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第一話

 高校三年生の夏。部活動に入っている者は大会に向けて練習に励み、そうでない者は夏期講習と宿題に追われいた。そんな、夏休みに入ったばかりの気怠い午後。僕は課題を終わらせる為に、一人教室に入り浸りノートと向き合っている。先生も生徒もいない、ただ一人の教室。クーラーなんてものはなく、開け放たれた窓からは野球部の怒号が聞こえてくる。ああいうのを聞いていると、評定は下がるとは言え帰宅部になったのは正解だったかな、と思う。しかしこの青春真っ只中を何もせず課題だけやって過ごすというのも、また勿体ないかなとも思う。

 ふと鉛筆を置いて、伸びをした。目を押さえ、ぐりぐりと刺激する。どうにも寝不足だった。

 新堂香苗が亡くなって7年余り経つ。昨日はその夢を見てしまい、どうにもその後に寝付けなかった。何とか眠ろうとしたけれど、目を閉じれば顔が、目を開ければ声が聞こえてくるようで、寝るどころではなかった。今もこうして学校には来ているけれど、課題なんてどうでも良くて、ただ独りになる時間が欲しかったと言うのが本音である。

 死ぬ直前の相談。きっと、彼女の中で相当の覚悟を持ってした相談だったのだろう。それを僕は何故断ってしまったのか。今でも後悔している。彼女の両親の意向があり、生徒は葬式には参列出来なかった。しかし、その後できちんとお墓にも参ったし、報われる様に、わからないながらもお祈りもした。だが、心のうやむやは取れない。何をしたって、彼女が死んだという現実が浮き彫りになるようで、途中からはそれすらも止めてしまった。

 ふわりと、湿気を帯びた生温い風が頬を撫でた。それはカーテンを揺らし、開かれたノートを数ページ戻らせる。その勢いで、置かれていたシャーペンが床へと落ちた。文字がぎっしりと書かれたノートの上に、突っ伏する。紙の少々黴付いたような独特の臭いがした。

 彼女の相談をきちんと受けていれば、彼女は死なずに済んだのだろうか。僕が彼女ともっと親密に接していれば、違う結果が得られたのだろうか。少なくとも、もっと飼育係をきちんとこなしていれば……なんて、もう今となってはどうしようもないことをだらだらと考える。天使はその通りに違いないと言い、悪魔はどうせ結果は同じだったと言う。その狭間で僕自身が、ただ一人涙を流しているだけだった。

 またしても涙が零れる。あの時に流せなかった涙が、今更流れている。

 僕は、どうしたら良かったのか……。

葛城かつらぎ君、どうしたの?」

「うわっ、びっくりした」

「あ、あれ、泣いて……る?」

「泣いてなんかないし!」

「それにしてはなんか鼻声だし……」

 これはもう、隠せないと思った。涙は流れているわ鼻は詰まっているわ顔は紅潮しているわで、もう諦めるしかないと思った。

「あー、結構号泣だったみたいだね」

 言葉は返さない。

「……もしかしてお邪魔、かな」

「いや、大丈夫だよ。何?」

「うーん、葛城君が課題やってるって先生が言ってたから、様子を見に来ようと思ったんだけど、何だか来ちゃいけない時に来ちゃったみたいだね。なんか、ごめん……」

「いいよ。岩本さんが悪い訳じゃないし。僕が勝手に泣いてただけだから」

 彼女の名は岩本いわもと結香ゆいか。クラスメートで、何だかんだ絡んでくる仲の良い異性である。明るく友達の多い彼女はクラスの人気者で、彼女を狙う男子も多いのだとか。恋愛というものにトラウマを持っている僕には余り関係のないことではあるが、彼女自身経験が豊富だとか小悪魔だとか、一方からは好きなように言われている。人気が故、それが仇となることもあるのだと、つくづく思う。

