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花言葉

一日は早く、気づけば日は沈んで夜になっていた。

少女は自分の部屋の布団で寝静まり、蓮は自室でペンを握っては下ろしてを繰り返していた。


(…書けない)

彼は桜子が亡くなってから小説がかけなくなっていた。

金には困ってないとはいえ、そろそろ書かないと編集者に怒られることは理解していた。


ペンを回す。

どうしても書けなかった。何も思い浮かばない。この世界に残したい言葉が何も見つからなかった。

頭に靄がかかったような感覚が抜けない。

それがまた彼のストレスになり、堕落へと手招いていた。

蓮はペンを置き自分の手を自分で握りしめる。


(手、あたたかかったな…)


少女の小さな体温を思い出す。

自分より小さいのに自分より大きな温かさを持っているのが少し彼には驚きだった。


(桜子さんも手が温かい人だったな…)


「手が温かい人は心もあったかいの!」と言うのが彼女は好きだった。

蓮が「それじゃあ僕は心が冷たい人になってしまうよ」とふざけたように返すと、「私が温めてあげるから大丈夫だよ」という流れが二人の冬のお決まりの会話だった。


少女を通して桜子との思い出をたどっているな、と思いため息を吐く。

それを飲み込んでくれる賑やかさはこの家にはなく、彼の部屋の空気の一部として残る。


まだ一日目だし保護者としての役割をこなせていなくても仕方ないと蓮は自分に言い聞かす。

一か月経とうとこの憂いは晴れていない気もするが、先のことを考えるのはやめた。


(あの子、小学校とか行く年齢なのだろうか…)

少女について知らないことが多すぎると改めて思う。

百合子からの桜の説明はかなり乱雑だった。

たぶん彼女は自分は桜の母親であると思っていないし、関心も大してないのだろう。

根が真面目な蓮にとってその考えを自分はすることができず、ほぼ押し付けに近い子育てに悪意はなかった。


(あの子は悪くない)

それが蓮の一貫した意見で、彼にとって少女はそれ以上でもそれ以下でもなかった。

以上にも以下にも出来るだろうが、それをすることを彼の心は拒んでいた。


机に倒れる写真立てを起こす。

桜子と蓮が初めて二人で行った遊園地の写真がその中で笑っている。

蓮はそれを立てたり寝かせたりを繰り返している。

そうすることで気分が少しだけ消化できる気がした。


寝れないな、と蓮は思いながら睡眠障害と検査で言われたのを思い出す。

ただ寝れないだけなら思い込みかもしれないが名前がつけられたらそれはそれでしかなくなる。

つまらない、と感じながら蓮は目を閉じた。

そうすればいつか眠りにつけることは確信だったからだ。



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桜の部屋。

子供の朝は早い。桜も例外ではなく朝7時には目が覚めきっていた。

目を開けて広がる景色がまだ慣れないものであることを認識したように瞬きをする。


少女の部屋はずいぶんそっけないものだった。

前の家で使っていた机と本だな、床には蓮が用意した布団がひかれて壁に円形のピンクの時計がかけられている。

カーテンがつけられていない小窓からは空がよく見えた。今日は快晴なようだ。


少女は起き上がって蓮の部屋の前に立つ。

開けるな、と言われてないとはいえ開けるのを戸惑っている様子だ。

床から伝わる冷気に寒さを感じ、ドアノブをつかむ。

向こう側へ押すと廊下より暖かい風が少女の頬をかすめた。

蓮は寒がりで秋から春は暖房をつけないと眠れないタイプの人間だ。


彼の部屋もずいぶんそっけないものだった。

ベッドが置かれ、少女の部屋より大きい窓の前に立派な机が置かれている。

そこら中に散らかった本は本棚から出したものだろうか。

服はたたまれて床に置かれていた。几帳面なのだろう。

そして部屋の奥のベッドで部屋の持ち主が静かに寝息を立てている。

死んでいるようにも見え、腹が上下していることで生きていることが分かった。

起こすのはやはり気が引けた様子で少女は彼の部屋を引き返す。

ドアをしめるのに音を立てないよう細心の注意を払っている様子だった。


廊下に出て階段を静かに降りて、リビングに出ると再び冷たい空気が少女を囲う。

この家に来て一日といえど、かなり覚えやすいシンプルな構造の家だ。

玄関の右隣に洗面所と風呂場があり、左側にトイレがある。

正面のドアを開けるとリビングとキッチンが置かれている。そして2階に3部屋。

置かれているものはある程度充実していて必要最低限、というわけではなさそうだ。

少女はなれない様子でリビングに置かれた黒っぽいソファの端にちょこんと座る。

ソファの前に置かれた小さな台に、忘れ草と千日紅が花瓶に刺されておかれている。

桜の花をモチーフとした物が多く置かれたこの家でそれは異質に映った。


前の家、明星家にも多く花が置かれていたことを少女は思い出す。

藤の花と牡丹があの家には多く置かれていた。

百合の花もところどころ置かれていてそれは百合子を象徴する飾りなんだろうな、と幼いながらに思う。

新しい自分の家をきょろきょろ見回しているうちに気づいたらまた眠ってしまっていたようだ。

二回目に目を覚ますとソファの下で蓮が寝ていた。

起きるのが苦手だというこの男は今のところ少女の前で7割ぐらいは床で寝ている姿を見る。

少女はそんな彼にかなり懐いていた。前の家で味わったことのない安心感を覚えるからだ。

少女が先ほどより口角を少し上げると、蓮の目が開く。


「そんなとこで寝たら風邪ひくぞ」

『桜、元気だから大丈夫』


自分が床で寝ている姿ばかり見せているのが悪影響なのか、と蓮は思いながらも起き上がる気配はない。

天井を今日もぼんやり見つめている。


『お兄ちゃん、なんで大人はみんなお花を飾るの?前のおうちもお花が飾られていたの』


少女の問いに蓮は目をつぶったまま答える。


「花には言葉が込められてるんだ。それにすがっているんだよ。」


『このお花にはどんな言葉があるの?』


少女が花瓶を指さす。


「さあ、忘れた」


忘れたようには見えないがそれ以上聞いても答えてはくれなそうだった。


「明星家にはどんな花が飾られてたんだ?」


『牡丹って花と藤のお花だよ。百合もあった!』


(やっぱりか…)


百合の花は百合子の趣味だろうと容易に想像がつく。

牡丹は多分当主の娘の名前から来てるのだろう。

明星家は名前に花の名前を用いられることがほとんどだ。

それは分家でも例外ではなく、蓮という名前もハスの花からきていた。

牡丹は花の王者。たいそうな名前をつけると当時蓮は思った。


(藤の花はなんだ…?)


藤の花だけ心当たりがなかった。藤の花に関連した名前の者は彼の記憶ではいなかったはずだ。

明星家の廊下に藤の花が置かれていたことを思い出す。

考えてもわからぬままなぞだけ残して思考が尽きる。


「朝ご飯はトーストでいいか?」

『うん!』


昨日スーパーで食パンを買ったのだ。

そもそも蓮は料理が下手だった。焼くだけでできるトーストは彼にとってありがたい存在だった。


蓮は渋々起き上がるとトーストに食パンを2枚突っ込む。

トーストにオレンジ色の光がともったことを確認してソファに戻る。


(体がだるい…)


元々健康優良児だった蓮は、体調の悪さを精神が弱ったと理由付けしていたがそういうのは時間の経過で落ち着いていくものだと彼は思っていた。

それ故に改善しない自分の体調を不審に思う。


(これも名前をつけてもらわなくちゃだめだろうか…)


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