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七幕 風に靡いた髪を留める。

 山岳地帯とは言え、その領域にある全ての場所が高地とは限らない。

 所謂盆地と呼ばれ、窪みになっている低所も存在していた。

 あの大穴は、そんな平地の中で見つかった。

「テクマトの縄張りにあったら、見つからない訳よね」

 ソフィが手で庇を作って仰いだ先では、羽毛の生え揃った両翼を上下させる黒い狼が、木々の茂る山の上空を鴉のように飛んでいる。

「私達だって、見つからずにここまで来れたのは奇跡だわ。帰りはどうなることやら」

 ミースがマントの肩に付いた葉を払いながらぼやいた。

 私は踏まれる事のないせいで胸の高さまで茂った雑草を掻き分けながら、もう一度その穴を覗く。

「七メートルくらいかしら……」

「単なる液状化かもしれないわ。足場が脆くなってるかもだから気を付けて」

 私は日の当たる迷宮床を見下ろしながら、紫髪を耳にそっと掛けた。

「この件は内々ギルドに報告するとして、取り敢えずオクマ草の採集に戻ろう」

「と言っても、このまま当てもなく山道を歩いてるだけじゃ見つかりそうもないわね。どうする?」

 草の葉先を弄りながら尋ねるソフィに、私は真顔を向ける。

「やっぱり、テクマトの縄張りに入らないと駄目なんだよ」

「戦闘は最小限に。探索のセオリーじゃなかった?」

「オクマ草は高所に群生するから、低地を歩いていたら見つかりっこないよ」

「そう?なら仕方ない」

 あっさり引き下がる相棒から視線を切って、私は遠い空を飛行している翼狼を追って山へ歩いた。

 獣道を使った山登りは足に疲労を溜め、戦闘中にハンデを生みかねない。

 定期的に小休止を取り、慎重に進む。

 テクマトが魚食であり、肉を目当てに寄ってこないのは幸いだった。

 頂きに近い所まで来て、昼の日差しに伸びをする。

「私達がこの時間起きてるなんてね」

「あたし、こんなに高い太陽見たの久しぶりかも……」

 ソフィとミースの会話を耳にしつつ、小輪の青花を摘んで巾着に詰めていく。

「しかしそれ、何の薬草なの?」

「惚れ薬に使うんだってさ」

「あら、私も試してみたいものね」

「こういうのって、ある程度好意のある人同士じゃないと意味ないと思うけど」

 また一本、採ったオクマ草を矯めつ眇めつして、懐に納めた。

「もう十分だ。帰ろう」

 咆哮が鳴り響く。かなり近くだ。

 重々しい足音も迫って来てる。

 木々が頻りに騒めいた。私は思わずため息を吐く。

「後少しだったのに……」

「ま、そう上手くはいかないわよね」

 ミースが剣を抜き払って、肩に当てた。

 間もなく、茂みを突き破って黒い威容が姿を見せる。

 前肢は猛禽の翼として発達しているのに、貌の造作は狼そのものだ。

 後脚で走りながら突進してくるテクマトに対し、私とミースが右へ、ソフィが左へ逃れる。

 私は利き腕を横に振り抜き、翼狼の左脚を切り裂いた。

 横目で傷口を追う。

 弾けた血の量からして、浅い。

「ソフィ、翼はっ?」

 金属の走る音と水音を響かせて、短い緑髪の少女が空中から踊り出てくる。

「駄目ね、硬くて刃が通らない」

 並走する私達を置いて、ミースがテクマトに追いすがった。

「ぁッ」

 腹の下を潜るように一閃。

 テクマトが吼えながら空へと舞い上がる。

 土で服を汚す橙髪を結んだ娘に近寄り、砂埃を払ってやりながら訊いた。

「どう?」

 彼女は無言で首を振る。

「まあ、無理に仕留める必要はない。逃げよう」

「どっちへ?」

「木の生い茂ってる方へ。頭上から見つけにくい筈だ」

「分かった。じゃあ付いてきて」

 ソフィの案内で、私達は山を下っていく。

 途中何度か複数のテクマトが咆哮を上げていたが、幸い見つかる事はなかったらしい。

 尾根を抜けて麓の原っぱに着いた頃には、もう空が夕色に染まっていた。

「マルトゥーリに帰って清算したら、銭湯にでも行こうか」

「珍しく気が利くわね。いいわよ」

「あたしも構わない」

 汗濡れた肌を寒風に晒しながら、三人で頷き合う。

 下衣を擽る草葉が、湛える雫を光らせていた。