 岩本は日頃、髪を後ろに束ねてポニーテールにしているが、今日は違っていた。髪を下ろし、ストレートにしている。セミロングの長さは快活な印象を持ち、非常に明るく見える。いつもの幼い雰囲気はどこへやら、どこか大人びた様子は、恋愛を恐れる僕ですら、惹き込まれるような感覚に襲われた。そう、単純に表現するならば、とても可愛い。

「岩本さん今日はいつもと雰囲気違うね」

「うん、今日は髪の毛を下ろしているからね。良かった。気付いてもらえて」

「そりゃ、それだけ雰囲気が違ったら嫌でも気付くよ」

「……うん、そうだね。でも今はそんな事どうでも良いの。葛城君、良かったら泣いてた理由、教えてくれないかな?」

「……え?」

 予想は出来た展開だった。世話焼きの彼女のことだ。誰かが泣いていたならば、少しでも力になろうと首を突っ込んでくる。それはとても凄いことで、誰にでも出来ることでは無いと思うのだが、如何せんこの話題については僕は触れて欲しくはなかった。だが、彼女の眼は少し腫れているであろう僕の目を射抜き、離してはくれない。それでも話したくはないという気持ちが勝り、僕はすっと目線を外した。

「……いや、しょうもないことだからさ。ただ夢を見たってだけだし」

「夢? でも夢でも辛いこととか、色んな夢を見るよ。私、少しでも善貴よしきの役に立ちたい!」

 名前を呼ばれるとは予想外で、思わず吹き出してしまう。

「そんな! 笑わないでも良いじゃない!」

「ごめんごめん。でも、ちょっと元気になったよ。ありがとう」

「でしょ? 私に話したらもっと楽になるよ。そうね、とりあえず座ろ?」

 そういえば岩本が来てから、二人とも向かい合って立ったままだった。とりあえず僕は自分の席に座り、彼女はその前の席に横向きに座る。

「さてさて、それで、どんな夢を見たのかな?」

「そうだな……。これは僕が小学校の頃の話なんだけど。そんなに聞きたい?」

「うん、聞きたい!」

「楽しい話じゃないよ?」

「それでも良いの。私はただ、力になりたいだけだから」

「そっか。……でも、この話は出来ないかな。これは、僕の友達にも話してないような、そんなことだから」

「何それ! ここまで話しておいてお預けなの?」

 岩本はあからさまに不機嫌になったようで、少し頬を膨らませて見せた。だがそれも束の間、にっこりとした笑顔になる。

「ってことは、私が善貴の友達以上の存在になれば良いのね?」

 岩本が迫ってくる。顔がどんどん近付いてきて、こちらが少し前姿勢になればそれこそくっついてしまいそうな程に。目を瞑る彼女。それは正しく、僕を誘惑しているに間違いなかった。


 少しの間。僕は少し仰け反るようにして、彼女を避けていた。甘くとても良い匂いが鼻腔をくすぐる。近付いてしまえば僕のファーストキスは簡単に消滅する。だが、それに勝る恐怖が僕を支配していた。好きになった人が消えるという苦しみ。それに耐えるくらいなら、初めから好きにならなければ良い。

「ご、ごめん……」

 その言葉に岩本は目を開けて、とても悲しそうな表情を浮かべた。

「私じゃ……いや?」

「いや……とかじゃなくて」

「なら、何?」

「……怖いんだ」

「え?」

「怖いんだ。人を好きになるのが」

 暫くの沈黙。時計の秒針が刻むかちかちという音が、教室に木霊する。ただそれだけが、空間を支配していた。

「……そっか。そうなんだ。だから葛城君、堅物って言われてるんだね」

「かたぶ……。まぁ違いはない、けど」

「あー、なんかショックだな。男の子って、もうちょっと単純なんだと思ってた。でも違うんだね」

 そう言いながら、彼女は席を立つ。

「でも私、諦めないから」

 その言葉には、固い決意が見え、それは同時に彼女が僕の事を好いているということを指し示す言葉でもあった。

 踵を返して教室を後にする岩本。僕は彼女の背中を目で追うことしか出来なかった。

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