第三話:予言書の導き
ルークスから与えられた手がかりは、わずかなものだった。
それでも、ヴァルターはそれを無駄にすることはできない。
彼は、多くの手をかけることなく、自らの足で城下町を巡った。
彼の捜索は、ルークスのように不審な行動で人目を引くことはない。
ヴァルターは、人々の些細な噂話や、商店主の何気ない言葉の端々から、情報を集めていった。
そして数日後、彼はある古物商の店で、アイラが口にした「おまじない」と同じ言葉を聞きつける。
店の主は、それは最近亡くなった老人が残した言葉であり、彼の後を継いだ娘がよく口にしていた、と話した。
そうして、ヴァルターはアイラの住処を特定する。
彼女は、師匠エヴァンから受け継いだ小さな家で、一人静かに暮らしていた。
ヴァルターがアイラの家を訪ねたのは、人通りが少ない昼下がりだった。
彼は、ルークスのような威圧感を放つことはない。
しかし、その整った顔立ちと、静かでありながらもすべてを見抜くかのような瞳は、アイラに警戒心を抱かせるには十分だった。
「突然お邪魔して申し訳ありません。あなたは、先日広場で『おまじない』を口にされていた方ですね」
ヴァルターは、穏やかに、しかし一切の感情を読ませない声で尋ねた。
アイラのミント色の瞳が、大きく見開かれる。
あの夜の男ではない。だが、この男もまた、彼女の「おまじない」を知っていた。
ヴァルターは、彼女の警戒心を和らげるように、一つの封筒を差し出した。
中には、数枚の金貨が入っていた。
「私たちは、あなたのおまじないに興味があります。これは、そのおまじないについて、少しお話を聞かせていただくための、ささやかな謝礼です」
ルークスのように威圧するのではなく、あくまでも冷静に、そして理詰めで交渉を試みるヴァルター。
しかし、彼の言葉は、アイラにとって、再び日常を脅かす不穏な影に他ならなかった。
アイラの困惑を読み取ったヴァルターは、口調をさらに穏やかにした。
「失礼を承知の上で申し上げます。私たちは、あなたのおまじないに、深い関心を抱いているのです」
彼はあえて「予言書」という言葉を使わなかった。
「先日、あなたと話した方は、感情を表に出すのが苦手な方でして。しかし、彼が長年探し求めていた手がかりが、あなたの口から語られたのです」
ヴァルターは、ルークスの孤独な姿を想像させるように、言葉を選ぶ。
「彼は、ある悲劇に囚われ、その真実を求めておられます。あなたの口にされた『おまじない』は、その悲劇を解き明かすための、唯一の糸口なのです」
ヴァルターは、そっと視線を伏せた。
「私たちは、あなたのおまじないを悪用するつもりはありません。ただ、真実を明らかにするために、あなたの力をお借りしたいだけなのです。
もしよろしければ、このまま、私たちについてきてはいただけませんか?」
それは、命令でも脅迫でもなかった。
しかし、アイラには、ヴァルターの言葉の裏に隠された、ルークスの切迫した状況が感じられた。
そして、目の前の紳士が、自分に「善良さ」ゆえの決断を迫っていることにも気づいていた。
ヴァルターの読み通り、アイラは困惑しながらも、彼らの切迫した状況に心を動かされたようだった。
しかし、彼女には師匠エヴァンとの、絶対に破れない約束があったのだ。
「私にわかる範囲になりますが、お話させていただくことは出来ます。ただ、『おまじない』を記した本をお譲りしたり、お貸ししたりすることはできません。それでも構わないでしょうか?」
その言葉に、ヴァルターは安堵の表情を浮かべた。
予言書そのものを手に入れることよりも、その力を引き出せるアイラという存在の協力が重要であると、彼は理解していた。
「もちろん、それで構いませんよ」
交渉は意外なほどあっさりと成立した。
ヴァルターはすぐに馬車を呼び、アイラの荷物を丁寧にまとめさせる。
彼の態度は、決して彼女を力ずくで連行するようなものではなかった。
「お荷物はこちらで運びましょう。あなたは、どうか安心して、私たちについてきてください」
ヴァルターは、アイラの不安を和らげるように穏やかな声で言った。
アイラは、師匠の家を後にし、見慣れない馬車に揺られながら、彼の主のいる場所へと向かった。
彼女は、再びあの冷たい瞳の男に会うことを想像し、胸の鼓動が早くなるのを感じた。