         *


 車輪の合唱を聴きながら、私達は一列に距離を置いて歩く。

 背嚢に買い込んだ糧食と毛布がずっしりと重い。

「結局どれくらいいたんだっけ?」

「大体、三か月くらいだと思う。ミースは?」

「あたしは二年」

「「へぇ……」」

 馬車の隊列を囲むパーティは私達の他にもいて、談笑の声が絶えず響いていた。

「炭鉱都市エパトイアか。懐かしいね」

「ひと月そこらしか滞在しなかったでしょ。硫黄の匂いに耐えられなくて」

 私とソフィが笑い合う中、ミースが小鳥を指に留まらせる。

 隊列が前方から止まっていき、さっき昼の小休止を取ったばかりだったので、私は反射的に身構えた。

 近くの御者台から商人が顔を覗かせる。

「後続に伝令。右翼方向からヒズリーの群れだってさ」

「あたし行ってくる」

 後ろに馬車ひとつ分空けて追従していた荷台の主まで走っていく少女の結び髪を見送ってから、相棒と目配せした。

「行こうか」

「余ってるといいけど」

 言うが早いか駆け出す。

 ミースを仲間外れにする意図はないが、彼女には無茶をさせたくなかった。

 私達はどうせ、今に果てようと生き残ろうと結局、行き着く所は同じだけれど。

 先頭集団を越えるまでに馬車を十三個横切った。

 商隊は森林の中を突っ切る街道を通過中。

 二時の方角にある木立の中に、爪が異様に長く発達した野熊と刃を交える冒険者達の姿を目視した。

 ソフィに先行させて、私は樹を駆け上る。

 枝から枝へ跳躍を繰り返しながら、戦闘現場へ接近していく。

 間もなく直上だ。

 私は見下ろす目を見開いた。

 冒険者の中に女性がいる。

 金の髪を三つ編みにした背の高い刀士。

 前線に加わろうという所で、ソフィがちらとこちらに目線を向けた。

 黒い毛並みの野熊が一頭、緑髪の少女に走っていく。

 ヒズリーが凶爪を振り切る直前、ソフィは後方宙返りで身を躱した。

 右腕を空振りした熊の懐に、私は樹上から落ちる際に袈裟掛け。

 重力の助けもあって、ヒズリーが両断される。

「あいつ、クレアだ……!」

 顔の半分に張り付いた返り血を鬱陶しく拭っていると、どこぞから男の声が聞こえてきた。

 ふむ、私の名が知られているのだろうか。

 そのまま駆け出した。

 前方宙返り、体を横に回し、下半身を降ろすのに合わせて横一文字に銀閃を奔らせる。

 ブロンドの女戦士が打ち合っていた熊の首を刎ねて、次。

 屈みながら駒回りして、足下で袈裟。

 腕を失った獲物の喉に切っ先を埋め込んだ。

 ソフィもまた一刀の下、次々と生き残っている野熊の数を減らしている。

 やがて掃討が終わると、私達は持ち場に帰ろうと踵を返した。

「あんた達、噂のクレアとソフィかい?」

 ミースの凛とした響きとも違う、しゃがれた低い声が掛けられる。

 振り向けばそこに、先程見かけた金髪長身の女が立っていた。

「私はメルヴィス。今回は助かった、礼を言う。だが」

 こちらを胡乱に睨む冒険者達を彼女は目線で示す。

「獲物の横取りは本来ご法度だろう?うちの若い衆も連日の慣れない強行軍で気が立ってるんだ。あまり刺激しないでやってくれ」

「善処する」

 言葉ばかりの返礼をして身を翻した私の後ろで、怒鳴る男達と宥めるメルヴィスの声が響いていた。

 ソフィが服の裾を捲ってお腹を掻く。

 青黒い斑が浮かぶ白い肌が覗いた。

「後どれくらい持ちそう?」

「私はもうギリギリね。運が良ければ二月ってところじゃないかしら」

「私はまだ一年くらい大丈夫。葬式はどうして欲しい」

「要らないわ。焼いて河にでも撒いてちょうだい」

 隊列の横に戻ってから、私達は自然と口を噤む。

 元の位置まで来ると、オレンジ髪の娘がふくれっ面をしていた。

「あたしも連れてけよ」

「ごめん。今度ね」

 ぞんざいな返答に肩を竦めるミースは、しかしあっさり引き下がる。

 案外私達の事情がバレているのかもしれないと思ったが、追及はしなかった。

 木枯らしが吹いて、衣を微かに浮き立たせる。

 私の背中に走った斑は、すぐ裾に隠された。

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