第一話:悪役大公
エデンヴァルト大公国には、古くから伝わる一つの伝説があった。
未来を記した書物、『予言書』。
そして、その『予言書』を代々守り続けてきた一族。彼らは王国の平和を守る、影の守護者だった。
しかし、ルークス・クロウウェルが大公として即位するきっかけとなった王族暗殺事件を境に、『予言書』とその一族は忽然と姿を消した。
国の未来は不透明となり、人々は恐怖と不安に苛まれるようになった。
「聞いたかい? あの大公様は、逆らう者は容赦なく処刑するそうだ…」
「噂では、氷のような瞳で一度見つめられたら、凍り付いてしまうとか」
街の片隅でもそんな噂話交わされるようになっていた――。
エデンヴァルト大公国の首都、その中心にそびえる宮殿の豪華絢爛な装飾とは裏腹に、ルークス・クロウウェルの執務室は、灰色の石壁と最低限の調度品で統一されていた。
その空間は、彼の内面をそのまま映し出しているかのように、冷たく、静まり返っている。
書類に埋もれる彼のデスクの片隅には、古い巻物が置かれていた。
それは、何世代も前に失われたとされる「予言書」の一部。その紙片には、彼の孤独な復讐と、死の運命を暗示する言葉が記されていた。
予言書を完成させなければ、彼の未来はない。
その巻物に記された謎を解くため、ルークスは夜の帳が降りた城下町へと向かうことを決めた。
彼が護衛をつけず、たった一人で行動するのは、目的を悟られることを避けるためだけではない。
彼の存在は、その威圧感と、世間で囁かれる悪評から、常に周囲に不要な恐怖と混乱をもたらす。
それを知っている彼は、自らを隔離するかのように、一人で闇の中に身を置くことを選んでいた。
黒一色のシンプルな外套に身を包んだルークスは、人目を避けるように城の裏口から馬車に乗り込んだ。
灰銀色の髪は深く被ったフードで隠され、彫刻のように整った横顔には、一切の感情が浮かんでいない。
ただ、氷青の瞳だけが、暗闇の中で鋭い光を放っている。
彼が向かうのは、予言書の有力な手がかりが潜むという、城下町の古き市場。
だが、ルークスの耳には、彼が「悪役大公」として恐れられている噂が、冷たい風に乗って届いていた。