてたり、下駄箱の中をめちゃくちゃにされたり、机の中に脅迫状があったり」

「脅迫状……?」

「そう。死ねとか、そんな言葉は当たり前だったよね。それでも葛城君は耐えてきたんだから、私にも耐えられるよ。それに、私は屈しない。親友と約束したから。私は、幸せを絶対につかむんだって」

 おかしい。話がかみ合わない。彼女の過去は知らない為に、親友との約束はわからないが、少なくとも僕に送られた脅迫状の中身を知っているはずがない。机の上とか開け広げられた下駄箱の中なら覗けばいいが、脅迫状は机を探って、開かなければ読めない。

「いいんだよ。私が我慢すれば。我慢するだけ」

 今にも泣き出しそうな笑顔に、健気を通り越して、可哀想という感情を抱いてしまう。僕の脅迫状にしてもだが、彼女はきっと色々なことを我慢して、その上で、僕のいじめに関して何か行動していたに違いない。

 思い起こせば、三年生に進級し、岩本と同じクラスになってからというもの、いじめや嫌がらせがぐんと減った。僕自身、いじめをしている張本人は知っているし、何故か一年、二年とそいつと同じクラスだった為、ずっといじめられてきた。ただそいつも流石に飽きたのだろうと髙を括っていた。

「岩本さんだったんだ。僕をかばってくれてたの」

「そうだよ。俺に、私には何をしても良いっていう条件まで提示してな」

 閉め忘れていた引き戸から声がして、いじめの張本人が登場したことに気付いた。新里周平にいざとしゅうへいは、小学校から同じ学校に通い、この五年間、僕をいじめるように指示を出していたその人である。

「どうした新里。わざわざ白状しに来たのか」

 新里はへらへらと笑いながら、こちらに近付いてくる。警戒の為に、少しだけ姿勢を前傾する。

「そう構えんなよ。こんな所で投げ飛ばす気はねぇって。それよりもよ」

 岩本の横に立った新里が、不意に岩本の肩に腕を回した。無機質な表情だった岩本が、瞬間に嫌な顔を浮かべて、すぐに視線を逸らした。

「なぁ、俺の彼女になるんだよなー? ゆいかちゃん?」

 黙ったままの岩本。言い返さない素振りを見ると、何か反論出来ない理由があるのだろう。しかし、一向に目を合わせようとしない二人を見るに、どうにも彼氏彼女の関係には見えない。

「ほらー、葛城を助ける為には何をしてもいいって言ったのはゆいかちゃんでしょー?」

 人を馬鹿にしたような声色で、新里は岩本に話しかける。見かねて、一歩近付く。

「おっと、あんまり近付いたら、手とか色々滑っちゃうかもなー」

「へぇ、御曹司はたかだか一回投げ飛ばされた程度で、ちゃちな復讐に燃えてらっしゃる」

 面倒だからと、最近では全く触れてこなかった新里との過去話をすれば、たちまち顔色が変わる。明らかに敵意を剥き出しにしているし、事実、岩本の肩に回していた手を引っ込めて、こちらに向き直っている。

「そうだよ。お前が俺を投げ飛ばしてからというもの、俺は道場での笑いの種になった」

「それで? 実際、僕の隙を突いたつもりでいたのに、投げ飛ばされればそりゃ、笑いものにもなるさ」

「うるさい! そのお前の見透かしたような言い方が癪に障るんだよ!」

 言葉が切れる前に動き始めた新里。しかし、それ以上に岩本の安全が気にかかる。幸い、新里はこちらしか見ていない。また僕との間には机が二台あって、すぐには追いつけない。

 岩本を見つめる。岩本も思うことがあるのか、こちらを見つめている。

「逃げろ!」

 僕が叫んでも、岩本は動かない。いや、動けないのかもしれない。

 目の前には、もう新里が迫っている。間合いに入り、攻撃を繰り出す為に、新里は振りかぶった。柔道なんて関係ない。堅く拳を握り締めて、おそらく僕の顔を狙っている。

 こういう時、かえって引く方が退路を失うものだ。勿論場所や状況によるが、下がれば壁を背にすることになる。

 一歩前に出た僕の行動を読んでいたのか、新里はそのまま拳を振り下ろす。ただ、振りかぶった拳は案外、密着した相手には強く当たらない。僅かに、背中に衝撃があった程度だ。

 そのまま新里が僕の後ろに回り込むのを目の端で見たが、気にせずにもう一度だけ、岩本を見る。少し、怯えているようだ。

「お願いだ、逃げてくれ」

 その言葉に岩本の顔付きが変わって、鞄も持たずに出口の方へとつま先を向ける。

 それを見て安堵する間もなく、僕の視界は刹那、反転した。

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