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六幕 羽を拾って筆にする。

 好きな匂いを嗅ぐと人は冷静になれるという。

 冒険者にとって思考の明晰さは生存率に直結するので、香料を持ち歩く者は存外多い。

 私は砕いたシナモンを詰めた香袋を鼻先に当てて、瞑目しながら大きく息を吸い込む。

「……それ、あたしも試していいかしら」

「ええ。必要なら、今度店を紹介するわ」

 手渡した巾着を、心地良さそうに嗅ぐミースに微笑み、前に向き直った。

 洞窟の中、金鳴りが頻りに反響している。

 ワームが掘り進めたと思われる草原洞窟は、私達が見つけたものの他にも無数に存在していた。

 中には大猪ハオバオの他にも、毛むくじゃらの小鬼グアロや、単眼の緑亜人マルブーなんかも群れを形成して棲みついている。

 新たな開拓地とは、そのまま手付かずの宝の山みたいなもので、マルトゥーリの冒険者界隈では今、ここ草原下の地脈地帯が最もホットな狩場として知られていた。

 この剣戟音も、さては人の少ない夜間を狙って稼ぎに赴いた同業者のものだろう。

「仮にバーズがいたとして、この分だともう狩り尽くされた後じゃないの?」

 ソフィは気乗りしない様子で、短い緑髪を払ったりしている。

 三人共カンテラを揺らしているが、この辺りは煌晶石と呼ばれる白く光る水晶が生えていて、視界は比較的明るい。

「ソフィ。あなた攻略対象の図鑑とか読まないで討伐に出向くタイプでしょ」

「まあね。面倒は少ない方がいい」

 私はため息を吐いて、鞘に納まる柄を引っ張った。

「バーズ。隻足の梟は音や光を嫌う。音階の可聴領域が広くて、人の耳では聞き取れない超音波ってのを発して、その反響で周辺環境を知覚するらしいわ。あんな風に」

 丁度通りすがりの横道で戦っている冒険者とグアロの集団に目を向ける。

「戦闘音を響かせていれば、バーズはまず寄り付かない。より人気の少ない、煌晶石もないような暗がりを目指そう。きっとそういう所にいる筈だから」

 私達は迷宮の奥地を目指して探索を続けていた。

 マッピングはミースが担当した。

 彼女はそういう記憶的な分野が得意のようで、私達が迷ってもミースの指示でおよそ停滞のない進軍を続けられた。

 やがて冒険者達の姿を見掛ける頻度は減っていき、気付けば私達は闇に包まれた大空洞の中を忽然と歩いている。

「ねぇ……本当にこんな所、モンスターが棲んでると思う?」

 結んだ橙髪を左右に揺らし、少女が辺りを見回しながらやつれた声を零す。

「いてもいなくても構わないけど、無事帰れるといいわね」

 ソフィは腕枕しながらチラと私に目を向けた。

「ワームは微小生物を土ごと食べて大きくなるなら、草原とかで狩りをする必要はない。けど、生体機能を維持するうえで日照を浴びる必要があるみたいで、たまに地上へ出てくるんだ。この迷宮も一定間隔で地表への路が点在している筈だし、最悪虱潰しに探索を続けて行けばいずれ外に出られるわ」

