九幕 蝶が舞うなら花を差す。
盆地に築かれた都は、山々に囲われている為に通商が乏しく、総じて田舎の風情を帯びていく。
外壁も日に焼けて蔦が茂り、木造の家々から現れる住民の表情は皆穏やかだった。
ベシクオルソ。
麦畑と稲作を要とする農産都市である。
「私達、この街にだけ長く滞在し過ぎじゃないかしら」
ソフィが寝台の上でにやりと口端を吊った。
私はナイフで林檎の皮を剥きながら瞑目して微笑む。
「そうね。あなたがさっさと潔く死んでくれたなら、私とミースも後腐れなく旅立てるのだけれど」
「はいはい。どうせ私は生にしがみつく迷惑な病人ですよっと」
そう言う割に彼女の顔は軽薄で、およそ自責や絶望に囚われている感じではない。
「そういえば、そのミースはどこ行ったの?」
「探索よ。最近はソロに戻る訓練してるみたい」
「何、解散の危機なの」
「まあ、私があなたと同じだって事は、もう伝えてあるからね」
いつでも食べられるよう近くに林檎の皿を置いて、私も小屋を出た。
若者が出稼ぎに行く事で過疎化が進むベシクオルソでは空き家が多いらしく、ここもただ同然の賃料で借り受けたものだ。
石段を下っていき、隘路を何度も曲がりながら歩いていると、やがて市場に辿り着く。
バスケットを持った婦人達の間を通り抜け、突き当りの少し設えの良い建物に入った。
この街の庁舎では、カウンターに並ぶ受付嬢も四人だけで、冒険者と鉢合わせになる事も滅多にない。
掲示板などは無く、依頼の斡旋は口頭で行われる。
「クリウスの花ね。単価は?」
「いえ、沢山は必要ないそうです。元より珍しい植物ですので、一輪あればと。こちらで査定した後、百二十トリエで買い取らせて頂きます」
「分かった」
ギルドを出て、遠くの石壁を仰いだ。
近場の樽を蹴って屋根の上に登る。
家屋を跳び渡りながら、風に衣をはためかせた。
検問もいない備え付けの戸を潜ると、そこはもう麓地帯だ。
疎らな灌木を避けて進み、尾根の森へと分け入っていく。
枝葉に遮られた空を、白鳥の群れやテクマトが飛翔していた。
黒い狼が翼をはためかせる真下を歩み、坂を降りていくヒズリー熊の親子と遠目にすれ違う。
途中、毛むくじゃらのグアロとばったり鉢合わせて、仕方なく切り捨てた。
もう息が上がっている。
ソフィじゃないが、私もそろそろ足を洗わなければならない。
汗を拭い、やがて頂きに登り詰めた。
クリウスの花はよく陽の当たる暑い場所に生えるという。
ひと通り探し回ったが、見つからない。
諦めて帰ろうと身を翻すと、近くの茂みが葉擦れを鳴らした。
咄嗟に身構えると、橙の結び髪が覗く。
「……ミース」
「奇遇ね、クレア」
髪に付いた葉を払う彼女に、私は瞬きした。
「依頼は?」
「受けてないわよ。あんたの後を付けてきただけ」
気付かなかった。
紫瞳を斜め下に落として、無理に口端を吊る。
「もうあなたの方が冒険者として熟練ね」
「あんたは腕が鈍ったわね。もう引退したら?」
「それもいいかもしれないわ」
冗談のつもりだったのだろう。
ミースは目を見開いてこちらをまじまじと見つめた。
「本気?」
「灰斑の呪いに掛かってるんだもの。潮時は見極めなきゃいけない」
そのまま坂を下りはじめる私のすぐ後ろにミースも追従した。
「ねぇ。あんた達、本当に死ぬの?」
「死ぬわ。綺麗さっぱり居なくなる」
黙り込んだ私達の耳に、遠くで牛の鳴く声が聞こえた。
「ところで、クリウスの花なら採っておいたわよ」
そう言って彼女が懐から取り出したのは、目に眩しい陽の光を照り返す緑色の花だった。
初芽にも見えるが、中央に雄しべと雌しべもが確認できる。
「でかした。偉いよミース」
「髪を撫でるな」
街に戻ってもまだ太陽は天頂にあった。
ソフィが起き上がれなくなってから、私の探索時間は昼へと推移した。
