第十話:公にされた秘密
秘密裏に行われてきたルークスとアイラの予言書解読は、思わぬ形で公衆の目に晒されることになる。
アイラへの嫌がらせをルークスに唆されたエルゼは、毒殺未遂事件で追放された後も、穏健派貴族と繋がっていた。
彼女は、宮殿内で見聞きしたことを逐一報告していたのだ。
その中でも、特に興味深い情報として注目されたのが、ルークスとアイラが毎晩のように二人きりで過ごしているという「夜の密会」の噂だった。
毒殺未遂事件の犯人であったセルゲイ伯爵も属していた穏健派貴族は、ルークスを権威ある支配者としてではなく、感情に流される「愚かな男」として攻撃する絶好の機会だと判断した。
彼らは宮殿内に残る息のかかった者たちを通じて、この噂を巧みに広め始めた。
「冷酷非情な大公も、女には勝てないらしい」
「平民の娘と夜な夜な怪しい儀式に耽っているそうだ」
噂は尾ひれがつき、「悪役大公ルークス」の新たなレッテルとして宮殿中を駆け巡ることとなった。
公務を怠り、下賤な娘に溺れる愚か者──これまでの彼の「有能さ」を打ち消すには十分すぎる中傷であった。
これにより、アイラは再び宮殿内で孤立し、ルークスもまた政治的・個人的な信頼を失墜させる危機に直面することになる。
アイラは、ルークスの力になりたいと強く願っていた。
しかし、貴族たちの間で「平民の女に絆された愚かな支配者」という噂が流れていることを知り、彼女の心は深く傷くのだった。
「私のせいで、ルークス様の立場が悪くなっている……」
彼女は、自分という存在が、ルークスの権威を傷つけ、彼の孤独な戦いをさらに困難にしているのではないかと悩み苦む。
自分との密会が噂となり、そのためにルークスが嘲笑の的になっていると知ったアイラは、このままでは本当に予言書のとおりに「大公の死」が来てしまうのではないかと、不安を募らせていった。
そして、彼女は、ルークスのそばを離れるべきではないかと考え始めるようになる。
自分がいなければ、彼は再び冷徹な「悪役大公」として、その権威を回復できるのではないか、と。
しかし、ルークスを一人にすることへの恐怖と、彼を助けたいという強い気持ちが、彼女の心を激しく揺さぶるのだった。
アイラの精神的な不安定さは、予言書の解読にも影響を及ぼしはじめる。
彼女の情緒に同調するように、予言書の言葉は光を失い、解読は遅々として進まなくなっていく。
ルークスは、その原因が貴族たちの噂にあることを察するのだった。
「貴族たちの戯言など、気にする必要はない」
ルークスは、いつものように冷徹な口調で言った。
これまでも彼の政策に対して様々な難癖をつけてきた貴族たちの噂は、彼にとって常に「いつものこと」だったからだった。
しかし、アイラにとって、その噂は彼女自身の存在を否定するものであり、決して「いつも通り」ではなかった。
また、ルークスの目が届かない場所では、貴族たちが直接アイラに嫌味を言うことも増えていった。
彼らは、ルークスの前では決して見せない、嫌らしい笑顔でアイラに近づく。
「噂通り、大公閣下も随分と物好きになられたものだ」
「平民の女に絆されて、国の政治が疎かにならなければ良いが」
ルークスへの思いが強くなればなるほど、アイラは自分が彼の負担になっているのではないかと気に病むようになっていく。
彼女は、彼を助けたいと願う一方で、自分の存在が彼を滅ぼすかもしれないという恐怖に苛まれるのだった。
アイラの心を覆う不安は、ルークスとの関係にも影を落とし始めた。
彼女を元気づけようと、ルークスはこれまでにない行動をとった。
書庫で彼女の肩をそっと抱き寄せたり、普段口にしない優しい言葉をかけようとした。
しかし、その優しさはアイラには届くことはなかった。
ルークスの不器用な慰めは、彼女にとって、自分のせいで彼が無理をしているように映っていた。
「ルークス様、私なら大丈夫です。どうか、お気になさらずに……」
アイラはそう言って、彼の手を振りほどいてしまう。
「君が無理をしているのは分かっている。予言書の解読は急がなくていい……」
ルークスは、初めて弱さを見せたかのように、声を絞り出した。
しかし、アイラは、その言葉を「もう私には期待していない」というルークスの諦めだと誤解してしまう。
互いを想い合う気持ちがあるにもかかわらず、二人の心はすれ違っていく。
ルークスは、アイラを助けたいのに助けられず、アイラは、ルークスの力になりたいのに、自分自身が足かせになっていると感じてしまうのだった。
このちぐはぐな状況は、ルークスの孤独な戦いをさらに困難なものにしていった。
アイラが精神的に不安定な状況では、予言書を解読することはできない。
ルークスとアイラの心がすれ違う中、二人のぎこちない関係は貴族たちの格好の餌食となった。
彼らは密かに喜び、さらなる一手を打つべく動き出す。
ヴァルターは、ルークスの命運を左右するアイラの精神状態を案じ、念のため彼女の動向に注意を払っていた。
彼女が一人で庭をさまよったり、食事をほとんど取らなかったりする様子を見て、事態が深刻なことを改めて痛感する。
その頃、宮殿の門に一人の若者が訪れた。
彼は予言書を管理する一族の末裔、ゼノンと名乗った。
穏健派貴族は、ルークスの権威を完全に失墜させるため、彼が秘密裏に予言書を隠し持っているという情報を、ゼノンに流した。
ゼノンは、自らの一族の宝である予言書が、ルークスという独裁者の手に渡っていることを知り、激しい怒りと使命感を抱いてルークスへの面会を求めてきたのだった。
ゼノンの出現は、ルークスとアイラの関係に、新たな試練をもたらそうとしていた。




