第四話:孤独な復讐者
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アイラが宮殿に到着したのは、夜も更けた頃だった。
あの時のフード姿の男がこの国の大公だと馬車の中で聞き、アイラは驚くしかなかった。
ルークスの悪評を耳にしていた彼女は、その荘厳な外観とは裏腹に、どこか冷たい空気をまとう城に畏怖を覚える。
ヴァルターに案内され、彼女が通されたのは、最低限の調度品しかない、まるで牢獄のような部屋だった。
その部屋の扉が開いたとき、アイラは再びあの男と対峙することになる。
ルークス・クロウウェル。彼の表情は依然として薄いままだったが、その氷青の瞳には、あの夜のような焦りは見られなかった。
代わりに、不器用な戸惑いが浮かんでいるように見えた。
ルークスは、自分が悪手を取ったことを自覚していた。
城下町での高圧的な態度は、ただ彼女を遠ざける結果になっただけだ。
しかし、予言書の謎を解くには彼女の協力が不可欠であり、その交渉役を誰かに任せることもできなかった。
「……先日、不躾な振る舞いを謝罪する」
ルークスの口から出た言葉は、予想外のものだった。
彼が謝罪などするという噂は、城下町はおろか、宮殿内でも聞いたことがない。アイラは驚きで固まった。
「私は、不測の事態に冷静さを欠いた。君が恐怖を抱くのも当然だ」
そう言って、彼は再び言葉を詰まらせる。
感情の起伏に乏しい彼にとって、謝罪は慣れない行為なのだろう。
(嘘……!)
ルークスの謝罪を聞いたアイラは、頭の中が真っ白になった。
噂に聞いていた冷酷無慈悲な大公が、自分の不手際を謝ったのだ。
その事実が、彼女の抱いていた恐怖と、目の前の現実を結びつけることを妨げた。
恐怖で震えていたはずなのに、なぜか言葉が口をついて出てしまう。
「い、いえっ! あの……申し訳ありませんでした! 私も、不躾な態度をとって……その……、勝手に逃げ出してしまって……」
ルークスの言葉の意図を理解する前に、アイラは反射的に謝罪の言葉を口にしていた。
あたふたする彼女の様子に、ルークスの薄い表情にわずかな動揺が走る。
「私は、あなたに怖い思いをさせた。謝罪するべきは私だ」
「ち、違います! 私も、あなたを不審な人と決めつけて……」
お互いに謝罪し合うという、奇妙なやり取りが繰り広げられた。
悪役大公ルークスと、彼を恐れるはずの町娘アイラ。
二人の間に流れる、ちぐはぐで、しかしどこか温かい空気が、この物語の始まりを告げていた。
ルークスは、謝罪の後、アイラを落ち着かせようと努めた。
しかし、何を話していいのか分からない彼は、ただ黙ってアイラを見つめるばかり。
その氷青の瞳は、威圧的ではないにしても、感情が読めず、アイラをさらに戸惑わせた。
「あの、飲み物は必要ないだろうか」
ようやく絞り出した言葉は、ヴァルターが城下町で使ったような穏やかな口調ではなく、どこか事務的な響きを持つ命令のようだった。
アイラは、ただ首を横に振るしかなかった。
「予言書……いや、君の知る『おまじない』についてだが……」
ルークスは再び言葉を探すが、彼女の怯えた表情を見て、再び口を閉ざしてしまう。
彼は、自分の存在そのものが、彼女を萎縮させていることを理解していた。
しかし、どうすればその警戒心を解けるのか、彼には全く分からなかったのだ。
二人の間には、重苦しい沈黙が流れた。
堂々巡りの状況に、ルークスは苛立ちを覚え、アイラは不安で身を固くした。
その様子を、物陰から見守っていたヴァルターは、これ以上は無駄だと判断し、静かに二人の間に割って入った。
「アイラ様、失礼いたします。閣下は、誠に不器用な方でして。どうか、お気になさらないでください」
そう言って、ヴァルターはルークスの真意を、アイラに分かりやすく通訳し始めた。
ルークスが彼女を連れてきたのは、決して害をなすためではなく、彼女の知る「おまじない」が、彼が背負う悲劇を解く鍵であると信じているからだと。
ヴァルターの通訳でようやく落ち着きを取り戻したアイラに対し、ルークスは予言書の真の目的を明かすことにした。
彼女の「善良さ」は、欺きや隠し事を許さないと判断したのだ。
ルークスは、予言書の断片をアイラに見せながら、静かに語り始めた。
「この書物には、私の家族が亡くなった内紛の真実と、私自身の未来が記されている」
ルークスは、かつては無邪気で、家族に囲まれた穏やかな日々を送っていた。
彼には、聡明で優しい兄がおり、ヴァルターとは幼い頃からの遊び相手で、固い友情で結ばれていた。
しかし、王族暗殺事件によって、彼の幸せは突然奪われたのだ。
その夜、王宮は血の海と化した。
ルークスの目の前で、家族は非業の死を遂げ、彼だけが生き残った。
ヴァルターは、重傷を負いながらもルークスをかばい、その命を守り抜いたのだった。
「ルークス様、必ず、必ず……」
瀕死のヴァルターがルークスに託したのは、復讐の誓いだった。
そして彼は、その一節がさらに彼自身の「死」の運命を告げていることも明かした。
アイラは、ルークスの言葉に息をのんだ。
自分が何気なく口にしていた「おまじない」が、冷酷な悪役大公の命に関わる、重い予言だったのだ。
そして、ルークスの語る内紛の悲劇が、城下町にも波及し、自分の家族を奪った悲劇と重なっていることに気づき、彼女の胸は張り裂けそうになった。
恐怖と困惑に包まれていた彼女の心に、ある感情が芽生える。
それは、自分と同じ痛みを持つ、目の前の孤独な男に対する深い同情と、彼を助けたいという強い願いだった。
「私は……あなたを、助けたいです」
アイラは、これまでおまじないをただの言葉としてしか捉えていなかった。
しかし、その言葉が、誰かの命を救うための鍵だと知った今、彼女は自分の力を誰かのために使いたいと強く願うのだった。