ソフィが起きている時間が変わって、彼女の世話する為に私も夜間行軍は中止せざるを得なかったのだ。
一度小屋に戻り、元相棒の寝顔を見てから、バスケットを持って市に繰り出し、必要な買い出しを済ませておく。
ミースはギルドに向かった。
また小屋に戻って、午後の日差しが窓辺を黄金に染める中、囲炉裏に火を入れる。
雑炊を煮ながら日暮れを待ち、ミースが帰ってくると、ソフィを起こして三人で食べた。
「これ、クレアが作ったの?」
「そうだけど」
「豚の肉か。それに葱と……これは玉子ね」
ソフィは食事中あまり喋らない。
私もミースも内心不思議だったが、いつになく饒舌な彼女にそれを問う事なく、望まれるままに言葉を発した。
三人、別々の寝台に転がり、私がランプを吹き消してその日は眠りに沈む。
翌朝、ソフィの冷たくなった身体に覆い被さるように、ミースが毛布を鷲掴んで泣いていた。
私の方が付き合いは長かったんだけどな。
羽衣姿で朝日に濡れながら、寂しそうに微笑んだりした。
*
車輪の音が四つだけだと、何となく物悲しい気になる。
「すまないね。あんな安い代金で護衛を引き受けてもらって」
「構わないよリンデ。ベシクオルソからマルトゥーリに向かう行商は少ないから。依頼があっただけ有難いわ」
小麦色の髪に糸目の青年は、ハット棒の鍔を下げて小さく息を吐いた。
「そう言ってもらえると助かるよ。ところで、その痣」
彼の指差した私の首には、青紫の斑模様が浮かんでいる。
「灰斑症だね。その分だと、巡礼の旅なのかな」
「教会の信仰に興味はない。でも、死に場所探しという点では合ってるかも」
「そう」
リンデは手綱を握ったまま薄く笑っている。
「モンスターを狩り続ける生活をしてる人って、皆どこか変わってる。僕もこの仕事を続けて長いから、それなりに沢山の冒険者を見てきたけど、常々そう思うよ」
「商人も中々、変わり者が多いわよ。あなたみたいなね」
「はっはっ、これはしたり」
わざとらしく膝を打つ青年を睨み上げた。
「で?」
「いや、何。その点、クレア殿はまともだなと思ってね」
「……私が?」
両足を弾ませて御者台に乗り込むと、リンデは「ぉおっと」と汗を垂らして仰け反る。
馬が驚き嘶いた。
「ふぅ。だってそうでしょう?冒険者なんて社会のはみ出し者。魔物やドラゴンを打ち倒す英雄だなんて男の子なら誰しも夢見る事だけど、大人になってしまえば分かる。あんな怪物共に人間が叶う筈がない。初めは運良く生き残れるかもしれないが、いつ食い殺されてしまうかも分からない。別段、奴らの方から街にやってくる事なんて滅多にないのだから、わざわざ縄張りに踏み込んで狩猟する必要性があるかも怪しいものだ。なのに命を顧みず、その愚を犯すんだから、これは変わり者という他ない。けれど、君はそういうのとは違う」
座面に片膝を付き、台車に手を掛けて詰め寄る私を、彼は無感動に横目にする。
「クレア殿には余命があった。だから命を顧みる必要がなかった。危険な稼業に身をやつし、定められた運命とは違った形の死を求める。なるほど非情な神への反抗としてはいっそ健気な程に順当だ」
そう言われても別段傷つかなかった。
寧ろ自分やソフィの行動原理を説明されて妙に腑に落ちた。
けれど今は亡き親友の名誉を想い、私は努めて怒って見えるように殺気立った目を向ける。
彼は慌てて両手を挙げた。
手綱がはらりと御者台に落ちる。
「これはこれは。少し言葉が過ぎたようで。謝罪する」
「分かればいい」
飛び降りて歩きだす私に、リンデは少し残念そうに眉を下げた。
「隣に座ってくれていいのに。見目麗しきお嬢さんと相席するなど光栄の極みだ」
「嫌。すれ違った旅人に口の悪い行商とカップルだなんて思われたくないもの」
青年は声を上げて笑った。
私も少しだけ口元を綻ばせる。
丘陵の多い原っぱを、小さな蝶が飛び交っていた。