 勿論、糧食が続く時間内に首尾よく出口を見つけられればの話で、成算は高くない。

 敢えて説いて聞かせる事でもないので黙っているが、二人共気付いているのだろう。

 この依頼は私が独断で受けたものだから、彼女らに追従する義務はない。

 ここで降りると言われても、私は止めないつもりだった。

 けれど結局会話が途絶えてからも、ソフィもミースも何も言わず私の後に続いている。

 コツコツと、靴音が響いていた。

 三人分だと思っていたそれが、どうにも違うと最初に気付いたのはソフィだ。

「ねぇ、この洞窟には啄木鳥でも棲んでるのかしら」

 剣を抜き放って心にもない問いを投げる相棒に、新入りがゆっくり得物を引きながら首を横に振った。

「本当にいるんだ……。あたしもそうだけど、あんた達って豪運よね」

「運も実力の内よ、ミース」

 言いながら慎重に歩を進め、手近な石柱を剣の腹で打ってみる。

 甲高い音が木霊した。

 全員が足を止めると、羽ばたくような音が聞こえた。

 私達はそちらへ向けてすぐ駆け出したが、音の主はどんどん遠ざかっていくように感じる。

「このままだと撒かれるわ」

 ソフィが私とミースを置き去りにして先行する。

 彼女はやはり群を抜いて足が速い。

 とは言え、暗がりの中で仲間とはぐれればそのまま合流できなくなる可能性も否定できない。

「発炎筒は持ってるよねっ?」

「当たり前でしょっ」

 そのままカンテラの灯りが小さくなっていく様を追いかけた。


         *


 私はミースと共に息を弾ませながら、足を緩めて歩んでいく。

「驚いた……」

 私は素直に感想を零す。

 洞窟の中へ日光が差していた。

 それも一筋などと言えるようなものではなく、ぽっかりと円形の大穴が天井に開けているのだ。

「これ程の目印があるのなら、今まで発見されなかったのは不可解ね」

 ミースも目を細めて淡い青空を見やりながらごちる。

 洞窟の床に広がった光環の中心に立ったソフィは、仰向けていた顔をこちらに降ろして肩を竦めた。

「ごめん。逃げられちゃった」

「仕方ないわ。翼獣相手にこの地形だもの」

 慰めを口にしつつ、足掛かりになりそうなものを探す。

 しかし天井まではこれまでのような坂道がなく、跳んで登るには高過ぎる。

「ワームが空けた穴じゃなさそうだね」

 隣まで行くと、相棒が私を横目にしつつ呟いた。

「でも、バーズが掘ったとも思えない」

「案外、ヘルーン辺りの巣だったりしない?」

「あぁ、有り得るかも」

 私はそこでミースを振り返る。

「マッピングは続けてる?」

 彼女は渋面を作って軽くかぶりを振った。

「……おおよその方角と距離を測るのがせいぜいよ。なんせ、暗くて見えなかったもの」

「十分よ。一旦引き返そう」

「どうするの?」

 私は先頭を行きながら剣を鞘に納める。

「草原に出て、地上からこの位置に戻る」

 ソフィとミースが顔を見合わせ、小走りに付いてきた。

 三人分の靴音が、円形に広がる蒼穹へと木霊していく。


         *


 マルトゥーリの外壁は市街地を囲み切っている訳ではない。

 中心市街と壁外街区の面積比率は七対三と偏りはあるが、外に広がるスラムにもそれなりの数の人が暮らしていた。

 私は必要ないと言ったのだが、茶髪闇商人カジカの強い勧めで鼻から口に掛けてを覆面で隠している。

「この辺りは治安悪いからな。西側は廃坑団っつー愚連隊が一応取り仕切ってはいるが、子供の窃盗や喧嘩が高じた人討ちなんかも珍しい話じゃない。顔を覚えられると厄介だからな」

 煤けた道端に座り込んだ乞食達は然程瘦せこけている訳でもなかったが、余所者の気配を嗅ぎ取って胡乱な目を向けられた。

 私としては悼ましい物を見る目のつもりだったけれど、彼らには侮蔑的に映ったかもしれない。

 猥雑で細く坂の多い街路を練り歩き、やがてどこにでも有りそうな一軒の高屋に辿り着いた。

 隙間の多い板張りの薄い扉を、外套のフードを被ったカジカは周囲を気にしながらノックする。

「ローグ、俺だ」

 しばらく待ったが、反応がない。

 試しに彼はドアノブを押してみたが、閂がされているようだ。

「いるんだろ、ローグ!返事しやがれ!」

 今度は人目も憚らず何度も戸に拳を打ち付けるカジカ。

「繰り返す明星」

 近付いてくる気配もなく急に間近でした声に、私は思わず仰け反った。

「はぁ……。我暗黒の標なり」

 重々しく閂が下ろされる音がして、扉が内側へ開く。

 顔を出したのは襤褸いローブを纏う、伸ばし放しの灰髪と隈の浮いた垂れ目が特徴の男だった。

「物は用意できてるのか」

「あぁ、この女が」

 私はカジカが言い終えるよりも先にマントの懐から麻袋を取り出す。

「バーズの鉤爪三本よ」

「やっとか。これで研究を再開できる」

 受け取ろうとするローグの手を躱し、私は袋を頭上に掲げた。

「報酬と交換だ。銀八銅五」

 彼が胡乱な目をカジカに向けると、交渉役は肩を竦める。

「残念ながら損壊はない。値切るのは諦めろ」

 私は足が一本しかなかった巨大な褐色の梟を脳裏に浮かべる。

 結局、草原で仕留めたハオバオを捕食しているバーズを三人がかりで奇襲し、狩猟自体はあっさり完了した。

 ローグはため息を吐いて室内に戻る。

 戸が開け放しだった為、私もカジカも後に続いた。

 所狭しと積み上げられた書物。

 木箱から覗く多様な金属製品。

 奥の炉は今も赤々と燃えている。

 髪の長い放蕩男は紙束やインク壷や鎚の散らかった円卓に腕を投げ出し、萎びた椅子に大股を開いて腰掛ける。

「悪いが金を切らしてる。適当に価値の有りそうな物を持ってってくれ」

 私は火を照り返す紫瞳を瞬き、抜剣して切っ先を彼の喉首に当てがった。

「嘘だね」

 カジカは割って入るでもなく炉に薪をくべ、それから適当な壁に凭れかかって腕を組む。

「そいつは騙ってる訳じゃないと思うぜ。錬金術師の取引は小切手で行うのが基本だ。硬貨は偽造が尽きないからな」

「じゃあギルドで換金できる証書でもいいわ」

 私はポーチから契約書を取り出すが、ローグは天井を見上げて気怠そうに息を吐いた。

「八十五トリエ分の鉄インゴットをくれてやろう」

 私は剣を納めて契約書をそのままカジカの胸に押し付ける。

「話にならない。あんたが後でシェリーに届けて」

「分かった」

 私が工房を出ると、背後から声が聞こえてきた。

 やれ、あんまり往生際が悪いと廃坑団呼んで取り立てさせるぞ、だの。

 ローグの嫌そうな呻き声を聞いてから、見上げるような石壁に向かって歩いた。

 ややあって門の一つを潜ったが、衛兵に声を掛けられるでもなく素通りだ。

 特に立ち入りが制限されている訳でもないのに、彼らはどうして壁内に流れないのだろう。

 歓楽街はランタンが灯り始めて活気づいている。

 華美な装いの女給が誘いの声を上げ、身なりの良い男の集団が笑いながら路を行く。

 線香の匂いが漂う中、賭け事や酒に耽る商人達を尻目に、覆面を指で引っ下げた。

「どうにも、後ろめたい気分ね」

 なんて、偽善的な呟きを落とす私は、我ながら卑俗だと思う。

 貧民街を目に憐れみを抱いても、そこで暮らし寄り添う事などない。

 私はどうあれ根無し草の冒険者風情で、もっと言えば余命の数えも少ない老人だ。

 庁舎の姿が見えてくるまで、私は更けていく夜の星々を眺めて歩いた。

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