タイトル未定2026/03/03 17:01
少女が蓮の家に引き取られる、半ば強引に押しつけられてから2週間が経った。
少女は変わらず桜子の片鱗をちらつかせたし、蓮はその度に息を吐くことを忘れなかった。
2週間も経つと耐性がつき始め、「またか」となることは減った。
チョコが好き、レタスが好き、オムライスが好き、イチゴ味の飴がすき、辛いものが嫌い、ピーマンも嫌い。唯一少女と桜子の趣味がかぶらなかったのは、今のところイチゴだけだ。
少女は好み、桜子は嫌った。
部屋は何の変化もなく散らかったまま亡くなった彼女の痕跡は残り続けた。
桜子の部屋は未だに開けなかった。蓮の料理の腕が上達することはなかったし、元のような調子に戻ることはなかった。つまり2週間で大した進歩も後退も得られず、現状維持が続いた。
少女は2週間1度も泣かなかった。
蓮は少女がまだ一度も泣かないのが不思議だった。幼い子供はよく泣くものだ。
蓮が死んだように眠ってても泣き出さないし、家を恋しがらない、眠いからといって泣くこともなかった。強い子なのかと思ったが、どうもそれは違う気がした。
それ故、2週間でこぼした涙の数は蓮が少女を上回った。
情けないと思いつつも、やはりこちらも進歩も後退もない。
(桜子さんはよく泣く人だったな…)
蓮が一日の間で考えることの割合は、減ることなく桜子が7割以上を占めていた。
少女と桜子が重なることも少なくなかったし、少女の中に彼女の心臓があることも意識していた。
「桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける」。
そんな句を思い出した。
彼についた花びらが消えるのはまだ先のことになりそうだった。
彼が振り払うのか、桜の花のほうが離れていくのかはまだわかれなかった。
『ねえお兄ちゃん』
「んー」
気のない返事をするが「お兄ちゃん」と呼ばれるのも随分慣れた。
なんでお兄ちゃん呼びなのかはよくわからないが好きなように呼ばせた。
『桜、お姉ちゃんに会いたいかも…』
「…」
普段と変わって歯切れの悪い少女の口調。
お姉ちゃん…、次期当主のことだろう。親戚といえど中々会うのは難しい立場の方だ。
『お姉ちゃん、優しかったの。もう、会えない?』
「お姉ちゃんとは明星 牡丹のことか?」
どうか違ってくれと願うが、2秒後の「そうだよ」という返事に落胆する。
明星 牡丹。蓮もまだ牡丹が幼かったころに、家庭教師として頻繁に会っていた。
彼女が高校生になったあたりから出向くことはなくなったが。
百合子に「もう来なくて大丈夫です」なんて失礼なお別れをされたことを思い出す。
ちなみに家庭教師の報酬はだいぶ良かった。
蓮の記憶では、明星 牡丹という人間自体、明星家には珍しく謙虚な性格の持ち主だった。
高飛車な性格でもないし親にも顔は似てるが、性格は正反対の位置にいる。
ただ少し頭が弱かった。けど多分、今はいいのだろう。
というのも明星家がそういう家だった。100年前ぐらいから年をとるにつれ、頭がよくなっていったらしい。大器晩成、なんて言葉が似合うだろう。
蓮はこれにはからくりがあると思っているが、未だその違和感の正体が不明だった。
(医療で栄えた一族だ。脳みそいじるぐらい簡単にできそうだが…)
顎に手を置いて、いかにも考えてますというポーズをとる彼の前に頬を膨らませた少女が立つ。
『会える?会えない?』
「…わかんない。会えたらいいね。」
当たり障りのない返事をしてみる。こちらから本家に出向くのは少々気が乗らなかった。
『うっ…』
「え…?」
『ううう…』
(…泣いた)
蓮の中で泣かないものだと思っていた少女が初めて泣いた。
声を荒げた泣き方こそしなかったが、小さな丸っこい頬に涙が伝っている。
(泣けるのか…。えっと、どうすれば…?)
蓮は幼稚園児ほどの子供との交流が絶望的になかった。
無論、泣きやませる方法もよくわからない。とりあえず起き上がってわたわたする。
「えっと、大丈夫か?」
『ううう、うん…』
言葉とは裏腹に涙は止まる様子を見せない。少女はそれを必死に手で抑えているが、止まることなくあふれ出している。それは蓮の焦りを加速させた。
(お姉ちゃんってそんな偉大なのか…?)
残念ながら彼は兄妹を持ったこともなかった。少女の涙の理由の理解に苦しんだ。
周りを見渡してもあやせそうな道具はない。
少女は家から玩具をほとんど持ってこなかったし、蓮も桜子も玩具で遊ぶ趣味は持ち合わせていなかった。
「これ!おねえちゃんの花だから!」
花瓶から牡丹の花を一輪引き抜いて、少女の手に握らす。
手の中で揺れた牡丹の花を見つめているうちに少女の涙は引っ込んだ。
『お姉ちゃんのお花…?』
「そうだ。この花は牡丹というんだ。お姉ちゃんの名前も牡丹だろう?」
『わかった…』
10分もしないうちに少女は眠りこけてしまった。
蓮はどっと息を吐き出して床に寝転ぶ。育児の恐ろしさを初めて垣間見た。
少女がお姉ちゃんに固執するのも今思えば当たり前だよな、と思う。
多分唯一頼れる家族だったのだろう。唯一大好きな。
偉大にもなる。
(会えるうちに会わせてあげなきゃな…)
意外と人はすぐいなくなる。スマホを取り出し母に連絡を入れると存外、すぐに既読がついた。
多分これで会えるだろう。付き添いに行くとなると気が重いな、と思いながら床で丸くなる。
慣れないことをした彼も、泥のように眠ってしまった。
(桜子さんに規則の悪い生活はいけませんって怒られてしまう…)
できれば怒ってほしかった。
彼女の心臓はもう彼女の意思でしゃべってはくれなかった。




